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悲田院の辺りまで来ると、都も陰気な雰囲気は拭えない。
貴族さまの車もほとんど通りかからないここは、九条三坊にひっそりと佇む悲田院。病人や孤児、貧しい人を救うために作られた。
年期はあるけどご立派な門も土塀も丁寧に手入れされていて、かつてわたしが根城にしていた場所からは遠いけど、趣が好きな建物だった。
わたしは建物の角に身を隠すと人気のないときを見計らい、手早く門番に用を告げた。彼も心得えていて、いつもの女人と分かると、ものも言わずに馴染みのお坊さんを呼んでくれる。お坊さんは市屋道場とここを行ったり来たりしている、なかなか偉い人らしい。
「いつもいつも感謝いたします、御前」
手を合わせて挨拶をすると、彼は力の抜けた笑みを見せた。痩せ気味で柔らかい表情をしている五十路前くらいの人。この人もわたしの姿や恰好から、ちょっと良いところの女君と思っているみたい。
「あの、わたしは銭を数えられないから……。ちょっとかもしれないんですけど」
顔を隠しながら恐縮して、彼に巾着銭をあるだけ渡した。
晴明さまと穢悪の調伏にお供すると、いくらかの駄賃や品を賜れる。禄みたいなもので他の鬼女は香や櫛なんかと交換しているんだけど、物欲がないわたしは頂くたびにせっせとここへ布施をしていた。功徳を積もうなんてご立派な考えじゃなくて、わたしは親がいなくて生き方を違えてしまったから。
「これはご丁寧に」
お坊さんの言葉に、額の辺りを見られないよう少し俯く。
「えっと、最近じゃ銭で交換できないものも増えてるって聞いて、だから役に立たないかも知れないけど、子らに飯を食わせて……食べさせて欲しくて」
「御心は必ず通じるでしょう。……あ!」
地面を見ているとお坊さんは珍しく焦りを声にして、自分のうしろを僧服で隠すように立った。反射的に目を上げてしまうと、隠しきれずに彼の腰元から覗くのは……。
「あ、鬼女……」
見えてしまった一本ヅノの女童。犬っころみたいにくりくりした眼差しは、なんだか幼い頃の自分に似ている気がした。本能的にわたしを同類と感じ取ったのかもしれない。お坊さんに懐いて、ここまで付いてきてしまったんだろうか。
「あいや、御前」
お坊さんはうしろ手で、鬼女の子を自分のうしろに隠した。
「あの、これは誤解なさるな。この子は、鬼女でも、その……」
「その?」
聞き返すけど、お坊さんの口からは言葉が続かない。彼は観念したようにため息をつくと、上目でわたしを見つめた。
「後生ですので、このことは他言してくださらぬようお願い申し上げます。鬼女とはいえ一人の人間です。害のある者ではありません」
「ああ……」
そうか。
そうなのだ。
鬼女ってそうなのだ。
弁解するお坊さんの表情には苦労が詰まっていて、鬼女の子のツノには苦労が付きまとう。鬼女って、そうなのだ。
「……言いません。誰にも。鬼でも人でも、生きるのに関わりはないから」
「助かります」
お坊さんは息をつき、幼い鬼女を見つめた。よく見るとツノの形までわたしと瓜二つだ。もっともわたしがこのくらいの頃は、もっと荒んだ形相だったろうけど。
「この子を助けてここに連れてきたのも、また鬼女でしてな。ツノがあるかないかだけで、誰もが人には違いないのです」
「そう思います。みんなが仲良くなれたらいいのに」
「……あなたは善なる人だ」
「そんなことないです。でも」
わたしはなお彼のうしろから顔を出す鬼女の子に、笑いかけた。
「我僧さまみたいに良い人を見るのは、好きです」
※
わたしは速足で、朱雀大路を北に急いでいた。
都大路とも呼ばれるここは、都の真ん中を大内裏から羅城門まで南北に貫く、幅だけで坤鬼舎が収まってしまいそうな広い通り。路の端には牛なんかも繋がれていて、この雑多な賑やかさはなかなかの好みだ。
陽気な喧騒に照らされるように胸を弾ませ、わたしは市へと戻る。
好きな風景に加えて、あの可愛い鬼女の子と、人の好いお坊さん。あんな人たちを守るために戦うのだとと思うと、誇らしい心地が体中を温めてくれていた。
――亜鐘姉さまとモリに会うまでに、緩んだ顔気色だけは直しておかないと。
そう口元を引き締めるように歩くことしばらく。
いきなり向かう先の人だかりの中から、大きな大きな牛のいななきが響き渡った。少し遠いのに、この辺り全員の視線を持っていくほど鳴き声。
なにかにぶつけたのだろうか? 耳を澄ますと、
「物の怪じゃ!」
「車が!」
鬼女が聞こえる程度だが、不穏な言葉が耳に届く。
