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夕方、執務を終えたフィリップから『夕食の後に書斎に来るように』と返事があった。アラベルに気づかれないようにしながら、約束どおりの時間にフィリップの書斎へ行くと、フィリップは開口一番にこう言った。
「アリエル、商人から大きな買い物でもしたのか?」
アリエルは頭を振った。
「お父様、舞踏会のことですわ」
「なんだ? 緊張しているのか? お前はマナーも完璧だ、心配する必要はない」
「いいえ。私今までお父様に言われた通り、王太子殿下の婚約者は私が相応しいと思っておりました。でもアラベルにも平等にその権利があっても良いのではないかと考え直しましたの」
フィリップは驚いた顔でアリエルを見つめた。
「だが、アリエル。お前は姉なのだよ? こういったことは長が優先されるべきだろう?」
「はい。でも、王太子殿下がどちらを選ぶかお会いしてみなければわからないと思いますの。もし姉の私ではなく、アラベルを選んだとしたら? そうなれば私の、延いてはホラント家の恥になりますわ」
そう言われ、フィリップは少し考えてから答える。
「そのようなことはないと思うが、お前の言うようなことがあり得ないとも言いきれんな」
それが実際に起きてしまったから申しているのです。とアリエルは内心苦笑しながら答える。
「そうなんですの。ですから、舞踏会では私ではなく、まずアラベルのエスコートをしていただき、アラベルと殿下の相性もみた方がよろしいと思いますわ」
「わかった。だがアラベルが先でも本当によいのか? 殿下が先に会った方を気に入ってしまうこともあるやも知れないぞ?」
「それならそれでかまいませんわ」
アリエルが即答するので、フィリップはまじまじとアリエルの顔を見つめ心配そうに訊いた。
「何かあったのか? あんなにも楽しみにしていたではないか」
「だからこそですわ。あまりにも感情的になりすぎていたので、一度落ち着いて考え直してみましたの」
するとフィリップは目を細めた。
「そうか、お前も大人になったと言うことだな」
そう言われ、アリエルは微笑み返すとフィリップの優しい眼差しを見つめた。そして、この優しい父親を悲しませるようなことは二度とあってはならないと思った。そこで、不意にもう一つお願いしなければならないことがあったのを思い出した。
「それと、アラベルには私がエスコートを譲ったと言わないで欲しいのです。きっとあの子のことですもの、遠慮してしまいますわ。だから、お父様が今回はアラベルの方が相応しいと判断したことにして下さい」
「そうか、お前は優しいな。わかった、アラベルにはそう伝えよう」
「ありがとうございます」
一礼すると、アリエルは書斎を後にした。
これで舞踏会前にやらなければならないことは全て終わらせることができた。
舞踏会の三日前になり、王宮への連絡も済んだからかアラベルがフィリップに呼び出された。
きっとエスコートの件を話すのだろう。そう思っていると、しばらくして戻ってきたアラベルが心配そうにアリエルに言った。
「アリエルお姉様。あの、お父様からお聞きになったかしら?」
アリエルがわざと悔しそうにアラベルを黙って睨むと、アラベルが一瞬だけ微笑んだように見えた。が、すぐに戸惑った顔をして大袈裟に言った。
「アリエルお姉様、ごめんなさい。私もお父様にはエスコートはアリエルお姉様の方が相応しいと申し上げたのですけれど『もう決まったことだから』と、聞き入れてもらえませんでしたの」
「だったら仕方がないですわ、貴女がエスコートしていただけばよいだけのこと」
アリエルはそう言うと、不機嫌そうに部屋へ戻った。きっとアラベルは、フィリップにアリエルから冷たい態度をとられたとでも報告するだろう。だが、その前にアリエルがフィリップの前で優しい姉を演じているので、フィリップはなぜアラベルが嘘をつくのだろうと考えてくれるに違いない。
一度目の時、アラベルは嘘に本当のことを交ぜて、周囲にアリエルは妹を虐げる酷い姉という印象を植え付けていた。きっと今回も同じことをするはずだ。だからアリエルはこうして先回りして立ち回るよう細心の注意を払うことにしたのだ。
さらに前回の舞踏会で、アラベルは影でエルヴェにブローチを姉に盗られたと訴え、アリエルはアラベルから取り上げたブローチを堂々と着けてきた恥知らずな姉だとエルヴェに印象付けていた。
後々になってそれがわかり、アリエルが直接エルヴェに事の経緯を説明しようとしたが、エルヴェはアラベルを信じきっていてアリエルの話を聞いてくれなかった。
当時はどうにかしてエルヴェに信じてもらおうと懸命に誤解を解こうとしたが、アラベルが嘘を吹き込んでいてくれたお陰でますます印象が悪くなるだけだった。
そんなこともあり、窃盗の濡れ衣を着せられた時に周囲もエルヴェもアリエルが窃盗をしたと信じて疑わなかったのだ。
今回はそんな誤解を招くようなことはなるべく避けることにしたのだ。
だがアリエルはエルヴェについて、今回はよい印象をもたれよう、好かれようなどといった無駄な努力は一切しないことを心に強く決めていた。
こうしてアリエルは複雑な気持ちで二回目の舞踏会の朝を迎えた。
朝からメイドたちは大忙しで準備をしている。侍女のアンナはまるで自分の事のように興奮し楽しそうにしていたが、アリエルは当然ながら楽しい気分にはなれなかった。
エルヴェがアラベルをエスコートすることになったので、アリエルのエスコートは三つ年上の従兄弟であるヘンリー・ド・ラルミナ伯爵令息にお願いしていた。
もともとヘンリーがアラベルをエスコートすることになっていたので、これは特に問題なく決まった。
エルヴェにエスコートしてもらった時のお迎えは馬車のみだったが、ヘンリーはわざわざ屋敷まで迎えにきてくれた。
屋敷のエントランスでヘンリーに手を引かれ、馬車に向かっている時に、アラベルが駆け寄り声をかけてきた。
「アリエルお姉様、待って! 本当に、本当にごめんなさい。私が王太子殿下にエスコートしていただくことになってしまうなんて……。まだ怒っているのでしょう? そんなに地味なドレスに変更してしまうだなんて……」
アリエルはヘンリーの手をぎゅっと握った。そして、笑顔で答える。
「アラベル、ごめんなさいもなにも最初から貴女のことを怒ってなどいませんわ。それに、私は現状に不満なんて一つもありませんわよ?」
そう言ってヘンリーの顔を見つめ微笑むと、アラベルに視線を戻す。
「それにそんな言い方は誰かを傷つけかねませんわ、気を付けなくてはね。では貴女も舞踏会を楽しんで、大役頑張ってね」
そう言って、その場を後にした。