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帰り際、蓮太郎は困る。
あなたが思ったままを言えばいいのよ、と言われたが。
言いたいことがありすぎて、なんと言っていいのかわからない。
唯由が本を見ながら、せっせと慣れない料理を作っていたことを想像して、泣けてきたからはじまり。
今日の料理、ほんとうに美味しかった、に至るまで、長く長く語ってしまいそうだった。
長いのはよくない。
プレゼンでも端的な方がウケる。
蓮太郎は唯由の目を見つめた。
その手を握る。
唯由の目を見つめたまま、強く握手した。
ひとつの言葉より、ひとつのスキンシップ。
そう笑って蓮太郎の肩を叩いてきた海外支社帰りの部長のことを思い出しながら。
スキンシップ、よしっ。
あとはこれで、一言、心を込めて言えばいいんだ、と蓮太郎は思った。
『ほんとうに美味かった』
そんな風に思いの丈を素直に伝えれば。
蓮太郎は笑顔で口を開いた。
「お前が好きだ」
唯由がフリーズする。
どうしたのだろう。
俺が美味いと言うと思わなかったのだろうか。
蓮太郎はこんな時間に料理を作ってくれた唯由への感謝を示すため、もう一度、心を込めて繰り返した。
『ほんとうに心から美味かった』と。
「ほんとうに心からお前が好きだ」
唯由はまだフリーズしている。
もう一回、感謝を伝えてみよう、と思う蓮太郎は必死なあまり、自分が言おうと思っていることと、口から出ていることが違うことに気づいてはいなかった。
「いや、ほんとうにお前が好きだ」
「あ、ありがとうございます」
唯由は笑顔で蓮太郎を見送った。
危ないから外に出なくていいと言うので、玄関から。
うん、と蓮太郎は嬉しそうに頷く。
でも、この人、わかってないよね……と唯由は思っていた。
さっき、好きだと言ってきたとき、笑顔と言葉が全然合っていなかった。
この人にありがちな照れもない。
繰り返し、好きだと情熱的に告白されたが。
情熱的なのは言葉だけで、その顔つきも口調もまったく情熱的ではなかった。
なんか違うことを言いたかったんだろうな、というのはわかる。
きっと仕事で疲れていたんだろう。
そう思いはしたが、やっぱり言われて嬉しかったし。
さっき、キスされたことだけは本当だった。
……愛人だからしてみたんですよね?
愛人だから、しておかなきゃと思ってしてみたんですよね?
恋愛経験ゼロな唯由は自分に自信がなく。
蓮太郎が自分に本気で好意を抱いている、という発想には、たどり着けなかった。
窓からも見送らなくていいと言われていたので、カーテンに当たる車のライトで、彼が出ていくのを確認する。
そのままぼんやり窓近くに突っ立っていると、カーテンの向こうから声がした。
「ついに恐れていた事態が起こりましたね」
いつか聞いた声だった。
カーテンを開けると大王直哉が窓の下に立っていた。
「蓮太郎様は、ついにあなたへの本気の愛を自覚しはじめたようですね」
……いや、自覚があるようには見えなかったんですけど。
完全に表情と内容がズレてましたしね。
そう思いながらも、唯由は赤くなる。
口から出た言葉の方が間違いかもしれないよな、とも思ってはいたのだが。
「ですが、困ったことに、月子様との見合い話はまだ継続中なのです」
えっ? と唯由は声を上げていた。
なんでだ。
雪村さんのひいおじいさまのところにもご挨拶に行ったのにっ、と思う唯由に直哉は言う。
「あのあと、他のご親族からまた、蓮形寺月子さまとのお見合いのお話が来たのです」
前回のとは違う写真なんですけどね、と直哉は、月子の見合い写真を見せてくれた。
月子はアンティークな着物を着て、白い洋館風の建物にいた。
こちらを見ずに遠くを見ている。
「……なんか、見合い写真というより、雑誌の一ページみたいですね」
前の写真は成人式の流用だったが。
これは、あれかな? と唯由は呟いた。
「月子が進んで見合い写真撮るとは思えないから、お友だちと大正時代の着物着て写真館で写真撮るとか言ってた、あれかな……?」
「そうかもしれないですね。
気軽な感じのスナップ写真、みたいなこと言って渡してこられたみたいですから」
何処も気軽でないうえに、スナップ写真でもない、
と立派な装丁の写真を見ながら唯由は思う。
