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坤鬼舎は森の小路から鳥居を抜け、その正面に見る主殿と、独立して構える北の対屋、あとは元は物置だったわたしたちの小さな局で成り立っている。廃絶した神社を修繕したといっても、刻んだ年季は誤魔化せない味のある建物。
わたしたちはそこに住まう五人の鬼女。
晴明さまと共に戦う式神であり、坤鬼舎を運営して、晴明さまやお互いのお世話をし合う女房でもある。坤鬼舎は都の裏鬼門の備えであると同時に、晴明さまの奥向きとしての役割も果たすのだ。
と言ってもウチは鬼女が五人の小所帯。大内裏みたいに十二司で役割分担なんてできないし、穢悪も祓うからお上品な仕草作法もやっていられない。
みんなでその日その日を忙しく過ごし、毎日を送る。そしてわたしはそんな坤鬼舎で過ごす日々を、この上なく愛していた。
今日は亜鐘姉さまと共に、生活に必要なあれこれを洛内へ買い出しに向かう。
いつも通り市女笠を被いてツノを隠し、小袖の上に大袖を羽織って壺折り。男がいないとなにかと不便なので、モリもお供に付いてきてもらった。
出発は朝餉を頂いてから。少し遅めの出発だけど、市はあまり朝が早いと開いていないし、鬼が三人だと歩みが速い。わたしたちは陽が高く昇った頃に桂川を渡って都を前にしていた。
都へは西、右京側から入る。
ただ都と言っても、右京側は人通りもまばらで、外れにはぬかるみも多い。夜になると賊もうろつく物騒な場所である。
ただそれでも都は都。やや行くとぽつぽつと人の気配も増え、
「じゃあこここからは、普通の歩みで参りましょう」
額に手ぬぐいを緩く巻いたモリは、周りを見ながら言った。
「ツノを見られて我らの尻が割れちゃ、使庁の放免どもが飛んで来ちまいますからね。目立たず目立たず」
「――うん」
「まったく、鬼ってだけで罪人扱いされちゃたまりませんな」
モリの言葉を聞いて、わたしは市女笠を深くかぶり直した。
水底の砂をひっかいたように、心の中がほんの少し、でも確かにざわめいた。
検非違使のお役人が来てこの中で一番困るのは、――誰あろうわたしだ。鬼という理由ではなく、人間は正当な由でわたしを裁く。
過去は、逃がしてくれない。
「生まれ変わったのよ、夜火は」
事情を知る亜鐘姉さまが、わたしのお尻をポンと叩く。
「前世の罪障まで問わないのが人情でしょう? いまここにいるのは、都のために命をかける夜火だから」
「……ありがとうございます」
「わたしにだって忘れたい昔があるもの。坤鬼舎の鬼女はみんなそうだし、だからこそ生まれ変わって、救ってくれた晴明さまをお慕いしている」
「――はい」
「夜火も、昔のままじゃないのよ。あの頃は狂犬みたいな目をしていたんだから。怖かったわあ」
「もう、言わないでください~」
照れ臭くなって、わたしも亜鐘姉さまのお尻を叩きにいく。彼女はそれをひょいと避け、またわたしが追いかけて二人してアハハと笑っていると、モリが人目を気にしながら、まあまあと両手の平をこっちに向けていた。
「陰気なこんな場所じゃ目立ちますゆえ。それでなくとも右京は来るたびに幽居が増えておりますのに。洛東はまだ華やかだと聞きますが……」
モリが左右を見て苦い顔をした。
この辺りは地形が傾いていて水はけが悪く、土地がすぐにぬかるむ。田畑は育たず貧しい者は増えて、飢餓が起こり、治安は悪くなるばかり。
「こういう土地は怨嗟を生みます。どのあばら屋も、飢えと無縁ではないでしょう」
モリがわたしの視線を目で追って、ため息をついた。
「穢悪が生まれやすいってことだよね?」
「然り」
モリはボロ着の痩せた老婆を見ながら、わたしの言を肯定した。
「耐乏に飢え。この手の怨嗟が都から放たれたのは昨日今日ではありませんが、しかしながらその目方に能う穢悪は未だ現じず。穢悪とならず、いずこかに怨が溜まっておるのでしょうな」
「空に昇って消えちゃったとか」
「――夜火の女君もお分かりでしょう。肌で感じる怨の気配は急迫しており、さながら千切れかけた糸のようです」
「……晴明さまが、なんとかしてくれるよ。わたしだって手伝うし」
「だといいですが。ま、朝所には徳のある恵み深い政をお願いしたいですなぁ。穢悪が減る一番の近道です」
貧民窟を抜けて都らしい人通りに合流すると、やがて西の市に辿り着く。
