「じゃあ、四季君じゃあね」
「花魁坂さんも、無理をしないように」
カフェを出たすぐの路地で並木度さんとは別れる事になった。にっこりと笑いながら放たれた言葉には僅かな悲哀が込められていた。
「花魁坂…さん」
「ん?どうしたの四季ちゃん」
「並木度さんはなんで、じゃあねって言ったのかなって」
花魁坂さんの少し見開かれた瞳には俺が反射して写っていた。大人には大人にしかわからない事情がある、そんなことはとっくの昔に知ってる。
でも、知らなきゃ行けない気がした。
これは俺と並木度さんのことだから。
「馨君は、知ってるんだよ」
「明日を、今日を生きる事の大変さを」
「…そっか」
「じゃあ、ごめん。花魁坂さん!」
軽く謝ったと思えば全速力で走り出した四季ちゃん。
「え、ちょ!し、四季ちゃん!?」
「ちょっと行ってくる!!」
「えっ…え〜」
花魁坂の伸ばそうとした手は掴む対象が一切なく宙で止まった状態になった。
花魁坂さんの言葉を聞いた途端に体が動いた。俺は真っ直ぐ、並木度さんが向かった道は走った。まだ居るはず、まだ近くに。
これだけで良いから伝えたい。
俺を信じてくれるって言ってくれた、あの優しい人に。
左右を見ながらも路地裏を走るのは当然の如く難しい、物が置かれてるし細い道だから息は切れるし走りにくい。
呼吸の音、砂利と靴が擦れる音が耳に響いている。もう居ないんじゃないかと上がった息のままで少し頭に思い浮かべる。
壁の角を使って急いで曲がり角を曲がれば、今にも大通りに出そうだった並木度さんの背中に抱きつく形でぶつかってしまった。
相当な勢いだったのに並木度さんは二、三歩千鳥足のようにバランスを取っただけだった。
「えっ!四季君!?」
「どうしたの?なんかあった?」
急に出てきた俺に驚きを感じつつも、首だけ後ろに向けて冷静に何かあったのかと確認を取ってきた。
背中にぶつかった事が申し訳ない気持ちと恥ずかしさで下を向きながら背中に押しつけるように左右に首をグリグリと振った。
「…ぶつかってごめんなさい」
「うん。それは、大丈夫だよ」
四季君は背中から離れようとしない、無理矢理解けば取れるだろうし実際やろうと思えば今すぐにでもできる。けれどしない方が四季君も話しやすいと思いそのままにしておく。
「…俺は今日も、明日も生きます」
「誰よりも強くなって、助けます…」
「だから、並木度さん」
「またね」
後ろから聞こえた声は、芯がある真っ直ぐな声だった。これを言う為だけに君は走ってきたのかい?聞かずとも分かる問いを言ってしまおうかと思った。
酷く優しい子だな…緩みそうな目頭を押さえながら、背中にめり込む勢いの頭を撫でた。
「うん、ありがとう…四季君」
「またね」
その声が聞こえた途端にパッと手を離して顔を上げて、満遍の笑みをして。
「またな!!」
と手を振って来た道を帰って行った。
「……四季君が、鬼神なら確かに安心だ」
鬼も人も桃太郎も、全てを等しく思い助けようとする。それが他者の目にどう写ろうとも、一瞬でも手が伸ばされたのならば何が何でも手を取りに走っていく。
会って間もないけれどこれだけは分かる、四季君のことだから唾切を倒した時も話を聞いたんだろう。
これは、四季君と俺の誓い。
『またね』
ただそれだけの言葉に、何故だか少し救われたような気がした。
「隊長帰りました」
「…顔が緩んでんぞ、馨」
帰還の報告に…と隊長室に入って用件を短く伝えれば、帰ってきたら返事は軽い肯定ではなく疑問を僅かに含んだ指摘だった。
緩んでいる、と言われてこれはいけない…と片頬の口角を押さえるように手のひらでグッと押し込んだ。
