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第4節 千崎雄二『毒をもって毒を制す』-2-
門に渡された鉄の閂が静かに外れていたのだ。
その無骨な仕組みの裏に、電子制御の気配がある――。そう思うだけで、胸の奥がわずかに重くなった。
恐らく、自分がタクシーで乗り付けるまでの挙動も、あちこちに設置された監視カメラで見られていたのだろう。
門にたどり着く前から、人気もないのに視線を感じていた理由が、ようやく腑に落ちた気がした。
門を開けてくれた男たちはこれ以上雄二に付き合うつもりはないらしい。
雄二に「どうぞ」とだけ告げると黙礼してまるで彫像のようにその場へ立った。
足元の砂利が、かすかに鳴る。
敷地の奥に続く石畳の道は手入れが行き届いていて、朝の光を受けて薄く光っていた。
庭には松の木と、季節外れの椿がひとつ咲いている。
あたりに漂う土と緑の匂いが、かえって緊張を際立たせた。
先ほどの男の代わりのように、漆塗りの引き戸の玄関前には別の黒服の男がいて、無言で頭を下げると、「中でオヤジがお待ちです」と玄関扉を開けて頭を下げる。
敵意は感じられないが、一瞬だけ向けられた男の眼差しは、明らかに〝雄二を見張る〟目をしていた。少しでもおかしな態度を取れば、その場でねじ伏せられてしまうだろう。
雄二は男へ軽く会釈を返すと、広い玄関内へ足を踏み入れた。
引き戸の内側は、すりガラス越しの柔らかな光が差していた。
広い石張りの三和土には靴の一足も見当たらない。恐らくはすぐ横へ設置された下駄箱の中へ仕舞われているんだろう。
先程の男が雄二のすぐ横へ立つと、「千崎雄二さんをお連れしました」と中へ向けて声を掛けた。
「座敷へ通せ」
短い返答が奥から聞こえた。
声は落ち着いているが、どこか圧がある。
案内の男が一歩下がり、雄二に小さくうなずいた。
促されるように雄二は靴を脱ぎ、綺麗に磨き上げられた床板の上へ足を乗せる。
「スリッパをどうぞ」
それを待っていたかのように先程の男にスリッパを勧められた雄二は、素直にそれを履いた。
鼻腔をくすぐるのは、線香と煙草の混ざったような独特の匂い。
「どうぞこちらへ」
男の先導で玄関から廊下へと続く道を奥へと進む。足元の床板はピカピカに磨き上げられ、チリひとつ落ちていない。窓から差し込む朝日を反射して艶光りするさまは、ある意味ものすごく荘厳だった。
ややしてぴたりと閉ざされた襖の前で足を止めた男が、
「お連れしました」
言って、雄二へ道をあけるみたいに一歩下がると、
「……入れ」
襖の向こうで、低い声が響いた。
その一言に、雄二の背筋は自然と伸びる。
案内役が襖を開けると、淡い光の射す座敷が現れる。
正面の座卓に腰を据えていたのは、五十代半ばくらいの男だった。
髪に少し白が混じり、顎には薄く無精髭が残っている。もしかしたら、彼が朝の支度を整える前に、自分は訪問してしまったのかも知れない。
だが幸いにも、男はそんなことを気にも留めていないようだった。きっと、こうした不意の訪問も、この男にとっては日常のうちなのだろう――。
そう思うと、雄二はほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
黒の羽織に濃紺の着流し。姿勢はまっすぐで、静かな眼差しが、品定めするみたいに雄二を射抜いていた。
雄二は正座をして頭を下げる。
「初めまして。……わたくし、千崎雄二と申します」
「さっき名前は聞いてる。――ま、そう緊張する事はねぇだろ。顔を上げてくれや」
命じるというより、静かな調子だった。
雄二が顔を上げると、男――葛西了道はわずかに口元を緩めた。
「……やっぱり、幸太郎の息子だな」
目の奥に、ほんの一瞬だけ懐かしさのような色が宿る。
「親父さんには世話ンなった。良い鉄を扱う腕の立つ職人だったよ」
「ありがとうございます……」
雄二は唇を噛み、静かに頭を下げた。了道の口振りからは、彼がすでに幸太郎の死を知っているのだとありありとうかがえた。
「それで――」
了道が煙草の箱を手に取りながら、雄二を真っ直ぐに見る。
「あんたは確か銀行マンだったよな?」
「はい」
「その堅気の銀行マンさんが、わざわざ俺なんかのところへ何の用だい?」
畳の上に落ちたその言葉が、まるで重石のように響いた。
雄二は、深く息を吸い、目を閉じてからゆっくりと開いた。
「……力を、貸していただきたいんです」
その瞬間、部屋の空気がピンと張り詰めた。
そばへ控えている黒服の男たちが一瞬だけ視線を交わし、了道の顔を伺う。
だが、了道はただ、ゆっくりと口角を上げた。
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#契約結婚
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「ほう……〝力〟ねぇ。いいだろう。話を聞こうじゃねぇか、千崎の倅」
その声にはどこか興味と、獲物を値踏みするような愉悦が混じっていた。
「復讐したい相手がいます」
その言葉を受けて、了道が新たな煙草を口にくわえ、すぐそばに控えていた男がすかさず火を差し出した。
煙がゆらりと立ちのぼり、部屋の空気に溶けていく。
短い沈黙ののち、低く、しかし妙に響く声が落ちた。
「復讐、……ねぇ」
「はい」
「そいつぁーまた穏やかじゃねぇ話だな。――で? 潰したい相手は誰だ。父親に金貸し付けた奴らか? それとも――あんたの同業者か?」
了道が紫煙を吐き出しながら告げた言葉に、背後の黒服たちがピクリと動いた。
まるで全てを見透かしているかのようなセリフに、雄二も黒服ら同様身じろぎする。
(この男、どこまで知っているんだ?)
