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助手席に乗り込んだ後、チラリと運転席を見ると芹沢さんの顔が近くにあった。
「あっ、あの。運転変わります!」
「へっ? なんで?」
私の言葉が余程不思議だったのか、芹沢さんは目を瞬いている。
都会の人は車が必須ではないから免許を取らない人も多いと聞いた。
田舎では車がないと生活できないから、十八歳になったら直ぐに免許を取る。
左ハンドルの高級外車を運転するのは緊張するが、私が運転するべきだろう。
「運転して頂くのは申し訳ありませんし⋯⋯」
「うーん。今からウチの実家に行くんだけど、行き方は俺の方が詳しいと思うよ」
芹沢さんが私の言葉に困惑しているのが分かる。
私はいつからこんなにコミュニケーションが下手になったのだろう。
必死に気を遣おうとして、気を遣う方向性を間違っている。
何だか居た堪れない雰囲気になってしまった。
「場所を教えて頂ければ、自分で行きます」
「いや、俺も今日、実家に用事あるからついでに乗ってって」
芹沢さんはクスクス笑うとアクセルを踏んだ。
「あっ、あの、最寄駅さえ教えて頂ければ自分で!」
「駅から割と長い坂を結構上るし送らせて! 昨夜みたいに油断すると危ない目に遭うけど、俺に対しては気を抜いて平気だよ」
坂の上の高級住宅街なんて、ドラマで見た世界のようだ。
私のような庶民が出入りする事に何だか緊張してしまう。
「⋯⋯芹沢さんを疑っているわけでは⋯⋯すみません、運転お願いします」
「美香さん、リラックスして良いよ。若菜の件はごめんね。何でもフォトスタに報告する癖があるんだ。もし、旦那さんに居処が見つかったら俺に言って! 一緒に戦うから」
「えっ?」
一瞬、心臓が止まりそうになった。
そんな事して貰う義理はないけれど、一緒に戦うだなんて言われて嬉しかった。
「ありがとうございます。私も芹沢さんが困った時は一緒に戦います」
ちょうど赤信号で車が止まる。
芹沢さんが黙って私を見つめてくる。
何だか心臓がドキドキと騒がしくなってきて、目を逸らした。
(何これ、ときめいてるの?)
一応、既婚者なのに夫以外の男にときめくなど罪深い。
彼のような人に惹かれるのは、私がまだ女でいたいと思っている証拠。
窓ガラスに映る自分を見ると、一瞬、豚のように太った時の自分が重なる。
海斗は私が残飯処理するのを了承しているようだった。
豚のように太ったと馬鹿にする癖に食べ物を残すことを許してくれない。
明らかに作り過ぎなのに、足りないと恥をかくと義母から言われ予定のない来客が来た場合の食事も作る。
当然、大量に残る食事を口にかき込む生活は地獄だった。
「今、何考えてるの? 旦那さんのこと? なんか妬けるな」
突然、話し掛けられてビクついてしまった。
それにしても「妬く?」とは誰が誰に妬くのだろう。
頭の中に浮かぶクエッションマークのままに首を傾げると、芹沢さんが吹き出した。
「妬けるよ。俺といるのに他の男のこと考えるなんて⋯⋯」
私はあまりのセリフに口をパクパクしてしまった。
彼はおそらくずっとモテてきた男なのだろう。
思わず砂糖を吐きそうなセリフをあっさりと吐いても様になる。
「芹沢さんって自信家ですね」
嫌味のつもりはないが思わず本音が漏れてしまった。
「美香さんも自信家だと思う。今はちょっと自信を失ってるだけでしょ。多分、姿勢を正してもっと前を向いたら、さらに綺麗になるんじゃないかな」
私は再びとんでもないセリフを吐く、芹沢慎也に目を見開く。
都会にはこんな恐ろしいモテ男がいるのだ。
こんな風に言われたら、女の子はドキッとするし意識する。
「ははっ、ありがとうございます。頑張ります」
私は勘違いしないようにしようと心に言い聞かせた。
間違っても彼は私を口説いている訳ではない。私は既婚者だし都会には綺麗な子が沢山いる。
