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だが、次の日、地下倉庫に古い台帳を取りに下りたのぞみは、また、人の気配を感じた。
しかし、振り返ってみても、しん、とした地下に人影はない。
気のせいかな。
そう思い、また歩き出したが、今度は、ひたひたと後ろから足音が聞こえ始める。
な、なになになにーっ、とのぞみは足を速めた。
すると、背後の足音もすごい勢いで追いついてくる。
わーっ、と思って、走りながら振り返ると、後ろに祐人が居た。
「どうした、坂下っ」
走りながら、祐人は言ってくる。
いや、あんたがどうしただっ、と思いながら、のぞみは倉庫の入り口を通り過ぎても走っていたが、すぐに壁に追いつめられた。
仕方なく、のぞみは祐人に向き直り言った。
「御堂さんっ、なんで後をつけてくるんですかっ」
すると、祐人は黙り込む。
やがて、
「……すまない」
と二時間サスペンスの犯人のような雰囲気で罪を告白し始めた。
「俺は、こう見えて、なかなか気持ちの切り替えられない男なんだ。
お前のいいところを探そうと酔っているときに思ったのが、暗示になったみたいで。
このところ、お前のいいところばかりが目につくんだ」
いや、貴方、昨日も、私をこのボケがって目で見てましたよね……。
「それに、いい女と居ると、こっちも少しは格好つけなきゃいけない気がして、気が休まらないが。
お前とだと、少々駄目な自分でも許される気がして。
俺が求めていたのは、実はこういう安らぎを与えてくれる女なんじゃないかと思ったり――。
だが、お前は一応、専務のものだ。
気持ちを切り替えるために、日々、お前をいろいろと罵ってみてたんだが」
いやそれ、迷惑ですよ、と思った瞬間、祐人がのぞみの側の壁に手をついた。
地下に響いた音に、思わず、びくりとする。
「……坂下」
祐人はのぞみを間近に見下ろし、言ってきた。
「俺は……やっぱり、なんとなく、お前が好きな気がする」
いや、貴方、どんだけ自分の気持ちに自信がないんですか……と思うのぞみに祐人は言う。
「専務に睨まれても構わない。
お前の心にまだ俺が入る余地があるのなら。
……俺と付き合ってくれ、坂下」
そして、のぞみの手を握り、祐人は言った。
「俺と毒ガスの島に行こう」
いや……そこは、うさぎでお願いします。
バラバラに上がるのも変なので、結局、一緒に台帳を探してもらい、エレベーターで上に上がった。
うう。
気まずいぞ、と思っていると、祐人も前を見つめたまま、
「……気まずいな」
と言い出す。
「それにしても、この俺が女に告白する日が来るとか。
しかも、相手がお前とか。
時間を止めて、やり直したい感じだ」
台帳を全部、持ってくれている祐人は階数ボタンを見つめ、そんなことを言い出した。
だったら、告白しないでください、と思いながら、のぞみは言う。
「じゃあ、あのー、全部なかった感じで」
「そうだな。
いっそ、そうしたい」
と祐人は言った。
「ああ、時間が採用試験の前まで戻ればいいのにな。
そしたら、人事もの源に頼んで、お前が送ってきた履歴書を破り捨てるのに」
そこからか……。
「そういえば、人事の源さんって、綺麗ですよね」
秘書と人事は一緒に仕事することも多いが。
源さんには、面接のときにもお世話になった。
ほっそりとして、落ち着いた感じの美人で、緊張して面接室に入ろうしていた自分に、
「頑張って」
とやさしく微笑みかけてくれた。
ああ、こんな素敵なお姉様の居る会社で働きたいと思ったものだが。
しかし、そのとき、願書裂かれてたら、専務にも会えてないな~、と思いながら、
「源さんに頼んでも裂いてくれないでしょう?」
と真面目な源を思って言うと、
「いや、源は実は俺に気がある」
と祐人は言い出した。
「……妄想じゃなくて?」
「お前の中の俺、評価低いな……」
いや、この間まで高かったんですけどね、と思っていると、
「前、告白されたんだ」
と言ってくる。
「そうですか。
じゃあ、源さんと付き合ってください」
と言った。
祐人も満更でもなさそうだったからだ。
だが、いやいや、と祐人は手を振る。
「そんなことしたら、源と万美子の仲が悪くなるだろうが。
お前なら、万美子を上手い具合いにかわせそうだが」
「すみません。
なんにもかわせてないんですけど、今んとこ」
と言うのぞみの言葉を聞かず、それにしても、と祐人は溜息をつく。
「俺は睦子が好きだったはずなのに。
何故、こんなことに……」
えー。
そっちはそっちで、人妻なのでやめた方がいいと思うんですが。
っていうか、告白しといて、頭抱えるくらいなら、しないでください、とのぞみは思っていた。
上のフロアに着き、まだ揉めながら、廊下を歩く。
そんな二人の様子を、ちょうど専務室から出てきた京平が見ていたことに、のぞみたちは気づいてはいなかった。
今日は、御堂さん居ないだろうな。
仕事が早く終わったので、鹿子たちとお茶したあと、のぞみは少し図書館に寄ることにした。
もう頭の中が、うさぎだらけになっていたので、なにかもふもふしているものの写真でも眺めたいと思ったのだ。
しかし、閉館間際の図書館を歩いていると、また、背後で気配を感じた。
だが、振り返っても本棚しかない。
……おかしいな。
また御堂さんとか?
