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ある日、イザは突然の腹痛を訴えた。
徐々に痛みを増し、すぐさま立っていられない状態となった。
あまりの異変に、側近の一人が治癒士を集めたが、効果は薄かった。
やがて、誰かが何かに気付かないだろうかと、知識の広い者深い者、様々に集められた。
しかし、原因は分からないまま時が過ぎてゆく。
治癒士達が代わるがわるに癒すも、またすぐに痛む。
イザは体を丸くし、下腹部を抑えて呻く。
「多少の痛みなどでは、声一つ上げない女が呻くか」
イザを求めるあまり乱暴に抱く者は数人居るが、彼らに激しくされる時も、そのせいで治癒魔法を受ける時も、平然としており笑みさえ浮かべるというのに。
治癒士の一人は魔法をかけながら、その異様な痛がり方に不安を覚えた。
触診すると、下腹部が少し腫れている。もしくは膨らんでいると、そう形容した方が正しいような身体症状も出ていた。
だが、腹水が溜まるような病気ではない。それだけは分かった。
しかし、他に原因が分からない。
得体の知れない病気か……それとも別の何か。
下腹部の腫れはそこまで酷くはないが、それは臓器の炎症か腫瘍がることを意味する。そして痛がり方が普通ではない。
継続する腹痛を抑えるため、治癒士を付きっきりにさせていても、そちらが参るほどにイザの痛みは増しているらしい。そしてついには、さらなる激痛が襲う。
三日目には、イザは息絶えるのではというほど疲弊し、眠れぬその目の下には酷いクマが落ち、死相のごとくくぼんでいた。
どの治癒士にも、他の誰にも、原因となる病が分からなかった。
熱も無く、外傷も無く、食あたりのような嘔吐や下痢もない。体の肌艶は荒れ始めているが良い方であった。いわば健康そのもののはずだった。しかし、下腹部だけが少し腫れ、激痛を伴う。
最初は誰もが情の交わし過ぎだろうと訝ったが、それならば膣内や臓器の外傷として、治癒士が直ちに癒せるのだ。
それなのに、治癒魔法では一時しのぎで何ひとつ効果は無く、イザは衰弱し続けていく。
打つ手の無いまま、ひと際大きくイザが叫んだ。
これまで声を抑え呻いていたイザが、痛みに耐えかねて出した絶叫。
それが続く。
もう、イザは死ぬのだろう。そう誰もが思った。
魔族に仇成す世界中の人間を、その力で支配するという野望を、誰かが継がねばならない。
その覚悟のある者、力のある相応しい者は誰だろうかと、皆が思案した。
今、魔王たるイザをただ失っては、人間どもから一斉に反旗を翻されてしまう。すぐさま次の魔王が必要なのだった。
そのような焦りと思案の最中に、イザが股から大量の体液を吹き出していたのを、一人の女治癒士が気付いた。
掛けられていた毛布が濡れていたのだ。
それをまくり上げ、イザの下肢をあらわにすると、シーツがぼとぼとになり体液溜まりが出来ていた。
「は……破水です! これは、破水していたんです! 赤子が生まれます!」
ならば、イザの絶叫の前から、破水していたはずだった。とはいえ、陣痛の痛みどころではない痛がり方を目安になど出来ないのだが。
ともかく、この体液を破水だと仮定するならば、もはやいつ赤子が顔を出してもおかしくない。
しかし、にわかには信じ難いその指摘に、誰も対応出来なかった。
なぜなら、腹はそこまで膨らんでいないし、何よりも期間が短すぎる。そも、妊娠の兆候など何一つなかったはずだ。それは、ずっとイザに精を注いで来た彼らこそが理解していた。
だがもしも、この腹痛の期間が懐妊の時間として短縮されたものならば、出産はもう間も無い。
そう考えた男の治癒士の一人はようやく指示を飛ばし、湯を沸かさせ、清潔な布を用意させた。
激しい痛みに悶え苦しむイザに、他の治癒士たちも再び治癒魔法を施している。
怪我でも病気でもない出産には、魔法は気休め程度にしかならないが、そうしなければイザが死ぬやもしれぬ、という状態であった。
イザの全身が硬直してしまうのではというほど、手足が痙攣を起こし始めている。
激しい呼吸は、痛みを抑えるためか、それともその呼吸が痛みを増悪させているのか。
イザの意識は朦朧とし、何度も失神していた。
だが、激痛によってまた引き戻され、体を強張らせ全身が軋む。
「イザ様! もうしばらくの辛抱です! 私の合図でいきんでください!」
いつの間にか出産経験のある女が呼ばれており、イザに強く声をかけた。
誰もが信じ難くも、出産の場であるという雰囲気になりつつあった。
「ぁあああああああああああああああああああああああ!」
そしてイザの絶叫の後、それは、本当にイザの股から産まれた。
こぶし大の丸い、漆黒の玉が。
