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ブーブーブーブー
その日は早朝から携帯電話が鳴り響き、そのバイブ音で私は目を覚ました。
今日の仕事は昼からだから、こんな早朝に誰かから連絡が入るのは珍しい。
しかも私が電話に出ないと催促するかのように、何度も何度も何度もかかってきている。
これは異常事態に違いないと感じ、緊張が走った。
まだ外は薄暗く、私はベッドサイドテーブルの電気を点けると、やや強張《こわば》った声で電話に出た。
「‥‥もしもし?」
「亜希!やっと出た!」
電話口からは皆川さんの切羽詰まった声が響く。
皆川さんがこんな焦っているのは非常に珍しく、それだけで緊急事態なのが分かった。
「どうしたんですか‥‥?」
「どうしたかじゃないよ!週刊誌の文秋に亜希のスキャンダルが今日載る。なんとか手を回そうとしたけど、もう止められない。たぶんあと1時間もすれば、ネットにも上がり出す」
「文秋?スキャンダル?」
何のことかサッパリ分からず、勢いよく話す皆川さんに私はついていけない。
その私の反応に気づき、皆川さんは訝し気だ。
「そうだよ。なんで僕に言ってくれなかった?知ってたらもっと手を打てたかもしれないのに」
「あの、ごめんなさい。話が見えない。スキャンダルって何のこと?」
「心当たりないの?これ、写真は僕から見ても明らかに亜希だよ。今から原稿のデータを携帯に送るから見て」
すぐに原稿が添付されてメールが届く。
私は電話をスピーカーフォンにして、皆川さんとの通話を維持しながら、原稿を確認する。
見た瞬間、驚きすぎて表情がすべて抜け落ちた。
スマホを持つ手が小刻みに震え始める。
「な、なにこれ‥‥」
そこには、【人気急上昇中の清純派女優の裏の顔。夜はイケメン持ち帰りでハッスル】というセンセーショナルな見出しと、ホテルのベッドの中で男性に腕枕をされて眠っている女性の写真が掲載されていた。
シーツで身体を隠しているが、男女ともに上半身は裸で事後である雰囲気が伝わってくる。
そしてその女性は私から見ても私だったのだ。
だけど全く心当たりがないのだ。
男性にはモザイクが入っているが、入っていなかったとしても、こんな人は知らない。
「彼氏がいるなら報告してって何度も言ったのに。これが世に出たら亜希はもう終わりだ‥‥」
「皆川さん、私こんなの知らない‥‥!本当に心当たりがない!」
「‥‥でもこれはどう見ても亜希だよね?」
「それはそうだけど。でも本当に分からない!」
わけがわからなすぎて混乱し、私はただただ「分からない、知らない」という言葉を繰り返した。
心臓がバクバクして動悸が止まらない。
「とりあえずこれから社長と一緒に亜希の家に行くから話を聞かせて。あと今日の予定は全部キャンセルね」
「‥‥分かった」
「40分以内には着くからね」
そう言って皆川さんは素早く電話を切った。
私は半ば呆然としてしまい、動くことすらできなかった。
皆川さんとの通話から30分くらいが経った頃、玄関のチャイムが鳴る。
コンシェルジュに2人の訪問は伝えてあったため、玄関までそのまま進んできてもらった。
私は呆然としていて起きた時から僅かに身だしなみを整えた程度だったが、2人を家の中に招き入れる。
社長と皆川さんの顔色は悪く、事態が最悪なことがそれだけで伝わってくる。
3人とも何も言わず、無言のままリビングのソファーに全員で腰掛けた。
お通夜のような空気の中、最初に沈黙を破ったのは社長だった。
「それで亜希、まずは状況を説明してほしい」
「先程皆川さんにも話しましたが、私には全く心当たりがありません。本当に分からないんです‥‥」
「でもこの写真はお前だよな」
「‥‥私ですね」
「お前、事務所に秘密で男がいたのか?」
「いません!本当です!」
