それから私は
時也様が逝去され
力の供給が絶たれたことで
この姿で在るための力も失い
包帯で爛れた肉を
無理に繋ぎ止めるようにして
どうにか生き延びておりました。
人目を避け
醜く変わり果てた身体を隠しながら
ただお嬢様方をお守りすることだけが
生きる意味となっていたのです。
お嬢様達がお巣立ちになった事で
心のどこかでは
私もすでに限界を感じておりました。
アリア様が封じられた結晶を
時也様の墓標となった桜の傍に置き
私もそこで
最期を迎えるつもりでございました。
あの桜は
アリア様の不死の血が染み込み
四季を問わず美しく咲き続ける
特別な木となっておりました。
その桜の根元に
朽ちた身体を横たえ
私はそっと目を閉じました。
桜の花びらが舞い落ち
時也様とアリア様のお傍にいるような
そんな感覚を覚えながら
〝これが最期でもよい〟と
そう思ったのです。
──ですが、その時でした。
桜の幹から
微かに⋯⋯
確かに鼓動が聴こえてきたのです。
──時也様の鼓動が。
最初は、我が耳を疑いました。
けれど
耳を澄ますほどに
その音ははっきりと
聴こえてまいりました。
──どくん⋯⋯どくん⋯⋯と。
力強く
確かに命がそこに宿っていると
そう感じられるほどに。
私はその場で
ただ立ち尽くし
震えながら桜の幹に手を添えました。
その瞬間、確かに感じたのです。
時也様が
あの桜の中で
まだ息づいておられると。
次の瞬間
時也様の力がこの身を巡りました。
温かく
優しいその力に僅かに傷は癒え
私は思わず目を閉じました。
「貴方様は⋯⋯
本当に幼少の頃から
私を驚かせてくださいますね⋯⋯」
思わず、涙が漏れました。
私は
ふとアリア様の結晶に
目を向けました。
もしかすると
時也様の力が届けば──
そう思い
桜の根元に結晶をさらに近づけました。
時也様の命の鼓動が
そのままアリア様に届けば
もしかすると
アリア様も再び
目を覚まされるのではないかと⋯⋯
また櫻塚家の皆様が
揃ってお暮らしになれる未来が
訪れるかもしれない。
ただ、それだけを願い
私はアリア様の結晶に
そっと手を添えました。
そして、ひたすらに祈ったのです。
──どうか
時也様の声が、鼓動が
アリア様に届きますように……
──どうか
あの方の胸に
再び灯火がともりますように⋯⋯
そうして私は
時也様の鼓動が響くその幹に頭を預け
目を閉じました。
お嬢様達が独立され
独り役目を終えようとした
私でしたが⋯⋯
ー櫻塚家の皆様が望む未来を
最後まで見届けるー
と、決めたのです。
⸻
ただ
時也様の鼓動だけが
確かに私を支えてくださいました。
そんな時⋯⋯
とある不届き者が
あの桜の前に現れたのです
青龍の言葉に
自然とソーレンへ視線が集まる。
青龍は静かに目を閉じ
まるでその時の光景を思い出すように
言葉を紡ぎ出した。
「あぁ⋯⋯
そん時の事、よく覚えてるわ」
ソーレンが苦笑いをした。
左様。
その時に現れたのが
他ならぬこの男──
ソーレンでございました。
目つきは鋭く
どこか
他者を寄せ付けぬ険しさを漂わせ
己の私利私欲にしか興味のない
野良犬のような男。
それが
最初に抱いた
この男への印象でございます。
私は
アリア様の存在の情報が
外に漏れぬよう心しておりましたが
私が始末しそびれ
生き残った者がいたのでしょう。
アリア様の
涙から成る宝石に惹かれる
愚者の一人として
目の前に現れたその姿に
私はすぐさま警戒心を抱きました。
しかし
その男はただの愚者では
ございませんでした。
私は
背後から仕留める好機を
うかがいながら
様子を見ておりました。
すると、その男が突然
アリア様の封じられた結晶に向かって
語りかけ始めたのです。
「アリア様⋯⋯
私は、存じ上げております。
貴女様に罪は無いことを⋯⋯。
そして
心よりお慕いしております⋯⋯」
その言葉を耳にしたとき
私は思わず手を止めました。
荒れ果てた風貌の男が
そのような丁寧な言葉で
アリア様に語りかけるとは
──跪くその姿が
転生者であると
断定する切っ掛けでございました。
「ボッコボコにされた後⋯⋯
前世の記憶を取り戻した俺は
お前に聞いたよな。
彼女の為に俺ができる事はあるか?
