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一連の流れを見ていた人たちは一瞬静まり返ってから、数秒後、一斉に悲鳴や冷やかしの歓声を上げ、企画部のオフィスはプチパニックに陥った。
「ちょっと!?どうしたんすか!先輩ッ!?」
側にいた男性社員は顔を青白くさせながら、今も私から目を逸らさない男の肩を激しくゆすった。
「おいおい、綾瀬君!?いくら急だったとしても優良物件の男を秒で断るってちょっとかわいそうだと思うぞ!!」
「部長、論点そこですかね!?というか!こんな冗談全然笑えませんけど、何考え、て……」
マウンティング争い開幕戦の第一打に、まさかこんな手をつかってくるなんて思ってもみなかった私は、完全に不意打ちを食らって、苛立ったまま男に詰め寄った。
10センチ以上もある身長差から、見上げるような形になろうとも怯むもんか!と男の顔を見上げ、文句を言ってやろうかと思っていたのに私は口を開いたまま、固まってしまった。
なぜなら、男の整った顔立ちを印象付ける切れ長の目尻が少しだけ下がり、懐かしむような切ない表情を浮かべ、困ったように笑ったからだ。
それから私がどうしたかと言うと……
「ッ……ドッキリ大成功!!実はみんなをびっくりさせようとして、打ち合わせしてたんです!!どうです?驚きました?ほら、これからは仕事仲間になるんだし、ここで仲をグッと深めようと思いまして!……ッね、えーと……中条(なかじょう)さん!」
社員証の名札から名前を確認し、親し気に呼ぶと男は体をビクリとさせて、ギャラリーを見渡した。
「いえ、俺は冗談なんかじゃ、ッ……!?」
(え!?なに言おうとしちゃってんの、この人ッ!?)
間一髪のところで男の口を抑え込んだ私は、そのままズルズルと逃げるようにその場から脱出しようと、部長に「あとは任せました」とアイコンタクトをする。
でも、その時の私は今年40歳になる鈴木部長がOL並みにこの手の話が好きな男だということをうっかり忘れてしまっていた。
その結果、私たちが去ったオフィスからは「盛り上がってきたなぁ!!」という部長の声と、それに乗っかる同僚の歓声が響く最悪な結果となった。
私は自分自身の判断ミスに肩を落としながら、静かに話が出来そうな資料室の鍵を閉めた。
「で、どういうつもりですか?冗談で言ったのならセンスを疑います」
「冗談であんなこと言うわけない」
「じゃあ、なんですか?嫌がらせ?それとも私に恥をかかせようとした?」
「違うよ、一花ちゃん」
「え?」
何が起きているのか理解しないままに、私の身体はグイっと引き寄せられる。
一花ちゃんって、なんで私の名前?
これ、抱きしめられてない?すっぽりと
あ、いい匂いするなこの人
疑問、状況、感想と散らかった考えが、頭の中でバラバラに声を上げるもんだから、反応に遅れ、見ず知らずの男のハグを無抵抗で受け入れている状態になる。
「ずっと君に会いたかった」
「ッ!?」
男のサラリと柔らかい髪が頬に当たり、耳のすぐ側で声が聞こえると、無意識に身体が震える。そのことにハッとして、ようやく私は抵抗を始めた。
男の肩を押してグッと押し返し、まずは話の出来る距離を確保する。
「なんで私の名前!?」
「君の名前を忘れるはずないだろ」
「私はあなたのことなんて知りません」
「一花ちゃんが俺のことを覚えていないのは無理もない。だけど俺は一瞬だって君を忘れたことはないよ」
「覚えてないとかじゃなくて、知らないってば!!」
「昔から転校ばかり繰り返していて、友達なんて一人もいなかった」
「聞いてます!?人の話」
「あの頃の俺は人とまともに話も出来ないダメなやつだったけど、そんな俺にも関わろうとしてくれた君と出会って、一花ちゃんを好きになって変わろうと思えて……」
その瞬間、言葉を詰まらせ俯く男の姿が記憶の中のある人物と重なった。
「中条(なかじょう)……、太一(たいち)……?」
自然に出た名前に自分自身も驚いた。
人生の1ページも飾れないようなとても短い間の、今でも忘れられないわだかまりを私の心に残していったあの転校生の男の子。
「憶えていてくれてたのか……?うわ、どうしよ……。嬉しい」
すっかり大人の男性になり、あの頃とは別人みたいにコロコロと表情が変わる太一くんに私は目が離せないでいた。
初めは女子社員の視線をくぎ付けにするような完璧な顔で微笑んでいたのに、私に知らない人だと言われたときはひどく辛そうな顔をして、今は赤くなった顔と緩んだ口元を隠すように、視線を逸らす。
そしてまた、こっちが目を逸らしたくなるほど真っ直ぐに私を見て言った。
「俺、……変わったんだ。一花ちゃんに見合う男になるために努力した。今の俺なら絶対、君を幸せにできるって自信を持って言える。だから一花ちゃん、俺と――」
「どうして変わっちゃったかなぁ!?」
「ん?……い、一花ちゃん?」
ああ、心の声が思わず出てしまった。
だけど、これが私の本音だ。
この男は私の為に変わったというが、私から言わせればあの頃の太一くんの方が10倍……いや、100倍魅力的だ。
「どうして、どうしてそんなことになってしまったの!?まず……その笑顔はどこで覚えたッ!?」
「ああ、これは毎日鏡に向かって笑顔の練習をした。今では無意識に出来るようになったし、仕事でも大いに役立っているよ」
「でしょうね!女子社員の心を一瞬にして盗んだ大泥棒!その笑顔で営業もスムーズに契約取ってくるのが目に見えるわ」
「それから、コミュニケーション能力をつけるために、大学では出来るだけ沢山の人と会話をして、人によってどういう風に話したら、いい関係を築けるのか4年間みっちり研究して、論文を書いたよ」
「納得だよ、その社交性!!その論文読めば私にもそれ身につきますか!?」
「隣を歩く一花ちゃんが恥をかかないように猫背を直して、見た目にも気を遣ってる。カッコよく見えるウォーキングを習得したんだ」
「一般人がウォーキング習得せんでいい!あと勝手に隣に登場させないで」
「あはは」
「なに笑ってんのよ」
「一花ちゃんがあの頃のまま、変わらないのが嬉しくて」
「それは私が全く成長してないって言う嫌味?」
「ううん。俺の大好きな一花ちゃんのままだ」
そう言った彼が、本当に嬉しそうに笑うもんだから、私の怒りや戸惑いはどこかへ引っ込んでしまって
こんな風に笑うのなら、中学生だった頃の太一くんをどんな手を使っても笑わせてやれば良かった、とまた少し思い出に悔いが上乗せされた。
でも、あの頃を思い出すと感じるはずの痛みは不思議となくて、ただ大人になった彼が今、こうして笑っていることにとても安堵した。
「一花ちゃん、好きだよ」
「……ッ……。あ!時間ヤバい!もう行かなきゃ!」
「ッ……待って!一花ちゃん!!」
逃げるように去った私は、自分のデスクに深く座って大きく息を吐いた。
それは決して、胸の高鳴りを落ち着かせたかったとかそんな可愛いもんじゃない。
強く抱きしめられても、ストレートな好きの言葉にも
(どうしよ……。これっぽっちもトキメかない)