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線上のウルフィエナ

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線上のウルフィエナ

24 - 第二十四章 アダラマ森林の激闘

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17

2024年01月20日

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イダンリネア王国。東は大海原に面しており、北側は岩山に守られていることから、防衛に適した立地だ。

 最も人口の多い拠点であり、王国の民は巨大な壁の中でその一生を過ごす。

 出国の際は南門ないし西門からマリアーヌ段丘に足を踏み入れるのだが、三人の目的地は北西の森林地帯ゆえ、今回は西からの出発だ。

 彼らは草原地帯を颯爽と駆け抜ける。

 ハイド・アーザラット。

 メル・ジェネーレ。

 そして、ウイル・エヴィ。

 年齢も身長もバラバラだ。そうであろうと意気投合した三人であり、道中も他愛ない会話で盛り上がる。


「ウイル君は十六歳になったんだっけ?」

「はい、そうです。ハイドさん達はおいくつでしたっけ?」


 赤髪の男が先陣を切っている。二人組とは言え、ハイドはユニティのリーダーだ。率先して動くだけの器量を持ち合わせている。


「俺は二十五~。メルは二個下だから……」

「二十三」


 二番手はローブ姿のメルだ。漆黒の防具とは対照的に頭髪は白色ゆえ、長身も合わさり目を引く存在と言えよう。背中には鞄と大きな杖を携帯しており、彼らの疾走に連動してユサユサと揺れ動いている。

 最後尾は少年のような傭兵。もっとも、話を振られた瞬間に加速し、メルを追い越してハイドの隣に並んでいる。


「あ、そういえば一年前にも聞いたかもです。今、思い出しました」

「はは、そう言えばそうだったかもね。あれ以降はエルさんと合流してあちこちを冒険したようだけど、面白いことあった?」


 三人の出会いは四年前まで遡る。

 その際に短時間ながらも手を組んだのだが、ウイルとエルディア、ハイドとメルにはそれぞれ別の目的があったことから、四人チームはあっさりと解散してしまった。

 その後はギルド会館等で顔を合わせることはあっても、行動を共にすることはほとんどなく、振り返ると一年半前の三人旅くらいか。


「ラゼン山脈で二人して死にかけたこととか、後はエルさんに模擬戦で勝てるようになったこととか、でしょうか? 半分自慢になっちゃってますけど」


 この発言が、ハイドとメルを驚かせる。この二人もエルディアには一目置いており、ウイルが嘘をついていなければ、その成長には唸らずにはいられない。


「すごいな。成長株だとは思ってたけど、ついに俺達も抜かれちゃったか~」

「い、いやいや、お二人には敵いませんよ……」


 ハイドに褒められるも、ウイルは否定する。謙遜でもなんでもなく、心の底からの本心だ。

 足音と風切り音に負けじと、メルは声量を高めて会話に加わる。


「四年前は見誤った。だけど、今ならわかる。ウイルの実力は本物。太ってた頃は頼りなかったけど、今は立派な傭兵。胸を張っていい」

「俺もそう思うよ。地頭が良いとこうもすごいんだね」


 べた褒めだ。年上に持ち上げられ、少年は半笑いを浮かべてしまう。


「エルさんの後ろをついてっただけですよ。無茶ぶりな毎日ではありましたけど……」


 その通りではあるのだが、ウイルだけが気づいていない。


(それがすごいことなんだよな~)

(自分のことだと気づけない……か。やむなし)


 エルディアは一流の傭兵だ。同時に他者を気遣える女性でもあるが、その本質は正常とはかけ離れている。

 日々を闘争につぎ込みたいと考えており、その欲求は魔物退治というお題目で消化されるも、付き合わされる方はたまったものではない。

 親切心から、困っている若い傭兵に手を差し伸べるも、彼女のペースについていける新人などいるはずもなく、彼らのその後の身の振り方は様々だ。

 傭兵自体を諦める者。

 エルディアに別れを告げ、他のユニティに参加する者。

 多くがどちらかだ。

 しかし、一人だけ例外がいた。

 それがウイルであり、この少年は必死に追いかけ、その気概が自身の成長を促したのかもしれない。

 ハイドとメルもそのことを見抜いており、現在進行形で確信している。


(ハイドはかなり本気で走ってる。一年前なら、ウイルは大きく離されてたはず……。だけど、今は汗一つかいてない)


 彼らは目的地を目指して疾走中だ。それだけではあるのだが、その速度は常軌を逸している。

 凡人なら一瞬で走者を見失うほどの速さなのだが、ウイルは最後尾の位置を余裕でキープ出来ていた。

 そればかりか、話しかけれると同時に加速、立ち位置をハイドの隣へ変えてみせた。

 本物だ。

 二人はそう実感し、新たな話題を提供する。


「そういえば今回の特異個体、どれくらい強いのかな? メル、どう思う?」

「並の巨人族よりは手ごわいはず。三人がかりだけど油断は禁物」

「名前は何だっけ?」

「リーピンサイズ」

「ふ~ん、飛び跳ねる鎌……か。厄介そうな匂いがプンプンするね」


 名は体を表す。

 リーピンサイズ。カマキリ族特有の大きな鎌と厄介な特徴から、傭兵組合がそう名付けた。依頼の羊皮紙にも書かれていたのだが、四本足が繰り出す俊敏な動きは前後左右だけでなく、バッタのように跳ね回ることから油断は禁物だ。通常のカマキリ族にはない固有な仕草ゆえ、腕の立つ傭兵と言えども初見では面くらうだろう。

 二人のやり取りに耳を傾けながら、少年も持論を述べる。


「森の中ってのもきついですよね。視界が悪いとそれだけで戦いづらいですし……」

「うん。だけど俺達は幸運だ。ウイル君の天技があるからね。当てにさせてもらうよ」


 ウイルの同行は彼らにとっても大きなアドバンテージだ。索敵においては非常に有意義であり、その強みに頼ることは決して悪いことではない。


「お任せください。このペースだと、昼前には余裕でアダラマ森林ですね」

「ああ。イエスだね」


 不愛想なメルだが、そう見えるだけで上機嫌だ。

 イダンリネア王国を出発して、まだ十分そこら。そうであろうと、マリアーヌ段丘を矢のような速さで進んでいる以上、巨大な壁は地平線の彼方だ。

 傭兵は人間ではあるものの、身体能力だけで判断するなら魔物側の存在と言えよう。この大陸には生息していないが、馬さえも置き去りにするほどの脚力を持ち合わせているのだから、彼らが急げば百キロメートル先の目的地でさえあっという間だ。

 それを裏付けるように、たどり着く。

 前方に、多数の樹木が姿を現す。森林地帯の始まりであり、マリアーヌ段丘が終わって、そこから先はアダラマ森林と名を変える。

 草の匂いが一層濃くなり、初めの一呼吸はむせ返るほどだ。

 木々が立ちはだかるため、ここからは全力疾走が難しい。それでも三人の足色に衰えは感じられず、軽快な走りは未だ健在だ。


「この川に沿って北上しよう」


 ハイドの提案に、二人は小さく頷く。

 この地は鬱蒼と茂った森ながら、イダンリネア王国にとっては重要な生命線だ。

 多数の樹木はそれ自体が資源であり、また、北から南へ流れる河川は王国内にも伸びているため、生活用水として彼らの生活を支えている。

 西には採掘場が存在しており、貴重な鉱石が現在進行形で発掘中だ

 東には軍事拠点が設けらているのだが、こここそが最終防衛ラインゆえ、この地を守ることは王国の民を守ることと同義だ。


「そうだな、念のため少しペースを落として、カマキリ地帯の少し手前でお昼にしよっか」

「了解」

「はい!」


 慎重すぎる立ち振る舞いかもしれない。それでも、ハイドの発言に異を唱える者はいない。

 進めど進めど、変わり映えのしない風景だ。

 背の高い木々が不気味ささえ演出する中、右手側では川が綺麗な水流を作り出しており、土と水と樹木の匂いが喧嘩せずに折り合いをつけてる。

 自然豊かな土地だが、決して安全地帯ではない。魔物にとってもここは居心地が良いのか、その数はマリアーヌ段丘の比ではない。

 奥地にはカマキリ。

 川沿いにはヤドカリのようなカニ。

 顔が黒く、他は真っ白なヒツジ。

 そして、ゴブリン。

 カニとヒツジは近寄らなければ、問題ない。無害ではないのだが、凶暴性という意味では他二種ほど警戒する必要はないだろう。

 アダラマ森林の脅威は、ゴブリン族とカマキリ族に集約される。どちらも人間への殺意が異常なほどに高く、強さという意味でも要注意だ。

 それでも、ここには腕の立つ三人が揃っている。

 ましてや、ジョーカー・アンド・ウォーカーが魔物の位置を教えてくれるのだから、肩の力を抜いて昼食を楽しめばよい。


「よし、この辺りで食べよう」


 先頭のハイドが減速をえて立ち止まると、二人はその背中と水面の輝きを眺めながらその指示に従う。

 川辺ということもあり、空の青さが視認可能だ。

 そよ風が木々の頭頂部を撫でれば、葉音がカサカサと音楽を鳴らす。水流の音と合わされば、どこまでも心地が良い。

 緑色の絨毯に座り込み、三人はそれぞれの鞄から昼食を取り出す。

 ハイドやメルがピクニックのように多数の料理を眼前に広げる一方、ウイルだけは金欠も相まって質素かつ少量だ。

 海苔すら巻かれていないおにぎり。

 こぶし大の丸いパン。

 そして、干し肉一枚。

 三品かつ三個だけ。革の水筒にはお茶が入っているが、それを含めても心もとない。

 小食もしくは腹が減っていないのなら問題ないが、この少年は究極の肉体労働者だ。食事にも力を入れるべきだが、金がないのだからこれが限界だ。


(相変わらず……)

