スマホをぼーっと見る。再生した動画が終わりを迎え、次の動画が自動で流れ始めた。興味もないのに動画内で声を張り上げる男が、酷く滑稽に映った。
東本達の通う坂ノ束大学は数週間前に期末試験を終え、長い長い夏休みに入った。どれだけ試験の手応えがよかろうが悪かろうが、等しく楽園に連れて行ってくれる天下の夏休み。
そして、そんな最高の夏休みを迎えた東本は、――――恐ろしく暇人となっていた。
別に、いつも暇人というわけではない。夏休みに入ってもバイトはあるし、課題も出された。こなさなければならないものは沢山あるし、シフトがギッチリの時は忙殺もされる。
しかし今日は久しぶりのオールフリー。
バイト先の飲食店の定休日であり、課題も計画性を持って進めているつもりだ。今日、東本を縛るものは何もない。
というわけで、久し振りに友達と遊びに行こうと予定を立てていたのだが――――。
『夏風邪ひいた。喉やべえ。今日はパスで』
『親が実家の手伝いしろってうるさくて無理んなった!』
『カノジョとデートすることになったから今日行けねー。すまん』
東本のスマホの通知にはこれらの無慈悲な文面が並んでいた。夏風邪はお大事にと思うし、親の手伝いは大変だなとも思うが、最後の奴は後でぶちのめそうと心に誓った。現在恋人を持っていない東本の悲しい僻みである。
これらのことがあり、東本は急遽、何もすることがなくなってしまったのであった。
今は何もするよりかは、とスマホで動画を見ているが、そろそろ飽きてきたし、どうでもいいことばかりで興味も薄れてきた。
つまり、東本は現在とても退屈であった。
紅上は七井奏楽を殺したあの日から、試験勉強をしつつ獣医学部の江田巴瑞季の殺害にも成功したらしい。警察の目もあり、高頻度でやるとバレる可能性が高いから、と試験終了後はのんびりしていると聞いた。ちなみにこれは漣斗さん情報である。
そんな風にくつろいでいると聞くと、なんだか紅上の家に押し掛けるのも気が引けた。そもそも、忙しい試験期間にまで殺人を行わせてしまったのだ。忙しさは倍だっただろうし、今くらいはゆっくり休ませてやりたい。
ただ、やはり暇なものは暇なので、適度に休ませたら突撃する予定ではある。
「……あ゛ー……」
段々目が疲れてきたため、東本は今見ていた動画を止めてスマホの電源を閉じた。
コーヒーでも飲むか、と立ち上がり、台所に向かう。紅上の家のキッチンと比べて狭苦しく、ちょっと汚い。築云十年のアパートなので、紅上の家と比べるのもおこがましいくらいではあるが、あのピカピカのかっこいいキッチンを見てしまうとどうにも格の違いを考えてしまう。
実家から貰った古い笛吹やかんに水を入れ、コンロで火にかける。そういえば、紅上の家はIHヒーターだったな、と要らないことを思い出した。比べるのはよくないと頭で分かっていても無意識に考えてしまう。悪い癖がついた、と東本は苦笑した。
その時。
――――――ピンポーン
間延びした機械音が響いた。誰かがチャイムを鳴らしたのだ。
誰だろうか、と東本は考える。家賃は特に滞納もしていないし、何なら振り込みはあと二週間後だ。大家さんの可能性は消えた。通販を頼んだ記憶もない。実家からの仕送りはここ半年一回も来ていないし、期待するなと言われている。
まさか警察だろうか、と嫌な考えに陥った。
捜査によって東本達が殺人犯だとバレてしまった? 東本が大島佐喜子を殺したとき、碌な証拠隠滅もせずに帰って来てしまったのが仇となった可能性がある。そもそも短期間で死人を出し過ぎたのがまずったのだ。
いきなり逮捕、という可能性もなくはないが、家宅捜索の方でも面倒である。なんなら訊き込みで変なことを言ってしまうことだってあるだろう。かなりまずい。東本の背中に冷や汗が伝った。
そろりと音を立てずに玄関へ向かう。最悪居留守を使おうと東本は思った。
そして、扉についた小さなドアスコープを覗いた、その先には――――。
「え、紅上!?」
不機嫌そうに紅上が立っていた。しかも、その隣にはいつも通りニコニコ顔の漣斗さんもいる。
とりあえず警察ではないことに安堵しつつ、がちゃりと扉を開けた。「遅え」とふてぶてしく放つ紅上に東本は多少の苛つきを覚えた。
「何でここに……つか俺、家教えたっけ!?」
「調べた」
「あ、その手があったか」
