――これは、結構、しんどいかもしれない……。
一時間目にして、進は早くも音を上げそうになっていた。
十五年ぶりに受ける小学校の授業は、なかなかにハードだった。
別に、内容が理解できないとか、そういうことではない。むしろ、タイムループの定番を地でいくべく、勉強ができる子アピールでもしてやろうかな、などと思ったりもした。
しかし、である。
それも、あくまで最初のうちだけだった。
さすがに、分数の初歩問題を解いたからといって、得意顔などできないし、そもそも、考えるまでもなく知っている事柄を、ただひたすらに板書し続けるのは、苦行以外の何物でもない。未だ体験はしてないものの、社会や理科なんかは、その後、新事実が明らかになったものもあるだろうから、ついついツッコミを入れたくなってしまうだろうし。
そもそも、トイレに自由に行くこともできず、作業の途中にコーヒーを飲むこともできない。これは、なかなかの苦痛だった。
よく、こんなの我慢してたよなぁ……。などと思っていたところで、その手紙が回ってきた。
『心当たりがある人は、中休みに、校庭の体育倉庫の裏に来て下さい。
追記:あと、授業は真面目に受けてください。
黒魔女』
心当たり……、か。
どうやら、予想通り、彼女はこの状況の説明ができるらしい。どこまで信じられるのかはわからないが、ともかく、今は情報が欲しかった。
それにしても、授業を真面目に受けておくように、とは、なかなかに難しい注文である。
どうしてそうしなければならないのかわからず、首を傾げる。
時計を確認すると、あと十分ほどで授業が終わる。一応、言われた通りにしておくか、と、進は鉛筆を握りなおした。
中休みになってすぐに、信二が話しかけてきた。
「行くんだろ? 体育倉庫の裏」
「ああ。っていうか、みんな行くんじゃないか?」
目が覚めたら、いきなり小学生になっていた……、などというオカルトに巻き込まれたのだ。それこそ、ワラにもすがりたい気分なんじゃないだろうか?
当然のようにそう考えていた進だったが、信二は肩をすくめて見せた。
「どうだかな? そうとは言い切れないと思うが、まぁ、いいや。行こうぜ」
進たちが通う市立上弦坂小学校には、いわゆる体育倉庫が二つある。
一つは渡り廊下を進んだ先にある体育館の中で、もう一つは校庭の外れだ。
教室から出て体育館の方に向かおうとした進に、信二があきれ顔で言った。
「おいおい、体育館は、中休みに解放されてないだろ?」
「えっ? そうだっけ?」
言われてみると、確かに、そんな気がしないではない。
それに、よくよく考えれば、集団で体育館に入っていったら、不審に思われるかもしれないが、校庭の方であれば、その近辺で遊んでいるだけに見えるだろう。密談をするには良い場所だった。
「しっかりしてくれよ? ひさしぶりっつったって、たった五年ぶりなんだから」
その言葉に、先ほど抱いた疑問を思い出す。
「どうでもいいけど、信二、その五年ってなんのことだい? 成人式に合わせて、学校で同窓会でも開いたの?」
仮にもしそうだとしても、五年前は大学三年の年、二一歳で計算が合わないのだが……。
首を傾げる進を、信二もまた不思議そうに見つめ返す。
「成人式って……、なに言ってんだよ。そんなのまだ四年も先のことだろう?」
認識のすれ違いに、思わず足が止まった。
ふと、後ろから歩いてくるクラスメイトの女子の声が聞こえてきた。
「ああ、もー! せっかく会社入って背が伸びたと思ったのにー」
「へっ? なに言ってんの、静。私たちまだ、大学生でしょ?」
会話に含まれている重大な情報に、どうやら信二も気づいたらしい。
「ああ、なるほど……。そういうことか……」
思わずと言った感じで、天を仰ぎながら、
「うわ、これは……、けど、結構、えぐいな……。くそ、みんな大丈夫かな」
愚痴るように、つぶやく。