(足りるとは思えない。イエスじゃないな)


 ハイドとメルも、そう思わずにはいられない。

 傭兵の資本は体なのだから、ウイルの行為は愚行でさえある。年齢の割には背が低いとは言え、腹が満たされないことは誰の目からも明らかだ。


「具がないだけで六十イールなんですから、素おにぎりの虜ですよ。あ~、でもいつか、おすすめしてもらった海老おにぎりも食べてみたいです」


 真っ白なおにぎりを嬉しそうに頬張るその姿に偽りはない。この発言も本心なのだから、見ている方としても反応には困ってしまう。


「そ、そうだね。これはツナが入ってるけど、百イールだったかな? ちょ、ちょっと高いよね」


 差額は具と海苔と手間によって発生している。そのことで傭兵組合を責めるのはお門違いだが、ハイドは引きつりながらも賛同することで乗り切るつもりだ。

 メルは会話には加わらず、サンドイッチを黙々と食べ続ける。話下手ということもあるが、この場は相棒に任せる腹積りでいる。


「お二人はこっちにいる間、ずっと宿に宿泊されてるんですか?」

「ん? あぁ、そうだね。そういえばウイル君とは宿でも会えなかったけど、ずっと出ずっぱり?」

「はい。あ、でも、家に戻れるようになったので、野宿生活とはおさらばです」


 その返答が、ハイドの整った顔をわずかにしかめさせる。帰国後の話をしているにも関わらず、野宿という単語が飛び出したからだ。


「と言うと?」

「不干渉法が改定されて、僕もエヴィ家のまま傭兵でいられるようになったんです。すごい時代になったものです」

「おー、それはおめでとう。って、そうじゃなくて。野宿の方」


 ハイド達は既にウイルの素性を把握済みだ。もっとも、ウイルが偽名を名乗らずに済むようになったことは初耳だが、主題は別のところにある。


「あれ、お二人には話してませんでしたっけ? 僕、今までは貧困街のボロ小屋で夜を明かしてました。その、宿代が工面でなくて……。あはは……」


 自分のことながら、笑うしかない。

 宿屋の利用は、一泊程度なら高額ではない。

 しかし、それが毎日続くとなれば話は別だ。食事代すらケチっているウイルには、手の届かない贅沢と言えよう。


(ウイル君って、掘り下げれば掘り下げるほど、話が重たくなるな……)

(貴族出身ってことを疑いなくなる)


 二人の率直な感想だ。

 ウイルの教養の高さや時折見せる品格は、高貴な身分に由来する。

 一方で、食事事情や着ている服の傷み具合は、庶民以下だ。

 飢えはしないが、足りていない。

 貧しそうな身なりだが、最前線で魔物と戦っている。

 不思議な子供だ。誰もがそう思うだろう。

 事実、見知った間柄のハイド達でさえ、呆けずにはいられない。

 その後も他愛無いやり取りを続けるも、一時的に会話が途切れたその時だった。


(ね~、ちょっと教えてくれない?)


 鈴のような声だ。

 しかし、ここには男が三人だけ。

 つまりはありえないのだが、ウイルは平然と対話を始める。


(ハクアさんから解放されてやっと平穏を取り戻せた白紙大典さん、どうしたの?)


 干し肉を咀嚼しながらでも問題ない。会話はテレパシーのように頭の中だけで完結するのだから、少年は硬い肉をモグモグと嚙み締めつつも、話し相手を務める。


(女神教ってさ~、結局何なの? 千年前にはあんなのいなかったよ?)


 その問いかけに対し、ウイルは塩辛い肉の旨味に舌鼓を打ちながら、一瞬だけ悩んでしまう。


(えっと……、確か、光流歴六十年だか七十年に発生したから、うん、白紙大典が知らないのは当然だと思う。巨人戦争が終結した後の出来事だから……)

(ふんふん)

(さっきハイドさんとメルさんに説明した通りなんだけど、天啓を受けた教祖を中心に、信者達が女神を崇める……だけなら無害なんだけど……)

(魔物を食べるなとかって叫んでたね)


 食卓に並ぶ料理は様々だが、使われる食材は分類可能だ。

 野菜。

 果物。

 穀物。

 魚。

 そして、肉。

 細かな物はまだまだあるが、大きく分ければこれらだろう。

 肉のほとんどが魔物由来であり、その理由は家畜よりも美味かつ栄養豊富だからだ。

 その上、無限に出現するのだから、狩らない理由はない。傭兵や軍人といった実力者に仕事を与えることも出来るのだから、まさに一石二鳥だ。


(あの人達は、人間と魔物が共存出来ると本気で思っているみたいです。だから、殺すな、食べるな、と主張しているようで)

(ただのアホじゃん。なんでそんな妄想に取りつかれてるの?)

(さ、さぁ? 僕もそこまでは……。平和だからゆえの思い込みとか?)


 ウイルとしても言葉に詰まる。彼らの頭の中を覗いたことなどないのだから、回答の用意は困難だ。


(神様を信仰するってところまではわかるのよ。そこからなんで魔物? 飛躍し過ぎてない?)

(そ、そうですね。白紙大典さん、やけにエキサイトしてるけど、過去になんかあったの?)

(ないない。だけどさ~、さっきの白いローブ着てた人達が、すっごく気持ち悪いというか、言葉が通じなさそうで、何があったらあんなことになるんだろうと思っちゃって)


 この発言にはウイルも共感させられる。

 女神教の信者が異常者かどうかは定かではないが、近寄りがたい雰囲気をまとっていたことは確かだ。

 公共施設でもあるギルド会館の封鎖を試みるなど、正常な思考では思いつくはずがない。


(何かにすがりたいって気持ちが爆発しちゃったのかもしれませんね)

(じゃー、なんで魔物討伐が禁止なの?)

(知りませーん。僕に訊かないでくださーい)


 お手上げだ。そもそも楽しい問答でもない。ウイルは切り捨てるように話をシャットアウトするも、彼女はなお、食い下がる。


(魔物と仲良くおててつないで……なんて実現すると思う? 私は思わない)

(同じく。仮に、防衛のためだけに魔物の討伐は許されたとしても、それでも魔物を食べてはいけませんってことになっちゃったら、王国は衰退します)

(え、なんで?)

(餓死する人間が出てきますし、暴動も起きます。なによりインフレ……、まぁ、細かいことは置いとくとして、影響は甚大ってことです)

(ふ~ん、ウイル君にわかることが、どうしてあの人達にはわからないの?)

(そこはまぁ、学校に通えたかどうかが大きいと思います。家柄とかも関係あるのかもしれませんけど……)


 平民に過ぎた教養を与えないという王国の方針がもたらした弊害か。どうであれ、無知な子供はそのまま大人になり、やがては年老いて死んでいく。

 一方、貴族は自分達の子供にしっかりと教育を受けさせ、やがては国営の一部に関わらせる。

 身分の違いから生じる区別であり、差別だ。


(なるほどね~。詳しいことはわからんちんなままだけど。ところでさ、女神教って廃止されたんだよね? 何で今になって復活してるの?)

(わからないです。最近は比較的平和だったから? それこそ、血の千年祭くらいしか大きな戦争は起きてませんし……)


 彼らの意義主張も、起源も、何もかもが不明だ。二人が頭の中で語らったところで、真実にたどり着けるはずもない。


(ん~、な~んか気持ち悪いんだよね~)

(あの人達が?)

(それもあるけど、もっと根っこの方と言うか……。考えてもわからんちんだから、この件はまた今度で! おやすみ!)


 非生産的なやり取りは一旦終わる。知らない者同士のやり取りゆえ、着地点を定めることすら不可能だった。

 その後、昼食のデザートに草餅が振舞われる。

 ウイルがつぶあんの甘さと薬草の風味に感動しつつ、あっさりと平らげたタイミングで、移動は再開だ。


「食後ってこともあるし、スローペースで進もう」

「はい!」


 ハイドが狼煙を上げれば、ウイルとメルは付き従う。

 川の付近には樹木が少なく、見通しの良さも相まってどこまでも加速が可能だ。

 しかし、満腹な体に鞭打つつもりもなく、ましてやそこまで急ぐ必要もなかった。

 アダラマ森林の北部。カマキリ族の縄張りは、既に目と鼻の先だ。

 それを裏付けるように、一時間もたっていない頃合いで、最後尾の少年が二人を制する。


「右前方にカマキリが二体。残念ながら緑色ですけど……」


 道中、天技は多数の魔物を感知した。この森に生息する魔物は数が多く、少し進めば新たな敵影が現れるのだが、その段階で魔物の種類までは知りえない。

 ウイル自身が視認することで初めて相手を識別出来るのだが、遠方のそれらはカマキリらしく緑色をしており、つまりは今回の獲物ではない。

 そうであろうと、ハイドは喜ぶ。ひとまずは目的地にたどり着けたのだから、ここからは次のステップへ移行だ。


「おっけー、俺も見えた。よし、ここからは作戦通りに」


 立ち止まるハイドだが、その背中に迷いはない。やるべきことは事前に決めており、ここからはそれぞれが傭兵らしく振る舞うだけだ。


「あれか。実はカマキリ久しぶり」


 メルも臨戦態勢だ。赤みがかった漆黒のローブをたなびかせながら、右手で長杖を握る。


「二体なら一体ずつ行こう。俺は左を」

「僕は右」


 このやり取りを少年は黙って見守るが、内心では驚きを隠せない。


(やっぱり判断が早い。エルさんもこういう時は嬉々として突っ込むけど、意味合いは全然違うからな……。お手並み拝見なんて、生意気なことは言えないや。僕は僕の仕事を……)


 つまりは索敵だ。それに加えて、二人をサポート出来れば満点だろう。

 三人の視線は遠方の緑色へ吸い込まれている。昆虫のカマキリは鎌のような前脚を含めて六本足で自身を支えるが、その巨躯は四本の脚だけで歩行中だ。大きな鎌をファイティングポーズのように構えながら、人間という獲物を探索しているのだろう。体を直立させ、悠々と森の中を闊歩している。

