皆が待ち望む太陽が最も長い時間天空に居座る季節を迎え、人々は短い夏を満喫しようと休みを取って家族と一緒にバカンスに出掛けたり、友人同士で集まってはビールを飲んで楽しんだりしている姿を尻目に汗水を流して己の職を全うしていたリオンは、ヒンケルを助手席に乗せて警察署への帰路をのんびりと走っていた。
今日は先日逮捕にまで漕ぎ着けた事件の後始末ではないが、被害者へのフォローをする必要があった為、被害者宅へ出向いていたのだが、先程受けた連絡では無事に送検できそうで、ヒンケルと二人で胸を撫で下ろしていたのだ。
その帰り道、この街では他の大都市ほど数の多くないFKKの前を通り過ぎたが、ちょうど建物から出て来た女に気付いて何気なく視線をやってそのまま顔を固定してしまう。
「・・・・・・ボス、ちょっと止めます!」
「おい!」
その言葉を言うが早いかリオンが急ブレーキを踏んで後続車からクラクションを浴びせられるが、ヒンケルがのっそりと降り立つと同時に警察のバッジを見せた為、後続車の男性ドライバーが舌打ちしそうな顔をした後、流れに乗って走り去っていく。
「ノーラ!!」
店から裏通りに向けて歩き始めた女を呼び止めるためにリオンが大声で彼女の名を呼ぶと驚いたように女が振り返るが、その顔はまだまだ幼さを残していて、女と言うよりは少女の顔そのものだった。
「リオン・・・!?」
「ノーラ、お前まだやってんのか!!」
リオンにしては珍しく陽気さを抑えた顔で叫びながら足を止めた少女に駆け寄ると、細い両肩に手を乗せて恐ろしいほどの真剣さで彼女を見つめる。
「お前、マザーやアーベルと約束しただろうが。なのにまだ売りをやってんのか?」
リオンの言葉に少女の顔がみるみるうちに青ざめるが、険しい視線から逃れるように顔を背けて力なく肩を揺らし始めた為、リオンが様子を見守るように肩を撫でる。
この少女との出会いは2年ほど前になり、当時交わした約束を僅か2年で破られた寂しさに眉を寄せたリオンだが、裏に潜む理由を何となく察してしまい、少女が口を開くのをじっと待てば、総てに対して投げやりになっている人特有の声で笑い声が流れ出す。
その笑いが自分とその総てを笑っていて、最も明るく楽しい季節など自分には関係が無いと教えてくれるようで、聞くことも辛かったが耳を塞ぐわけにもいかずにじっと堪えるように唇を噛み締めた時、ようやく笑いが止んで少女が項垂れるように足下を見つめる。
「ノーラ」
「だってさぁ・・・仕方ないじゃん!?やらなきゃ殴られるんだもん・・・!」
不意に勢いよく顔が上がったかと思うと、世の中の総てを見てきたような暗い瞳が睨み付けてきた為、手に力を込めて見つめ返せば怯えと不安と安堵が入り交じった顔で唇を噛み締められる。
「誰に殴られるんだ?」
少女自身はこの一帯で売春宿などの商売をしている組織に加入していなかった事を思い出し、まさか何処かの組織に入ったのかと問いかけると力なく明るいブロンドの髪が左右に揺れる。
「・・・まさか・・・」
先にリオンが察した事がどうやら現実だったようで、おそるおそる問いかけた言葉に少女が再度力なくブロンドを縦に揺らした為、鋭く舌打ちをしたリオンがシャイセと吐き捨てる。
「あたしだってやりたくないよ・・・!でも・・・金を稼がなきゃアイツに殴られるんだよ?痛いのは・・・ヤだよぉ・・・っ!」
同じ心が痛むのならばせめて身体の痛みだけは少ない方を選択したいと悲痛な声で告白されて奥歯を噛み締めたリオンは、今どこに住んでいるんだと問いかけ、以前住んでいた安アパートの住所を教えられて溜息をつく。
「今からマザーに連絡をする。良いか?」
「や・・・だ、・・・っ!帰らなきゃ・・・殴られるっ!!」
今ここでリオンがマザー・カタリーナに連絡を入れれば、彼女のことだから二年前と同じように少女を救う為に持てる力を使って守ってくれるだろうが、僅か二年で彼女を暴力と恐慌の真っ直中に陥れる存在の元に連れ戻され二年前と同じ日々に舞い戻ってしまった現実を伝えるのは申し訳なかったし、また彼女の元に逃げ込んだとしても、己の身の安全が確保できるとは限らないと恐怖の交じった声で叫ばれ、マザーとアーベルを信じろとリオンが説得するが、彼女は蒼白な顔で頭を左右に振ってリオンの手を振り払う。
