テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リハーサルの終盤。
「じゃあ、最後もう一回通すね」
藤澤が穏やかに声をかけると、全員がそれぞれの位置につく。
静寂。
その中心に立つのは、元貴。
息を吸って、歌い出す。
一音目から、空気が変わる。
どこか繊細で、真っ直ぐで、聴く側の感情を引きずり込むような声。
ギターの若井滉斗は、弾きながらその声にほんの一瞬だけ聴き入る。
(やっぱり、すごい)
何度聴いても、そう思う。
曲が終わる。
最後の音が消えて、スタジオに静けさが戻った瞬間
「……っ、すごい」
小さく息を漏らしたあと、若井はぱっと顔を上げて、
「元貴さん、今のめっちゃ良かった!」
ぱちぱち、と素直に拍手を送る。
その音は、やけにまっすぐだった。
でも、
元貴は、そっちを見ない。
まるで最初から聞こえていなかったみたいに、すぐに視線を外して、綾華の方へ歩いていく。
「綾華、さっきのサビ前さ、もうちょいタイトにできる?」
「あー、あそこ?いいよ、もう一回やろっか」
そこに、髙野も加わる。
「俺も合わせるわ。キックと一緒に締めた方が良さそうだな」
「いいね、それ」と藤澤も頷く。
「コードも少し変えてみようか」
自然と四人で会話が回る。
その輪の中に、若井はいない。
少し離れた場所で、若井は手を下ろした。
拍手の余韻だけが、静かに消えていく。
「……そっか」
ぽつりと小さく呟く。
それでも、表情は崩れない。
いつも通り、柔らかい笑顔のまま。
ギターを持ち直して、何事もなかったみたいに近づく。
「ねえ、そのサビ前さ、俺もコードちょっと変えてみてもいい?」
何もなかったように、会話に入る。
その自然さに、綾華が一瞬だけ若井を見る。
少しだけ、心配そうに。
でも若井は気づかないふりをして、軽く笑った。
元貴は、ちらりとだけ、若井を見た。
ほんの一瞬。
すぐに目を逸らす。
(……なんなんだよ、あいつ)
無視してるのに。
普通に話しかけてきて、普通に笑って。
まるで、何もなかったみたいに。
その“何もなかったみたいな顔”が、どうしても気に食わない。
けど同時に、
さっきの拍手の音が、頭から離れなかった。
無邪気にすごい!と言う姿。
「元貴?」
藤澤の声で、はっと我に返る。
「……ああ、ごめん。続けよ」
何事もなかったように言う。
また音が重なり始める。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
8,426