 木々の隙間からハッキリと視認したのだから、二人は競うように駆け出す。

 狩りの時間だ。

 もっとも、それは相手も変わらない。人間の方から近寄ってきたのだから、威風堂々と迎え撃つ。

 その目論見は、あっさりと打ち砕かれる。


「アイスクル」


 白い髪を躍らせながら、メルが減速した瞬間だった。

 ローブごと、彼の長身が淡く輝く。魔源が形を成す際の発光現象だ。

 その直後、杖の先端付近に氷の塊が生み出されるも、待ちきれなかったのか、誰の合図も無しに弾丸の如く発射された。

 アイスクル。魔攻系に準ずる人間が習得する魔法だ。攻撃魔法と呼ばれるものの一つであり、シンプルな魔法ではあるのだが、その使い勝手は秀でている。

 メルがこの魔法を選んだ理由は、カマキリ族が氷の魔法を苦手とするためだ。それを裏付けるように、槍の刃のような氷塊が緑色の外殻をあっさりと突き破ってみせる。

 有無を言わさず、討伐完了だ。

 そして、それは二体目にも当てはまる。


「ふっ!」


 距離が詰まれば、殺し合いの始まりだ。

 カマキリが獲物を見下しながら右手の鎌を振り下ろすも、ハイドの姿はそこには見当たらない。

 魔物が遅いのではなく、今回の人間が上回っている。それだけのことだ。

 息を吐きだすように、そしてすれ違いざまに、昆虫のような大きな胴体に灰色の片手剣を走らせる。

 それを合図にカマキリは大きな両眼をしぼめながら、苦しそうに崩れ落ちる。体が両断された以上、地面に這いつくばりながらピクピクと痙攣することしか出来ない。

 ウイルが観客のように歓声を上げる中、二人もまた、どこか満足そうに合流を果たす。


「余裕ではあったけど、侮ったらいけない相手だね」

「油断大敵。そんな落ち度は見せないけど」


 勝利を誇るが、それでもなお冷静だ。相手が格下であろうと、慢心だけはしない。


「ウイル君、他はどうだい?」

「反応だけならもっと北側にいくつかあります。そいつらがカマキリかどうかまではわかりませんが……」


 それでも十分だ。どの方角にどのくらいの脅威が潜んでいるのか事前にわかるのだから、ハイドは改めて驚かされる。


(探知系のタビヤガンビットと大差ない天技だと一時は思っていたが、やはり使い勝手はウイル君のが抜群に上だな)


 その感想は正しい。

 タビヤガンビット。探知系が習得する戦技であり、ガラス細工のような青い鳥を呼び出した上で周囲を探索させ、魔物の位置を探らせる。さらには鳥自身を爆弾に見立て爆発させることが出来るのだから、探索と先制攻撃を可能とする優秀な戦技と言えよう。

 それでも、ハイドはジョーカーに優位性を見出す。探索範囲の広さと情報が逐次更新されることが、タビヤガンビットを上回ると判断したためだ。


「ウイル、俺の魔法どうだった?」

「え、すみません、メルさん方は見てませんでした。どうせ圧勝だろうと思ってたので……」

「そ、そうか……」

(相方がすっごい落ち込んでる! 顔には出してないけど!)


 攻撃魔法に関心がなかったわけではない。ウイルとしては接近戦の方が見ごたえがあるため、視線はどうしてもハイドに向いてしまう。

 それ以上でもそれ以下でもないのだが、長身の傭兵は静かに肩を落とす。雄姿を見てもらいたかったのだが、その目論見は失敗だ。


「まぁまぁ。特異個体がすぐに見つかるとは思えないし、魔攻系として思う存分暴れてくれ。あぁ、でも、魔源は枯らさないでくれよ」

「わかってる……」


 ハイドに慰められ、メルは落ち葉を踏みしめながら歩き出す。

 ここからは掃除の時間だ。周囲を警戒しつつ、手当たり次第にカマキリ族を排除する。そうすることで本番に集中出来るのだから、面倒だろうと手を抜くわけにはいかない。


「時間はかかりますけど、背に腹は代えられませんしね」

「ああ。三人もいるんだから、掃除も簡単だろう」

「安全第一」


 方針の再確認が済んだのだから、進軍再開だ。

 三人はそれぞれの役割を果たしながら、森の奥地を目指す。

 ウイルはジョーカー・アンド・ウォーカーで探索、魔物の位置を逐次伝える。

 ハイドは片手剣を振るい、自身よりも大きな魔物を次々と切り倒す。

 メルは氷の魔法で各個撃破。近づく必要すらないのだから、魔物からすればこの男こそが最たる脅威に見えているはずだ。


(すごい安定感。エルさんと二人でいる時とは全然違う。攻撃魔法ってやっぱり良いなぁ。それに、ハイドさんのキュアもあるし。二人のバランスの良さは、傭兵の中でも上位に食い込みそう……)


 ウイルとしても、この状況には興奮を覚える。突っ込むことしか出来ないエルディアとは対照的に、ハイドとメルの立ち振る舞いはスマートそのものだ。安心感すら覚えてしまう。

 その理由は立ち位置が明確に分けられていることと、魔法の有無だ。

 言い換えるなら、二人の戦闘系統がそれを実現している。

 その数は全部で十を超えており、人間ならば必ずどれかに分類可能だ。

 戦術系。

 加速系。

 強化系。

 魔防系。

 技能系。

 探知系。

 ここまでが、戦技を主体とする戦闘系統だ。

 守護系。

 魔攻系。

 魔療系。

 支援系。

 召喚系。

 これらは魔法を会得するため、味方のサポートや遠距離戦が可能となる。

 実は、ここにいる三人は全員が魔法職だ。

 ウイルは魔療系。

 ハイドは支援系。

 メルが魔攻系。

 それぞれが三者三葉なのだが、ウイルは魔法の習得前に天技を身に着けてしまったため、魔療系でありながらその系統の魔法は何一つ使えない。

 支援系はその名の通り、味方を影から支えることを得意とする。弱体魔法、強化魔法、回復魔法の使い手であり、多様な立ち振る舞いが可能だが、ハイドはこれに加えて剣での接近戦をこなすのだから、一人で数人分の活躍を見込める。

 相棒のメルは後方からの攻撃魔法が可能なため、視野を広く持ちながら一方的に仕掛けることが可能だ。

 相性の良い二人組。ウイルがそう分析する理由は、自分達と比較した結果とも言えよう。

 ウイルとエルディア。この二人はどちらも接近戦主体の傭兵だ。

 白紙大典との契約によって、ウイルはグラウンドボンドとコールオブフレイムを扱えるが、短剣での接近戦を得意とする。

 エルディアは魔防系に属するため、我先に突撃する戦い方はその戦闘系統に準ずる。

 彼らは二人で突っ込み、獲物を仕留めてきた。

 乱暴な戦い方かもしれないが、それでも問題なかった理由は、ウイルのおかげだ。

 索敵、近接戦闘、グラウンドボンドでの足止め。これらを同時にこなす器用さを持ち合わせており、何より誰よりもエルディアを信頼していたことが、二人の存命に繋がった。


(今日は三人……。エルさんはいないけど、気負わずがんばろう。せっかく誘ってもらえたんだから……)


 気合を入れ直す。

 アダラマカマキリは彼らにとって有象無象でしかないが、探している獲物は強敵だ。その証拠に、何人もの同業者が葬り去られた。

 弱くはないだろう。

 だからと言って手ごわいとも限らないが、楽観的な思考は捨て、慎重に森の中を進む。

 魔物の位置を感知し、三人で倒す。その繰り返しだ。重労働ながら弱音を吐く者はここにはおらず、適度な緊張感に心地よささえ感じながら、一時間以上も繰り返す。

 その成果が実らないはずがなかった。


「いました」


 ウイルの声が大人達の足取りを停止させる。


「しつこいようだけど、他は?」


 三対一で戦いたい。その思惑から、ハイドは何度目かともわからない質問を投げかける。


「すごい、いません。こんなの奇跡的です。アダラマ森林なのに……」


 ウイルは遠方の標的を凝視しながらも、敵影がそれ以外に感知出来ないことを驚く。

 マリアーヌ段丘と比較すると、この地の魔物は数が多い。豊かな自然がそうさせるのか、神様のいたずらか、何にせよ、この森は危険地帯でしかない。

 それでも、ジョーカー・アンド・ウォーカーが告げている。

 周囲を闊歩する魔物はあれだけだ、と。

 枯れ葉のように茶色い表皮。

 四本足で直立している、巨大なカマキリ。

 二つの鎌は肉を切り裂きたがっているのか、その刃を輝かせている。


「茶色いアダラマカマキリ。間違いない、特異個体に認定されたやつだ。うん、想定よりも早く見つけられたね。状況もばっちりだ」

「イエスだね」


 ハイドとメルもご満悦だ。魔物狩りとしてはおおよそベストなシチュエーションゆえ、胸が高鳴ってしまう。

 まだまだ距離が離れていることから、それが少し進む度に木々がその姿を隠してしまう。

 それでも一度捉えた以上、ウイルが逃すことはなく、三人は自分達だけが相手に気づけているという利点を活かしながら確実に近づいていく。

 走ることは止め、早歩きで進む中、先頭に躍り出たハイドだけがそのことに気づくことが出来た。


「あいつ、俺達のことに気づいてるね」

「え、こんなに離れてるのに、ですか?」


 にわかには信じがたい。それゆえに、ウイルは半信半疑で聞き返してしまう。

 当然だ。その大きさを判別出来ない程度には、魔物はまだまだ遠く離れている。ましてや体の左半身をこちらに向けて歩いており、つまりは前だけを見ながら王様気分で歩いているはずだ。