⋯⋯ってよ」
目の前のソーレンが
にやりと口角を上げながら
言葉を挟んだ。
確かに、あの時
私はその言葉を耳にしました。
そのときの私は
この男を〝何の役にも立たない小童〟
と、見下しておりました。
何しろ
その頃の私の身体は爛れきり
まともに力を使うことすら
難しい状態でした。
いつ崩れるかも分からぬ
もはや風前の灯火のような命でしたので
万が一の際に
せめて見張り番くらいには使えるかと
この男の存在を許したのです。
とはいえ⋯⋯
その後のことは
今でも思い出すだけで
骨が折れる出来事でございました。
幼子のルナリア様
エリス様を育てるよりも
この男に礼儀を叩き込む方が
はるかに困難でございました。
「あ〜⋯。未だに、これだもんね?」
「⋯⋯ちっ!悪かったな」
私は
それはそれは苦労いたしました。
口を開けば荒っぽい言葉ばかり
態度はまるで野良犬のように気まぐれ。
何度ため息をついたか
数え切れません。
それでも
私がこの男を
放り出さずにいられたのは
時也様の鼓動が
桜から響いていたからに
ほかなりません。
桜の幹から伝わるその温かく
確かな命の音は
絶えず私を支えてくださいました。
時也様が──
確かにそこに在ると感じるだけで
私は何度でも
立ち上がることができたのです。
やがて
その鼓動がより強く響いた日のことは
今でもはっきりと覚えております。
その日
時也様の身体が
桜から産まれ直したのです。
私は
まるで幻でも見るような気持ちで
朧げな視界の中
時也様の姿を見つめました。
その手は
痩せ細ったあの頃のものではなく
しかし
まだ息も浅く
覚束ない足取りでございました。
──それでも
間違いなく
時也様がそこに立っておられたのです。
そして⋯⋯
醜く爛れているにもかかわらず
一目で私だと解ってくださった。
「⋯⋯こんな姿になるまで
僕を、待っていてくださったんですか?」
そのお言葉が
どれほど嬉しかったか⋯⋯。
時也様が
あの穏やかな声でそうおっしゃった瞬間
張り詰めていた心が緩み
私は崩れ落ちるように
地に伏してしまいました。
そのとき
私がどれほど⋯⋯
どれほど安堵したか——
今でも鮮明に思い出します。
⸻
「その後
アリアが自分を封印したって知って
結晶に縋り付いて
メソメソしてたっけなぁ?
情けない産声だったよな」
ソーレンが
口の端を上げながら
ペットボトルを傾け
軽く笑い声を漏らした。
「そんな言い方しないのっ!」
それに対し
レイチェルが
呆れた声でため息を吐く。
──このように
相性の悪い時也様と
不肖の弟子をまとめるのもまた
私にとっては
大変、骨の折れる仕事でございました。
「⋯⋯青龍」
レイチェルは
そっと青龍を抱きしめた。
「貴方はね、きっと⋯⋯
この家にとって
かけがえのない存在よ!」
「⋯⋯ふふ。ありがとうございます」
「諦めずに
生きててくれて
ありがとうね!青龍!」
青龍は、珍しく微笑んだ。
その笑顔は
優しい「とと」の顔だった。
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絶望を越え、祈りが紡いだ絆。 時也、アリア、双子、そして青龍── 幾度も離れ、なお重なった家族の奇跡が、 静かに、あたたかく、今ここに在る。