三ヶ月で元カノ十二人の身元や個人情報を調べ上げた前科のある紅上なら、まあ東本の家を特定してもおかしくない。なんなら実家まで知られていそうだ。
「あはは、急に押しかけてごめんねえ。漣が暇だって言うから、来ちゃった」
はいこれ、と手に持っていた袋を差し出しながら、漣斗さんが言った。紅上の要望で来た、というあたりがいかにも漣斗さんらしい。
差し出された袋を受け取る。中を覗き込むと、厚紙で作られた白い箱が入っていて、少しひんやりしていた。
「……これは?」
「ばあやがつくったシフォンケーキだ」
「えっ、ばあやって、あのばあやさん!?」
「おう」
「食べたいって言ってたから、作ってもらったんだよねえ」
ばあやさんとは、この前話した紅上家の使用人でお菓子作りのプロの人だ。「ばあやの作った大学芋が一番うまい」などと舌の肥えまくった紅上が言っていたので東本は密かに楽しみにしていた。まさかこんな形で貰えるとは思わなかったが。
「うわー、ガチか。ありがとうございます!」
そういった時、今まで火にかけていたやかんが笛を吹いた。お湯が沸いたのだ。
「あっ、やべっ! ちょっと待ってな! 上がっていいから!」
大急ぎでキッチンへ逆戻りし、慌ててコンロの火を止める。紅上と漣斗さんがこちらへ歩いてきた。
「狭いな」
「うるせ、お前んちと一緒にすんな!」
「来た時も思ったけど、ここ結構古いね」
漣斗さんも紅上に負けず劣らずぐさりと刺さる言葉を言う。兄弟はこうも似るのかと泣きたくなった。二人いればダメージは二倍だ。
「えーと、二人ともコーヒー飲みます?」
「飲む」
「俺も貰おうかな。お願いしていい?」
「アイスとホットどっちがいいすか?」
「漣はアイスだよね」
「おう」
「俺もアイスで」
「わかりました」
「あ、俺のは牛乳入れろ」
「入れてくださいお願いします、だろーが」
「あん?」
あまりのふてぶてしさにブチギレつつ、コップを三つ出してコーヒーを入れる。氷を入れて、紅上のには牛乳を足した。
我が家には残念ながら椅子がないので、座布団を出して座りつつ食事をとることになる。二人の為に追加で座布団を出すと、紅上も漣斗さんも正座をした。こういうとこで育ちの良さが出るな、とちょっと思った。ちなみに俺はいつも胡坐をかいている。
コーヒーを差し出せば、紅上は更に「ガムシロあるか?」と訊いてきた。
「ガムシロ? あるけど」
ほい、とガムシロップの入った袋ごと渡せば、紅上は三つも取り出し容赦なくコーヒーに入れた。
「……お前、ブラック飲めないタイプ?」
「黙れ」
脛を蹴られた。
まあ、何はともあれ、シフォンケーキだ。
箱を開けると、少し小さめだがホールのシフォンケーキと生クリームの入った容器が入っていた。
「これ、本当に手作りっすか」
「うん」
「当たり前だろ」
包丁で切り分ければ、それだけで柔らかさが伝わってくる。六等分にし、小皿に装って配った。
「いただきます!」
「いただきます」
「いただきまあす」
フォークで切り分け、口に含めば優しい甘さと軽いスポンジのふわふわ触感が口を満たした。生クリームを付ければ更に甘みが増し、正しく完成形である。
「うまっ、え、うま」
「だから言ったろ」
「いやお前から聞いたのは大学芋の話だけだわ。本当にお菓子作りのプロなんすね」
「幸せの味だよねえ」
「めっちゃ美味い」
あっという間に一切れを完食してしまい、二切れ目もぺろりと腹に収まってしまった。生クリームは途中で紅上と争奪戦になり、二切れ目の途中からは生クリームがなくなった。大切な生クリームを全て奪い取った暴君紅上である。
「はー、美味かった」
「もうなくなっちゃったね」
「もうちょっとでけえの作ってもらえばよかったな」
「次からはそうしてもらおっか」
ナチュラルに次の話をしている。まさかまた押しかける気か。
と、いきなり紅上が「お前これから暇か?」と訊いてきた。
「は? 暇だけど」
「なら丁度いいな。家に来い。次の奴の話をする」
「はー? 何で紅上の家? ここじゃダメなのかよ」
折角我が家に集合しているのにわざわざ場所を移す必要があるのか、東本は疑問に思った。
「こんなオンボロアパートじゃ、防音性なんてあってねえようなもんだろ」
「いやあるわ、ちょっとはあるわ」
「俺の家の方が聞かれる危険性が少ないからな。行くぞ」
「えー……」
急いで皿とコップを洗い、紅上と漣斗さんに引っ張られる形で家を出た。去り際にちらりと我が家を見た。確かにオンボロだった。