「あの大きな目は伊達じゃないってことなんだろう。そっぽを向いてるようで俺達に興味津々だよ。ほら、さっきより背筋正してるだろう? ちゃっかり臨戦態勢ってやつさ。さ~て、リーピングサイズ狩りの始まりだ」


 ハイドの指摘は正しい。大声を出そうと決して届かないほどの距離感だが、三人と一体は互いを既に警戒している。一方的に近づけているという思い込みは幻想だと、ウイルもこのタイミングで気づかされた。


「カ、カマキリ族は元々、目が良いらしいですし、あいつはそれ以上ってことなんでしょうね。さすがです、ハイドさん」

「ウイル君におだてられると調子に乗っちゃいそうだ。さて、気配を殺す必要もなくなったんだし、戦闘準備に入らせてもらおうかな」


 直進での疾走すらも困難なほど、多数の樹木がひしめいている。視界もその分悪く、隠密行動にはうってつけだったが、それが無意味になった以上、ハイドは堂々と詠唱を開始する。


「コールオブ、アイスクル」


 鞘から片手剣を引き抜くや否や、男の体が淡い光を放ち始める。無数の泡が立ち昇っては消滅する中、灰色の刃がガチンと凍り付く光景はただただ神秘的だ。

 強化魔法、コールオブアイスクル。武器や拳に氷の力を付与する。単なる斬撃に加えて凍傷を負わすことが出来るのだから、冷気を苦手とする相手には有効な手立てになるはずだ。

 赤髪の下で、ハイドは表情を引き締める。標的は未だ遠くにいるのだが、虫のような瞳に睨まれている以上、気を緩める時ではない。


「メルのアイスクルを合図に」

「了解」

「ウイル君の立ち位置は任せるよ。第一は周囲の警戒。俺がピンチになったら助けてね」

「は、はい!」


 このやり取りをもって準備は完了となる。

 土の匂いを肺一杯に吸い込み、駆け出すハイド。

 二人もワンテンポ遅れて追従するも、メルだけが右前方へ舵を切った理由は魔物の背後を目指すためだ。

 真後ろからの先制攻撃。死角であろうという予測の元、戦いの火ぶたは切って落とされる。


「アイスクル」


 向けられた長杖の先端から氷の塊が発射されるも、浅はかな目論見を嘲笑うように巨体はそこからいなくなる。


(なんだと?)


 想定外だ。目を離していなかったにも関わらず、メルは標的を見失い、空ぶった氷塊を見届けながら、茫然と立ち尽くす。


(速い……)

(上⁉)


 気づけたのは二人だけ。そうであろうと、これから起こる悲劇に対して対処出来るかどうかは別問題だ。

 次の瞬間、メルの右腕が切り落とされる。巨大な鎌がギロチンのように振り下ろされた結果だが、実行犯はもちろん特異個体であり、茶色の巨躯が鈍い重低音を響かせながら負傷者の眼前に着地する。

 魔法を避けられた。そのこと自体が既に驚愕だ。その発射速度は銃弾ほどではないが、それでも生物の反射神経では反応すらままならない。視認すらも困難なのだから、やり過ごすことなど到底不可能だ。

 それでも、この魔物はやってのけた。

 さらには名前の通りに跳ねただけでなく、樹木を足場にして方向転換を図った。

 その結果、人間という獲物に致命傷を負わせてみせたのだから、かけられた懸賞金に偽りはないと自身で証明してみせた。

 メルはよろめくように後方へ倒れこむ。リーピングサイズが大地に降り立った際に、突風のような衝撃波が生じた結果だ。


「グラウンドボンド!」

「グ、グラウンドボンド!」


 二人は走り出し、ほぼ同時に詠唱を行う。

 やるべきことは明白だ。先ずは仲間の救助が最優先であり、そのためには巨大なカマキリを足止めする必要がある。

 考えるよりも体が先に動いてくれたおかげか。着弾を意味する黄色い輪っかが魔物の足元に形成され、それが即座に縮むと点となって消滅するも、この時点でウイル達の目論見は成就した。

 グラウンドボンドは対象をそこに縛り付ける弱体魔法だ。詠唱に一秒を必要とするため、本来ならば追いつめられる前に使うべきなのだが、今回はお手に回りながらもかろうじて間に合う。

 弱体魔法は二重に効果を及ぶすことはなく、つまりはどちらかの魔法が上書きしてしまったのだが、そうであろうと問題ない。

 茶色のカマキリはそこから一歩も動けず、悔しそうに二つの鎌を交互に振り下ろすも、メルはその半歩先で苦痛に顔を歪めながら仰向けに倒れている。


「少し任せるよ」


 ハイドの声が風のようにさえずるも、本人の速度はそれ以上だ。返事も待たずに加速すると、魔物の横を素通りし、負傷した仲間を手早く拾い上げる。

 一方、ウイルは二人を庇うように魔物へ立ち向かうも、短剣を構えたまま、そこからは動かない。


(ハイドさんの方が反応速かったから、僕がグラウンドボンドを上書きしたことになった……。だったら、おそらくは三十秒フルに足止め出来るはず)


 弱体魔法の成功率および効果時間は詠唱者と対象の魔力によって上下する。

 グラウンドボンドの場合、最大を三十秒とし、両者の魔力差によってその時間は減少する。

 ゆえに、問題ない。ウイルの魔法は白紙大典を通して発現されるため、魔力の参照元も彼女だからだ。

 眼前のカマキリがいかに手練れであろうと、魔力に関してだけはこちら側が圧倒的に上回る。

 そう確信しているからこそ、少年は背後の状況を伺いながら特異個体とにらみ合いに興じれる。


「大丈夫そうですか⁉」


 不安は拭えない。命に別状はないはずだが、メルの容態は重傷だ。片腕を切断されたのだから、応急処置がすぐにでも必要だろう。

 もっとも、その点だけは問題ない。ハイドは支援系ゆえ、回復魔法のキュアが使える。欠損した部位さえ手元にあれば、数度の詠唱ですぐにでも治せるだろう。

 つまりは、右腕が必要だ。


「ウイル君、俺が囮になるから、その内に……」

「それはダメです。僕がやります」


 その提案を、ウイルは即座に拒絶する。

 今すべきことはただ一つ。魔物の眼前に落ちている右腕の回収だ。茶色の大地に血だまりを作っており、それは背後のメルも変わりない。

 現状のまま回復魔法で手当した場合、欠損した右腕は生えることなく、断面を皮膚で覆ってしまう。それも立派な治療なのだが、切られた腕が目と鼻の先に存在している以上、彼らが欲張ることは必然だった。


(もしもハイドさんまで致命傷を負った場合、そしてそれが命に届いちゃったら、僕以外は壊滅だ。それだけは避けないと……。立て直すためにも、僕だけで回収すべき)


 回復魔法の使い手は彼だけだ。最悪、ウイルとメルはいくらでも負傷してよい。それはハイドにも当てはまるのだが、役割分担として、回復役の安全確保はセオリーだ。相手が予想以上に手ごわいとわかった以上、作戦は一旦白紙に戻し、傭兵として優先順位を練り上げる。

 焦りながらも悩む少年だったが、見守っていた白紙大典が沈黙を破る。


(この前みたいに天技で引っ張ってきたら? ほら、エルをびゅーんって手繰り寄せたみたいに)


 その提案は魅力的だが、残念ながら却下せざるをえない。


(ダメなんだ。ジョーカー・アンド・ウォーカーでのけん引はエルさんに限定されてて……。他は何一つ操作出来ない……)

(そっか~。こいつ、雑魚なりに強そうだから気を付けてね)

(強いのか弱いのか、どっちなんだか……)


 ウイルの天技が持つ性質は二つ。

 魔物とエルディアの感知。

 そして、エルディアに作用する重力のベクトル操作。

 似ても似つかない能力だが、なんにせよ、正面の右腕は対象外ゆえ、引き寄せることは叶わない。


(ウォーボイス持ちがいない以上、こいつの誘導も困難……。いきなり二回もグラウンドボンドを浴びせちゃったし、次が最後と思って立ち振る舞うしかない)


 ウイルが狼狽する理由は、この特異個体が手ごわそうなことに以外にもう一つ。それは弱体魔法にだけ存在する足枷であり、その存在が魔物を永続的に束縛することを不可能にしている。

 累積魔法耐性。人間には備わっておらず、魔物だけが持つ異質な特徴だ。弱体魔法に晒された個体はその魔法に対して徐々に免疫を付け、ついには完全に受け付けなくなる。今回の場合、既にグラウンドボンドを二人分受けており、三度目の成否は予想困難だ。


(来る!)