「なら、これはなんだ!?」
最初は落ち着いていた社長は、だんだんと行き場のない感情を吐き出すように激昂した。
その怒りに触れ、悪いことはしていないはずなのに、思わず身が縮まる。
見かねたように助け舟を出してくれたのは皆川さんだ。
「社長落ち着いてください。確かにマネージャーの私からしても、亜希に彼氏がいる気配はなかったです。だからこそ僕も驚いているわけですけど」
皆川さんは今度は私に目を向け、確認するようにゆっくり問いかけてきた。
「亜希、例えばここ最近で意識を失うこととかなかった?記憶が飛んでたことがあるとか」
「意識を失う?記憶が飛ぶ‥‥?」
そう言われてここ最近のことを思い出し、思わず背筋がゾクリとする。
動悸が早くなり、冷や汗が噴き出す。
「その様子だとあるんだね?」
「‥‥はい。2週間くらい前のことです。ドラマの打上げに行って途中で寝ちゃったみたいで、気付いたら家にいました。その間の記憶はありませんが‥‥でも‥‥」
そう、そんなことが少し前にあったのだ。
家に帰って来ていたことから、飲み過ぎたけどなんとか自分で帰ってきたのかなと思っていた。
着衣の乱れや身体の違和感もなかった。
「それは薬を盛られて寝てしまい、ホテルに連れ込まれて写真を意図的に撮られた可能性はあるかもね」
「そんな‥‥!でもじゃあなんで家に!?」
皆川さんは顎に手を当てて少し考えながら、ありうる可能性を述べる。
「そうだな、例えば同じマンションの住人だったらコンシェルジュのいる入口は問題なく入れるだろう。2人とも住人なんだし、酔っ払ったから介抱しているとでも言えば信じるだろうし」
「‥‥!」
「あとは意識のない亜希の鞄から鍵を見つければ、家の中にも入れる」
そんなことが可能なのだろうか。
知らない間にそんなことをされていた可能性を考えると寒気がした。
私は恐怖でガタガタと震え始める。
「状況は分かった。亜希に心当たりがない以上、皆川の言う可能性が高いだろう。だが、写真が本人である以上、文秋を止めることはできない。事務所としてももう手は回せない」
「そんな‥‥」
「あと亜希には覚悟しておいて欲しい。こうなった以上、清純派で売ってたお前のイメージは失落する。今入ってる仕事はすべて流れるだろう。お前の女優生命はかなり厳しい。これ以降は俺も皆川も謝罪行脚することになる」
真剣な眼差しで話す社長の言葉は、一言一言が重く、私を突き刺すようだった。
この先の女優生命すら危ぶまれる状況に目の前が真っ暗になる。
「CMスポンサーやテレビ局からは違約金も請求されるだろう。ただ、今回のことはお前の脇が甘かったとはいえ、お前も被害者で同情の余地があると俺は考えている。だから、お前が今まで稼いで事務所に貢献した金でやりくりして、お前個人には賠償を求めない方向で調整しようと思う。事務所がお前のためにできるのはここまでだ」
経営者でもある社長は他のタレントや社員を守るためにシビアな判断をしなければならない。
そんな社長の精一杯の温情なのだろう。
「社長‥‥お心遣いありがとうございます」
「たぶんお前への風当たりは相当になるはずだ。今日から一切外に出るな、外部とも連絡を取るな。いいな?」
「はい‥‥」
昨日の今頃には全く想像もしなかった事態に私はただただ動揺して呆然とするしかなかった。
社長と皆川さんは細々と今後のことを確認すると、この後の対応と謝罪行脚に向けて早々と帰っていった。
一人残され、改めて事態の大きさと深刻さに身震いがした。
自分を慰めるように私は腕を肩に回して自分を抱きしめる。
その時、ふと昨日の真梨花の言葉が蘇ってきた。
ーー「調子にのってられるのもあと少しですよ」
(もしかして、あれはこのことを言ってたの!?ということは、真梨花はこの事態を知っていた?ううん、むしろ私を陥れた‥‥?)
