テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
早速、家に帰ってから、モトくん…もとい、元貴くんにもらった楽譜で、もう一度キーボードパートの練習をする。
確かあの曲は、この音色、だったかな。
僕は、頭の中で、あの日聴いたバンドの演奏を流しながら、そこに自分のキーボードを足していく。
すごい、胸がドキドキする。もし、これを、バンドのみんなに受け入れてもらえたら。もし、みんなと一緒に、お客さんの前でライブができたら…。
ふわふわと浮かれた気持ちで、ふと机の上に目をやると、そこにはクラシック部門の紙が置いてあった。
そうだ。元貴くんのバンドに誘われて、浮かれ気分で、すっかり忘れてた。まずは、こちらの音源収録に専念しないといけないんだった。
僕は、そっとキーボードを撫でて、優しくカバーをかけた。
「おはよう、…ございます。」
「…おはようございます…え!?」
元貴くんに誘われて、次の練習の日、僕は早速キーボードを持ってスタジオに入った。若井くんが一番に来ていて、彼に受け入れられていないと感じている僕は、挨拶が少しぎこちなくなってしまった。
若井くんは、ギターを触っていたが、顔を上げて挨拶は返してくれた。で、僕の背負っている大きな物を見て、声を上げた。
「え、それって、キーボード?私物?…ですか?」
「あ、はい!この前、元貴くんに楽器屋さん案内してもらって、買いました。」
「この前!?買いました!?え、いくら!?」
「えっと…20…ウン万…。」
「うっそ!!…え…藤澤さん?って、実家太いの?」
「まさかまさか!ちゃんとローンで買ってます。」
「………そんなに、本気だったんだ…。」
若井くんは、多分引いてる。僕は、気まずさを抱えながら、スタジオの隅にキーボードを設置し始めた。
若井くんの視線を感じる。うう、キーボード落としちゃいそう…。
「…てか、スタジオの借りればよくないすか?練習にわざわざ持って来てたら大変でしょ。」
「…あ、そっか…。で、でも、みんなに見て欲しかった…というのも…ちょっと、あったり…。」
若井くんは、プッと吹き出した。僕は、顔が赤くなる。ギターを置いて、若井くんが近づいてくる。
「…なんか練習して来たんですか?」
「あ、うん、山中さんが書いてくれた楽譜もらったから、それ練習してきました!」
「…歳上ですよね?」
「はい、えっと…19です。」
「俺、元貴とタメなんで、 いいですよ、敬語。」
「いやぁ…はい…。」
若井くんは鼻から息を吐いて、キーボードの上の楽譜を見た。これかぁ、と呟く。
「コレ、前やったやつですね。」
「はい、うん!この前の、すっごくカッコよくて、ずっと頭で思い出しながら、一緒に練習しました…よ。」
「言葉、ヘン。」
若井くんが笑う。僕もつられて笑った。少し、彼との間の空気が和らいだ気がした。
それから、次々とメンバーがやって来て、みんな僕のキーボードに驚いて…というか、引いていた。
その日も、4時間ほど練習をして、撤収の時間となった。
「どうだった?」
「楽しかったぁ…すごく楽しかった!」
元貴くんが、よかった、と笑った。僕は、ドラムの片付けをしている山中さんへ声をかける。
「山中さん、」
「綾華でいいよ。」
「あ、ありがとう、綾華…さん。」
「ふふっ、なんですか?」
「楽譜、ありがとうございました。みんな、自分で楽譜に起こすの?」
「基本的には、そうかな。元貴くんのデモを聞いて、自分たちで自分のパートを拾っていく感じ。」
「はぁ〜…すご…。」
「って言っても、私たちもまだ1ヶ月くらいだし、何曲かしかまだ完成してないよ。譜面起こしだって、私が1番得意だからってみんなやらせるし。」
綾華さんが、他の2人をジロッと見る。松尾くんと若井くんは、顔の前で手を合わせて、アザーっす、と軽く言った。
「他にもデモあるの?」
「あるよ。元貴くん!藤澤さんにデモ、渡してあげたら?」
「あー、そっか、涼ちゃん来て。」
僕が元貴くんとスマホでデモのデータを送ってもらうやり取りをする後ろから、涼ちゃん?涼ちゃんだって、とみんなが口々に言う声がした。
「はい、じゃあ、また家で聴いてきて。なんかあったら連絡して。」
「ありがとう〜、楽しみ!」
「この後は?バイト?」
「ううん、今日はない。」
「じゃあ、みんなでうち来ない?」
元貴くんが、全体に向かって言う。みんな、予定がないのか、いいよ、と答えた。
「涼ちゃんの歓迎会しなきゃ。」
元貴くんがそう言うと、
「涼ちゃんのね。」
「「涼ちゃん。」」
綾華さんと後の2人が、やたらと僕の名前を呼ぶ。元貴くんがジロッとみんなを見るが、すぐに僕に向き直った。
「俺は元貴、で、綾華、拓海、涼ちゃん。これからはこの呼び方ね。」
「僕だけ涼ちゃん。」
「んで、若井はイワイ。」
「おい!!!」
みんなが笑うので、僕も意味がわからなかったけど、とりあえず笑顔を作っておいた。
元貴くんはまだ高校生なので実家住まいで、練習後に元貴くんの部屋で集まらせてもらった。なんと若井くんとは中学からの同級生らしい。拓海くんも2人と同じ歳だけど、元々は大阪出身で、特に同級生というわけではないそうだ。
綾華さんは僕の一個下で、この中では落ち着きのあるお姉さん、という感じだった。
「じゃあ、僕がこの中ではお兄さんだ。」
「んー、どうでしょうね。」
僕が言うと、拓海くんが首を傾げた。それ、どう言う意味?