 ウイルは覚悟を決める。最大拘束時間の三十秒が今まさに経過したため、ここからは真正面からやりあうしかない。

 晴れて自由の身になれたのだから、巨大なカマキリがカチカチと喜びながら一歩を踏み出そうとする。最上級の獲物がわざわざ足を運んできてくれたのだから、殺さない方がおかしな話だ。

 その一歩目を、ウイルは渾身の飛び蹴りで阻止することから始める。

 カマキリの四本足がメルの右腕を踏み潰す可能性がある以上、前進は決して許容出来ない。無傷では済まないと承知しながらも、がむしゃらに飛び込むしかなかった。

 激突する両者だが、苦痛な声の発信源はウイルの方だ。


「く、うぅ……」


 結果は相打ちか。

 特異個体を後方へ押しのけることには成功したが、使用した右足から真っ赤な鮮血があふれ出す。

 トンボのように巨大な瞳。それらを二つ備えた頭部をウイルは全力で蹴り飛ばすも、その刹那、鋭利な左手が太ももを深々と切り裂いてみせた。

 そうであろうと好機を掴んだのは人間側だ。少年の体が再度輝く。


「グラウンドボンド」


 一か八かの賭けだ。

 累積魔法耐性によって阻まれるか。

 三度、その場に縛り付けるか。

 結果を占うように、リーピングサイズの足元に黄色い環が出現すると、それは中心目掛けてギュンと縮こまる。


「ギ、ギィ!」


 悔しそうなその声が、傭兵達に成否を伝える。枯れ葉色の外殻をカチカチと鳴らしながら、それは鎌や上半身を暴れさせながら前進も後退も出来ずにいる。

 成功だ。

 ウイルは黒のハーフパンツを赤く染めながらもその腕を大事そうに拾い上げ、よろめきながら彼らと合流を果たす。


「これを」


 この言葉がハイドを正気に戻す。本来ならばウイルの負傷に呼応してキュアで援護すべきなのだが、迷いのなかった攻防を見せられ、一瞬だがここが戦場ということを失念してしまった。


「あ、あぁ。ありがとう。グラウンドボンドが命中したから大丈夫だと思うけど、もう少し任せてもいいかな?」

「はい」


 汚れた右腕を受け取り、ハイドは顔をしかめながらも頼むしかない。

 メルの治療には時間がかかるだろう。

 一方、特異個体はわずかに離れた場所で怒りと力を溜め込んでいる最中だ。拘束が解かれた時、それは存分に暴れだすだろう。

 こうなってしまっては撤退以外ありえないのだが、そうするにも先ずは応急処置から始めたい。

 激痛を堪えながら、メルは額に汗を浮かべている。泣き叫ばずに歯を食いしばって耐えているその姿は傭兵ゆえなのだろうが、それでもなお痛ましい姿だ。


「メル、始めるぞ」


 その問いかけに対し、返事はない。普段から無口ということもあるが、今は痛みに耐えるだけで精一杯だ。

 断面部分を重ねるという凶行は治療のためであり、ハイドに続いてメルが白く輝くも、漏れ出た声は我慢の閾値を超えてしまったからか。


「ぐ、う、うぅ……」

「キュア。ふぅ、二回目でくっついてくれたな。もう少しだ」


 ここまで来れば一安心だ。無理やりくっつけようと、回復魔法はそれを許容してくれる。神々が作り出した神秘なのだから、その程度の奇跡はお手の物だ。

 一方、そのやり取りを背中で感じながら、少年は獲物を観察する。


(リーピングサイズ、飛び跳ねる鎌。傭兵組合の名付けた通りだった。エルさんよりも二回り以上はでかいはずなのに、もっと素早い……)


 侮れない魔物だ。

 討伐は諦め、逃げに徹するべきなのだろう。

 頭ではわかっているのだが、ウイルは腐葉土を踏みしめながら一歩を踏み出す。


「ウイル君! ま、待って! 今手当するから!」

「ありがとうございます」


 ハイドは慌てた様子でキュアの対象を変える。負傷者は一人ではない。それを思い出した以上、回復魔法はウイルをも輝かせる。

 片足を引きずっていた傭兵だが、暖かな光に包まれるや否や、歩く姿からぎこちなさが消え去り、その足並みは健常者そのものだ。

 準備完了。そう意気込むウイルだが、拘束中の魔物を観察しながら、ある違和感を抱いてしまう。


(あれ、さっき本気で顔面蹴ったのに無傷? どういうこと?)


 リーピングサイズは今なお地団駄を踏むように体や両腕を動かしている最中だ。

 その顔には大きな複眼が二つとぐわっと開く口が備わっているのだが、違和感の正体はまさしくそこにあった。

 正しくは、見当たらない。わずかに汚れてはいるが、陥没はおろか擦り傷さえ見つけられないのだから、ウイルの顔から血の気が引いていく。


(こいつ……! この前戦った黒い魔物よりも、さらにタフ!)


 デーモン族のヴァサーゴ。女性のような姿をしていながらも全身が闇色の鱗に覆われた魔物。

 ウイルと魔女達の共闘により倒すことは出来たが、常軌を逸した強さだったとウイルは記憶している。


(だけど、やられっぱなしは悔しい……。傭兵だったら、ここで一泡吹かせないと)


 動機としてはこれが大きい。

 もちろん、報酬の三十万イールも欲しいのだが、今回ばかりは割に合わない依頼のようだ。それでも諦めない理由は負けず嫌いな性格に起因する。

 ましてや、尊敬している先輩が痛めつけられたのだから、敵討ちを取りたいという欲求は子供らしいと言えばそれまでだ。

 急ぐようにズンズンと進む。

 グラウンドボンドの効果は最大三十秒、猶予は一刻もない。

 獲物の接近を喜び、巨大なカマキリが大口を開きながら鎌を持ち上げる。刃が届くほどに距離が狭まった瞬間、その体を革鎧ごと切り裂くつもりだ。


(先ずは、その速さから奪う!)


 真正面から戦うつもりはない。そう主張するように、ウイルは落ち葉を舞い上がらせながらその場からいなくなる。

 間髪入れず、相手の背後に回った理由は、筋張った後ろ足を片方だけでも切断するためだ。

 鉄の刃を走らせる。それを合図に目論見は成就するはずだった。


「くぅ⁉」


 現実は非情だ。読みが甘かっただけとも言えるが、アイアンダガーはガキンと跳ね返されたばかりか、硬い表皮を傷つけてすらいない。


(だったら!)


 痺れた右手は一旦休ませ、空っぽの左手でもう一本の短剣を素早く抜き取る。

 鋼鉄の刃は刃こぼれが酷いが、強度はアイアンダガーより格段に上だ。使わないという選択肢はありえない。

 今度こそと力みながら、その脚にスチールダガーを叩き込む。

 悲鳴のような金属音が森の枝葉を揺さぶる中、左手の感触にウイルは動揺を隠せない。


(こっちも弾かれた。こいつ、やっぱり本物だ)


 にわかには信じ難いが、その可能性は頭の片隅にあった。蹴り飛ばしてもなお無傷という事実から、答え合わせは済んでしまう。

 それでもやはり、突きつけられた現実に冷や汗をかかされる。

 不幸を畳みかけるように、茶色の巨躯が動き出す。

 時間切れだ。

 茶色いカマキリがカサカサと四本脚を操作して反転、人間と向き合う。

 獲物を見下す魔物。

 両手に短剣を握りながらも、後ずさる傭兵。

 誰の目からも優劣は明らかだ。遠方のハイドでさえ、回復魔法で相棒を癒しながら援護か治療かで悩んでしまう。


「ウイル君の武器が通用しないのか。それほどの相手とは……」

「しかも俊敏。魔法を避けられたのは久しぶり」


 歴戦の二人でさえ、困惑気味だ。

 特異個体は手ごわい。そんなことは百も承知だが、彼らには何体もの賞金首を討伐してきた実績がある。

 だからと言って油断していたわけではない。

 ただただ単純に、今回の獲物がそれ以上だった。

 そうであると主張するように。

 人間を嘲笑うように。

 リーピングサイズの鎌が、ウイルへ容赦なく振り下ろされる。

 命を刈り取る凶器ゆえ、容易に肉を切り裂き、骨すらも断つことが可能だ。この魔物も過去の経験からそれをわかっており、今回も赤い鮮血が咲き乱れる瞬間を期待していた。

 耳をつんざくほどの金属音。発生個所は両者の眼前であり、刃物と刃物が激しく激突した結果、生じた騒音だ。


(くぅ! 何とか……)


 かろうじて防ぐことが出来た。

 並の傭兵なら、こうはいかない。惨たらしく、そして呆気なく、斬り殺されていただろう。殺意のこもったこの一振りはそれほどに鋭く、瞬きの猶予すら許してはくれない。


(う⁉)


 ウイルは思い知る。

 この魔物は攻撃の失敗を驚きもせず、衝動に身を委ねている。

 前脚は一本ではなく二本あるのだから、片方が受け止められたところで殺人という行為を中断する必要はない。もう片方を間髪入れず振り下ろせば済む話だ。

 ウイルもまた二刀流の最中ゆえ、真似るように二本目の短剣で受け流す。

 殺意の込められた、重く、鋭い一撃だ。

 かろうじて防がれてしまったが、対戦相手に反撃の猶予を与えさせるほど、この魔物は優しくない。

 押し潰すように。

 切り刻むように。

 リーピングサイズは両腕の鎌を矢継ぎ早に振り下ろす。斬って斬って斬り続けるその姿は、人間を地上から掃討したいという欲望そのものだ。

 そうであろうと、この少年がそれを受け入れるかどうかは別問題だ。言われるがままギロチンに首を差し出すほど大人しい性格ではなく、頭上から迫りくる刃達を次々とせき止める。

 両耳を塞ぎたくなるほどの激突音から動物や昆虫が避難する中、ハイドは回復魔法を唱えながらも驚きを隠せない。


「すごいな。しっかりと対応出来ている。だけど……」

「ああ。体格差……、いや、腕っぷしの差は埋め切れていない。このままだとまずい」


 メルも同意見だ。

 互角の攻防に見えるが、そうではない。

 ウイルは押され気味だ。その証拠に、さばききれなかった鎌が腕や肩をかすめており、白茶色の衣服には赤色の斑点がいくつも浮かび上がる。

 致命傷ではない。

 しかし、長くはもたない。

 その程度の負傷で腕の振りが鈍ることはないが、当たり所が悪ければ、もしくは深々とえぐられてしまったら、その時が決着だ。

 ウイルは敗れる。ハイド達はそう分析するも、すぐには加勢しない。

 傷の手当を優先したいのではなく、優先してしまって問題ないからだ。


(ううううぅ、これなら……、これならー!)


