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良く寝た……。
一番に思ったことがそれだった。ここ数か月、不眠とまではいかないが、夢見が悪い日も多かった。
熱があったことや薬のせいもあるのだろうが、本当に久しぶりに熟睡した気がする。
時計を見ると、朝の6時を少し回ったところで、昨晩からかなり眠っていたのだとわかる。
昨日は陸翔兄さまにも迷惑をかけてしまった。一人で生きていくと決心したばかりなのに、こんなことになるなんて。
ため息をつきながら、私はベッドサイドに置かれたミネラルウォーターをグラスに注いで半分ほど飲み干した。
体温計も置いてあったので測りながら窓の外を見ると、天気は良さそうだ。
ピッと電子音がして、測り終え確認すると平熱に戻っていてホッとする。
今日は動けそうだ。
このホテルにずっといるわけにもいかないし、両親にも内緒にしておける話でもない。
芳也の家にも戻り、荷物を取りに行かなければいけないし、離婚も早くしたい。
今ならば仕事前の芳也に会えるだろうか。そんなことを考えながら、私はシャワーを浴びて着替え、リビングへと向かった。
そこにはメモが置かれていて、それを手に取った。陸翔兄さまからで、熱が下がっていたから帰るということ、もし何かあればすぐに連絡をするように、そう書かれていた。
そして、その横には離婚届が封筒の上に置かれていた。
かなり遅くまでここにいてもらった上に、寝顔まで見られたということに、少し複雑な気持ちになりながらも、手にしたメモをその場に戻して、いくつか用意してくれていたバッグを持ってそれをしまった。
芳也の家に行くことを陸翔兄さまに伝えたほうがいいだろう。そう思ってスマホを手にしたが、昨夜も迷惑をかけたのに、これ以上手間をかけるわけにはいかない。
そう思い直して、私はクローゼットからブラックのカシミヤのセーターと、グレーのパンツを選び、その上に上品なコートを羽織った。
どれもとても肌触りが良く、ハイブランドのものだとわかる。サイズもどれも私にピッタリだった。今まで地味だと言われ続けた私。メイクも施すと、本来の自分に戻れる気がした。
だから、大丈夫――。
そう思いながら、バッグを手にして私はホテルの部屋を後にした。タクシーを呼んでもらい、数日ぶりに家の前に着くと、懐かしさよりも苦々しい気持ちが心の中に広がった。
帰ってくると疑っていなかった芳也。でも、私は戻ったわけではない。
時間は平日の7時半を過ぎている。この時間には必ず起きているだろう。鍵もないため、正面のインターフォンを押す。芳也がどういう態度で出るかわからず、寒いにも関わらず、嫌な汗が出そうだ。
「あら、こんな時間にどうしたの?」
聞こえてきた美咲さんの声に、私は一瞬言葉を失った。芳也と対峙することばかり考えていた。彼女がいる可能性を考えていなかった自分の甘さを痛感する。
「荷物を取りに来ただけなので、開けてもらえますか?」
彼女がどういう態度に出るかは予想がつかなかったが、冷静に言えたと思う。
「もちろん。どうぞ」
セキュリティが解除される音がして、門から入り玄関の扉を開けると、そこには芳也のものとわかるシャツ1枚を着た美咲さんが立っていた。
いかにも事後をにおわせるその様子にも、何も感じない自分が少しおかしい。
「芳也は?」
「シャワーよ」
これ以上、彼女と話してもろくなことにならない気がして、足早に2階の自分の部屋へと向かった。
そこでしまってあった私物を取ろうとした時だった。
「ねえ、その服もカバンも、どうしたのよ?」
確かに、何も持たずに追い出された私が、こんなハイブランドの服やバッグを持っていることを不審に思ってもおかしくない。
でも、彼女に答える義理などないし、話したくもない。
無言で自分の部屋の私物を一か所にまとめる。
「これ、すべて処分するように芳也に言って。いらないから」
その私の言葉に、美咲さんが苛立つのが、話さなくても空気でわかった。
「いらない? 何も持っていないのにそんなことを言ってもいいの? あんたみたいな地味な女でもいいっていうオヤジでもいたの? どうせ身体でも売ったんでしょう?」
下品な言葉を口にする彼女に、嫌悪感が湧いてくる。こんな考えをする人間だから、不倫も気にしないのだろう。
「そんな考え方しかできないなんて、かわいそうな人」
彼女を見ずに片付けながらそう言うと、私の方へと歩いてきて、あろうことか美咲さんは私の髪を引っ張って自分の方へ顔を向けさせた。
「誰に口を聞いてるのよ! いい加減にしなさいよ!」
「何を? 本当のことを言っただけでしょう?」
もう、我慢することなどないと言い返すと、カッと美咲さんの瞳が怒りで見開かれる。
その時。
「沙織? どうした?」
廊下から聞こえてきた声に、私たちはその方へと視線を向けた。
「芳也!! 助けて!」
え? 美咲さんは私から手を離すと、なぜか自分が床へと倒れこんだ。
「どうした!?」
バスローブ姿で現れた芳也は、倒れた美咲さんに駆け寄る。
「沙織! お前どうしてここにいるんだ。それに沙織に何をした!?」
すごい剣幕で叫ぶ芳也に、嵌められた――そう思った。