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「……芥川? 起きてる?」
朝、ワンルームの薄暗いカーテンの隙間から差し込む光の中で、敦は隣の布団に声をかけた。 いつもなら「うるさい、人虎」と鋭い一喝が飛んでくるはずなのに、今日は毛布の塊がもぞりと動くだけで、返事がない。
敦は嫌な予感がして、布団の端をそっと覗き込んだ。 そこには、青白い顔をさらに蒼白にし、お腹を抱えるようにして丸まっている芥川(♀)の姿があった。
「顔色が悪いよ! また肺が……?」 「……違う。寄るな、殺すぞ」
声に力がまったくない。芥川は脂汗を浮かべ、枕に顔を埋めたまま呻く。 その時、敦の鼻腔をかすめたのは、血の匂い。けれど、それは戦場での生臭いそれとは違う、もっと重く、淀んだような鉄の匂いだった。
「あ……。もしかして、アレ?」 「……『アレ』とは何だ。貴様に僕の何がわかる」
図星だった。女体化してから数ヶ月、周期的にやってくるこの「身体の反乱」を、芥川は極度に忌み嫌っていた。ポートマフィアの禍狗ともあろう者が、月一度の出血に体力を削られるなど、屈辱以外の何物でもない。
「いいから、じっとしてて。今、温かいの持ってくるから」
敦はバタバタと台所へ走り、ケトルでお湯を沸かす。 数分後。敦が戻ってくると、芥川はプライドを総動員して起き上がろうとしていた。
「立て……る。任務へ行く……。太宰さんに、不覚悟と思われては……」 「ダメだって! 太宰さんだって『今日は休みなよ』って絶対言うから!」
敦は強引に芥川の肩を押し戻し、買っておいた使い捨て懐炉を、彼女の薄い腹部を覆うように上から当てた。
「なっ、貴様……何を……っ」 「温めると楽になるって、鏡花ちゃんが言ってたんだ。あと、これ」
差し出されたのは、マグカップに入った温かいココア。
「……毒か?」 「入れるわけないでしょ。鉄分、摂らなきゃダメなんだって」
芥川は忌々しげにココアを睨みつけたが、敦の「飲まないとどかないぞ」という無言の圧力に負け、震える手でカップを受け取った。一口すすると、砂糖の甘さと熱が、冷え切った内臓にじんわりと染み渡る。
「……貴様は、なぜそうも……厚顔無恥に世話を焼けるのだ」 「え?」 「僕は女だぞ。……今の僕は、醜かろう」
ふい、と顔を背ける芥川。その耳たぶが、熱のせいか羞恥のせいか、ほんのり赤い。 敦は一瞬呆気に取られた後、ふっと困ったように笑った。
「醜いなんて思わないよ。……ただ、少しだけ『僕が男で良かった』とは思うかな」 「……何?」 「だって、こうして君を温めてあげられるから。僕が代わりに痛がることはできないけど、重い荷物を持ったり、ココアを淹れたりするくらいなら、いくらでもできる」
「…………。……人虎、死ね」
呪詛のような言葉。けれど、芥川はそれ以上敦を拒絶することなく、差し出された毛布にくるまった。 温かいココアと、腹部の熱。そして隣で「お粥も作ろうか?」と騒がしく、けれど温かい温度を持って座っている宿敵。
芥川は意識が朦朧とする中で、この不本意な同棲生活も、そう悪くはないのかもしれないと、一瞬だけ――本当に一瞬だけ、思った。