「こ……これは何だ! おぞましい化け物を産んだのではあるまいな!」
股下に転がるそれを見た老齢の側近が、反射的にそう言った。有り得ないその光景に、言葉を失っていた者達も口々に「化け物の卵ではないか!」と叫んだ。
皆、恐怖で後退りし、顔を引きつらせている。
「今すぐ破壊すべきだ!」という声も上がった。
赤子ではなく、真っ黒な玉を膣から吐き出したのだ。
人間であるはずのイザが、生物としてありえない無機物の玉を産んだ。
彼らは魔玉を見たことがある。だからそれが、魔玉かどうかはすぐさま判別出来た。
ほんの一瞬は、転がったそれをイザの胎内から吐き出された魔玉かと思ったが。
目の前の漆黒には、そう呼ばれる故の透明度がなかった。
一切の光を通さないそれは、魔玉たりえない。
「……まさか貴様、卵を産んだのか?」
化け物の――。
人間が、たったの三日で出産するなど聞いたことがない。たとえどんな生物だろうとも。
いや、出産どころか、これでは産卵だ。
どちらにしても、また奇妙でおぞましい事象を引き起こしてくれたものだ。
もしもこれが出産であるとすれば、イザは悪魔か神か。
しかしこの堕淫のイザに限って、神であろうはずがない。
ならば、悪魔だ。そして、それが産んだ卵。
これは化け物に違いないという、皆の恐怖が渦巻いていく。
「これ……大きくなっているぞ」
ただでさえ不気味な、こぶし大の黒色の玉が、徐々に大きさを増していた。
しかも、見る見る大きくなる。
「き、気色悪い! 誰か破壊しろ!」
だが、誰も動けない。
触れては自分に害が及ぶかもしれない。攻撃魔法を撃つには、皆が密集し過ぎている。
即時対応できる手段が誰にも思い浮かば無かった。
やがて漆黒の玉は、男がひと抱えしても手が周らないほどの巨大さになった。
しかし、ベッドは少し沈んでいるが、岩のような重量では全くなかった。
「き、亀裂が入ったぞ」
そして、ただでさえ気味の悪い漆黒のそれに、どんどんひびが入る。
「今のうちに、生まれる前に殺すべきなのでは――」
卵から孵る前に。
悪魔が生まれてしまう前に。
だが、誰も動けなかった。言い出したその者さえも。
「触れないで。それは……きっと、私の子なんだから」
そこにイザが目を覚ました。息も絶え絶えの声でありながら、強く言った。
激痛で何度も失神し、卵を産んだ直後にはぐったりとしていたイザが。
「イザ様……眠っていてくだされば良いものを」
「馬鹿なことを言わないで。妙なことをしたら、許さないわよ」
イザは、さらにしっかりと言葉を放った。
そして――。
殻の一部が割れた。
イザの居る方向が分かっているかのように、イザに向かっている面が割れていく。
縦に大きく亀裂が走ったかと思うと、殻を中から押し割り出て来たのは、白い手だった。
白くか細い指が、何かを探すように伸びてきた。
そして、はっきりと意志を持つかのように、その手は卵を割り、縦に開いていく。
「な、何が生まれるというのだ……」
割れた正面に居る者達は、言葉を出せなかった。
だから、それを言ったのは割れた側面に立つ者だった。
卵の裏に居る者達は、何が起きているのかまだ理解していない。
しかしイザは、何かを確信しているらしかった。
「出ておいで。私の可愛い娘」
その声に応えるように、漆黒の大きな卵は粉々になった。
まるで薄い飴細工でも砕けたような、シャリシャリと軽く弱い音を立てて。
「……マ……マ」
高く澄んだ声はたどたどしくも、クリスタルが響いたかのようだった。
発したその一音だけで、聞いた者の耳を支配する美しく甘い声色。
「そう、あなたのママよ」
赤子ではなく、すでに5歳くらいの風体だろうか。
誰もがその信じ難い光景に怯え、そして畏怖を覚えている中でイザだけは、その幼い少女に微笑んだ。
「私の、可愛い子」
「……ママ」
長い銀髪。パッチリと大きな双眸は、ルビーのごとき澄んだ深紅。きめ細かな真っ白な肌に、均整の取れた細い体。そして魔族特有の、長い耳。
それは幼くして完成された美、そのものだった。
三角座りの状態でも、幼い少女の体でも、イザの娘に違いないという、何とも言えない妖艶さをすでに纏っている。
「こっちに来られる? ママは疲れているの」
イザがやっとの思いで手を差し伸べると、幼いそれはそろりと動き出し、母の元へとすり寄った。
「いい子ね。私の可愛い娘」
「……ママ。なまえ……つけて」
「そうねぇ…………。フィリア。あなたの名前は、フィリア」
「ふぃり……あ」
イザは、そのフィリアを愛おしそうに抱きしめた。
誰もが恐怖で動けない中で、彼女たちだけの時間が流れている。
「フィリア……。生まれてきてくれて、ありがとう。愛しているわ」