 降り注ぐ雨を振り払うように、迫りくる全てを弾いていなす。

 腕力の差だけでなく、重量も魔物が上だ。それでもなお抗える理由は、四年という年月のおかげだ。

 光流歴千十一年。家を飛び出し、傭兵の門を叩いた。

 エルディアのおかげで試験に合格し、母を救うための薬も入手出来た。

 光流歴千十五年。生まれながらの超越者、パオラと出会い、彼女を導くことが出来た。

 ウイル・エヴィ、十六歳。誰よりも努力してきたと自負している。相棒でもあったエルディアを超えることが出来たのだから、この魔物にも負けるつもりなどない。


「そ、そろそろ限界ですー! 助けてー! お二人さーん!」


 とは言え、泣き叫びたくもなってしまう。

 意気込みとは裏腹に、体は悲鳴を上げている。

 右腕が千切れてしまいそうだ。

 左腕は既に折れているかもしれない。

 あちこちが痛む理由は、カマキリの刃に浅いなりにも斬られているためだ。

 ゆえに、叫ぶ。助けを求めなければ、自身が細切れにされると察してしまった。


「お待たせ。メル、俺はサポートに徹する」

「了解。アイスクル」


 治療を完遂させた。

 切られた右腕は完全に元通り。

 ならば、やるべきことは一つだ。

 二人は意気揚々と加勢する。

 その一手目として、ハイドはキュアを、メルはアイスクルを、しかるべき相手に使用する。

 ウイルが淡い光に包まれ、魔物はわずかによろめく。ガラスが割れたような異音は発射された氷塊がリーピングサイズに直撃した証だ。

 この攻防を受け、三人は改めて確信する。


(メルさんの魔法が……)

(通用しない、か)

(杖なしだからと思いたい)


 攻撃魔法の殺傷能力は侮れない。使用者の魔力次第だが、メルの実力から換算すると拳銃以上の破壊力だ。

 それでもなお、この特異個体は平然としている。茶色の外皮からは出血が見られず、結果としては体勢を崩しただけだ。

 頑丈すぎる。

 改めてそう認識させられた瞬間だった。

 巨大なカマキリが飛び跳ね、広葉樹を蹴って方向転換を図る。

 狙いは魔法の使い手だ。先ほど同様、邪魔な人間から排除したいという思惑が、魔物を突き動かす。

 ウイルは結果的に虚を突かれてしまった。真正面の自分を優先するだろうという思い込みが反応を鈍らせ、茶色の軌跡を目で追うことしか出来ない。


「しまった⁉」


 今更追いかけたところで手遅れだ。

 体の大きさからは想像も出来ないほど素早く、特異個体は先ほどの再現映像のようにメルの腕を切り落とす。

 そのはずだった。


「ギィ?」

「草餅の餡子より甘い」


 その鎌を、黒紅色のローブを躍らせながら回避してみせる。

 手品同様、種さえわかってしまえば、メルの動体視力でも十分視認可能だ。

 なにより二度目ということもあり、自分が狙われていると直感的に理解出来たのなら、なんら問題なく避けられる。


「グラウンドボンドは使わないよ」


 ハイドが駆ける。

 累積魔法耐性を考慮すると、この魔法での拘束は難しいだろう。使わないと言うよりは使えないと表現した方が正しいのだが、今は片手剣での近接戦闘を選択する。

 灰色の刃はスチール製だ。ウイルが持つスチールダガーと同類だが、剣ということもあり幾分と長い。

 なにより、刃こぼれ一つ見当たらない。新品ではないのだが、手入れが行き届いた自慢の武器だ。

 その殺傷力は巨人族さえも屠れる。

 本来ならばこの地のカマキリ族を容易く斬れてしまうのだが、今回は相手が悪かった。

 キイィンと空気が震え、ハイドの表情が曇る。


「くっ、やっぱり効かないか。どうしたものか……」


 後方から斬りかかるも、目論見は失敗に終わる。刃が通らないのだから、少なくとも方針の変更が必要だ。

 この横やりを受け、特異個体は標的を変える。

 バックステップで離れたローブ姿の人間から、赤色の革鎧をまとった邪魔者へ。

 ギギギと笑いながら振り返ると、右腕の鎌を一直線に振り下ろす。


「あぶない!」


 ウイルが反射的に叫ぶも、心配は杞憂だ。その一閃は肉ではなく空気だけを切り裂く。


「確かに速い。だけど、まぁ、うん」


 ハイドは既に見極めている。リーピンサイズとウイルの激しい攻防を、しっかりとその目に焼き付けたからだ。

 そうであると主張するように、命を刈り取るギロチンを最小限の動作で回避してみせた。

 この結果を受け、茶色の巨体が一瞬だが硬直する。虚しい手応えに驚きつつ、その内側で怒りを凝縮させる。


「ギイ!」


 人間に軽くあしらわれた。

 もしくは、鼻で笑われた。

 そう思い込むことは勘違いかもしれないが、カマキリは駄々をこねるように両腕を暴れさせる。


「すごいね。これを全部受け止めてたのか。初見だったらやられていたな。ウイル君を誘って正解だったよ」


 学習済みだ。

 ならば、ハイドも対応してみせる。

 灰色の剣でせき止め、時には半歩ずれて回避。両手でしっかりと柄を握りながら、腕と体を全稼働させて嵐のような殺意をハイドのやり方で防ぎきる。


「ウイル、合流させてもらう」

「あ、メルさん。こ、これからどうします?」


 杖の回収を終えたメルが、ウイルの元へ駆け寄る。その理由は諦めてはいないからだ。

 その問いに対しても明確に答えがあるのだが、それは言葉ではなく行動で示す。


「アイスクル。魔源はまだまだある。だったら、連発するまで」


 愚直な戦法だ。スマートとは程遠いが、それでも試さずにはいられない。

 魔源の残滓をまといながら、氷の塊を生成、すぐさま発射する。それは一瞬にしてカマキリに命中するも、驚かせることには成功するがせいぜいその程度だ。

 メルは二発目のために構えを維持しながら、今後の方針を手短に伝える。


「こっちに来たら頼む」

「わ、わかりました!」


 ウイルやハイドの武器は通用しない。

 ならば代替案として、攻撃魔法を撃ち込むしかない。

 カマキリ族は氷属性を最も苦手とすることから、メルはアイスクルを選んでいる。

 それでもなお、先ほどの奇襲では傷一つ付けられなかった。

 つまりな無意味な行為かもしれないが、魔源がまだまだ残っている以上、諦めるには時期尚早だ。

 そう判断し、氷塊を次々と撃ち込むも、二度三度当てたところで茶色の外皮を貫くには至らない。


「来るぞ」


 メルの言葉通り、横やりに腹を立てたカマキリがバネのような脚力で飛び跳ねる。

 工夫のつもりなのか、今度は複数の木々で方向転換を図りながら、寸分の狂いなく魔法の発信源へ迫る。

 不規則なルートをたどろうと自身が狙われているとわかっているのだから、回避は可能だ。俊敏な巨体の軌跡をきちんと見極めた上で、メルはステップを踏むようにやり過ごす。

 ドシンと鳴り響いた騒音は、魔物の怒りそのものだ。避けられた程度で諦めるわけがなく、両腕を振り回しながら追撃を試みるも、男の皮膚はおろか黒いローブすら切り裂くことは叶わない。

 踏み込み、鎌を叩きつける。

 それに合わせて、後方へ跳ねる。

 樹木が群生する森の中において、メルの立ち回りは非常に器用だ。魔物の猛攻を見極めながら、後ろにも目をつけているのだから、芸達者と言えよう。

 とは言え、回避に徹していては勝てはしない。

 隙だらけな後ろ足を、ウイルは全力で蹴とばす。

 自重を四本脚で支えていたのだから、その内の一本が地面から離れようと本来ならば問題ない。

 しかし、体が浮くほどの衝撃を加えられたのなら話は別だ。その証拠に、茶色い巨躯は大きくよろめきながら、側面へ転倒しかける。


「くぅ、転ばなかったか……。メルさん、大丈夫ですか?」

「ああ。ナイスタイミング、イエスだね」


 節だった太い脚で踏ん張ってみせた魔物を睨みながら、ウイルは右手にスチールダガーを構える。この刃が通用しないことはわかっていても、傭兵として、無意識に身構えてしまう。

 一方、メルは避難するようにウイルの背後へ回るも、身長差からリーピングサイズの動向は監視可能だ。

 カサカサと落ち葉を踏みしめながら、それは苛立つように鎌を持ち上げている。大きな瞳は小さな人間だけを凝視しており、蹴られた後ろ足は当然のように無傷だ。


「今度は僕の番です」

「ああ。ハイドの魔源もまだまだ残ってる」


 だから安心して戦え。メルはそう言っており、ウイルもそれをわかっているからこそ、無謀にも正面から斬りかかる。

 魔物の注意を引き付ける盾役、つまりは守護系や魔防系が不在ながら、三人は交代でその立ち回りを引き受け、その後もこの魔物相手に戦い続ける。

 時間にして三十分以上は経過しただろうか。

 その間、カマキリは無尽蔵のスタミナで彼らに襲い掛かるも、成果は精々ウイルのかすり傷程度だ。

 ハイドとメルは回避に徹するため、巨大な鎌が届くことはなく、その上、動きっぱなしではないことから呼吸も容易に整えられる。

 一見すると互角のようだが、そうではない。三人は確実に追い詰められている。


「ウイル、僕の魔源はもう尽きた。ハイドは?」

「俺もそろそろやばい! 具体的には後四回なんだけど……、ウイル君!」


 これ以上の長期戦は不可能だ。

 メルの攻撃魔法は結局通用せず、ついには魔源が枯渇してしまう。

 ハイドの回復魔法についても残りわずかなため、撤退を考慮するなら使い切りたくはない。

 雨のように降り注ぐ鎌を受け流すウイルだが、全身血だらけだ。傷自体はキュアによって治してもらえるが、流れた血液は誰にも拭き取られないため、顔も腕も着ている服も血まみれだ。


(うぅ、だいぶ慣れてきたのに……、やっぱり逃げるしかないのかな? 悔しい、それだけは嫌だ)


 逃げるだけなら余裕だろう。

 累積魔法耐性は永続的な効果ではなく、今ならグラウンドボンドでこの魔物を拘束出来てしまう。

 ゆえに、撤退はいつでも可能だ。

 それでもそうしない理由は、ウイルが負けず嫌いなだけではない。

 報酬の三十万イールが欲しいということもあるが、最大の要因は今日という一日を嫌な思い出にしたくないからだ。

 ハイドとメル。久しぶりに二人と出会えたのだから、この依頼を成功させたいと半ば意固地になっている。

 しかし、そろそろ潮時だ。ハイドの回復魔法はこの戦いにおいて必須であり、魔源が尽きてしまう前に方針を決めなければならない。

 つまりは、討伐を諦める。

 三人の前に提示された選択肢はこれしかないのだが、ウイルは駄々をこねるようにリーピングサイズと刃をぶつけあっている。

 逃げるしかない。

 逃げたくない。

 相反する感情を抱きながら、少年は葛藤を続ける。


(こっちの攻撃は通用しない。僕のスチールダガーも、ハイドさんのスチールソードも、メルさんのアイスクルも……。八方塞がりなんだから、やっぱり諦めるしか……。うぅ、悔しい悔しい悔しい! 嫌だ、勝ちたい! 討伐したい!)