「・・・約束、破っちゃってごめんね、リオン・・・でも、会えて嬉しかったぁ」
蒼白だった顔に僅かに血色を取り戻した少女が笑みを浮かべ、久しぶりの再会が何よりもの宝物だと首を小さく傾げて手を挙げる姿にリオンが振り払われた手で拳を作って腿の横で握りしめる。
警官となって孤児院から独立し、警官時代に手柄を立てて刑事として働けるようになったリオンだったが、目の前でどうあっても太刀打ちできない現実を細い身体で笑みを浮かべて受け入れる少女の一人も守る事が出来ない無力な己に歯を噛み締める。
「ね、あたしの天使様に会ったら元気だって伝えてよ!あたしは元気だから・・・!」
あの日教会で自分の為に涙を流してくれた心優しい天使ことブラザー・アーベルにそう伝えて欲しいと照れたような笑みを浮かべて片手を挙げた少女は、リオンが返事をするよりも先に踵を返して駆けだしてしまう。
「ノーラ!」
誰がみても無理をしていることが分かる笑みを浮かべて立ち去った少女の背中に呼びかけるが、先程のように振り向かずに人混みの中に紛れていく。
彼女の明るいブロンドが完全に見えなくなるまで見送ったリオンは、やるせない思いを溜息に混ぜて足下に落とすが、小さな咳払いの音で我に返って顔を振り向け、何とも言えない微妙な表情で見つめてくるヒンケルに気付くと同時に表情を切り替える。
「・・・待たせちまってすいません、ボス」
「いや、良い。何か事情があるのか?」
走り去った少女が出てきた建物はそれなりに健全で名前の通っている売春宿だが、今の少女はどう見ても未成年だろうと声を潜めた為、リオンも小さく頷いて煙草に火をつける。
「・・・確か今年で16になるはずです」
「学校にも行かずに働いているのか?」
「そうですね・・・初めて客を取ったのは12だって言ってました」
リオンが煙草の煙とともに吐き出した言葉にヒンケルが絶句してしまい、その様子に無言で肩を竦めたリオンだが、思い出したくない事実を思い出した苦さの元凶のように煙草のフィルターを噛み締める。
「あいつ・・・二度の流産と中絶を一度、経験してるんですよ」
その中絶の手術を受けさせるのに、少女がアイツと呼んだ男をマザー・カタリーナ達が必死になって説得し、ようやくマザー・カタリーナらが用意した病院で受けさせ、その後の面倒をずっと診ていたと呟くと、靴の裏に煙草を押しつけて吸い殻を踏みつぶす。
「・・・施設に保護して貰えなかったのか」
何故年端もいかない少女が望まない妊娠を三度もしなければならなかったと問いかけるヒンケルにリオンがもう一度肩を竦め、どの施設にいても連れ戻されてしまったと呟き、少しだけ陽が傾いた空を見上げて目を細める。
「ノーラの母親が資産家の一人娘だそうです。その娘が火遊びをした相手が悪くて、気付いた時にはすでにノーラが腹にいたそうです」
どうせならば生まれた子どもを大事に育ててくれれば良かったが、5歳になった頃にノーラが生まれたことをどこから聞きつけたのか、母親の実家に男がたびたび訪れては金を強請るようになり、外聞を憚った父親達—ノーラの祖父母—が纏まった金を払うと別の街へと引っ越したが、ノーラも一緒に連れて行かれてしまった事を告げ、どうしようもない男だと吐き捨てる。
「・・・そうか」
「仕事中でした」
「いや・・・もう良い。今のは俺の中にだけ納めておく」
リオンの滅多に見ない表情にヒンケルが視線を逸らしてこの話はおしまいだと告げた為、救われたように笑みを浮かべたリオンが停めていた車に乗り込むと、ヒンケルが乗り込んだのをちらりと確認しただけでアクセルを踏み、署に戻るまで一言も口を利かないのだった。
その日、晴れることのない靄を胸の裡に抱え込んだまま仕事を終えたリオンは、いつもならば軽い足取りで恋人が経営しているメンタルクリニックに駆け込むのだが、署に戻る前に見た少女の顔がどうしても忘れられず、また彼女が別れ際に発した言葉がそのものだとは思えず、警察署を出ると同時にリオンがこの世で最も信頼している人物に電話を掛ける。
