その日は普段と変わらないいつも通りの日だった。いい天気で、風がゆったりと吹いていて。
今日は何の服が良いかなぁ…
「四季ちゃーん、京夜さんですよ〜」
ガラスと、いつもどおり扉を開けた先には四季が居るはずだった…。
「…えっ」
けれども部屋には風に揺られるレースカーテンと、窓辺に置かれて木の椅子だけがそこに存在した。
『また…居なくなってしまった』
頭を埋め尽くすのは不安と恐怖。四季が居なかった記憶は虚しくて。守れなかったあの日の記憶が蘇って精神を蝕む。
持っていたタオルも櫛も全て手から滑り落ちた。
廊下から誰かが走る音がした。遠くから近付く音。何も無いと思ってた。
黒板にチョークが擦れる音を掻き消す、木の扉の音が盛大に響いた。
「だっ!ダノッチ!!!!」
教室の扉が授業中だと言うのに思い切り開かれた。
屏風ヶ浦の大きく跳ねた肩を視界から外して音の方を見やれば、廊下には汗を垂らしながら青ざめた顔の…妙に切迫した様子の花魁坂京夜がいた。
「どうした、今は」
授業中だ。そう言おうとした無蛇野の腕を掴み花魁坂は息も整えずに叫んだ。
「四季ちゃんが居ないッ!!」
「っ、!?」
混乱を浮かべる生徒達を他所に、状況を直ぐに理解した無蛇野は廊下に飛び出し、ローラスケートを思い切り走らせた。
「じ、自習にするから!!」
柱に手を付きながら汗を落とす花魁坂はそう言い残して消えて行った。
「…は?」
残された皇后崎達の声が短く響いた。
「四季、しき」
頼む。もう、どこにも行かないでくれ。
心臓が締め付けられたかのように、息が上手くできなくなる。
「四季っ!!」
(いない)
(いない)
(…いない)
開き教室も、保健室も、食堂も、四季が関係してそうな所は全て調べた。
でも、どこにも居なかった。
「だの…っち、また。また俺たちは守れなかった?」
「四季ちゃんがっ、また!」
白衣が肩からずり落ちていても戻す気力も無いかのように、花魁坂は譫言のように呟く。
「大丈夫だ、いま真澄達にも連絡を取った…」
「並木度の…血蝕解放ならすぐ探せる。」
スマホにヒビが入るほどに握りしめた。無蛇野の手には血管がしっかりと浮かんでいた。
花魁坂を宥めるように言った無蛇野の声は、普段の落ち着きも冷静さの欠片も無くなっていた。
揺蕩う微睡みの中にずっといた。
いつからいたのか、どうしているのかもわからないけど…暖かかった。
ここに居たい。
痛くもない。苦しくも寂しくもない。
「ところでわたしは、だれなんだろう…?」
「きずだらけ…」
「かみながい…」
落とした視線で自分の手を見た。分かんない。
見える範囲の体を見ても、自分が誰なのかわからない。
持ち上げる腕は痺れがずっと走っている、伸ばす足にも。
動かしづらい
「なんでだろ」
溢した言葉に返してくれる人は居なかった。
ずーっとその中にいた。ひとりで。
春の日みたいな暖かさの中で時々、手や首腕、腹に感じる鋭い寒さが辛かった。
「…まただ」
「また、聞こえる」
何もないこの空間で、することはない。歩くことも上手く出来ない。
なのに一定間隔で、誰かの声が聞こえてくる
「…ーー、今日はいい天気だな」
優しい声で、色々話してくれる。それを聞くのが毎日の楽しみで。
その声はどこかで聞いたことがあるんだと最初は思った。昔から知ってる気がしてた。
でも思い出すこともできないし、誰の声かもわからない。
「やっほ〜、ーーちゃん」
「ーー、いい子にしてたか?」
「ーー先輩、髪梳かしますね」
「よー、ーー先輩…遊びに来たぜ〜」
「今日もきれいですね、ーー先輩」
「もうすぐ冬が来るそうだ、ーー先輩!ゲホッ」
「ーー先輩はこのお菓子好きだったよなぁ!!」
何度も何度も聞こえる。毎日聞こえてくる。
「おはよう」
誰かわからない、彼らの優しい声を聞いていたい。でもいつくるかはわからないから、聞こえたら嬉しくなる。
その声でホッとする。自然と笑みが溢れる。
「この声を向けられているのが私だったら嬉しいなぁ…」
声を聞くたびに白かった空間は色が増えていった。
「確か、あれは桜」
「あれは、百日紅」
「あれが紅葉」
「あれは柊」
指差す先には数多の樹木や草花。ずっと咲きほこっていることにふと違和感を覚えた。
紅葉の色ってなんで緑と赤2色あるのかな…赤いのは柊に近い方で、緑の葉は百日紅に近い方…。
なんかの区切り?