既に市の大門は開き、喧騒とも表現できそうな活気で溢れていた。
亜鐘姉さまは導かれるように中へ突撃して、並ぶ品々に目を輝かせる。
西市では市舎を中心に看板が立てられ、所狭しと店が軒に並んでいる。市人はそれぞれ定められた品に木の付け札を挟み、威勢よく客を呼び込んでいた。
西市に並ぶのは主に絹や麻、食器など日常の品々。亜鐘姉さまは目ぼしい品を手に取って眺めているけど、わたしは欲に乏しいのか、綺麗な蒔絵の品などを見ても、どうにも侘しく感じてしまう。干魚だけは美味しそうだなと思った。
なんにしろ、爛々と目を輝かす亜鐘姉さまの邪魔をしちゃ悪い。ここで三人いても邪魔になるし、亜鐘姉さまが値切り始めたら時間が要る。
わたしはモリと一緒に、市の大門から離れて道の隅に佇んだ。貴賤貧富を問わず市には人が大勢いて、市女笠で顔を隠す亜鐘姉さまの姿も目立たない。
確か、果子を求めに市のだいぶ奥まで行くんだっけ。前に晴明さまが褒めてくれた品があるって。陸燈姉さまに遠慮しているけど、やっぱり亜鐘姉さまも晴明さまの寵愛が欲しいのだ。
もちろんわたしだって、とは思う。
だけど晴明さまは一人しかいなくて、鬼女は五人。
しかも晴明さまはお務めのときと気が向いたときだけしかいらっしゃらないし、お渡りになる局は主殿に近い場所から順と定まっている。わたしなんて見習いみたいなもんだから、まだ順番の中にさえ入れてもらえないのだ。
まあ、分かっていたけど。
たぶん、この見習いは明けないだろうな。
こんな背が低くて犬っころみたいなわたしは、どう頑張っても他の鬼女に女の部分で敵わないから。それなら潔く遠慮しておくのが筋道と心得ている。しょうがないのだ。五人もいるんだから……。
「……ねえ、モリ」
考えが切なくなってきたので、わたしは亜鐘姉さまに目を置いたまま、隣に控える彼に声をかけた。
「聞きたいんだけど、鬼女のお産って普通の人間と違うの?」
「変わりはしませんよ。ただ人間と鬼女ではお子が宿りにくいみたいですがな」
「だから、晴明さまもまだなんだ」
「でしょうな。晴明さまがお渡りの順を守るのは、そのための工夫も兼ねるのですよ。女との相性もあるでしょうから、偏らぬように。家督を継ぐ者の天命ですな」
「……そっか。早く見たいな。晴明さまのお子」
「眉目の美しい御子でしょうなあ。鬼女と人の子なれば、恐らく眼は紺碧で」
「目が紺碧?」
晴明さまと同じ。ああいうのは子にも宿るのだろうか。
「ご存知ありませんでしたか。人と鬼女の子の目は紺碧と決まっております。即ち主も鬼女の子。安倍の御家では、妻も側室も鬼女と定まっております」
「そうなの?」
「安倍家の遠祖が哀れな鬼女を囲ったのが始まりとか。もっとも坤鬼舎のように自分の奥向きとして整えたのは、主が初めてですがな」
「それで、人なのにあんな力が……」
考えていなかった答え。驚きでモリを見ると、彼は口角を持ち上げてこちらを見ていた。頭の中を見透かされているなと思った。
「安倍の御家はずっとそうして、呪の力を保って参ったのですよ。鬼女との子は人なれど、呪の力は並外れて高いものです。紺碧の眼がその証」
「知らなかった。……モリは、ずっと安倍の御家に務めてるの?」
「それは、もう。先代が和子さまの時分から。ただ当の先代は陰陽に関わりのない御方でしたが」
なんか、色々と合点がいった。
坤鬼舎に来て半年くらい。まだまだ知らないことが多いなあ。
わいわいと賑やかな市を前に、ぼんやりとそう考える。知への好奇心を持てば、わたしでもいずれは色んなものを知れるのだろうか。そうすれば晴明さまに、愛してもらえるのだろうか。
「ねえ、モリ」
わたしはまだ夢中で品を選ぶ亜鐘姉さまを見た。少しずつ奥へ奥へと移動している。
「亜鐘姉さま、まだかかりそうだね」
「……ですな」
「どうしよう」
「夜火の局は、いつもの御用ですかな」
「そう。一人で行こうかな」
「そうなされ。のちほど、ここでまた合流としましょう」
モリは遠くを見たまま、抑揚のない口調で言った。わたしの『用事』は、坤鬼舎ではあまり歓迎してくれない。酔狂な鬼女の道楽で通っている。
「じゃ、あとで」
わたしは市女笠を深くかぶり直すと、速足でその場所へと向かう。
ここから南へしばらく。西の悲田院へ。
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