テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
猫さん
2
赤色灯が点滅する地下で。
俺はしゆらを抱き寄せたまま、静かに武装兵達を見る。
その目から、
もう迷いは消えていた。
「……予紬研究員」
武装兵の一人が、警戒するように後退る。
「あなたも対象に含まれます。
抵抗した場合——」
「最初から処分するつもりだったんだろ」
自分でも驚くほど、声は冷静だった。
武装兵達が僅かにざわつく。
地下の奥では、まだ悲鳴が続いている。
炎の匂い。
血の匂い。
焼けた毛皮の臭い。
全部が混ざって、地下を地獄みたいに染めていた。
「……実験薬投与による暴走確認済み」
俺は床へ転がった食器を見る。
白いシチュー。
その残骸。
「証拠隠滅も兼ねて地下ごと焼却か」
「黙れ!」
一人が怒鳴る。
だが声が震えていた。
図星なんだろう。
その時。
腕の中のしゆらが、小さく苦しそうに息を漏らす。
「……っ、ぁ……」
熱がさらに上がっている。
暴走剤が深く回り始めていた。
それでも。
しゆらは他の半魔みたいに暴れない。
代わりに、壊れそうなほど俺へしがみついている。
「予紬、さん……」
「喋るな」
「……みんな……」
しゆらの瞳が揺れる。
地下の奥。
燃える通路の向こうを見ていた。
まだ取り残されている奴らがいる。
その視線だけで、何を考えているかわかった。
「……行く気か」
しゆらは小さく頷く。
苦しそうなのに、
それでも。
「置いてけない、です……」
その瞬間。
胸の奥で、
最後の何かが完全に切れた。
「……そうか」
俺は静かにしゆらを抱き直す。
武装兵達が一斉に身構えた。
「撃つな!!」
「近づけるな!」
銃口が向く。
赤い照準。
だが。
「どけ」
低く呟いた瞬間。
地下の照明が一斉に砕け散った。
轟音。
暗闇。
悲鳴。
魔力制御装置が暴走したんだ。
俺がやった。
研究室中の魔力回路を逆流させた。
火花が地下を走る。
武装兵達が混乱する中、俺はしゆらを抱えたまま走り出す。
「予紬さん……!」
「喋るな。舌噛むぞ」
地下通路を駆け抜ける。
炎。
煙。
倒れた檻。
暴走した魔獣。
その中を、
俺達だけが逆走していた。
「たす、けて……!」
奥から声がする。
半魔の子供だった。
崩れた檻の隙間で震えている。
その前には、
焼夷銃を構えた武装兵。
「危険個体確認——」
最後まで言わせなかった。
俺は床へ落ちていた拘束杭を拾い、そのまま投げる。
鈍い音。
武装兵が崩れ落ちる。
子供が震えながらこちらを見る。
「よ、よつむ……」
「走れるか」
子供は必死に頷いた。
しゆらがその子の手を掴む。
熱に浮かされているはずなのに、その手は優しかった。
「……だいじょうぶ、です」
しゆら自身は全然大丈夫じゃない声だった。
地下の奥で、また爆音が響く。
天井が崩れ始める。
もう時間がない。
それでも。
俺は初めて思っていた。
——もう、人間側へ戻る必要はない。
その考えに、
不思議なほど迷いはなかった。
地下の奥で、また爆音が響く。
天井が軋み、崩れた配管から火花が降り注ぐ。
熱風が通路を吹き抜けた。
「走れ」
半魔の子供の背を押す。
子供は涙目のまま頷き、しゆらへしがみつくように走った。
しゆらの呼吸はまだ荒い。
暴走剤の熱が抜けていない。
それでも彼女は、震える子供の手を離さなかった。
「……右、です」
「わかるのか」
「ルカ達、あっち……」
掠れた声だった。
だが迷いはない。
半魔同士の感覚なのか、
地下に流れる気配を辿っているみたいだった。
その時。
──ギャァァァッ!!