そう頭を傾げていれば、後ろから懐かしい声がした。
『…四季』
あれ?親父?なんでここに居んだよ…
「親父は…も、う死んだ…はずじゃ」
「あれ…え?嘘だ」
痛い。頭が痛い。
親父がいる。
死んだのに?
私は、いや…おれは
『四季』
『行ってこい!』
重い瞼をゆっくりと開けた、何度も何度も瞬きをして。視界に映るものは木製の壁と床。
ほのかに匂うお香。
「あぁ、ほんとい…たいよ、おやじ」
背中が痛い。でもあったかい。
溢れている涙。揺れるレースカーテン。長い髪。外は満月が昇っている真夜中。
「俺は…一ノ瀬、四季だ…」
1人だけの部屋に落とした声が広く伸びた。服に染み込む涙を拭おうと上げた腕には数多の傷跡と、慣れた痺れが強く走った。
「会、いたい…」
どうしてここにいるのかも、今が何月なのかもわからない。けどこれだけは確かに分かる。
ーみんなに会いたい。
細くなった足で体重をなんとか支えながら、その願いだけを抱えて足を半引き摺ってでも部屋を後にした。
長い長い廊下には見覚えがあった。何度も歩いたことがある。
ここは、羅刹だ。知ってる。この独特の匂いも、雰囲気も。
ゆっくりと一歩ずつ歩みを進める。汗が滲んでも。口の中が鉄分の匂いでいっぱいになる。
でも、それでも四季は足を止めることはしなかった。
「…あ、むっくん、じゃん…」
「久々、だねぇ…」
学園から出て森の奥、木々に体重を掛けながら上げた足が滑り転ぶかと思った体を小さいむっくんが支えてくれた。
「ありがと…」
「あと、もうちょっとな、んだ… 」
「ムー!!」
「手…伝ってく、れんの?」
「む〜」
息は絶え絶えになっている。もう少し。むっくんに支えながら抜けた森の先には開けた花畑。
「よぉ、やく…ついたぁ…」
まの微睡みの中で見ていた景色は見たことがあると、ずっと思ってた。
「ここ、だった。かぁ…」
中央で座り込んだ四季が風の冷たさに少し身震いをすれば、側にいたムッくんは短い手足を器用に動かして四季の膝の上に座った。
「む〜」
「ぁ、りがとな…」
小さな温もりに身を委ねながら、また襲う眠気に疲れ切った体が抗えるはずもなく、ゆっくりと意識を手放した。
「…おい、四季がいねぇってどう言うことだよ」
「まっすー!良かった着いたんだね、意味はって言われても、そのまんまの意味だよ、居ないんだ。四季ちゃんがあの部屋に、学園のどこ探しても。」
蒼白な顔をした花魁坂は捲し立てるように話す。
「チッ…馨」
「はい、わかってます」
真澄に言われるよりも早く小瓶を振りながら目を閉じた。
「学園内じゃなくて…森の中に」
「1人います…」
「多分四季先輩です」
馨の声に弾かれたように真澄達が走り出した。走りっぱなしで既に息が上がっている花魁坂を置き去りにする勢いで。
「え、みんな早くない?置いてかないで!!」
「幽君も早くない!?いつもより早いよね!??」
森に消える背中を追いかけて花魁坂も走り出した。
「…」
花畑に散らばる白髪、囲むように寝ているむっくん達。中央にいるいる四季。
「…お、花魁坂」
青ざめた顔で嫌な思いばかりが募る無蛇野が、漸く追いついた花魁坂をよんだ。
「!…わかってる」
むっくんの間を縫うように進んだ花魁坂が、横たわる四季の細い首に手を伸ばす。
汗が伝い、震える手を白い肌に這わせた。
緩やかに脈動を打つ総頸動脈に長く安堵に息を吐いた。
「大丈夫、生きてる」
無蛇野達に自分を安心させるために、飲み込ませるために口にした。
「…四季」
横たわる四季の頬に手を伸ばした無蛇野の体温が移る。閉じていた瞼が震えてゆっくりと持ち上げられた。
「四季ちゃん、さがしたんだよ〜」
「ビビったぁ〜、マジで死ぬかと思ったわ」
「四季先輩が穢れるからお前は来なくても良かったよ」
「やっぱり俺にだけ対応酷くない?」
「にゃんともなくて、安心した…」
「先輩を想うその気持ちgoodだ!ゲホッゴホッッ!!!」
「チッ、猫ぉ…四季にかかったらどうすんだよ」
「べ、つにかかっても、いいよ」
「ですってよ」
「「え?」」
起き上がらせようと体を支えてた無蛇野と花魁坂の動きが止まる。
いや、その場に居たみんなの動きが。
じっと四季を見つめる、重たげな瞼を上げて真っ直ぐ見つめ返す。
その目に光が反射している。輝いている。
「お、はよぉ」
小さい唇から、何年も話していないせいで掠れた四季の声が聞こえた。
「し、きちゃん」
「しき」
立ち上がった四季の体を無蛇野は強く抱きしめた。細く壊れてしまいそうな体を抱きしめた。
花魁坂は四季の背中に顔を押し付ける。涙を両目からボロボロと溢して抱きついている。
2人の間から出ている小さい背中を真澄が叩く。頼りないほどに柔らかい肩に頭を乗せる。
無蛇野の背中からはみ出てる両手の、右を紫苑が左手を握り締めた。
細い指に絡ませながら唇を落とす紫苑。
指を絡ませ撫でて縋るように自分の額に押し付ける馨。
猫咲は四季の白髪を何度も優しく撫でた、その手に伝わる温度を確かめて。
猫咲の手によって揺れる髪を印南は指を通す。
「ないとぉ…いたい、って」
厚い胸板に埋もれながら四季は並木度達の手を握り返し、猫咲の手に頭を擦り付ける。
「おかえりぃ、おかえり四季ちゃん…」
「会いたかった」
「もう居なくなんなよ」
未だ話せてくれそうもない彼らの体温に身を委ねながら四季は微笑む。
「あったかいなぁ…」
完
無事?完結いたしました〜!!
