「お嬢様方が⋯⋯
ただの幼子だった頃の話です」
青龍の声は
どこか遠くを思い出すように
静かだった。
「とと、綺麗にできましたわ!」
春の日
エリスが花冠を握って
嬉しそうに笑った。
「ととにあげます!」
と、差し出したその花冠は
エリスの蒼い炎に焼かれ
半分が霜になっていた。
「⋯⋯ありがとう。綺麗ですね」
青龍がその花冠を被ると
エリスはほっとしたように笑った。
⸻
「とと、氷の城です!」
冬の寒空の下
ルナリアが得意気に氷の壁を見せた。
青龍がそっと触れると
指が凍りつき
皮膚がひび割れてしまう。
「⋯⋯立派ですね」
青龍がそう言うと
ルナリアは嬉しそうに笑った。
⸻
そして、忘れもしない。
あれはー⋯
私がお嬢様方を
時也様とアリア様の元から連れ去って
早200年が経った頃のことでございます。
ルナリア様とエリス様は
ご両親のように
お二人とも美しく
お育ちになりました。
しかし⋯⋯
それも不死鳥の
呪いのひとつなのでしょう。
お嬢様達のお姿は
幼い少女のまま⋯。
それ以上
お育ちになる事はありませんでした。
ですが
不死鳥に与えられた異能も
ある程度ではありますが
制御が可能となり
時也様と同じく
陰陽師としての道を歩まれる
決意をされる程に
成長なさいました。
——まさに、誇らしいお二人。
それまで
ずっと私のもとで
力の制御に励まれ
まだ多少不安定ではあるものの
せめて一目だけでもと⋯⋯。
私は意を決して
アリア様のもとへと
お二人をお連れしたのです。
あの方の
哀しみを少しでも
和らげられるのではないか⋯⋯
お二人の成長した姿を見せれば
再び共に生きる道が
見出せるのではないか。
そう考えてのことでございました。
時也様の墓標となった桜が
遠くから見てもわかる程
美しい満開の花を咲かせた
夜でございました。
ですが——
アリア様がいらしたはずの屋敷は
跡形もなく消え失せておりました。
時也様の亡き後
アリア様は
ご自身を結晶に
封印なされていたのです。
残されたのは
そのお身体を封じた
紅い涙の結晶だけでございました。
時也様を喪われ
我が子を奪われた
アリア様の哀しみは⋯⋯
計り知れないものであったと
あのとき、痛感いたしました。
時也様が亡くなり
アリアが結晶に身を封じられた今
私はたった独り
お嬢様方をお護りすると決意しました。
⸻
「とと⋯⋯お母様は?」
あの日
アリアの結晶の前
怯えた声で
ルナリアが震えながら聞いてきた。
エリスも泣きながら
青龍の袖にしがみついていた。
「御母堂様は⋯⋯眠っておられます」
そう伝えた瞬間
二人は
すべてを察したのか
声を上げて泣き続けた。
両親共に喪った⋯⋯。
双子の心はどれだけ
抉られた事だろう。
青龍は
そんな二人を
ただ黙って抱きしめる事しか
できなかった。
「⋯⋯貴女たちは
生きねばなりません」
その言葉に込めた想いは
誰よりも自分に向けたものだった。
⸻
それからの日々は
嵐のようだった。
安定し始めていたと思っていた
ルナリアとエリスの力は
アリアの姿に心乱され
日に日に再び不安定になっていった。
怒りや悲しみ
怖れの感情が昂るたび
氷の嵐が吹き荒れ
蒼い炎が暴れた。
「ととっ⋯⋯!!」
「助けて⋯とと⋯⋯っ!」
何度も、何度も
青龍は双子を抱きかかえ
その力に焼かれ
凍らされながら耐え抜く。
呼吸すら凍りつく冷気に身を刻まれ
皮膚が裂け
爛れた体がさらに崩れ落ちていった。
だが
青龍は決して
双子を見放さなかった。
「とと⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」
「ごめんなさいっ⋯⋯」
力の暴走が収まるたび
二人は泣いて謝った。
その涙に
青龍はただ
首を横に振る。
「謝ることではありません。
貴女たちは、ただ⋯⋯
幸せになる為に、生きてください」
二人は
青龍の袖を握りしめながら
眠るのが常だった。
エリスが右に、ルナリアが左に。
いつも
夜は三人で身を寄せ合って眠った。
ある日
夜中にふと目を覚ますと
青龍の身体に二つの温もりが
重なっている事に気付く。
エリスが
寝ぼけた顔のまま
青龍の腕にしがみつき
ルナリアが
胸元に顔を埋めていた。
「⋯⋯⋯」
青龍は、そっと二人の髪を撫でた。
その感触は
時也とアリアに
抱かれていた頃の彼女たちと
何一つ変わらない。
ー双子のためなら
何度でも耐え抜いてみせるー
そう誓った200年だった。
⸻
「ととぉ〜っ⋯!
あぁ、青龍が居てくれて
良かったわね⋯⋯双子ちゃんっ!」
レイチェルの声は涙に滲み
鼻声で掠れていた。
堪えきれずにしゃくり上げると
目尻に溜まった涙が一筋
ぽたりと膝の上に落ちた。
「うっ⋯⋯ぐすっ」
たまらず、手で顔を覆う。
けれど
堪えきれない涙は
指の隙間から溢れ続け
レイチェルはついに
大きく息を吸い込み
ハンカチを取り出して
勢いよく鼻をかんだ。
「ぷひぃっ⋯⋯ぶふっ⋯⋯!」
勢いが強すぎて、妙な音が響く。
「おいおい⋯⋯」
ソーレンが
苦笑混じりに声を漏らしたが
レイチェルはお構いなしに
さらに涙声で叫んだ。
「だってぇ⋯⋯!
