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神代寺の鋭い視線が注がれる。
「三十年前の復讐を実行できたのは……美奈さん、あなたですね?」
美奈は俯いたままくすくすと笑い出した。その笑い声は、次第に大きくなり、ホールに響き渡った。それは、狂気の笑い声だった。
「……さすがね、探偵さん。そうよ、私は三十年前の井戸から逃げ延びた使用人の娘。本物の美奈が事故死したことを知り、すり替わった。両親を殺した稲神の一族を一人残らず排除するために」
美奈は懐から小さな薬瓶を取り出した。中には無色透明の液体が入っている。それは、暖炉の火を受けて、キラキラと光っていた。
「稲神の血は、これで途絶えるわ」
神代寺が制止する間もなく、美奈は劇薬を仰いだ。彼女の体が激しく痙攣し、口から泡が溢れる。それでも、彼女は満足気な笑みを浮かべて床に倒れ伏した。
「これで……私の復讐は……終わった……」
彼女の瞳から、ゆっくりと光が消えた。その顔には、安堵の表情が浮かんでいた。
翌々日。吹雪がようやく止み、警察が到着した。解錠された地下室の最奥から、三十年前に殺害された使用人一家の遺骨が発見された。遺言状にあった『犬の眠る場所』とは、剥製ではなく、かつてこの館で「犬のように扱われ殺された使用人たち」が眠る地下墓地のことだったのだ。遺骨は、丁寧に布に包まれていた。まるで、誰かに弔われるのを待っていたかのように。
事件は解決したかに思われた。しかし、神代寺は警察の調書に署名しながら、老執事に向き直った。
「……執事さん。ひとつだけ、説明がつかない点があります」
老執事は静かに耳を傾ける。その表情は、まるで能面のように動かない。彼の手は、微かに震えていた。
「美奈さんは華奢な若い女性です。いくら滑車を使おうと、大柄な麗子さんを天井高く吊り上げるだけの腕力は単独では出せない。また、慎吾さんを麻痺させ、井戸まで運ぶのも一人では不可能だ。そして何より――館の薬品保管庫の鍵と、生石灰の大量調達、礼拝堂の糸の仕掛けを事前に設置できたのは、館の全鍵を管理し、何十年もこの構造を知り尽くしている人物しかいない」
神代寺は静かに告げた。
「三十年前、幼い美奈さんを逃がし、今回の一連の殺人を陰で物理的に補助した『共犯者』がいた。……違いますか?」
老執事は表情ひとつ変えず、深く、深く一礼した。
「さあ……わたくしには何のことか。ただ、この静寂こそが、この館に相応しい結末かと存じます」
神代寺はそれ以上追及しなかった。確たる証拠は、吹雪と共に消え去ったからだ。老執事の口元に、ほんのわずかな笑みが浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。彼の目は、遠くを見つめていた。
白銀の山道を下りながら、神代寺は振り返る。雪に覆われた館は、まるで何もかもを飲み込んだかのように静かに佇んでいた。
そこに怪異やオカルトなど存在しない。ただ人間の醜い執着と、綿密に組み上げられた冷徹な物理トリックだけが、雪の中に静かに眠っていた。
アンド、もう一人。真実を知る者が、あの館に残されている。
神代寺は、トレンチコートの襟を立て、山道を下り始めた。彼の足跡は、雪の中に長く続いていた。