*
そんなこんなで、紅上の家である。
どっかりと柔らかいソファに座りながら、紅上はリストをめくっていた。
「んで、次は誰を殺すんだよ」
「ちょっと待て……、こいつだ」
リストの開かれたページを見せられる。そこに書かれている名前は――――。
「渡辺美優紀……」
確か、美術学部の所属だ。着こなす服がいつもおしゃれでメイクも凝っていたが、美優紀は創作物に対する興味しかなくて、関係は長続きしなかった。
「ああ。美術系だったら確か作品制作の課題が出されていたし、基本は家にいるはずだからな。場所の特定が楽だ」
「へー。…………ん?」
基本は家にいるはずだからな……ってことは。
「お前まさか、家に入る気か!?」
「? そうだが」
「嘘だろ!? 不法侵入するってこと!?」
「おう」
「はあー!?」
「うるせえな。別に不法侵入位どうってことねえだろ」
「殺人で全てが振り切れてる……」
まあ確かに、殺人より重い罪なんてそうそうないしな、と無理矢理納得することにした。
「てか、どうやって入るんだよ? 窓割るとか?」
「それだとバレるリスク高えだろ」
「えー、でも鍵開いてる可能性なんて少ないだろ? どうすんの?」
そう訊けば紅上は、簡単だ、と自信満々に発言した。
「ピッキングする」
……ピッキング?
「……??? え、……え? え、お前できるの!?」
「できないが」
「なんだよ!!」
ではどうするのだろうか。紅上はピッキングすると言ったが、できないのでは意味がない。業者に頼むとか? それでは足がつく。そもそも正規の業者に頼んでも怪しまれるのがオチではなかろうか。
うんうんと悩む東本を見かねてか、漣斗さんが声をかけてきた。
「あは、大丈夫だよ東本くん」
「え?」
「漣はピッキング出来なくても、俺が出来るから」
「………………え???」
東本は思わず間抜け面を晒した。
漣斗さんを凝視する。いつも通りの柔らかい微笑みを浮かべた彼は、今何と言った?
「ピッキングってヘアピン二個あれば意外と簡単に出来るんだよねえ。コツさえ掴めれば簡単だよ」
「漣斗は昔家中の鍵をヘアピン二個で開け放ったからな。ピッキングはお手の物だ」
「いやあ、あの頃は結構悪ガキだったからさ」
「ええ……」
東本は、帰ったら家のドアに内鍵を追加しようと思った。
*
東本と作戦会議をして二日後、紅上は自身の兄である漣斗を連れて、渡辺美優紀の住むアパートに来ていた。
渡辺の住むアパートは東本のアパートに負けず劣らず古い。調べたところ、渡辺以外に入居者はゼロだ。そんなことあるか? と紅上一度自分の目を疑った。
窓のカーテンは閉め切られていて、中の様子は伺えない。紅上は少し考えて、渡辺の部屋の前に立った。
外からのドアスコープでも、意外と中の状態は分かる。それこそ明るければ家にいるし、暗ければ居ないと同じだ。
ずい、と顔を近づけてドアスコープを覗けば、かなり暗かった。カーテンが閉め切られているので照明がついていないこともわかる。どうやら外出中のようだ。
「家出てるな。中で待ち伏せする」
「分かった。開けちゃうね」
「おう」
漣斗は事前に用意していた二本のヘアピンを鍵穴に差し込んだ。カチャカチャ、と金属音が響き、ものの三十秒で解錠してしまった。
「速いな」
「実家に比べたら楽勝だったよ」
指紋が付かないよう手袋をしてドアを開け、砂を落としてから土足で踏み入った。漣斗には外で待つように伝えた。人数は少ないほうがリスクも少ない。侵入したことがばれないように鍵をかけ直した。
洗面所は帰宅してからすぐに来る場所だろう。うがい用のコップがあったので、その縁に持ってきたトリカブトの毒を塗っておいた。その後、バレにくく洗面所と繋がっている風呂場に潜み、息を潜めた。
暫くして、ドアの解錠音が聞こえてきた。予想通り渡辺は、荷物を置いた後すぐに洗面所へやってきた。コップに口を付ければすぐさま発動する即死トラップなので、紅上は待つだけでいい。どさりと倒れる音が聞こえて、それ以降何も聞こえなくなった。
警戒しながらドアを開ければ、倒れ伏した渡辺美優紀がいた。脈無し、呼吸無し。――――死んでいる。
紅上は上機嫌で外で待つ漣斗に連絡した。
『成功したぞ』
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