青龍、すっごく苦しかったのに⋯⋯
双子ちゃん達のために
ずっと頑張って⋯⋯!
その子たちが『とと』って⋯っ!
もう⋯もう!
最高に良い話じゃないのっ!」
声が震えて言葉にならない。
「ほんとな⋯⋯」
ソーレンの低く落ち着いた声が
妙に穏やかだった。
その目には
涙こそ浮かんでいなかったが
どこか遠くを見るような
優しい光が宿っていた。
「お前は、すげぇ奴だよ⋯⋯」
ぽつりとそう言うと
青龍は目を丸くして
ソーレンを見つめた。
「⋯⋯貴様に称賛されるとは
思わなかったな」
青龍は
照れ隠しのように目を逸らしたが
その声はいつもの厳格さよりも
柔らかかった。
レイチェルは
青龍の語った
その言葉一つ一つに
目を伏せる。
時也の死後——
それからの青龍の孤独な200年を
想像するだけで
胸が締めつけられた。
「⋯⋯⋯」
ようやく落ち着いた涙の余韻が
再び胸の奥からせり上がってくる。
青龍の話した200年——。
それは
たった数分の語りだったが
そこに秘められた思いの深さは
計り知れなかった。
——200年。
考えただけで気が遠くなる。
喫茶「桜」で働くようになり
時也やアリア、青龍の過去を
断片的に聞いてはいたが
青龍にも
これほどの苦難があったとは
思っていなかった。
「⋯⋯200年も⋯⋯」
レイチェルは、震える声で呟いた。
青龍は
その言葉に僅かに目を細める。
「ですが⋯⋯」
青龍の視線が
膝の上で絡ませた
小さな掌を見つめる。
「⋯⋯私が
真に『とと』と呼ばれる
資格があるのかは
⋯⋯未だに分かりません」
「はぁ?なに言ってんのよ!」
涙声のまま
レイチェルが勢いよく立ち上がった。
「青龍はねっ!
双子ちゃん達の為に命を懸けて
育ててれたんでしょう?
誰が何と言おうと
立派な『とと』じゃないの!」
「⋯⋯しかし⋯⋯」
青龍が言葉を濁す。
「⋯⋯私は、あのお二人を⋯⋯
時也様とアリア様から⋯⋯
引き裂いてしまったのです⋯⋯」
その声は
どこまでも苦しげだった。
まるで胸の奥に
鉛のように沈んだ後悔が
今も彼の心を
押し潰しているように——。
「もし⋯⋯
もっと良い方法があったのなら⋯⋯」
青龍の小さな手が
震えるように膝の上で強く握られた。
「⋯⋯お嬢様達が
御両親から引き裂かれる事は⋯⋯
無かったのかもしれません」
「⋯⋯青龍」
レイチェルは静かに腰を下ろし
青龍の隣にそっと寄り添った。
「でも、双子ちゃんは
青龍がいてくれたから⋯⋯
こうして元気に育ったのよ」
「⋯⋯⋯⋯」
青龍は、何も言わなかった。
「青龍がどんなに自分を責めても
双子ちゃん達は
絶対にそうは思わないよ」
青龍の肩に、そっと手が添えられる。
「だって⋯⋯『とと』って
呼んだんでしょう?」
「⋯⋯そうですね⋯⋯」
小さく目を閉じ
青龍はぽつりと呟いた。
その声には
ほんの僅かだが
穏やかさが戻っていた。
「時也様が⋯⋯ご無事であったならば
もっと良かったのですが⋯⋯」
「うん⋯⋯でもね⋯⋯」
レイチェルは微笑んだ。
「きっと時也さんも、喜んでるよ」
「⋯⋯⋯」
「双子ちゃんが
青龍のことを信じてくれてること
きっと一番安心してるはず」
「⋯⋯時也様が⋯⋯」
青龍の声が、僅かに震えた。
「⋯⋯そうでしょうか」
「そうだよ!」
レイチェルは
にっこりと笑った。
「時也さん
青龍のこと、大好きじゃない。
そんな事は青龍が一番
解ってる事でしょ?」
「⋯⋯ふふ⋯⋯」
青龍の口元が、わずかに緩んだ。
「⋯⋯確かに⋯⋯
時也様は⋯⋯そういうお方でしたね」
その声は
どこか遠くを懐かしむように
優しかった。
「はは!
胸を張ってていーんじゃねぇの?」
ソーレンが立ち上がり
腕を組んで見下ろした。
「双子は
時也の子であり
お前の子でいーんだよ。
『とと』で当然なんだって」
「⋯⋯⋯」
青龍は、静かに目を閉じた。
「⋯⋯ありがとうございます」
それは
どこか晴れやかに響いた。
「青龍!もっと話してっ!」
レイチェルの声が弾んだ。
目尻にまだ涙の名残を残したまま
彼女は青龍に詰め寄るように
顔を近づける。
「 不死鳥をぶん殴る為にも
能力を持ってる人に
擬態できた方が良いし⋯⋯
聞いておけば
心構えもできるしねっ!」
レイチェルが空に向かって
拳を何度も突き出してみせる。
「時也の記憶見て
この間ベソかいてたとは
思えねぇな?」
「予備知識無しは
本当に心に悪いってことが
わかったからね⋯⋯」
「左様でございますか⋯⋯ならば」
青龍は
静かに目を伏せると
再び遠くを見るように目を細めた。
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