穏やかな光がカーテン越しに差し込み、湯気の立つマグカップの香りが部屋に漂っていた。
チャイムが鳴り、すちが玄関に出る。
扉の向こうには、どこか気まずそうに立つらんの姿。
手には何も持たず、ただ落ち着きなく髪を掻いている。
「……よぉ」
「どうしたの?こさめちゃんと一緒じゃないんだ?」
すちが首を傾げると、らんはわずかに眉を寄せた。
「……あいつ、ここにいねぇか?」
「こさめちゃん?いないよ?」
奥からみことが顔を出し、首をかしげながら応える。
「……そっか」
ほっとしたような、けれどどこか寂しげな声。
すちはそんならんを見て、空気を読んだように手招く。
「まぁ、とりあえず入りなよ。話聞く」
らんはリビングに入り、無言で椅子に腰を下ろす。
沈黙のあと、低い声でぽつりと話し始めた。
「……こさめと喧嘩した。 つーか、俺が悪い」
その声は少しかすれていて、指先は膝の上で落ち着かず動いている。ぽつりとこさめとの喧嘩の経緯を話した。
みことは静かに瞬きをし、口を開いた。
「……言葉、足らず」
小さな声だったが、その一言にらんはぎくりとした。
すちも苦笑しながら額を押さえる。
「……それ、たぶん“最悪の言い方”してるよね」
「……そうだと思う」
らんは顔を伏せ、苦く笑った。
みことはカップを両手で包みながら、穏やかに続ける。
「こさめちゃん泣かしたんだ…。 長引くだけ大変になると思うから……今日中にどうにかした方がいいと思う」
その優しい言葉が、逆に胸に刺さる。
らんは目を閉じて、深く息を吐いた。
「……泣いてたの分かんのか」
「見てなくても分かるよ」
そんな問いにみことが即答する。
すちは腕を組み、真面目な表情で口を開いた。
「本当に世間体のせいなの? “キスはまだ早い”って、それも本音?」
らんはしばらく黙り込んだまま視線を落とす。
しばしの沈黙のあと、ぽつりと答えた。
「……俺からキスした日には、もう止められなくなる自信しかねぇんだよ」
すちとみことは同時に目を瞬いた。
すちは呆れたように息をつく。
「なるほどな、それ……理由としては最低にロマンチックだな」
すちが皮肉を言うと、 らんは苦笑し、顔を赤くして視線を逸らした。
「……まぁ、“好き”って言葉もな。 本気で思ってること言ったら、重すぎて逃げられそうでさ」
みことは静かにらんを見つめ、淡々と告げた。
「でも……今、逃げられてるよ」
その一言に、らんの胸の奥がズキンと痛んだ。
言い返す言葉もなく、ただ拳をぎゅっと握りしめる。
すちはそんならんの背中を軽く叩いた。
「行けよ。 逃げられたままで終わらせたくないなら、ちゃんと迎えに行け」
らんはゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、ようやく迷いのない光が戻る。
「……あぁ、悪かった。行ってくる」
立ち上がったらんの背中を見送りながら、みことは小さく微笑んだ。
「……がんばって、らんにぃ」
扉が閉まると同時に、部屋の中には静かな余韻が残った。
すちはふっと息を吐き、カップを手に取る。
「みこと、俺たちも喧嘩したらあんな感じになるのかな」
「ならないよ。俺たちは……言葉、ちゃんと使うもん…」
柔らかく笑うみことに、すちは肩をすくめて微笑み返した。
ひまなつはソファにもたれながらスマホをいじり、いるまは床に座って雑誌をめくっている。こさめはいるまの肩に頭を乗せ、まどろんでいた。
穏やかな空気を破るように、玄関のチャイムが鳴る。
「……あ?」
ひまなつがスマホをいじりながら玄関を開けるとドアの向こうには気まずそうに立つらんの姿。
少し息が上がっていて、目はどこか真剣だった。
「悪い、こさめいるか?」
無言で玄関を振り返ると、扉の影からこさめがちらっと顔を覗かせた。
しかし、らんと目が合った瞬間、勢いよくいるまの背中に隠れてしまう。
