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そこは、かつての繁栄は廃れ、自然豊かな森の一部と化した、人知の及ばぬ天際《てんさい》に漂う古城。小さな光が、悠久の歳月を経た荘厳たる高殿へと入って行く。ゆっくりと主の居ない玉座の前にフワリと舞い降りると、片膝を突く耳の尖った人型の種族へとその姿を変えた。
「人界にて、憑き剣を持つ者を、見つけましてに御座います」
見上げる程の高い天井の王の間に、僅かな希望の声が響き渡るには、とても長い時間が掛かってしまって居た。
「ま…… こと…… か?…… 危うく…… 自我…… を…… 失う所で…… あった…… ぞ? 」
か細く、弱弱しい声が、玉座の背凭《せもた》れ付近から放たれた―――
「はい。強い妖気を纏い、まるで呪物の様な剣で御座いました。東国の鞍馬の刀で、間違い無いかと」
「人界の…… 東国に鎮座する尊天神《デミゴッド》。護法魔王尊…… サナート・クマラ《鞍馬天狗》か…… 久しく…… その名さえ…… 失念して…… おったな。それで? その者は…… 我等の顔に…… 泥を塗った…… 件《くだん》の…… 鬼だった…… のか? 」
弱弱しい声が、時の経過を取り戻すかの如く、段々と力強く、そして明瞭になって行く―――
すると、背凭れの柄と同化していた何者かの姿がゆっくりと露わになり、身体全体が鮮明な緑色を取り戻すと、左右の大きな瞳を互い違いに動かす小さな変色龍《カメレオン》が現れた。
「いえ、それが、未だ確定には至っておりません。当時、関与を否定していたクマラ側からの釈明によりますと、謀反を起こした鬼剣の所持者は、元は日ノ下と呼ばれた東国の幕府の影人勤めでもあった、クマラの抜忍《ぬけにん》、金窪行親と云う人物と聞いておりましたが…… 」
「その者では…… 無かったと? 」
膝を着く人物は緊張の余り、ゴクリと喉を鳴らすと静かに続けた。
「はい、当該人物は若過ぎましてに御座います」
「どういう…… 意味だ? 」
「はい、金窪と云う人物、理由は定かでは有りませんが、当時の東国、日ノ下の幕府から姿を消した後、羽黒の山伏などを経て修験《しゅげん》に入ると、艾年《がいねん》を半ば過ぎた頃に、フラリと忍びの里である鞍馬山へ入山すると、闇鴉《やみがらす》に見初められ、僧坊《そうぼう》である東光坊阿闍梨《とうこうぼうあじゃり》と僧正ガ谷《そうじょうがたに》で、多くの鞍馬の弟子達と修業をする事を許されたようです」
「ふむ…… 」
変色龍は玉座の背凭れを下り、尻尾からゆっくりと経年劣化で荒れ果てた床に降りると、ペタペタと愛嬌のある歩き方で膝を着く者の元へと向かう。
その姿を上目遣いで伺うと、膝を着く者はギョッとし、汗を額からダラダラ流し、また目を伏せ頭を垂れた。
「そっ、その後、金窪は鞍馬八剣に推挙《すいきょ》され邪鬼を宿し、一子相伝である秘剣術の後継者争いで、人の身でありながら鞍馬流の奥許しを受け継ぐと、数年後には寺を出奔《しゅっぽん》し姿を晦《くら》ませております。然《しか》も鞍馬に入山してから人の世の暦で、疾《と》うに十五は折節《おりふし》が巡っていたとの事、その事を勘案するに――― 」
「寺を後にしたのは人の生の齢《よわい》で七十か…… 今は、あれから更に経っておる。そうか金窪は…… 既に老年か…… 若しくは亡き者と捉えるべき…… か、」
玉座に続く小上がりの階段を変色龍がまたもや尻尾からのんびりと下って来ると、志し半ばでコロンと転がり落ちてしまった。
「あっ―――…… 宰相様――― 」
ぐへぇっ―――
「きっ、気にするでない、続けよ」
「はっ、はい、かっ彼者《かのもの》は、此処《ここ》までは人の身でしたので、その可能性も否めませんが、然《しか》し、既に事切れて居るのであれば、鞍馬八剣の次代共が秘剣術を求め、動き出している筈です。それが無いとなれば今だ金窪は――― 」
ひっくり返った変色龍は慌てた様子でバタバタと手足を動かすと、何故か落ち着いた声色で答えた。
「よもや、その様な事は有り得まい。今だ人の身であるのならばな」
「ですが、既に亡き者となれば復活の手立《てだ》てが…… 」
「その時はその時よ」
「―――…… 」
「何だ? まだ何かあるのか?」