 単なるわがままだ。この戦いに勝ち筋を見出せないのだから、これ以上、戦闘を長引かせることは愚行に他ならない。

 最優先は勝利にこだわることではなく、生き延びることだ。狩れなかったとしても五体満足で帰国出来れば、彼らには明日が訪れる。

 そんなことはわかっている。

 それでも、一歩も引かずに小さな短剣を振り続ける。

 頑固であり、同時に負けず嫌い。この少年の根幹であり、逃げることに抵抗はないのだが、今回だけは特別だ。

 そんな中、二人は静かに見守ることを選択する。小さなこの傭兵の実力を、誰よりも評価しているからだ。


(メルの魔源が尽きたってことは、ここからはウイル君の独壇場なんだし、好きにやらせるか)

(普段は大人しいけど、案外意固地。そういうところは昔から変わらない)


 年下のこの傭兵を信頼している。

 初めて出会ったのは四年前。エルディアの後ろに隠れ、守られることが彼の仕事だった。

 しかし、そんな惨めな姿は後にも先にもその時だけ。ハイドとメルは、ウイルと会う度に驚かされた。

 体力。

 足の速さ。

 体幹。

 心構え。

 そのどれもが確実に成長を遂げていた。

 ハイドとメルも傭兵として腕を磨き、今では等級四にまで上り詰めている。第一線で活躍する、優秀な人材と言っても過言ではない。

 しかし、この少年は何だ?

 ハイドは先ほどから抱いていた違和感を正体を、ついに導き出す。


「メル、気づいてる?」

「ん?」

「この五、六分の間、ウイル君が一切傷を負ってないこと……」


 戦っている少年の姿は痛々しい。出血があまりに酷く、負傷具合の判定は見た目からは困難なのだが、ずっと見守っていたハイドなら容易に見極められる。

 一方、相方は首を傾げてしまう。遠距離から攻撃魔法を撃ち込むことに専念していたため、ウイルの観察を怠っていた。


「服もレザーアーマーもぼろぼろに見えるけど」

「ああ。だけど、本人は至って元気なんだ。疲労困憊だとは思うけどね。俺と違って、ウイル君は前脚をさばきながらも反撃を繰り出すから、不必要に下がろうとはしない。だからあっちこっち斬られちゃってたんだけど……」

「それはハイドのキュアがあるから」

「まぁ、そうなんだけどね。だけど、今は……」


 回復魔法は不要だ。大きな鎌がかすりもしないのだから、ハイドは観客のように眺めているだけでよい。

 ここに来てメルもついに把握を終える。自分達が何を目撃しているのか、気づかされた瞬間だ。


「ウイル、戦いながら成長してるのか」

「多分ね。本当に追い越されたかもしれないな~。構わないけどさ」

「同意。だけど、あれを倒せるかどうかは別問題。魔法もスチールの武器すらも通用しない」


 金属と金属の耳障りな衝突音が鳴り響く中、二人はどこまでも冷静だ。

 このままでは勝てない。

 だったら、逃げるしかない。

 当然の帰結であり、グラウンドボンドのおかげでそれも容易に達成可能なのだから、不必要に迷うことは時間の無駄だ。


「俺も逃げるしかないとは思ってる。だけどまぁ今回は、ウイル君に委ねてみよう。諦めてないみたいだしね」

「了解。休んで魔源の回復に努める」


 魔源は魔法におけるスタミナのようなものであり、疲れた人間が休むことで体力を取り戻すように、魔源もまた、時間経過で満たされる。

 立っているよりは座っている方が、座っているよりは寝そべった方がより効果的に補充されるも、ここは戦場ゆえ、二人は案山子のように直立を維持し、少年の躍動を見守り続ける。


(あれ、ハイドさんからの指示が来ないな……。作戦会議中?)


 頭上から襲い来る二つの鎌を、ウイルは右手のダガーだけでせき止める。

 そればかりか隙を見つけ次第、茶色の体に斬りかかるのだから、疲れてもなお闘争本能は健在だ。


(考えてみると、ハイドさんとメルさんってやっぱりすごいんだな。二人とも、ニ十回以上は魔法使ってたし……、そういう意味じゃ僕なんてまだまだって気づかされちゃう)


 押し寄せる刃をやり過ごしながらも、頭は別の思考を巡らせる。

 魔源の総量から、その人物の実力を推し量ることが可能だ。

 一般市民なら、せいぜい一、二回と言ったところか。

 傭兵試験に受かるほどの実力者でさえ、魔法を五回使えれば上出来だろう。

 今のウイルは身体能力だけは随分と向上したが、魔源に関しては成長が鈍い。十数回が限界であり、グラウンドボンドとコールオブフレイムしか習得していないことから、その回数で困ることはないものの、実力に見合った総量とは言い難い。

 対照的に、ハイドとメルは別格だ。

 ニ十回分を優に上回る魔源は傭兵の中でも上澄みであり、等級四の肩書に偽りはないと断言出来る。

 適正は個人差があるため、魔法に関する才能がなければウイルのように成長が鈍ることも珍しくはない。生まれながらの個性であり、大人しく受け入れるか、努力で乗り越えるかは本人次第と言えよう。


(だけど僕は僕……。エルさんを取り戻すためにも、あいつを倒すためにも、足踏みなんてしたくない!)


 闘志が萎えるはずはない。

 大鎌を構えた魔物相手に一歩も引かず、しのぎを削る姿は舞台上の主役そのものだ。

 もっとも、持ち主の気概とは関係なしに限界は訪れてしまう。

 降り注ぐギロチンを今まで通りに切り払おうとした瞬間だった。


「なっ⁉」


 既に刃こぼれしていたスチールダガーが、悲鳴をあげて砕け散る。負荷に耐えられず、限界を迎えてしまった結果だ。

 鋼鉄の欠片が飛び散る刹那、カマキリは笑みを浮かべ、ウイルは目を見開く。


(どうする⁉)


 考えるまでもない。少年もそんなことは重々承知しており、戸惑いながらも即座に方針を定める。

 グラウンドボンドを使い、脱兎の如く逃げ出すしかない。

 武器という意味ではもう一本、アイアンダガーが腰の鞘に収まってはいるものの、強度と切れ味はスチールダガーの劣化品だ。

 つまりは同様に破壊されるのが落ちだ。

 ならば、撤退が賢明だろう。

 ウイルも即座にそう導き出すも、冴えた思考が別の可能性を検討し始める。

 持ちあがる鎌を見上げながら、それでもなお冷静でいられる理由は、死を覚悟したからではない。

 スチール製の武器が通用しないのなら、それ以上をぶつければ良いと気づけたためだ。


「グラウンドボンド!」


 ここからは早かった。

 後方へ跳ね飛ぶと同時に、巨大なカマキリを束縛する。

 これを合図にハイドとメルも撤退の準備に取り掛かるも、その判断は時期尚早だ。ウイルは戦闘前に捨て置いた鞄の元へ駆け寄ると、右手をずっとその口に突っ込む。


(これで……)


 終わらせる。そのための手段を取り出すと、背筋を正して標的を見定めながら、その方向へずんずんと歩みを進める。


「ハイド?」

「逃げるわけじゃ……なさそうだ。だったら、もう少し見守るとしよう。どうやら決着は早そうだ」


 二人の傭兵もまた、撤退を中断する。三人目の仲間が戦闘の継続を主張しているのだから、見捨てる理由が見つからない。

 人間と魔物。

 小さな傭兵と巨大なカマキリ。

 事情を知らない第三者がこの光景を目撃すれば、強者がどちらかなど即座に言い当てるだろう。

 もちろん、その回答は不正解だ。

 ウイルは戦いを終わらせるため、銀色の鞘からゆっくりとそれを引き抜く。

 半分に折られた、銀色の片手剣。煌びやかな色艶は健在ながら、その姿はどこか痛ましい。

 そうであろうと関係ない。

 ミスリル鉱石から生み出されたこれは、傭兵ならば誰もが夢見る一品。鏡のような剣身は本来の長さにはほど遠いが、殺傷力は落ちていない。

 そうであると、今から証明する。


「必殺……」


 ミスリルソード。パオラとの旅路にて拾った遺品だ。その後の戦闘で宿敵にへし折られてしまったが、捨てずに持ち歩いていた理由は使い道が見つかるだろうという単なる思い付きだった。