みんなでワイワイと話をしていると、だいぶ打ち解けて来たように思えて、嬉しかった。
「そうだ、今度、5月20日にこのメンバーで初ライブするんだけど、涼ちゃん観に来てくれない?そこでキーボードとして紹介したいんだけど。」
元貴くんの言葉に、心臓が跳ね上がった。ライブ…するんだ、やっぱり。そりゃそうだよ、バンドなんだから。急に現実が目の前に迫って来た感じで、フワフワと浮ついてた心が冷えた感じがした。
しかも、
「あ…その日は…。」
クラシック部門の、収録の日だ。事務所に入って始めてもらえたお仕事、絶対に外せない。
「…本当にごめん、どうしても外せないバイトが…。」
「え、うそ来ないの?」
若井くんが言う。
「…そっか、キーボード買ったから、バイト頑張んなきゃって言ってたもんね。じゃあ、この次のライブで、涼ちゃん満を持して初登場ってことで。日程決まったらまた知らせるね。」
元貴くんが、その場を纏めてくれたが、明らかに微妙な空気になってしまった。
しまったなぁ…最初にやらかしちゃった…。
「元貴くん、ごめんね。」
みんなと帰る時間になって、玄関先で僕は改めて、みんなの初ライブに行けないことを謝った。
「んん、全然。しょーがないよ、いきなりだったもんね。バイト頑張ってね。」
「ありがとう。…あ、5月20日って、僕が20歳になる次の日だ。」
「え!そーなんだ。」
みんなとも別れの挨拶をして、それぞれの帰路へと向かう。若井くんも実家なので、駅へ向かう僕らとは別の方向へ帰って行った。僕のライブ不参戦をまだ怒っているのか、最後まであまり目を合わせてくれなかった。
ああ、今日せっかく少し仲良くなれたと思ったのに…。
駅に向かう道中、綾華さんも拓海くんも気さくに話してくれて、僕はちょっと慰められた気がした。
5月19日、僕は明日の収録のために、事務所でのリハに来ていた。明日はいよいよ、フルートの初仕事。僕は念入りに自主練を行なっていた。
そして、頭の隅では、彼らも明日の初ライブに向けて、今ごろリハをしているのだろうか、と考えていた。僕だけ置いてけぼりのような、勝手だがそんな気がして、少しだけ心が沈む。
自主練も終わり、荷物を片付けてスマホで時間を確認しようと手に取ると、元貴くんからメッセージが届いていた。
『涼ちゃん、ハタチおめでと!』
あ、覚えててくれたんだ。僕は、じんわりと心が暖かくなるのを感じた。東京に来て、誕生日のメッセージをくれる友達が出来るなんて…。心なしか、鼻の奥がツンとした。
『ありがとう!明日のライブ、頑張って!』
そう送ると、僕はもう少し、フルートを練習してから帰ることにした。明日の収録、僕も全力で頑張ろう。
「はい、OKですー!本日は以上になります、皆さんお疲れ様でした〜。」
監督さんから挨拶があり、20時前には収録が無事に終わった。僕はホッと安堵のため息をついて、スマホを確認する。
『18:30 Mrs. GREEN APPLE』
元貴くんから共有されたライブの出番表にはそう書かれてあった。今から行っても、もう間に合わないな…。僕は少し肩を落として、楽器の片付けに入った。
「疲れましたね、こんなに一気に録るなんて。」
以前話しかけてくれた、バイオリンの女性が、僕に声をかける。
「そうですね、なかなかハードでしたね〜。」
「でも、藤澤さんすごく楽しそうに演奏してらして、私も見習わなきゃって思いました。」
「そうですか?ありがとうございます。でも、今日、実は大事な用事を蹴ってここに来たんで、頑張らないわけにはいかないなって、結構必死でした。」
「そうなんですか?なんの用だったんですか?」
「実は僕、この前の子に、バンド誘われて。」
「この前の子?…あー、あのずっとこっち見てた…?」
「そうですそうです!その子に、キーボードで誘われて。」
「へえー、いいですね。」
「あの子、ちょっと事務所で有名な子で、実は前にも僕お話ししたことあったんですけど、すっかり忘れられちゃってました。」
「あら、ちょっと悲しいですね。」
「はは。聞いたことありません?大森元貴くんって言って、もう一人で作曲したりライブしたり…。」
「あー、もしかしたら聞いたことあるかも。すみません、私そっち方面疎くて。」
「いえいえ。で、今日、その子たちの初ライブだったんです。それ、被っちゃって、せっかく誘ってくれたのに、観に行けなくて…。」