「おい、どうしたんだよ?」
「いや、それより急ごうぜ。時間を有効に使いたい」
走りだした信二の背中を追って、進も足を速めた。
指定された場所につくと、すでに、クラスのほとんどの生徒が集まっていた。
そして、その中心には、黒魔女、黒藤舞夜が黙って立っていた。
進たちがついたのを見計らうように、彼女は話し出した。
「これで全員ね」
「ちょっと待って、黒藤さん、まだ、狩野さんが来てないみたいだけど」
そう指摘する女子に続くようにして、信二が言った。
「それに佐藤、四ノ宮、野村、ああ、それに豊も見えないな」
それから、皮肉っぽい笑みを浮かべて、
「もしかして、あいつらは仲間外れ、なのかな?」
「さすがに察しがいいわね、早峰くん。たぶん、あなたの認識で間違ってないわ」
展開が速すぎて理解が追い付かない進は、思わずといった様子で辺りを見まわした。幸い、周りのみんなもわかっていないらしい。
自分だけでなかったことに安堵を覚えてしまって、なんだか自分の小ささが、微妙に胸に突き刺さるようだった。気を取り直して、進は口を開いた。
「えっと、つまり、どういうこと?」
「俺の席、教室の後ろのほうだろ? だから、ずっと観察してたんだ。そしたら、俺らみたいに、戸惑うでもなく、授業に辟易するでもなく、ごく普通の小学生みたいに過ごしてるのが何人かいたんだよ」
「それが……、どうかしたの?」
「だからさ、つまり、俺たちみたいに記憶を継承できてないやつがいる、ってことだ」
「ああ、なるほど、それで、ここに来てないってことか」
メモに従うならば、彼らは“心当たりがなかった”のだろう。
この不思議な現象に巻き込まれていないというのが、幸せなことなのか、不幸なことなのかはわからないが……。
「あれ? その子たちって……」
そう声を上げたのは、ガリベンの千葉夕実だった。四年の時から塾に通い、私立の女子中に受験すると、口癖のように言っていたのが、ひどく印象に残っている。
そう言えば彼女は中学受験には失敗したけど、高校はどうだったんだろうか? などと、実にどうでもいいことを考えていた進は、次の一言で思わず声をあげそうになった。
「もしかして、中学の時に死んじゃった子たちじゃない?」
その言葉に、全員の顔色が変わった。
「私、おぼえてるよ。去年、受験の前の日かなにかに前夜式があって、すごく大変だったんだから!」
興奮したようにしゃべる夕実。けれど、周りの微妙な反応に首を傾げた。
「あれ? みんな、どうしたの?」
「いや、確かに彼女たちも死んじゃったけどさ……、それ、理由になんないわよ。だって、あんたも、次の年に死んでんじゃん」
その言葉に、夕実はぽかん、と口を開けた。その顔がみるみる青ざめていく。
「えっ? なっ、なに言ってるの? そんな、冗談やめてよ? 私、え?」
混乱に口をパクパクさせている。
けれど、驚いたのは進も同じだった。かつてのクラスメイトのうち、五人が中学の時に死に、それを指摘した人物も高校一年で死ぬのだ。
いや、それだけじゃなくて……。
パン、と、手を打つ音が聞こえた。
「落ちついて、みんな。慌てなくっても、ちゃんと説明してあげるから」
静かで、深みのある美しい声、その持ち主は皆を安心させるように、そっと笑みを浮かべた。それは、どこか妖しい魔女のような笑み、けれど、こんな状態ではこの上なく心強く感じられるから、不思議なものである。
ざわついていた者たちも、ひとまず口をつぐみ、舞夜の説明に耳を傾けている。
「まず、最初に言っておきたいのだけど……」
さながら、神託を告げる預言者のごとく、厳かな口調で彼女は言った。
「五年二組の生徒は、私を含めて、全員、二十年以内に死ぬことになる」
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