 新品を購入する場合、その金額は一般的な仕事の年収二年分に相当する。

 金欠気味なウイルには決して手が届かない。

 それどころか、入手出来る傭兵はほんの一握りだ。

 木の枝のように折られてしまったが、銀色の刃はその切れ味を落としてはいない。

 むしろ、短剣使いのウイルには好都合だ。

 本来は長い剣身が、ナイフのように短い。それゆえにその重さも苦にはならず、動けぬ魔物を凝視しながら、自慢の連撃を披露する。

 距離を詰めるため。

 茶色の巨体を切り刻むため。

 次の瞬間、予備動作もなしに最高速度へ移行すると、瞬く間にその横を横切り、長かった戦いに終止符を打つ。


「ヴィエン・サレーション」


 両者がすれ違った直後、傭兵と魔物は銅像にように静止する。

 勝者と敗者が決まったのだから、観客は固唾を飲んで見守れば良い。

 訪れた静寂が木々の葉音で破られる中、茶色の巨体が細切れになりながら呆気なく崩れ落ちる。

 決着だ。少年はヒュンと片手剣を走らせる。

 ヴィエン・サレーション。ウイルが編み出した連撃だ。小柄であることと体重の軽さを活かし、急激な加速を実現、勢いそのままに相手の横を通り抜けるだけでなく、その瞬間に運動エネルギーを上乗せした連続切りを浴びせる。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし、必殺必中の切り札だ。

 武器が伴っていなければ成り立たないが、少年の右手はミスリルの剣を握っている。その切れ味は今まさに実演された。

 振り向き、肉塊を眺めながら、ウイルは大きく息を吐く。


(九死に一生とはこのことだよ。はぁ、疲れた……)


 心身ともにヘトヘトだ。勝利の余韻に浸りながらも、その場に座り込んでしまう。三十分以上の死闘を繰り広げたのだから、小休止は許されるはずだ。

 尻もちをついて今にも寝そべりそうなウイルの元へ、勝利を祝うように二人が集う。


「おつかれ~。いや~、すごいすごい。そんな奥の手があったなんてね」

「見事だった」


 ハイドはご満悦だ。まさかの勝利に喜ばずにはいられない。

 一方、メルは無表情ながらも口元をほころばせる。体力は有り余っており、足取りは軽快そのものだ。


「このミスリルソード……、実は拾い物でして。だけど……」

「だけど?」


 勝者のつぶやきに耳を傾けながらも、ハイドは急かすように問いかける。

 傭兵ならば、それが普通ではないことは一目で見抜けてしまう。

 ミスリルは鋼鉄よりも軽く、遥かに頑丈だ。それゆえに何倍もの価格でやり取りされるのだが、披露された片手剣は短剣のように短い。


「とある魔物と戦って、僕の実力不足でしかないのですが、ご覧のあり様です」


 オーディエン。火球のような体から、頭部と四肢を生やした化け物。顔立ちは美麗な女性そのものだが、性格や価値観は人間と似て非なる。ウイルの母親を毒殺しようとした張本人であり、だからこそ、この少年は復讐心を抱いている。

 そういった背景までは話さないが、今の説明は二人を驚かせるには十分だった。


「そいつが、ミスリルソードをバキンって折ったの?」

「はい」

「イエスじゃないね。だけど、ウイルが嘘をつくとは思えない。そんなの相手にどうやって勝った?」

「あ、色々あって見逃してもらえた……と言えば良いのかな? 満足して帰って行っただけなのかな? 僕もあいつのことはわからないんです。わかっていることは神出鬼没なことと、握力だけでこんなことが出来ちゃうってことくらいで……」


 真実と嘘を同時に伝える。

 ウイルはそれ以上のことをハクアから聞いており、より詳細な情報を知り得ている。それでもより多くを語らない理由は、二人を巻き込みたくないという良心と、この場では不必要だと冷静に判断したためだ。

 その回答に驚きを隠せない二人だが、追及はしない。あえて濁すような物言いに何かを察し、話題を本筋へ戻す。


「なんにせよ、勝ちは勝ちだ。と言うか大手柄だよ。さっきのヴィエンなんとかってやつもお見事だったな。もう一回やってみせてよ」


 茶化すように、ハイドが笑う。必殺の連撃は見事と言う他なく、褒めてはいるのだが相手は年端もいかない子供ゆえ、ついからかってしまう。


「疲れたから嫌でーす。はぁ、顔も体もベトベトだから、川で水浴びしたいです」


 ウイルが愚痴るのも無理はない。泥水を頭から被ったように、全身血だらけだ。痛む箇所はないのだが、べっとりとした肌触りは不快極まりない。血液と汗を洗い流したいだけなのだから、着の身着のまま川へ飛び込めば、あっという間に洗濯は完了するだろう。


「ハハハ。休憩がてら寄ろう。帰りは急ぐ必要ないしね。ところで……、アレどうする?」


 ハイドは直立を維持しながら、視線を勝者から敗者へ移す。

 そこには細切れにされた亡骸が転がっており、その光景はまな板に置かれ千切りにされた野菜のようだが、凝視すると紛れもなく巨大カマキリの死体だ。


「せっかくだし、回収。頑丈だったし」


 素っ気なく言ってのけるメルだが、残りの二人は困惑せざるをえない。

 単純にバラバラなだけではなく、体液や臓物まみれだ。

 つまりは、触りたくない。

 ハイドは鼻をポリポリとかきながら、提案を持ち掛ける。


「売却は難しいと思うけど、職人に持ち込めば防具か何かに加工してくれる……かもね? 俺達にそういった知り合いはいないから、ウイル君に譲るよ」

「え⁉」

「メルもそれでいい?」

「もちろん。その鞄だったらいくらでも入るだろうし、全部いっちゃえ」

「ええ⁉ た、確かに袋詰めすれば持ち帰ることも出来そう……です……けど……」


 異臭の発生源は内臓だろうか? いくらか離れていても漂ってくるのだから、表皮の収拾は重労働だろう。


「三十万ゲットとは言え、今回、ウイル君は色々と失ってしまったから、少しは足しにしたらどうかな?」


 頭割りゆえ、一人当たり十万イールの臨時収入だ。たった一日でこの金額を稼げたのだから、これが毎日続けられるのなら大金持ちも夢ではない。

 もっとも、そんなことはありえない。傭兵組合から発行される依頼はその多くが低額な上、仕事の受領は基本的に早い者勝ちだ。掲示板に張り付いていなければ、美味しい仕事にはありつけない。

 ウイルはこの戦いで、かなりの損失を被った。

 スチールダガー。既に刃こぼれいていたが、金額は六十万イール。

 革鎧ことバースレザーアーマー。十五万イールゆえ決して安物ではないのだが、体の前面側は留め具ごと斬られてしまっており、修理すらも困難だ。

 これらを出費と見なすなら、今回は赤字に他ならない。勝利という思い出にこそ価値があるのだが、このままでは明日からの傭兵稼業に支障をきたしてしまう。

 カマキリの亡骸で補えるとは思えないが、ハイドの言う通り、その頑丈さが防具に転用出来ればありがたい限りだ。


「わかりました。せっかくなので持ち帰ります……」

「がんばれ」

「がんばれ」

(がんばれ⁉)


 なぜか応援されてしまったが、少年は立ち上がると、鞄持参で死体を漁りだす。

 二メートルを超える巨体ゆえ、有効活用が見込める外殻は意外に多い。

 頭部や内臓は無視しながら、細切れな手足や表皮を革袋に詰め込むも、愚痴るようにその言葉を口にしてしまう。


「すっごく臭いです」


 グロテスクな解体作業は日常茶判事ゆえ、吐き気を催すことはないが、顔をしかめたくなるほどには鼻腔が刺激されてしまう。

 その後、三人は帰路に就くのだが、そのペースはジョギングのように緩やかだ。焦る必要がない上にコンディションも快適とは言い難く、ピクニックのように談笑を交えながら王国を目指す。

 到着の時点ですっかり日は暮れており、少し遅めの夕食をギルド会館で食べることになるのだが、祝勝会を兼ねているのだから盛り上がって当然だ。

 心も体も、所持金さえも満たされたのだから、ウイルは幸せをかみしめずにはいられない。

 改めて再会と勝利を祝い、目の前の料理にかぶりつく。金はあるのだから、今晩ばかりは宴のように豪勢だ。

 エルディアがいないことを忘れるほどには、少年の心は満たされる。

 話し、笑い、食べる。

 賑わうギルド会館の中心で、三人は席を立つことなく談笑にふける。

 話題は尽きない。

 尽きるはずがない。

 傭兵は毎日が刺激的だ。掛け金は己の命なのだから、当然だろう。

 ゆえに勝利の味は格別だ。その上、報酬が得られるのだから、その味を知ってしまったら最後、辞めることなど出来はしない。

 では、適性のない者はどうすればよいのか?

 地を這うしかない。

 惨めさに涙するしかない。

 魔物に殺されるしかない。

 どれも正解だ。この世界は弱肉強食ゆえ、力なき者は見捨てられてしまう。

 残酷だ。

 しかし、真理でもある。

 ゆえに、その少女は子供達の亡骸を前に涙するしかない。

 夕食を食べ損ねた結果、今日の食事は昼食だけだった。

 それすらも、具のないおにぎり、一つ。

 不平等?

 これこそが平等だ。

 非力な者には家すらも与えられず、座して死を待つしかない。

 対照的に、力ある者は全てを手に入れる。

 ウルフィエナ。在りし日の理想郷。人間と魔物が争うこの世界において、弱者に手を差し伸べる余裕などあるはずもない。

 人間は魔物に抗う。

 魔物は人間を殺す。

 千年間、この均衡は保たれており、貧困層への救済は残念ながら二の次だ。

 だからこそ、その少年は立ち上がる。祭りのような夕食が解散になったのだから、懐にしまった十万イールを抱え、ゆっくりと歩き出す。

 目指すは上層区画の自宅。

 本来ならばそのはずだが、今回は少し寄り道をしたい。

 そこは第二の我が家であり、子供達が泥水をすすりながら腹を空かせて待っている。

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