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冬の寒さを感じさせる乾いた空気と、コーヒーの匂いがたち込める部屋。仕事用のパソコンを閉じたエーミールは、風呂場から聞こえなくなったシャワー音に気づく。
烏の行水がモットーのゾムはものの5分程度で上がるのが常だが、最近は15分もかけて入ることが多くなった。
何か習慣を変えたのかと聞いても「秘密だ」と答えてくれない恋人の顔を思い浮かべて、エーミールは柔らかく笑みをこぼす。
コーヒーの最後の一滴を飲み終えたのとほぼ同時に、ガチャリと寝室のドアが開かれた。
反射的に音のする方へ顔を向けると、風呂上がりのゾムと目が合う。
赤くなった頬と肌を伝う水。
何ヶ月経っても、この光景は慣れない。
おまけに風呂上がりはいい匂いがするから、出来るだけゾムの方を見ないようにするのがエーミールの習慣だった。
ベッドに腰掛けて息をついたゾムが、ふいにエーミールを手招きする。
『恋人にベッドに手招きされる』。
世のカップルにとっては当たり前のことも、チキンの教授からすれば重大イベントだった。
若干動きの鈍くなったエーミールが、そろりとゾムの横に腰掛ける。
当然のようにタオルを手渡され、エーミールは合点がいったように頷く。
ゾムは、甘えたい時があるとたまにこうしてエーミールに髪を拭いてもらうのだ。
嬉しそうに軽く頭を横振りするゾムを愛らしげに見つめながら、子どもにするようにゆっくりと髪を拭いていく。
エーミールの丁寧な拭き作業が終わると、今度はエーミールがゾムに手を伸ばした。
水気を含んだ温かい肌に、細長い指先が滑る。
肩、首筋、顎、頬、耳、髪。
辿るように触れられていくのがくすぐったくて、少しだけエーミールの胸板を押す。
普段ならすぐに止めるのに、何事もなかったかのように続行される。
ゾムは疑問を感じながらも、少し強く肩を揺すってみる。
やはり止まらない。というかさっきからエーミールの息が荒い。
俯き気味だった顔をそっと覗き込んでみて、反射的に身を引いた。
どう言えばいいのかは分からないが、とにかくヤバい顔をしていた。強いて言うなら、猛禽類もビビるぐらいの眼力だ。
これは不味いと向き合ったエーミールをぐいぐいと押してベッドから起き上がる。
ーー上がろうとしたはずだった。
突然もの凄い力で引っ張られ、抵抗もできず再びベッドに転がることになる。
一瞬エーミール以外の誰かに腕を引かれたと錯覚したが、体勢から見てエーミールであることは明らかだった。
明らかでもあり得ないとしか思えないほどの力だ。
ゾムが呆気に取られていると、またエーミールが突然動き出す。
今度は押し倒すような体勢で上にのし掛かかってきた。
ゾムは気が動転してか、簡単な拘束にもすぐに対応できなかった。
謎に慣れた手つきでゾムの手を頭上に縫い付け、エーミールは漸く唇を開ける。
「………すみません、こんなことをしてしまって」
「……は、」
「…もっと、ゆっくりしましょう。急ぐことじゃないですし」
ゾムの言葉に被せるように捲し立てるエーミールが、エーミールとは思えなくて何度も瞬きを繰り返す。
いくら目を瞑っても、目の前にいるのは顔を赤くしたエーミールだし、ゾムはあっけらかんと押し倒されていた。
エーミールは気持ちを落ち着けるようにゾムの肩に顔を埋め、優しく鼻を鳴らす。
ゾムは風呂上がりで赤くなっていた体が嘘かのように冷めきっていた。
ゾムに触れるエーミールの熱さとは、全く別物である。
遂にエーミールがゾムの上から退けようとしたその時、ゾムがスゥーッと大きく息を吸った。
「ふざけんじゃねぇぞ教授!!!」
ドスッ。重い膝蹴りがエーミールの鳩尾にクリーンヒットした。
堪らずベッドから転げ落ちそうになるエーミールの肩を掴み、ゾムが意趣返しのように先程と同じ体勢でエーミールを押し倒した。
痛みに悶絶するエーミールをスルーして、血管の浮いた手がギチギチとエーミールの手首を締め上げる。
「あんたが手出してこないからこっちはずっと待ってんだぞ! このクソど変態!!」
「へっ」
漸く焦点が合ったエーミールは、既に濡れた子犬のように縮み上がっていた。
そんなこともお構いなしにゾムは捲し立てていく。
「いっつも『今日はやめときましょうか』とか適当なこと言って逃げやがって!!」
「…あ、あれは緊張してしまって! わざとではないんです!!」
「うっせえムッツリ!」
「ムッ?! 待ってくださいそれは誤解が…ッうわ!」
暗くなった、細かく言えばゾムの胸板によって遮られた視界が開けると、そこにはエーミールに跨った真っ赤な顔のゾムがいた。
最近本で読んだことがあるこれはたしか騎乗位だっただろうか。
なんて変態思考を巡らせている間にも、ゾムは荒い息を整えることもせずエーミールを睨み付けていた。
「分かったらとっとと抱けよクソ教授」
「そんなことッ、」
「また逃げんのか?」
ハッと、鼻で笑う声が聞こえた。
物理的にも精神的にもエーミールを見下しているゾムの表情が、紫色の瞳に反射する。
どことなく、グルッペンの面影すら感じさせるほどの見下し具合だった。
ピクリと目元を震わせたエーミールが、目の前にあるゾムの唇に噛み付く。
反射で閉じられた唇を舌でなぞり、こじ開けるように隙間を押し潰す。
また豹変してしまったエーミールに、ゾムは驚きつつも興奮していた。
お互いの荒い息が、行き場もなく部屋に流れる。
エーミールを押し倒しているのはゾムで、しかし完全に負けているのはエーミールではなくゾムだった。
ガクリとゾムの腰が落ちそうになり、その隙をついて手首の拘束を無理やり解く。
すっかり蕩け切ったゾムの目元を撫でると、猫が甘えるように手に擦り寄ってきた。
愛らしさに眉根を柔らかくしたエーミールが、ゾムのパーカーの中に手を忍び込ませる。
初々しいチキンのような素振りは、もう見えなかった。
「あなたの希望通り、抱いてさしあげますよ」
その言葉を聞いた瞬間、ゾムは緩くなった頬をさらにへにゃへにゃにさせて、エーミールの首に腕を回した。
磨りガラス越しのネオンは、2人を祝福するように嬉々爛々と輝いていた。