「雪村と縁続きになりたい、月子様のお母様側のご親族がいらっしゃるみたいですよ」
前回のお話は蓮形寺のご親戚からだったので、唯由様でも、月子様でも、どちらでもいい感じだったんですけどね、と直哉は言う。
「真伸さまは、蓮太郎様のお相手は唯由様で、と思ってらっしゃるみたいなんですけどね。
月子様のお母様、虹子様のご親族と結託している雪村の親族もいる様子。
あんまりに親族連中がうるさく、蓮太郎様が唯由様とのことをハッキリされないようなら、気の短い真伸様のことですから。
じゃあ、もうめんどくさいから、と月子様とのお話を進めてしまわれるかもしれません。
実際のところ私も、唯由様の存在を知っても、ああ、蓮太郎様がまた妙なことを言い出したな~という感じで。
いつまで、この愛人ごっこ続くのかな、なんて。
失礼ですが、ちょっと思っておりました」
そう直哉は白状する。
「でも、蓮太郎さまが唯由さまへの愛をご自覚されたのなら、ご親族の方々と全面的に戦う必要がありますね。
お二人とも、モソモソと、
好きかもしれない。
いや、やっぱり、違うかも~とか、恥じらっている場合ではございません」
とぴしゃりと初恋ゆえの迷いをぶった切られる。
そのとき、スマホが鳴った。
「きっと蓮太郎様ですよ。
あの方、帰りはあまり迷わないから。
帰巣本能的ななにかでしょうかね」
主人を犬かなにかのように言ったあとで、庭に立つ直哉はこちらを見上げ、言ってくる。
「さあ、早く出てください。
私、一応、中立なことになっておりますので。
余計なことはおっしゃらないように」
なにかの犯人に、警察からの電話に早く出ろ、と急かされているような感じだった。
「も、もしもし……」
つい、声をひそめて出てしまうと、蓮太郎が、
「蓮形寺、どうかしたのか?
誰かいるのか? 男か」
と訊いてきた。
いや、なんで、誰かいるのか、の次が、男か、なんですか。
「あ、いえ。
単に、ここ壁が薄いので、声をひそめただけで……」
なに勘づかれてるんですかっ、という顔の直哉に睨まれながら唯由がそう言うと、蓮太郎は謝ってくる。
「そうか。
夜中に鳴らして悪かったな」
「いっ、いえっ。
すぐにとったので、大丈夫ですっ」
「今日はありがとう」
と言ったあとで、蓮太郎は沈黙した。
唯由も沈黙していると、だから、そういう、まどろっこしいことしないでください、という目で直哉が見る。
「ところで……さっき、俺はなにかお前におかしなことを言わなかったか?」
ようやく蓮太郎がそう訊いてきた。
「お前に料理の礼を言ったつもりで、なにか違うことを口走ったような気がしてきたんだ。
俺はお前になんと言っていた?」
いや、なんと言ったって……と思う唯由の前で、直哉が小声で囁いてくる。
自分の後につづけ、というように。
「『愛人契約なんて、阿呆なこと言うのはもうやめた。
世界中の誰よりもお前が好きだ。
結婚してくれ。
一生、お前を大事にするから』」
「……いやあの~、そんな長いセリフ言ったら、幾ら雪村さんでも、途中で正気に返ると思うんですよね」
スマホを離してだが、思わず、そう言ってしまい、
「蓮形寺。
誰と話してるんだ、男か」
とまた蓮太郎に言われてしまう。
「テ、テレビですっ。
すみませんっ。
ひとりでテレビドラマにツッコミ入れてましたっ。
雪村さんが帰ってしまって寂しくてっ」
慌ててそう言ったあとで、しまったっ、また怒られるっと思ったのだが、何故だか直哉は怒ってはいなかった。
直哉は、よかろう、という感じで頷き、いなくなり、電話の向こうの蓮太郎は何故か照れていた。
「そ、そうか。
うん。
俺もちょっと寂しいぞ。
いや、かなり寂しいかな。
でも、また会社で会えるから。
ああ、今日の食事のお礼に今度なにかプレゼントするよ。
じゃあ、……おやすみ」
と機嫌よく言って、蓮太郎は電話を切った。
「お、おやすみなさい」
電話を切り、唯由が顔を上げると、直哉はもういなかった。
立場上、ああいう情報流してくるのも、ほんとうはまずいんだろうにな、と思う。
雪村さんとは幼なじみだと言っていたから、執事として以前に、友人としていろいろと心配なんだろうな。
「おやすみなさい。
ありがとうございます、大王さん」
唯由は誰もいない夜の道に向かい、深々と頭を下げた。