わたしは気になって、妙に多くいる野次馬の内側に入ってみた。
人をかき分け騒ぎを覗くと、そこでは雅やかな網代車が立ち往生し、牛が黒く細長い鬼火にまとわりつかれて鳴いている。
牛車に乗っていた貴族さまは既に退いたようだ。仕立ての良い布袴姿が車の遥かうしろで周りを固められて怯えていた。野次馬も遠巻きに怪異を見つめ、牛童も逃げたのか見当たらず、中心に牛車と牛とそれに絡み付く縄のような黒い鬼火がいるだけ。見物人の多さは前駆の先払いで集まったのかもしれない。
「あ、モリ」
どうしようと思っていると、人だかりの中に彼の姿を発見。
駆け寄って指でつつくと、
「珍しいですな。都に穢悪です」
と、彼は落とした声で伝えてくれた。
「亜鐘姉さまは? もう終わった?」
「いえ。まだ市で……」
モリは気まずそうに答えた。なにをそれだけ選ぶものがあるのか。
「待たせてないなら、いいかな。あの穢悪を祓ってくる」
「目立ってはいけません。なにとぞ穏便に」
「分かってる」
返事をして、わたしは市女笠を深くかぶる。
牛にまとわり付くあれはまだ、穢悪とも呼べない瘴気の塊。容易く祓えるけど、ただモリの心配する問題は別。
呪の力を強めたとき、もしわたしの髪が緋色に染まれば、周囲に自分が鬼女だと白状するようなものだ。騒ぎになればもうここへは来られない。悲田院にも。
髪は黒いままであれを祓い、通りすがりのまじない師がなんとかしたってくらいに収めないと……。
「そこの女!」
牛に歩み寄ると、貴族の侍者が荒い語気で注意を促す。
「物の怪に近付くな! いま使庁に使いを出しておるから!」
「えー」
検非違使に来られるとなにかとまずい。早く済ませなければ。
「ごめんね」
内なる自分に語りかけた。やがて手の平に呪の力が集まってきて、慎重に牛の首に絡む縄みたいな穢悪を掴む。そしてウナギのように暴れるそれを、ぎゅっと握った。でも。
――思ったより硬い。
まずいな。と反射的に思った。もっと力がいる。でもこれ以上に高めると、髪の色が変わってしまうかもしれない。そういう加減はまだ練習中だ。
だけど下手に刺激したあとで放すと、ここにいる人たちに危害が。
一瞬の逡巡。だけど答えを出す前に――
ぱっ!
と、この耳にだけ聞こえるような音を残して、穢悪は破裂するように黒い霧を散らせて消えた。
祓われた? でもわたしじゃない。
思わず回りを見渡す。場はシン、と水を打ったように静まり返っていた。
でもやがて出来事を解す一息を置くと、周りから思いがけないほどの歓声が上がり、空気をじんじんと震わせてわたしを包み込む。やったやったと、まるで戦勝を思わせる賑わい。
祓ったのはこの手ではないけど、勘違いさせている。
わたしは鳴りやまない喝采に気まずくなって、逃げるようにモリの元へと戻っていく。彼の顔を見ると、なかなか不機嫌そうだ。
「目立ちすぎです」
まだ賑やかな中で、モリが顔をしかめた。
「許してよ。でも穢悪を祓ったのはわたしじゃない。力を入れる前に潰れたの」
「――こちらからは夜火の女君が祓ったように見えましたが……」
モリは緊張していた顔を、ふっと緩めた。
「手応えがなかっただけではないですかな。いずれにせよ、もう戻りましょう。亜鐘の女君は気の毒ですが、この有様です。市での買いものはまた今度に……」
「穢悪を祓える女がいると思ったら」
話していると、うしろから声をかけられた。
「モリの連れかよ。納得だな」
「――これは保憲殿。では穢悪は……」
モリは一歩距離を取って、丁寧に腰を折った。
「俺が祓った。分からなかったろ」
「はい、全く……」
モリは男に恐縮したように身を固くする。
でもわたしはその御仁が何者か分からず、さりとてモリが畏まっているところを見ると無礼があってはいけない人だとも思い、モリのうしろから無難に畏まるマネをするに留めた。
わたしたちは人通りを避け、路地に回った。
移動の拍子にチラと横目で見ても、やっぱり覚えのない男だ。
誰だろう? 整った身なりだけど、どこか勝ち気な雰囲気が漂う男。晴明さまよりはたぶん四つ五つ年上かな? 雄牛のような偉丈夫背だ。
「坤鬼舎の鬼女か?」
保憲と呼ばれた御仁は、路地の影からよく通る小声でモリに尋ねた。
わたしは腰を折りつつも、心の中で身構える。わたしを鬼女と知っていることも不審だったし……。
それになんとなく感じた。少しだけど、その野性味のある声に潜む暴の匂いを。
「ええ、夜火の女君です」
モリはあっさり認め、わたしの方へ小声で告げた。
「このお方は賀茂保憲殿です。主の兄弟子に当たる方で、陰陽仗と表の役職も兼任されている御仁です」
晴明さまの兄弟子……?
