イザは昼食時まで眠りたかったが、その前に起こされてしまった。
寝室の扉を、何度も強くノックされているからだ。
ただ、心当たりはある。
彼女は軽く髪を梳かすと、白い布を適当に巻いてベッドを降りた。
その間も強いノックは続いているが、イザは一切動じずに扉へと進んだ。
「騒がしいわね」
全てを理解していながらも、普段通りの気だるげな様子で開く。
「イザ! 貴様何をした! 王都中の人間が消えたぞ!」
金髪碧眼の彼は、政務担当の中でもイザへの進言担当に昇格させられたらしい。
そう思えるほどに、何かあればすぐ彼女の元へと真っ先に来るのだ。
「状況は見たか聞いたかしたんでしょう? 一片の肉も骨も残らず、割と綺麗に居なくなったはずだけど」
「なななな、なぜそこまでする! 奴らは降伏していたのではないのか!」
魔族であるのに、まるで人間の味方であるかのような口ぶりだった。
「なぜ? あなた達の警備が杜撰なせいで、私に刺客が来ているの。誰が首謀者で誰が内通者か分からないし、あの数から探すのも大変でしょう?」
イザは、何の疑問があるのかという顔で彼を見た。
「だ、だから全滅させたと? あの数を? 奴らはそれなりの働き手となっていたのだ! それを貴様の一存で……」
「私は、逆らわなければ、と通達していたはずよ。逆らったらこうなるの。あなた達魔族は利口で良かったわね」
その声色だけを聞けば、美しく透き通った耳に心地よいものだった。言葉が通じなければ、そう感じ入るだけで済んだものを。故に彼は、心底から震え上がりそうになった。
そして、彼女の瞳を見てはいけない。と、彼は理解していたはずなのにまた見てしまった。
イザの、深海よりも昏いそれを。深い紺の瞳色とは別に、漆黒が渦を巻いているように感じるのだ。
覚悟などという生易しいものではない何かが、とぐろを巻くように蠢いている。
絶望よりもさらに深く堕ちた、光のない世界、その渦。
それがとてつもなく恐ろしいのに、吸い込まれてしまいそうな魅力を感じてしまう。
「……我ら魔族は、一度認めた者を殺めたりはしない。魔族に仇を成さん限りはな」
「フフ。可愛い。だから私は、魔王になったのだと思う」
そう言って、イザは食堂に向かった。
動けなくなった彼を残して、優雅に一人歩きで。
王城には、だだっ広い食堂が備えられている。そこで他の魔族と共に食事を摂る。時には寝室に運ばせるが、大抵は皆と一緒に居るようにしているのだ。
堕淫のイザなどと呼ばれようと、逆に魔王と称され崇められようと、その姿を晒して歩くのが、いつの間にか好きになっていた。
彼らがどんな感情をイザに抱こうとも、害しようとはしない。
文句のある者は、金髪の彼のように真っ直ぐに向かってくる。
人間同士ではあり得ない、その不思議な感覚を味わうことが出来る。
力を行使する時よりもそれを楽しむことの方が、魔王であると実感出来るのだった。
**
イザを恐れた政務担当の一人は、調査を命じた。
それはイザの出生と、魔玉について。
彼は金髪碧眼の男とは違って、イザに直接文句を言った事は無い。淡い金髪に青い瞳の彼は、感情を抑えて慎重に行動する男だった。
彼も他の魔族と等しく、どれほどイザを異質であると思っても、魔王である彼女を支えて行くことに疑問はない。それが今までの魔族のやり方であったし、盤石たらんとする本能こそが、繁栄の道標だから。
ただ、イザは人間である。
それは、これまでになかった異質であり異物である。
このまま魔王として支えるには、その者を知る必要があると彼は考えたのだった。
なにしろイザは、同族であるはずの人間でさえ、容易く根絶やしにしてしまう女だから。
その調査は、王都から人間が死に絶えたせいで進まないかと懸念されたが、王城の資料室に情報が残されていた。
彼女は王国の外れの村で生まれ、魔力の高さを自他ともに認める頃には王都に出向き、その実力を伸ばしていた若い娘、とある。その才能は類まれないものではあるものの、人柄はよくあるような村娘の一人だったらしい。
王都で出来た恋人と、同棲を始めたことまで記されていた。
さらに、情愛深く一途で、見目も良い娘で人気もあった、と。
その後、魔導士として頭角を現しはじめた頃に、勇者一行に勧誘されたとある。
そして、数年の内に前魔王を討った。
淡い金髪の彼は、当時の凄まじい戦闘を目の当たりにしていたからよく覚えている。
イザの放つ範囲魔法で、大半の魔族は蹴散らされてしまった。
そのせいで前魔王の御前まで到達され、そして勇者どもに討たれた。
――と、いつの間にか主観が混じっていることを自覚し、彼は一旦考えるのを止めた。