通路の先で、巨大な咆哮が響く。
崩れた檻の向こうから、暴走した大型魔獣が現れた。
瞳孔は開ききり、
口から泡を垂らしている。
完全に理性が飛んでいた。
子供が悲鳴を上げる。
だが。
「……待って」
しゆらが小さく呟く。
その瞬間。
魔獣の動きが、ぴたりと止まった。
低い唸り声。
赤く濁った瞳が、しゆらを見る。
しゆらは苦しそうに呼吸をしながら、一歩だけ前へ出た。
「……痛い、ですよね」
静かな声だった。
まるで怯えた子供へ話しかけるみたいに。
魔獣の喉が、小さく震える。
「もう少しだけ、我慢してください」
暴走した魔獣が、
理解しているはずない。
なのに。
巨大な身体が、ゆっくり床へ伏せられていく。
周囲が静まり返る。
子供ですら息を止めていた。
「……ほんと、お前は」
俺が呟くと、しゆらは少しだけ笑う。
「予紬さんほどじゃ、ないです」
その笑顔は弱々しかった。
もう限界が近い。
額には汗が滲み、
脚も少しふらついている。
俺は舌打ちし、しゆらを抱き上げた。
「ひゃっ……」
「無理するな」
「でも、歩けます……」
「歩けてない」
しゆらは反論しようとして、
結局小さく口を閉じた。
その代わり。
苦しそうなまま、そっと俺の服を握る。
「……予紬さん」
「なんだ」
「怒ってますか」
唐突だった。
俺は少しだけ目を細める。
「誰に」
「……人間に」
地下の奥で、また銃声が響く。
悲鳴。
炎。
その中で。
俺は不思議なくらい冷静だった。
「……まだわからん」
それが本音だった。
怒りというより。
何かが、静かに壊れていく感覚の方が近い。
「でも」
崩れた地下通路を見つめながら、続ける。
「……もう、信用はしない」
その言葉に。
しゆらの指先が、少しだけ震えた。
まるで。
ずっと聞きたくなかった言葉を、
とうとう聞いてしまったみたいに。
地下通路を走る。
崩落音はどんどん近づいていた。
天井から火花が落ち、
警報音が耳障りに響き続けている。
「よつむーっ!!」
前方から、泣きそうな声が飛んできた。
ルカだった。
半魔の子供達を連れ、第三通路の前でこちらを待っていたらしい。
「よかった……っ!」
ルカは駆け寄りかけて、俺の腕の中のしゆらを見た瞬間、顔を強張らせた。
「しゆら!?」
「……だいじょうぶ、です」
全然大丈夫そうじゃない声だった。
ルカの耳が不安そうに伏せられる。
「熱いの?」
「少しだけ」
「少しじゃないだろ」
俺がそう言うと、しゆらは困ったみたいに小さく笑った。
その笑顔すら、どこか無理をしている。
「出口までどれくらいだ」
「もう少し!
でも上、いっぱい人間いる!」
ルカが怯えたように尻尾を丸める。
「銃いっぱい持ってる……」
予想通りだった。
最初から地下を逃がす気なんてない。
「……予紬さん」
しゆらが小さく服を引く。
「私、降ります」
「却下」
即答だった。
「でも——」
「今のお前、まともに歩けないだろ」
「歩けます」
「さっき抱えた瞬間ふらついてた」
しゆらがぴたりと黙る。
図星だったらしい。
ルカが「うわ……」みたいな顔で二人を見ていた。
「……予紬さん」
しゆらが小さく俯く。
耳が少し赤い。
こんな状況で何を照れてるんだ。
「なんだ」
「……よく見てるんですね」
「は?」
「その……私のこと」
今度はこっちが黙る番だった。
ルカがめちゃくちゃニヤニヤしている。
「えっ、なにそれ」
「ルカ黙れ」
「でも今の——」
「黙れ」
しゆらは恥ずかしそうに顔を伏せたまま、俺の白衣をぎゅっと握る。
熱に浮かされているせいだけじゃない。
たぶん今、
別の意味でも顔が熱くなっている。
「……だって」
小さな声が落ちる。
「予紬さん、いつも研究ばっかり見てると思ってたので……」
「お前は研究対象じゃない」
思ったより強い声が出た。
しゆらが目を見開く。
地下の警報音だけが響く中、
俺はそのまま続けた。
「最初から違う」
それだけだった。
それ以上うまく言葉にできない。
だが。
しゆらの顔は、一気に真っ赤になっていた。
「ぁ……」
完全に固まっている。
ルカがとうとう吹き出した。
「しゆら真っ赤!」
「る、ルカっ……!」
「うわ絶対今ドキドキしてる!」
「ち、違っ……!」
「してる!」
「してません!」
全然説得力がなかった。
俺は小さく息を吐く。
こんな状況なのに、
地下に少しだけいつもの空気が戻る。
その時だった。
──ドォンッ!!
第三通路の隔壁が、大きく揺れた。
コメント
1件
おお……第8話、めっちゃ熱かった! しゆらを抱きしめて「どけ」で照明ぶっ壊す予紬さん、かっこよすぎて震えたわ。しゆらが暴走剤で苦しみながらも他の半魔を助けようとする姿と、それを支えながら「人間側には戻らない」って決意した場面、グッときた。最後のルカの茶々もギャップで好き。次どうなるんだろう、続き気になる!🔥