まあ、あの人なら、なんだかんだで、隠れてないで現れるか。
倉庫でも、結局、追いかけてきたしな、と思いながら、うさぎや猫の写真集を眺めていたのだが、やはり、気配を感じる。
振り返ったのぞみは、なんだか気になり、昔ながらのスチール棚に近寄った。
並べられた本の上に、わずかに隙間があり、後ろの棚の本の隙間と、ほんの少しつながっていた。
顔を近づけたのぞみは、図書館だというのに、悲鳴を上げそうになる。
棚と本のわずかな隙間に、こちらを凝視している誰かの目があったからだ。
ぎゃーっ、と心の中で叫んだのぞみは慌てて本を棚に戻し、なにも借りずに、急ぎ足でそこから離れた。
図書館なので、走れないからだ。
だが、誰かが追いかけてくる気配がある。
変質者っ?
いや、此処、図書館だけどっ。
こんな明るいところに現れるかなっ? 変質者っ、と思いながら、図書館とカフェの間のエスカレーターを駆け下りていたら、下にちょうど見回り中のお巡りさんが居た。
下の店に、警察官立寄所というステッカーが貼ってあるのだが。
ああいうのを貼っている店にお巡りさんが立ち寄っているのを見たことがなかったので、貼ってあるだけなのかと思っていたのだが、今日は本当に居たようだ。
すごい形相で降りてくるのぞみに気づいたその若いお巡りさんが、
「どうしましたっ?」
と駆け寄ってくる。
のぞみが、
「いえっ、それが……っ」
と振り返ると、後ろからも、
「どうした、のぞみっ」
と声がした。
京平だった。
……貴方だったんですか。
どうして、本と棚の隙間からホラーみたいに覗いてるんですか、と思ったときには、既に相手を痴漢か変質者だと思い込んだ警察官が、
「ちょっと、君」
と京平に話しかけていた。
「すす、すみません。
違います。
その人は……」
その人は? とお巡りさんと京平が自分を見る。
「その人は……」
その人はっ!? と京平が見た。
「……待ち合わせしてた人です。
ちょっとびっくりして、すみません」
とのぞみはお巡りさんに謝った。
だが、お巡りさんは、知り合いでもDVとかかもしれん、という目で、京平を見、のぞみに、
「なにかあったら、すぐに警察に来るか、何処か近くの店にでも駆け込んでくださいね」
と言って去って行った。
いや……暴力なら、今、まさに受けそうな雰囲気になってきたのですが。
「待ち合わせてた人ってなんだ。
彼氏です、とか言えよ」
と京平は文句を言ってくる。
まあ確かに。
待ち合わせてはなかったし、彼氏の方がまだ正しかったか。
……彼氏か。
この人、私の彼氏なのか。
なにか照れるではないですか、と赤くなっていると、
「どうした」
とそんなのぞみの顔を見て、少し和らいだトーンで京平は訊いてくる。
「いえ、彼氏とか、新鮮な言葉だなと思って」
「縁がなかったんだろう」
……いけませんか?
男の子の友だちはたくさん居るんですよ。
でも、まったく、そのような展開にならなかっただけですが……。
「恋人とか、彼氏とか、元カレとかいう言葉を口にしたことがないので、すぐに出なかったんです、すみません」
そう言いながら、彼氏より、恋人の方が照れるな、とのぞみは思っていたのだが、京平はまるで違うところが気になっていたらしい。
「元カレか」
と京平は呟く。
「お前には永遠にできないぞ。
俺と別れるときが、お前の死ぬときだからな」
いや……怖いんですが。
他に言い方ないのですか。
死が二人を分かつまでとか。
そしたら、ロマンティックな感じになるのに。
まあ、勝海舟好きだが、所詮、理系人間だからな、と思ったとき、のぞみの視界に上のカフェが入った。
「そうだ、専務。
今日のお詫びも兼ねて、奢らせてください」
とのぞみは京平に微笑みかけた。