それに、おおよその事は分かったし、大した記録でも無かった。
人となりは予想に反していたが、だからといって、どうということではない。むしろ、恋人を殺された恨みで今の様になったのなら納得出来る部分もある。
だが、どのラインを踏み違えれば、同族でさえ容赦なく滅せるのか。
あれが特殊なのか、それとも、魔玉のせいなのか。
だからこそ魔玉についても、なぜ人間に扱えたのかという口惜しい疑問を彼は追究した。
いつからか魔王が持っていたという事しか、誰も知らない。
知ろうともしなかった。
それで魔王が強くなり、魔族全員の力も高められたから、それで良かった。
だが、人間にも扱えるとなれば話は別だ。
そう考え、淡い金髪の彼は調べていた。
それは本国全域へと及ぶ大調査となったが、成果も得られた。
**
魔玉は、本国の東の町で、遠い昔に一人の女によって造られたのだと判明した。
それは怨念。いや執念がもたらしたのだという。
仲間を想い、生き延びて欲しいがための一念。
その話を伝える者は、魔玉に頼り過ぎるのは良くないのではないかと、可能なら手放すべきだと言っているという。
その当時、東の町の外れには、凶悪な魔物が住みつき出して同胞が次々と命を落とした。
そしてその中には、女の夫がいた。子もいた。
生きるための拠り所を全て失ったその女は、石に祈りを込め、念を込め、最後にはその絶望から、呪いさえ込めた。
それだけでは足りないと考えた女は、さらには自らの命さえ魔力へと変え、尋常ではない力を込めた。
あまりに異様な女の姿に、近寄る者もほとんど居なくなったほどだという。
そうしてその女の魔力と命を糧に 魔玉は生み出された。
女の願い通り、魔玉は持つ者の魔力を底上げしたらしい。と同時に、近くの同胞の全てが、その恩恵に預かった。
それが東の町の一部の者に伝え残った話だった。
魔玉は、元は青琥珀か、もしくは青水晶であろうと言われている。
だが今となっては、魔玉が何であるかは分からない。色が違うからだ。
力を与えてくれる黒い宝玉。それが伝え話を聞くまでの、魔玉の常識であった。
伝え話のように、空恐ろしい念が込められていると知っていたら、前魔王は果たして用いただろうか。
しかもさらに、その伝え話には続きがある。あまり良い話ではないし、それは彼も知る内容だった。
ある日、その黒く美しい宝玉に惹かれ過ぎた町の女が、魔玉を盗んだ。
ひとしきり眺めた後、何を思ったのか体内に入れたのだという。イザと同じく、膣深くに隠し入れたのだ。
それほどに魅入られ、誰にも渡したくなくなったのだと、後悔して話していたらしい。
というのも、イザと同じ状態になったからだ。
粘膜に長く当てたせいで、融合し始めた。
融合してしまうと、魔玉は逆に魔力を吸い上げ続けて、装着者はいずれ死ぬ。
その女が数日の間それに気付かなかったのは、夜に夫と交わっていたからだった。
だが、たった一日を空けただけで、魔力がかなり失われていると女は実感した。
魔玉を体内に隠したからに違いないと、女は直感的に悟った。
その夜は夫を誘い、少しは回復したが足りなかった。
女は夫に打ち明け、なんとか宝玉を取り出そうと試みるも、もはや腹を破るしか手が無いほどに融合していたという。
この時に初めて、粘膜に当てるとこうなると判明したのだった。
そして、融合が進んでいくのか、吸われる魔力の量が日に日に増えていった。
夫と交われば軽減するが、一人では足りない。
女は夫と話合いの末に、複数とは関係を持ちたくないという意志を貫き、夫はそれを尊重し、衰弱死を見守るという結果に終わった。
「調べ尽くせば、意外と出て来るものだな」
淡い金髪の男は、青い目を細めて言った。
それは感慨に近いが、後悔がほとんどを占める眼差しだった。
知ってどうこうなるものではなかったし、実感としては、魔玉というよりは呪物のように感じたからだ。
その呪物を創り出した女は、死の間際にまで繰り返した言葉があったという。
『石よ、同胞の勝利のために、この魔力も命も、全てを吸い上げ尽くせ』
まるで、その女の一念が生み出した呪いだ。
「ならば、イザ(あれ)が魔王となり魔族に力を与えるのは、どういう領分だ?」
呪いが沁み込んだ魔玉に、あれは操られているようにも思える。
だが、あれの執念を見る限りは、魔玉を最大限に利用し尽くしているとしか思えない。
「……災いとなってくれるなよ? イザ」
淡い金髪の彼は結局、祈るしか出来ないことに歯噛みした。
もはやどうせなら、後者であってくれよ、と。
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