「あー…それは大事でしたよねぇ…。今からは行けないんですか?」
「もう出番終わっちゃってると思うし…。」
「でも、駆けつけてくれたらやっぱり嬉しいんじゃないですか?」
「…そう…ですね、そうですよね。ありがとうございます、僕行ってきます!」
「いえ、お疲れ様でした。お気をつけて。」
「あ、バンド、Mrs. GREEN APPLEって言います。また良かったら観に来てください!」
「はい、頑張ってください。」
僕は急いで荷物を持って、スタジオを飛び出した。電車の中で、スマホでライブハウスの場所を確認して、駅からはとにかく走った。
ライブハウスの壁には、出番表に出演者の名前がいくつか載っていたが、既にミセスよりだいぶ後のバンドが演奏しているところだった。
僕は、まだ関係者とは言えないので、ワンドリンクのチケットを買って、中に入る。やっぱり、彼らの姿は無かった。
そうだよな、きっともう引き上げて、打ち上げか反省会か、みんなでご飯にでも行っていることだろう。
僕は、元貴くんに連絡を取るのも憚られて、とりあえず買ったドリンクを、元気いっぱいに歌っているステージ上のバンドの曲に耳を傾けながら、チビチビと飲む。
このバンドだってカッコいいけど、やっぱり元貴くんの曲の方が、僕は好きだな。演奏だって、スタジオでやってた彼らの方が、キラキラと輝いて見えた。
ああ、初ライブ、この目で観たかったなぁ。誰よりも大きな声で、彼らに歓声を届けたかった…。
グラスを眺める目に、涙が溜まる。
「涼ちゃん?」
騒がしいバンド演奏の中、背後から確かに僕を呼ぶ声がした。驚いて振り向くと、元貴くんがいた。
「…元貴くん…なんで?」
「いやいやこっちのセリフ。バイトは?」
「さっき終わった…でも、もしかしたら、ちょっとでも観れるかなって思って、急いで来たんだけど…。間に合わなかった。」
「…ありがとう。」
元貴くんが、眉毛を下げて、笑いかけてくれた。僕は、涙が出そうになるのを、グッと堪える。
「ごめんね、間に合わなくて。」
「ううん、ここに来てくれただけで、すごく嬉しい。ありがと。」
「…ミセス初ライブ、どうだった?」
「完璧…とはまぁ言えないけど、めっちゃ楽しかったよ。」
次は涼ちゃんも一緒ね、と、元貴くんがグーを差し出す。僕は、それに自分の拳を合わせた。
そこへ、元貴くんのスマホが鳴る。急いでハウスの外へ出て、通話を始めた。
「もしもし…ごめんごめん。…うん、やっぱり涼ちゃんだったよ、会えた会えた。…うん、行く行く。…はーい。」
元貴くんが、通話を切った後、綾華から、と僕に言った。
「駅前のさ、ファミレスで打ち上げでもしようって言って順番待ってたら、駅から走って行く涼ちゃんが見えてさ。」
「え。」
「俺が、あれ絶対涼ちゃんだー、って言って、俺だけライブハウスに戻って確認したの。そしたら、やっぱり合ってた。」
偶然残ってたんじゃなかったんだ、わざわざ確認しに戻って来てくれてたんだ…。僕は、なんだか心がムズムズした。なんだろう、嬉しい。すごく、嬉しい。
「打ち上げ、涼ちゃんも行くでしょ?」
「…行って良いのかな…。」
背中をバシッと叩かれて、行こ、と腕を引っ張られた。
「…ありがとう、元貴。」
元貴が、僕にまたエクボを見せて、さー何食べよっかー、と楽しそうに歩く。僕は、今度は置いていかれないように、元貴と歩幅を合わせて、横に並んで歩いて行った。
コメント
8件
更新ありがとうございます💛 史実が織り交ぜられていて、すごく真実味があって面白いです✨ フルートで活動してた💛ちゃんの世界線も見てみたかったので、とても嬉しいです😍 これからも楽しみにしています!
わかってはいるんですけど、あのときのバイト話はこういうことだったのかーと妙に納得してしまいました笑 りょさんの心情描写がとても丁寧で、でも他の人には余白?も感じて素敵だなぁと思いました☺️ ❤️💛の少女マンガのような初々しいやり取りに胸キュンしながら、ぱ様が少女マンガ王道の最初嫌いだったけど後から…をやってくれるのかどうなのかが楽しみでドキドキが止まらないです🤭
新連載、ありがとうございます🍏 💛ちゃんの心情がとても丁寧に書いて下さるので、私も読みながら気まずいな〜と同じ気持ちにしてもらってます🫶 続き、楽しみにしてます✨