『リオン?もう仕事は終わったのですか?』
携帯の向こうから流れてくる慈愛に満ちた穏やかな問いかけに小さく頷き、たった今終わったばかりだが少し話をしたい事を伝えると、滅多にない気配を察した彼女が少しだけお待ちなさいと伝えて静けさが伝わってくるが、程なくしてどうしたのですと心配の色を滲ませた声が先を促してくる。
沈黙している間に煙草に火をつけて煙が立ち上るのをぼんやりと見つめていたリオンは、再度同じ事を問われた事に気付いて視線を戻し、がりがりとくすんだ金髪を掻きむしる。
「あのさ、マザー・・・ノーラに会った」
『ノーラ・・・?あの子に会ったのですか?どうしていました?元気でしたか?』
久しぶりに名前を聞いたのか、暫くの間沈黙が流れて思い出していることを教えてくれ、ノーラの名前と顔が一致したらしく彼女の声が明るく弾むが、軽く唇噛み締めたリオンは咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
二年前にノーラを最低な男と評した父親から引き離す為に尽力し、もう二度と売春をしないでいいようにと、マザー・カタリーナや少女が天使様と呼んだブラザー・アーベルらが手を尽くして慎ましやかでも穏やかな暮らしを送れるようにしたが、それがたった二年で元の暮らしに戻ってしまっていたと伝えることが出来なかった。
『リオン?』
「・・・んー、電話じゃ上手く言えねぇ。後でそっちに行っても良いか、マザー?」
『え、ええ、それは構いません。あの子に何かあったのですね?』
リオンがそんなにも言い淀む理由に気付いたマザー・カタリーナの言葉に溜息だけを返したリオンは、もしもアーベルがいるのなら一緒に話を聞いて欲しいと伝え、その言葉から真意を読み取ってくれと願うと、リオンの思い通りの言葉が耳に流れ込んでくる。
『・・・アーベルは先程戻ってきたばかりなので大丈夫でしょう。夕食はどうするのです?』
こちらで食べるのか、それともウーヴェと一緒に食べるのかと問われ、ぼんやりと分からないと答えたリオンは、三〇分ほどでそっちに向かうことを伝え、心配そうに返事をする彼女を安心させることも出来ずに通話を終えると、すぐさまリダイヤルから番号を表示させて耳に宛がう。
コールが五回を数えた時に先程まで耳にしていた彼女とはまた違う、聞く者に不思議と安堵感を与える穏やかな声が名を呼んできて、煙草のフィルターを噛み締めてしまう。
『リオン?もう仕事は終わったのか?』
母親代わりの女性と同じ問いだが彼女とはまた質の違う情がこもっているようで、思わず声の主を思いきり抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
「・・・うん」
間が空いた後の短い返事が精一杯だったが、勘も良いし職業柄人の言動から真意を見抜く術に長けている恋人が僅かに息を飲んだ気配を察し、慌てて口を開いて今日も一日頑張ったんだぜと陽気な声を発するが、ひっそりと、だが彼にしか出せない声で名を呼ばれて口を閉ざす。
『リーオ』
「・・・っ、う、ん・・・」
『職場や他の人では仕方がないだろうが、俺には無理をする必要はない』
今お前が抱えている思いをそのままさらけ出しても良いと心の中にするりと滑り込んでくる声に諭され、陽が傾き始めた空を見上げたリオンは、照れたような笑みを浮かべて今度は足下を見つめ、小さな小さな声でうんと答えると、溜息の音が聞こえてくる。
『今日は帰ってくるのか?』
「あー・・・うん。ちょっと遅くなるかも知れないけど・・・・・・帰る」
自宅以上に居心地の良い、今ではすっかりともう一つの家と化しているウーヴェの家に帰ると、ウーヴェや他の人々が使う以上に思いを込めて帰ると伝えたリオンは、遅くなるのかと問われて深呼吸をし、小さく頷いてホームに戻ってくると告げる。
『マザー・カタリーナに何かあったのか?』