そう思えば合点がいく気がした。
私の身が無事だったことからも、これはスキャンダルを捏造することだけが目的だ。
つまり私を陥れて女優生命を奪うことが真の目的なのではないかと思えるのだ。
彼女が事前に知っていた以上、なにかしら関わりがあるのは間違いなかった。
(だけど、外部と連絡を取ることを禁じられているから確認ができない!それに聞いたところでシラを切られる可能性が高いかも。証拠がないんだから‥‥)
はぁと大きくため息が漏れた。
それから2時間くらいが経過した頃から、携帯電話がひっきりなしに鳴り始めた。
過去に共演した役者仲間や監督、スタッフさんなどからだった。
おそらく文秋の記事が公開されたのだろう。
心苦しくも、社長の指示通りそれらには一切応えずに無視した。
確認のために自分でもインターネットを開いてみると、大手検索エンジンのトップニュースに上がっていた。
さらにSNSのトレンドワードにも「神奈月亜希」の名前がランクインしている。
恐る恐るコメントを見ると、罵詈雑言の嵐だった。
ーーマジ最悪。応援してたのに。
ーーなにが清純派だ。ただの淫乱じゃねぇか。
ーー幻滅した。もうテレビで見たくない。
ーー騙されてた気分。すべて演技か。
ーーもう女優としては終わりでしょ。死ね。
ーー淫乱、ビッチ、死ね、死ね、死ね、死ね。
辛辣な言葉の連続に、スマホを持つ手がガタガタと震え、胸が張り裂けそうに痛い。
こんなにも多くの人の悪意を一斉に浴びて気が狂いそうだった。
さらに、お昼になるとテレビのワイドショーが始まり、文秋の記事を紹介しながら特集として取り上げ始めた。
コメンテーターの斬るような言葉が、グサグサと突き刺さる。
テレビで特集されることで、ネットニュースやSNSはさらに加熱し、あることないこと書かれていく。
今回の件だけでなく、私の学生時代の写真が晒され、学生時代の友人という人がインタビューまでされている。
ーー彼女は昔から男癖が悪くて。取っ替え引っ替えでしたね~。
ーーあの顔だからモテるんですよ。だから男漁りがひどくて、みんな引いてました。
ーー彼女と関係のあった人に聞いたところによると、夜も激しいらしですよ。
見たこともない人が得意気に私を語っている。
どれもこれも事実無根な話なのに、さも真実のように語られ、報道され、事実として世の中に伝わっていくことに恐怖を感じた。
その日の夜は眠れなかった。
目を瞑ると、世の中の人々からの悪意を思い出して怖くて怖くてたまらない。
社長が言っていた風当たりの強さをまさに今実感するとともに、女優生命が終わるという言葉の意味を真に理解した。
(私はもう演じられないんだ‥‥。終わりなんだ‥‥)
これまで積み重ねてきたことが一瞬で崩れ去る瞬間だった。
砂で作ったお城が、風に吹かれてサラサラと崩れていくようだ。
こんな報道が3日程続くと、他に大きなニュースが飛び込んできたことを受け、人々の関心が移り、ようやく私の話題は鎮火してきた。
ずっと一人で悪意に晒されてきた私は、まともに食べれず、眠れずで心身がすっかり弱ってしまっていた。
毛布を頭から被り、ぐるぐる巻きになって部屋の片隅に隠れるようにして過ごしていたのだ。
誰も家にまではやってこないが、怖くて怖くて仕方がなかった。
真梨花から電話がかかってきたのは、そんな頃だった。
思わず着信にビクッと身を縮ませる。
相手を見て、社長の指示がすっ飛んでしまい、私は無意識に通話ボタンを押した。
「‥‥もしもし」
「亜希さんですかぁ~?ふふふっ、私の言ってた通りになったでしょ?今どんな気分ですかぁ?」
「‥‥あなたなの?これを仕組んだのは」
「仕組んだなんて人聞きが悪いじゃないですかぁ。私は計画しただけですよぉ?協力してくれる人を探すの大変だったんですからぁ!」
真梨花は楽しそうに甲高く笑っている。
その声が私を刺激し、腹の底から低い声が出た。
「ふざけないで!」
「ふざけてないですよぉ。あんたが清純派ぶってるのが悪いんでしょ。いつもいつも社長や皆川さんに良くしてもらってお気に入りで。エコ贔屓されてるのがムカついてたのよ。もうあんたの女優生命はお・わ・り!ふふふふっ、ざまぁみろ」
「なっ‥‥」
「ちなみに、あの月9ドラマのヒロイン、代役で私に回ってきたからぁ。お気の毒様。もうあんたはお役御免なの~。じゃあね、せいぜい苦しんでちょうだいねぇ?」
言いたいことをつらつらと話すと、真梨花は一方的に電話を切った。
こんなにも恨まれて、嫉妬されていたなんて思いもしなかった。
それに私がもっと早く違和感に気づいていれば‥‥。
事実を聞き、私は魂を抜かれたように目がうつろになり愕然としてしまったのだったーー。