「はい、実は此処までがクマラ側が把握していた情報だったのですが、その実、当時の我らと時を同じくして、寺を出奔した金窪を追う影の存在が御座いました」
「影の存在? 」
バタバタとお腹を見せていた変色龍が自らの力でぽんっと起き上がって見せると、その様子にすっかりハラハラと気を揉んでいた配下が漸く胸を撫で下ろす。
「はい、東国の下居《おりい》 の帝《みかど》に仕える忍衆。浄僧院村雨の一派、鵺《ぬえ》の者達です」
「我等以外に、朝廷派の影にも追われて居たと? 成程……。その者達の動向で何か分かった事が有ったのだな? 」
「ご明察の通りでございます。鵺《ぬえ》の息の掛った者達の多くが近年、西の大陸に流れ着き、その勢力を拡大しております。その事から、どうやら金窪は大海を渡ったのではと…… 」
ペタペタと小さな歩幅で歩き続けた変色龍は、漸く首を垂れた配下の前にその姿を曝すと、徐《おもむろ》に腕を組み、小さな拳に顎を乗せ暫《しば》し慮《おもんばか》る。
「金窪を追って朝廷派の影が異国にまで渡る理由は何だ? 一体何の為に? いや、待て…… 衰退した朝廷が求める物となれば…… 力の復活か…… 象徴?! まさか!! 」
「十中八九、そのまさかの契約の聖櫃《アーク》かと」
「金窪が聖櫃を持ち出しただと? 有り得ん、戯言《たわごと》を宣《のたま》いおって…… 一体どこから? いいや、抑々確証でもあるのか? 」
「有り得ない話では御座いません。役割を終えた契約の聖櫃《アーク》は、あらゆる物に姿形を変え、五つの異界を彷徨い、力が戻る迄《まで》は千年は顕現しないとされております」
「確かにな…… 何時だったか、同じように人界に聖櫃が現れ、高《たか》が人の王の分際で契約の聖櫃の威を借り、五異界を手中に収めようと、浅墓《あさはか》な野望を抱きおって堕とされた者がおったな、確か、一時は天帝に見初められて指輪を賜《たまわ》り、魔導王と呼ばれた…… 」
「魔導王ソロモンだったかと」
「ふむ、そんな名であったな、ならば何処に顕現しようと強《あなが》ち不思議ではないか…… 」
「はい、その確証とはなりませんが、日ノ下の阿州《あしゅう》にある立石山に、金窪が何度も足繁《あししげ》く通い、国を離れる寸前にも訪れていたようです。この金窪の不可解な行動は、鵺《ぬえ》の者達も把握していたかと」
「聖櫃は、その阿州《あしゅう》の立石山に何者かの手によって蔵匿《ぞうとく》されていたと? 」
「それは分かりません。ですが、何かしらの導きがあっての事やも知れません」
「成程。鵺《ぬえ》は奪われた聖櫃を必死に追っているのか」
「はい、そして金窪は少なからず、聖櫃の行方に関与していると、鵺の一行はみている様です」
「この事が事実であり、公になれば、各異界の尊天達は黙って無いぞ――― 」
変色龍は口をあんぐり大きく開き、まるで矢を放つかの如くの勢いで長い舌を飛ばすとスパンと配下の顔面に命中させた、ぎゃぁぎゃぁ騒ぐ配下の気も知れず、一気に舌を巻き戻すとベチャリと顔面に張り付き、よいしょこらしょと頭頂部を目指す。
漸く落ち着ける場所に辿り着いた変色龍は、両手で目玉の手入れを始めると、はっと我に返り威厳を吐いた。
「目的は我等と同じなれば早急に鵺《ぬえ》と申す者共と接触を試み、徒党《ととう》を組むが良い。金窪に辿り着いた暁には、なぁに、切り捨てれば良いだけだ」
「承知致しました」
「我らが尊天神様の復活の鍵は、竜人の鼓動だ。努々忘れるでないぞ? 我等の過ちを正し、何としてでもこの惺黎《せいれい》界を、そして王を取り戻さねばならぬ」
「はい―――…… 」
嫌そうな顔をした配下が、偉そうな言葉を人の頭の上で吐く変色龍の顔色を窺う―――
「何じゃ? まだ何か有るのか? 」
「はい、そのぉ…… 何故私の頭にお乗りになったのかと…… 」
「高い所に居《お》らんと、誰かに踏まれてしまうではないか馬鹿者め」
「でも私以外は居な…… あぁ、はぃ…… 左様ですか」
幻想と謳われし蒼穹の涯に浮かぶは、時の帳に包まれし朽ちの城。久遠に葬られし記憶は、色を失ひし現し世と重なりて、幻夢の狭間をたゆたふ。果て無き空の終焉に、誰が楽土を見出すや。翔ぶ術を忘れし羽無き禽らの、封ぜられし歯車は今、音無く廻りはじめぬ。