「いや、そうじゃねぇ。前にホームにいた女の子とばったり会ったんだけどな、ちょっと問題発生したからマザーらに伝えてくる」
いつもリオンの育ての母である彼女の体調や周辺の環境について心配してくれる恋人にダンケと胸の裡で礼を言い、深呼吸をして腹を括ったからかすんなりと孤児院に帰る理由を口にすることが出来て胸を撫で下ろす。
『そうか・・・・・・帰ってくる前に電話をくれないか、リオン』
「ん、分かった。あ、まーた本に没頭していて電話に気付かないなんて言ったら怒るぜ?」
『はは、注意しようか』
「是非そうして欲しいな、うん。じゃあオーヴェ、また後で」
『気をつけてな。────愛してる、リーオ。だから俺の前では無理をするな』
ひっそりと告げられる気遣いの言葉と最大級の愛情表現に目を伏せ、俺も愛してると返して携帯の通話口にキスをし通話を終えてジーンズのポケットに携帯を突っ込む。
さっきまではどうやって話を切り出そうかと悩んでいたが、恋人の声を聞いて短いながらも言葉を交わしただけで気持ちが前向きになった事が嬉しくて、頬をひとつ叩くと己の自転車に跨がってホームに向けて走り出すのだった。
ゾフィーがいれておいてくれた絶品のコーヒーに口を付けて安堵の吐息を零したリオンは、事情を説明してくれと無言で促されてマグカップをテーブルに戻し、向かい合わせに腰掛けているマザー・カタリーナとブラザー・アーベルの顔を交互に見つめる。
「今日、仕事で出掛けていて署に戻るとき、FKKから出てきたノーラに会った」
「FKK・・・」
「・・・なんてこと」
二年前、心身ともに深い傷を負い、せめてその傷が癒えるまではとマザー・カタリーナが彼女を孤児院に預かり、その間何度も押しかけてきた父親との間で弁護士や医師を交えて話し合いの場を持ち、その時は何とか納得させて彼女を引き取って働けるように技術を教えて安心していたのに、いつの間にか彼女を大人の女性ですら耐えられないような過酷な現実に巻き込んだ男の元に連れ戻されていた事を教えられ、マザー・カタリーナの顔が悲痛に歪み、アーベルの顔も苦悩に歪む。
「また売春をしてるのかって聞いたら顔色が変わったし、やらなければ殴られるって泣きそうになってた」
だから間違いなく売春行為をしているのだろうが、あのFKKでやっているのか、それともたまたまあの場所から出てきただけなのかは分からないと肩を竦め、顎の下で手を組んだリオンにマザー・カタリーナがそっと目を伏せて胸の前で手を組む。
「あの時・・・二度と会わないと誓約をさせたはずなのに・・・」
その誓約は破れば裁判に訴えられる筈だったが、それが全くなされていないどころか、以前よりもひどいことになっているのではないかと危惧する彼女にリオンも頷いてそれが心配だと呟き、取り出した煙草に火をつける。
初めてノーラがここの教会にやってきた時には顔中には殴られたような痣があり、身体の彼方此方にも同じような形跡があったが、最も彼女を傷付けたのは彼女自身も気付いていなかった妊娠と暴力を受けた事での流産を経験した事だった。
あの日救急車で病院に搬送されたノーラは、検査の結果妊娠十週目を過ぎた頃だと診断されたが、その事実を告げた途端、処置台にもたれ掛かったままぼんやりと天井を見上げ、気持ち悪いと一言呟いたのだ。
その時の話を思い出したリオンが舌打ちをし、ノーラの父親は本当にクズだがどうにかならないのかと苛立ちを押さえきれない声で吐き捨てて煙草を揉み消すが、マザー・カタリーナもアーベルもそれに対して返す答えを持っておらず、更に苛立ちを感じたリオンがシャイセと吐き捨てて足を組み替える。
「保護出来ねぇのか?」
「明日、あの時の弁護士にお話を聞いてみましょう」
あの時尽力してくれた弁護士に話を聞けば何らかの事情も分かるだろうし、次の手を打てるかも知れない事をマザー・カタリーナが穏やかに告げた為、リオンの怒りが霧散していく。
「私も明日父親に会ってきます」
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫だよ、リオン」
「・・・なら、良いけど」