「すみません! そうとは知らずご無礼を」
「? 無礼はされていないが? よからぬなにかを考えていたか?」
保憲さまは小首を傾げた。心の中の無礼を自白してしまい、わたしはますます気まずい。
「申しわけございません。素直な女君ですので……」
モリが間に入って苦笑いで取りなしてくれた。苦労をかけてすまない気持ち。
「かまわんよ。そういう性格だから、さっきの穢悪も無視しなかったんだろ」
そう言うと、彼はこちらに一歩迫る。狼のような、でもどことなく憂いが宿る眼差しを、この身に浴びせながら。
「……あの、さっきは穢悪を祓ってもらって……」
「いいさ。あのままだったらお前、力の発露を隠せなかったろ。それより……」
至近距離で保憲さまは値踏みするように私を見回す。
「――お前、呪を使うときはどうしてる?」
「どうとは?」
「自分の中から呼び出す感じか?」
彼の確認に、わたしは呪を呼び出すときを心で再現し、
「? みんなそうではないのですか?」
逆に問い返す。それ以外の方法が想像できなかった。
「……やはりか。お前はホンモノかもな。だから力の加減が難しい」
ふと、保憲さまは口角に微笑みを湛えた。なんとなく、わたしもその表情で緊張が緩んだ。何故か気を許してしまう面持ちだった。
「夜火か。いいツラ構えだ」
「あ、そう言われると嬉しいです。根性はけっこう自信あります!」
「そうじゃなくて」
彼は歯を見せて笑ったわたしの顔を、まじまじと見回す。
「かわいい女だって意味だよ」
「――へ?」
「おい、モリ」
保憲さまは不安げに見守っていたモリに声をかけた。
「こいつ、もらっていっていいか?」
「お戯れをおっしゃいますな。そろそろ許してやってくださいませ」
苦り切ったモリの顔と声。でもわたしはそれどころじゃなくて、なんて言うか、ちょっと待ってちょっと待って……。
「惜しいな。好みなんだが」
口をへの字にして、自分のあごをつまむ保憲さま。そして固まったままのわたし。彼は口元をこっちの耳に近付けると、
「いっそ、奪っちまおうかな」
そう囁いた。
驚き? わからない。得体の知れない感情に心臓が跳ね上がる。みぞおちに一撃をもらったように、声もあげられない。
だって、わたしが、わたしが……!
「ひ、ひ、ひ……!」
かわいい女。
言葉の意味を頭がじわじわ解し始めると、羞恥ともなんともつかない感情が、この身の足先から背中までぶるぶるぶるっと身震いを作っていく。意識が心地に追いついてきて、そして気が付いたときには、
「ひゃあああああ~!」
と、その場に耐え切れず、来た道を戻るように駆け出していた。
だってわたし、こんな犬っころみたいなのに。坤鬼舎に来る前までは悪党だったのに。だからそんな言葉を誰かからもらうなんて想像もしていなかった。想像もしていなかったのに!
恥ずかしい!
うしろから保憲さまの笑い声が聞こえた気がするけど、はっきり覚えていない。
景色をかき分けて逃げながら、わたしは両の頬に手を当てた。そこは恐ろしいほどに熱を帯びていて、うなじにはもうふわふわ浮くような覚えがあって、もう、もう、頭の中には色んな晴明さまの表情がひっきりなしに映っていく。
「お待ちを~!」
背中からわたしを呼び止めるモリの声が聞こえるけど、どうしても立ち止まれない。なにかとてもいけないことをしたけど、自分を認めてくれる人もいるんだって、少なからず嬉しさも感じていて、だけどその全てに罪の意識があった。
晴明さま。
卑しい欲求が、あの方へ今日のことを話したいと訴えてきた。
よくないと、思う。よく分からないけど、よくない気がする。
だけど……。だけどもしそうしたなら。
あなたがわたしを見る目を、少しは変えられるでしょうか?