「…気付きませんでした…」
「いつ何があるかわかんねぇんだ、気ぃ引き締めとけ」
隊長のその言葉に、はい。と残してから部屋を後にした。廊下を進んで自室に戻る。
今日の業務は既に終わっている故、現状何もすることがない。
洗面台の鏡の正面に立つ、鏡の中の自分が存外にも緩んだ顔をしていた。これは指摘されて当然だ…と苦笑すれば同じように苦笑した顔が鏡に映る。
時間にして数時間もないと言うのに自分は四季君に絆されていたのかもしれない。
「ごめんなさい!遅くなった花魁坂さん」
「お帰り〜」
カフェのすぐ側で待っていた花魁坂さんは俺に気付けばヒラヒラと手を振った。
「ほんとごめんなさい、置いていっちゃったし…」
「大丈夫!大丈夫!」
「俺だっけ今日は遅れてきて四季ちゃん待たせたし!」
「パンケーキも…だし…」
律儀に一つ一つを覚えていて、女子高校生なんだからもうちょっと大人を頼ってもバチは当たらないでしょ…そう思いつつも口に出すことはしなかった。
どうせ出したところでこの少女には意味がないものだからだ、ならば一層のこと贖罪…(といっても彼女が受けるべき理由も指して見つかりはしないけれども)を提示した方が彼女も気が楽だろう…
「ん〜、じゃあ俺の呼び方変えてみてよ!」
「ほら、俺だけ四季ちゃんって呼んでるじゃん?それだとあんがい距離あるっしょ?」
悪戯が成功した子供のようにニヤッとした顔で提案してきた、言い出したのは四季なのだから今更否定はできない。
目を見開いて、そんなんで良いのかと言いたげに見つめてくる視線を見ながら小さく花魁坂はうなづいた。
「きょ、京夜さん?」
「はーい、京夜さんですよ〜」
少し恥じらいながらもお礼と言っては軽いソレを口に出せば、満足そうな顔でニコニコと笑った。
「は、っずい…」
「お…京夜さん…これっていつまで…」
1時間か、今日中か…長くても一週間程度だろう。会うことも多くはないのだから大丈夫だ…そう思っていた四季の淡い期待は花魁坂も一言で打ち消された。
「ん?ずっと!!」
元気よく言い切った花魁坂は楽しそうに笑っていた。
けれども細められた目の奥には悲壮が写っている。
その『ずっと』には深く淡い意味があるのだろう、例えば花魁坂の心の臓が動く事をやめてしまった時四季が忘れる事がないように。
例えば四季が呼ぶ事が出来なくなろうとも花魁坂が思い出せるように。
四季が思うよりも大人はずっと賢くて、別れも出会いも知っている。だからこそ再会を喜び、悔いも残さず生きようとしてる。
なら、花魁坂が少しでも戻ろうと思える為ならば少しの恥ぐらい受け入れよう。
「…良いぜ、京夜さん」
ニヤリと首を傾げ挑発するかのように四季は花魁坂を上目遣いで見た。
「ダノッチ〜いる〜?」
羅刹の職員室に間延びした花魁坂の声が響くとともにドアが開いた。いや、ドアが開いた方が先か…まぁどちらにせよ花魁坂は無蛇野に会いにきた。
要件は…鬼神の彼女のことについて。
「ダノッチ、やっぱり俺が言った子が鬼神だと思うよ」
「…そうか」
何を言うでもなくそこら辺にあった椅子を勝手に借用し背もたれの上で腕を組みながら離す。
「数年前の商店街の件の子じゃない?」
「…あれか」
無蛇野の記憶にとって決して古くない過去の記憶をふと思い出す。
コメント
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このお深いお話最高ですね👍️ なんか、えと、内容がしっかりと伝わッてくる的な?なんか最高!✨️
_:( _ ́ཫ`):b