実の娘に対して人とは思えないような事を平気でする男に一人きりで会いに行って大丈夫なのかと、不安を滲ませた声で問いかけるリオンに穏やかに笑ったアーベルは、父親に会う前に彼女に直接会った方が良いですねと対象者を切り替えた事を伝えてくる。
「・・・俺はちょっと父親の事を調べてみる。もしかすると何か後ろ暗いことをしてる可能性がある」
「そうですね・・・一番高いのはドラッグですか?」
「どうだろうな・・・何とも言えないな、マザー」
己の刑事としての立場を悪用したり公私混同はリオンの好むところではないが、幼いうちから辛酸をなめてきた少女が幸せになる為ならば自分に出来る事は何でもしようと腹を括り、それを自身の身体に納得させるように頬を両手で叩く。
「可能なら彼女を父親から引き離してしかるべき場所で保護する。それが無理ならばここに連れてくる。これをひとまずの目標としましょう」
「そうだな・・・それしかないか」
「そうですね。マザー、彼女を急に連れてくることになるかも知れませんが、よろしいですか?」
「もちろんです。嫌がったとしても連れてきた方が良いと判断すれば連れてきて下さい」
報復を恐れて一緒に行かないと拒否するかも知れないが、今はとにかく父親から離すべきだとしっかりと頷いた彼女は、信頼するブラザー・アーベルとリオンの顔をじっと見つめた後、よろしくお願いしますと胸の前で手を組んで短く祈りを捧げる。
その祈りがどうか届きますようにと胸中で呟き、どうするのが一番なのかと呟きながら天井を見上げ、アーベルの短い祈りの声に視線だけを向ける。
「そういや・・・ノーラが私の天使様に元気だって伝えてくれって言ってたっけ」
「元気でしたか?」
「ぜーんぜん。今にもぶっ倒れそうな顔色してた。病気って訳じゃないだろうけど、アイツ、身体よりも心が壊れかけてるかも知れない」
心身ともに痛めつけられてどちらかを壊してしまう可能性は高かったが、ノーラの場合は心がまず壊れてしまいそうだとぽつりとリオンが呟き、アーベルがきつく目を閉ざして額に拳を押し当てる。
「身体は大丈夫だと思うけど、まだ未成年のアイツが大っぴらに売ってる訳が無い。だったらまともに扱われていない可能性も高いよな。病院で調べた方が良さそうだぜ、マザー」
「そう・・・ですね」
リオンの忠告に耳を傾けて頷いたマザー・カタリーナは、とにかく明日になってからの事だと再度告げて二人の同意を得ると、表情を切り替えて夕食はどうしますかと笑顔で問いかけてくる。
「・・・・・・あ」
「すっかり忘れていましたね」
彼女の言葉に二人の男が顔を見合わせるが、一人が慌てて立ち上がって夕食の支度に取り掛かった彼女を手伝い、一人はどうしようかなと暢気な呟きを発して携帯を取り出す。
「マザー、今日はオーヴェの所に帰るからメシは要らない」
「そうですか?」
「うん。・・・ハロ、オーヴェ」
繋がった恋人へのコールにリオンも気分を切り替えたのか、いつもと変わらない陽気な声で名を呼び、今日の晩飯は何だとこれまたいつものように問いを発して手短に会話を交わすと程なくして通話を終える。
そんなリオンの姿を苦笑混じりに見守っていたマザー・カタリーナは、本当に仲が良いと苦笑するアーベルに目を細め、リオンが同性と付き合っている事実を知った直後の蝋人形のような顔色を思い出し、随分と穏やかに見守れるようになった事に胸を撫で下ろす。
「マザー、明日なんかあったら連絡をくれよ」
「分かりました。警察の力が必要なときはすぐに連絡をします」
「うん。そうならないように祈ってる。アーベルも親父の所に出掛けるのなら気をつけろよ」
「ありがとう、リオン。気をつける事にするよ。きみももしノーラを見かけたらここに来るように説得してくれ」
「ん、分かった」
とにかく二年前にここを訪れて人生の再出発を計ろうとした少女を救う為の行動は明日からだと頷きあい、リオンは片手を挙げて恋人の家に帰る為に自転車を走らせるのだった。
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