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洋館に、新しい「音」が加わった。
第一話で母親への手紙を出しに来た女子高生、陽葵が、放課後になると毎日ここを訪れるようになったのだ。
「湊さーん! 今日はアップルパイ焼いてきましたよ!」
陽葵の明るい声が、静まり返っていたアトリエに響き渡る。
湊は困ったように眉を下げながらも、彼女のために椅子を引いた。
最初は断るつもりだった。この洋館は、死者の想いが集まる場所だ。
若くて眩しい彼女が、わざわざ足を踏み入れるべきではないと思っていた。
しかし、陽葵は強引だった。
「湊さん、一人で掃除して、一人で手紙を燃やして……寂しすぎます。私、あの時湊さんに救われたんです。お母さんに『大嫌い』って言ったままお別れして、死にたいくらい後悔してた私を、湊さんは否定しなかった」
陽葵は慣れた手つきで紅茶を淹れながら、窓の外の空色のポストを見つめた。
「だから、今度は私がお手伝いしたいんです。あそこに手紙を入れに来る人たちの、心が少しでも軽くなるように」
湊はスケッチブックに筆を走らせる。
『ここは、悲しみばかりが集まる場所だよ。君の笑顔が曇ってしまうのが心配だ』
陽葵はいたずらっぽく笑った。
「大丈夫ですよ! 悲しみは半分こにすれば軽くなるって、学校の先生も言ってました。それに……」
彼女は少しだけ真剣な表情になり、湊の瞳をじっと見つめた。
「湊さんの目、ときどき、ポストと同じくらい綺麗な『空色』に見えるんです。でも、その奥にすごく深い悲しみがある。私は、それを少しだけ分けてもらいたいのかも」
湊は、心臓を素手で掴まれたような衝撃を受けた。
自分がなぜ声を失ったのか。
なぜ、この場所で「死者の言葉」を空へ送り続けているのか。
その理由は、陽葵にはまだ教えられない。
教えれば、彼女のその真っ直ぐな瞳を、絶望で染めてしまうかもしれないから。
湊は小さく溜息をつき、降参だというように、彼女が持ってきたアップルパイを一口食べた。
「わあ、美味しいですか?」と笑う陽葵。
二人の「郵便屋」としての生活が始まった。
しかし、不穏な影は音もなく近づいていた。
洋館の取り壊しを画策する不動産業者。
そして、湊がひた隠しにしてきた、十年前の「あの事故」の記憶。
空色のポストに、一通の「差出人不明」の手紙が届くのは、その数日後のことだった。
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