ここまで読んでいただきありがとうございました…
未熟な言葉や、表現の自分の作品を読んでいただけた皆様のおかげで完結したようなものです…。
本当にありがとうございました。
といっても数年後の話を書こうと思っているのであと数話は続くんですけどね…
一応解説といたしましては
四季は意識がない中でもみんなの声が聞こえていた。
その声のおかげで四季は生きようと抗うことを辞めなかった。
何もない意識で増えていった色は季節を象徴するものが増えていくことで、四季を取り戻していった。
『四季』が消えていた『私』の中で何度も何度も「四季」と呼ばれたことで失っていた『四季』を徐々に取り戻した。
桜 春
「精神の美」「純潔」「優美な女性」
四季の拷問をかけられても、何年経っても言わなかった精神に対する言葉。
四季が信じて待ってたことと、皆んなが四季へ思う感情。
四季に見た目が変わっても変わることがない精神と強さに対して。
百日紅(さるすべり) 夏
「雄弁」「愛嬌」「あなたを信じる」「潔白」
意識がない空間での声。
四季の無邪気で優しい強さを持っているところ。
四季が捕まっていても皆んなが来てくれると信じてたこと。四季がいつか記憶を戻して名前を呼んでくれると思っていたこと。
紅葉 秋
「美しい変化」「大切な思い出」
四季の髪色や生徒時代と隊員時代のこと
四季が居なくなった後の皆んなの記憶に残ってた四季のこと。
柊 冬
「用心深さ」「保護」「先見の明」
もう四季が居なくならないように、意識のない中でも見張って囲っていたこと。
四季が意識を戻して会えなかった分、意識してなかったにも関わらず愛されるであろう未来を分かってしまったこと。
等の花言葉を使っております
以下、仲良くさせてもらってる方とコメントでお話しした書いてない設定+表現です。
四季ちゃんが居なくなってから数年経った時点で無事でもない事も分かっていながらも、心のどこかで「鬼神だから」と「四季だから」と生きて帰ってくる事を思っていた。
けれど帰ってきたのは元の四季ちゃんじゃ無かったから、手放しで喜ぶことが出来ないでいる。
声も聞けなくなっていたからこそ思い出と過去に浸って過去に溺れようとしているのを、互いに阻止していた。
鬼機関は死とも隣り合わせだからこそ学生時代が支えになっている。
四季ちゃんは、1人で居ようとしても巻き込んで生き方を大きく変えてしまう魅力があるから好きになった。
好きだから戦場に行かないように閉じ込めておこうとしたけれども、自由で太陽の元を歩く四季ちゃんが好きだったから閉じ込めないでいたのに、桃に連れ去られてこうなちゃった今は、もう傷付けられないように羅刹に軟禁してる。
閉じ込めれば、嫌われていたかもしれないけど無事でいてくれた。と思ってるので無蛇野さんと花魁坂さん以外は定期的に羅刹に来て四季に会いながらも後悔をしてる
監禁の方は、意識して読んでも分かりにくいぐらいだったからもうちょっと顕著に書いても良かったな…
と今更ながら後悔してます…
本当にここまでありがとうございました…
書き終わるまで、他の方のノベルやコメントを返信しないっていう自分の中でのけじめを持ってたんですけど、遅くなりました…
1日遅くなってしまいすみませんでした、皆さんが楽しんでいただけたのならば幸いです。
バットエンドverは希望がございましたら書く予定です…
コメント
60件
完結おめでとうございます!!!四季がみんなの声聞こえてたって書かれてたの見た瞬間まじで泣くかと思いました笑数年後の話楽しみです!!!!
完結おめでと~!
完結おめでとうございます!!✨️ 1話1話がほんとに繊細で面白くて、次の話がでるのがとても待ち遠しかったのを思い出します!! ほんとに素晴らしい作品をありがとうございます!!ꯁꯧ