「……いるじゃねぇか」
「見つかっちゃった……」
こさめの言葉にひまなつが小さく笑いながらスマホを伏せる。
らんは玄関で深く頭を下げた。
「……ちゃんと話したい。だから、一緒に帰ってくれ」
その声はいつになく低く、真剣で。
けれどこさめは、いるまの服をぎゅっと掴んだまま動こうとしない。
「やだ……お兄ちゃんと一緒にいる」
泣きそうな声に、いるまは頭を掻いた。
「こういう時だけ“お兄ちゃん”呼びかよ……」
こさめはさらに腕にしがみつく。
「だって……らんにぃなんか、もう知らないもん」
らんは小さく息を詰まらせ、どうしていいかわからないように口をつぐむ。
ひまなつがその様子を眺めながら、ため息をひとつ。
「いるまは俺のだから、こさめはらんのとこに帰れよ」
唐突な言葉に、いるまは反射的に振り返った。
「はぁ!? おま、何言い出してんだよ!」
「だって、ややこしいじゃん。恋愛って持ち主決まってるんだし」
ひまなつは肩をすくめ、まるで当たり前のように言う。
「……持ち主ってなんだよ……」
いるまは呆れ顔でこめかみを押さえたが、こさめはなおもいるまにしがみついていた。
「ヤダ!帰んない!」
泣きそうな声。
らんはその場で何も言えず、拳を握りしめて俯いた。
ひまなつはちらりとらんを見て、わざとらしくため息をつく。
「……はぁ、しょうがねぇなぁ」
そして、まるで雑談でも始めるような口調で言った。
「らんってさ、恋愛雑魚なんだよ」
「は?」
「いやマジで。余計なこと言うし、言葉選び最悪だし。 好きな相手に一番刺さる地雷を、自分から踏みに行くタイプ」
「おいおい、なつ、それ……」
いるまが苦笑混じりに止めようとするが、ひまなつは止まらない。
「でも本気なんだよね。 好きすぎて、うまく言葉にできねぇだけ。 なーんか見てて不器用すぎてさ、笑えるけど……ちょっとわかるわ」
ひまなつの軽口に、こさめが顔を上げる。
その視線の先で、らんは小さく呟いた。
「……すちとみことにも、同じようなこと言われた」
静かな声。
その言葉に、ひまなつの眉がぴくりと動く。
「うわ、二重で刺さってんじゃん」
「……ほんとだよ。ぐさぐさ来るわ」
らんは苦笑いしながら後頭部を掻く。
ひまなつはあきれたように、でもどこか優しい目で言った。
「だったら、ちゃんと“らん”の言葉で伝えなよ。 世間体とか遠回しな理由とかいらねぇから 」
らんは息を呑み、こさめを見た。
まだ泣きそうな目でいるまの服を掴んでいるけれど、 その指先はほんの少しだけ力が抜けていた。
らんはゆっくりと一歩、前に進む。
「……こさめ、傷つけてごめん。 俺が悪かった… でも、ちゃんと話したい。こさめのこと、ちゃんと好きだから」
その言葉に、こさめの肩がびくりと動いた。
泣き顔を隠したまま、小さく唇を噛む。
ひまなつがにやりと笑って、いるまの肩をつつく。
「ほら、もう“お兄ちゃん”の出番終わりにしろよ」
「お前、ほんっと空気読めるのか読めねぇのかわかんねぇな……」
いるまは呆れたように言いながらも、 こさめの背中を軽く押してやった。
「行けよ。……こさめを迎えに来たんだ」
こさめは少し迷ったあと、そっといるまから離れた。
らんの方を見るその瞳には、まだ涙の跡が残っている。
らんは微笑み、優しく手を差し伸べた。
その手を、こさめはしばらく見つめたあと——そっと握り返した。
コメント
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はじめまして!コメント失礼します!すごく感動の物語でした!テスト勉強の休憩に読んでたんですけど、普通に忘れて全話一気読みしてしまいました💦4時間以上時間吹っ飛びました!でもそれ以上の物語で終始涙が止まりませんでした!続き楽しみにしてます!頑張ってください(๑ •̀ω•́)۶ファイト!!