雄二はグッと拳を握りしめ、真っすぐに了道を見据えた。
「同業者――ですね。正確には私の上司、あすな銀行の法人営業課長の荻野と、あすなの顧問弁護士です」
包み隠さず報復したい相手を名指しにすれば、了道の眉がわずかに動く。そうしてすぐにククッと楽しげに笑って、「なるほど、そうきたか」と煙とともに吐き出すのだ。
「俺はてっきりネクサスの方の話だと思ってたんだがなぁ。まさか先にテメェんトコの上司の名が出てくるたぁ思わなかった。……なぁ千崎の倅よ。今回の親父さんの件、お前はどこまで知ってる? 俺に詳しく説明してみろや」
雄二は一度小さく息を吐き、グッと奥歯に力を込めた。
(――この口振り。俺が話す前から、何もかも調べがついているんだろうな。けど、それでもなお〝俺の口から言わせよう〟ってわけか)
そう思いはしたが、同時に眼前の男に試されているとも思った雄二は、〝ならば乗るしかない〟と、言われた通り静かに語り出した。
「……数ヶ月前、あすな銀行が系列の大手に出した大型融資で、不自然な数字の整えがありました。起案は私の名前。けど、中身は私が出した稟議書とは明らかに違っていた。誰かが……いや、恐らくは荻野が書き換えたんです。――それを隠すための資金繋ぎとして、荻野は岩倉という経営者に〝個人で回る金〟を手配した。建前こそ岩倉の事業資金、実態は不正の穴埋めです。実際、岩倉へ貸付をしたという記録は、銀行の方へは残っていないはずです」
「根拠は?」
「私はあすなの法人営業課主任です。自分の目を通らないままに上へ上がる貸付金なんてありえない。――岩倉の稟議書なんて、見たこともありません」
了道の視線が、わずかに細くなる。紫煙が静かにほどけた。
「最初から返せる宛のない融資です。当然すぐに行き詰まって返済が滞った。そんなの最初から分かっていたことです。それで……ここからは私の勝手な推測ですが――荻野は、そんな岩倉に【ネクサスファイナンス】という闇金業者を勧めたんじゃないかと思います。ついでにうちの親父を連帯保証人に仕立て上げたのにもあの男が関与していると俺は踏んでいます」
確証はない。
だが、雄二にはそうとしか思えなかった。
つい熱が入るあまり、いつの間にか了道の前だということも忘れていた。口から出た〝俺〟の一言にも気付かぬまま、雄二は続ける。
「無理でも連帯保証人が何とかしてくれる、それを探せばいい……とでも言ったんじゃないですかね。そもそもずっと参加してたはずの商工会の会合で、あすなから融資を受けた直後ってタイミングで岩倉が親父に親し気に話しかけてきたって話も、胡散臭いと俺は思っています。もしかしたら荻野の入れ知恵かもしれない、と――」
毎回参加していた幸太郎とは違い、会合へずっと顔を出していなかった岩倉が急に参加してきたこと。また、名簿を見れば幸太郎が自分同様商工会のメンバーであることは一目瞭然だったはずなのに、連絡なんて寄越しもしなかった岩倉が、何故あのタイミングで幸太郎へ旧知の友の顔をして話しかけてきたのか。
母・八重子から事の次第を聞かされた時、雄二にはまるですべてが仕組まれていたように思えたのだ。
「荻野は親父が俺を理由に岩倉へ手を差し伸べずにはいられない人間なことを知ってた気がします。何せ腐っても荻野は俺の直属の上司ですからね。そもそもうちの親父の鉄工所のメインバンクは『あすな』です。親父の為人なんてすぐ調べられたでしょう。うちの親父なら言い方次第じゃ、『息子の勤め先に迷惑はかけられない』となって、岩倉が持ってきたネクサスの書類へ印を捺すことは想像に難くない」
コメント
2件
雄二さん!(涙)
うわ、このエピソード、緊張感が半端なかったですね…! 雄二がついに組長・了道の前に通されるところから、じわじわと空気が引き締まっていく描写が秀逸でした。特に「復讐したい相手がいます」の台詞、あの一言で部屋の空気が変わったのを感じました。了道の「お前はどこまで知ってる?」の問い、まさに試されている感がひしひしと伝わってきて、読んでるこっちまで息を止めてしまいました。雄二が「俺」って言い出した瞬間、彼の中の何かが覚悟に変わったのが分かって、めちゃくちゃ熱かったです。続きが気になりすぎます!