チャラ男、落合が彼を完璧王子と言っていたが、立ち居振る舞いから口に出す言葉まで王子様のようだ。
気がつけば芹沢さんの実家のある高級住宅街に到着していた。
どの家も高い塀に囲まれていて、敷地が広い。
松の剪定をしているのは庭師だろう。
庭の管理を業者に任せるなんて羨ましい。私は高杉家でひたすら這いつくばって雑草をむしっていた日々を思い出し胸が痛くなった。
「はい、到着!」
一際大きな門の前に到着すると、門が自動に開いて車のまま中に入る。
「私で良かったんでしょうか、家庭教師⋯⋯もっと、適任がいるんじゃないですか?」
私は急に不安になってきた。教師になりたいから、私としては教える経験ができるのはありがたい。
でも、このような大きな家ならば、教職を持った人間や優秀な学者なども雇える気がする。
「若菜が自分で美香さんが良いって希望したんだ。付属で大学まで行けるからって、本当に勉強しないから大変だと思うよ。きっと、美香さんなら根気よく自分に付き合ってくれると思ったんじゃないかな」
芹沢さんの言葉に胸が熱くなる。
自分は根性のある方だと思っていた。
でも、結婚して一年で高杉家を逃げ出した。
逃げた後に、嫁いだからには本当はもっと我慢すべきだったかもしれないと後悔した事は一度じゃない。
母の好意に甘えて大学まで来てしまったけれど、逃げている自分を情けないと思う。
到着すると、だだっ広い玄関で執事らしき人とメイドさんが出迎えてくれた。
これだけ広い家だと、確かに掃除も大変そうだから外注しているのだろう。
「じゃあ、若菜をよろしく」
芹沢さんが二階の若菜さんの部屋まで案内してくれて、緊張しながら扉をノックする。
「はーい!」
声まで小鳥の囀りのように可愛らしい若菜さんの声がして、扉が開いた。
「早速来てくれたんですね。今日からよろしくお願いします」
若菜さんが一瞬扉の外の芹沢さんとアイコンタクトをとり扉を閉める。
女性らしく良い匂いのする彼女の部屋はお姫様のような鏡台が置いてあって、メイク道具が沢山あった。
照明などが置いてあるのは、綺麗に写真を撮るためだろう。
眼前の女の子はまだ中学生でメイクなんてしなくても可愛いだろうに、お洒落が大好きなようだ。
そして、その「好き」を仕事にしているのが凄い。
「こちらこそ、宜しくね」
「美香さん、ごめんなさい。勝手にフォトスタに載せた事で迷惑かけましたよね」
「大丈夫だよ」
私は笑顔で応じる。確かに困惑したし、不安も残るが彼女が悪気があってした事ではないのは理解している。
私は若菜さんと、とりあえず直近のテストに向けての勉強を開始した。
芹沢さんは身内だから謙遜していたのだろう。
若菜さんは非常に地頭の良い子で、真面目に勉強に取り組んでくれている。
シンとした空間で三十分ほど勉強していたが、ふと階下が騒がしいのが気になった。
「お父さんが帰ってきた。多分、お兄ちゃんとやり合ってるんだと思う」
「えっ?」
何一つ曇りのない羨ましくて眩しいセレブ一家。
そこの長男で跡取りでもある輝かしい未来を約束された人。
芹沢慎也は手の届かない夢のような完璧王子だった。
でも、彼の年相応の葛藤を見せられると、私にとって彼は完璧王子ではなく庇護欲、憧れ、性欲?
私が元来持っていた色々な欲をくすぐってくる危険な相手となった。
『なんで勝手なことすんだよ。口利きなんてして欲しくなかった。俺は自分の力でやっていきたいんだよ』
階下から大人っぽくて余裕のある決して恋をしてはいけない男の叫び声がする。
胸がギュッとなるこの感覚の正体に私は気が付きなくはなかった。
コメント
1件
うわ、めっちゃ展開が気になる終わり方…!美香さんの「ときめいちゃダメなのに」って心の声、すごく共感しました。既婚者で辛い過去があるのに、芹沢さんの「一緒に戦う」って台詞にドキッとする気持ち、すごくよくわかる。ラストの階下から聞こえる叫び声で、完璧王子じゃない彼の人間らしい葛藤が見えて、一気に物語に引き込まれました。続きが気になる…!