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「はぁはぁ――― 」
「おい、大丈夫か? 班長殿――― そんな奴、捨てちまえ」
ザイードが横目で、今は臨時の上司の体力を気遣う。お互いこれが初めての仕事であるが故、互いの力量も知れない。これから何が起こるか分からない状況下で、下手に無理をさせて、貴重な体力を消耗させる訳にはいかなかった。
目的地自らが目印となっている中であっても、距離の概念には逆らえない。近くに見えても実際にはかなりの距離がある。実際、大きいモノは近くに見えがちであると聞く。
「ふぅ―――…… 」
走り続けて来たザイードがパタリと脚を止め、振り返らずに提案したのは、僅か乍《なが》らの敬意からであった。
「班長殿、まだ距離が有りそうだ。此処で少し休もう」
「大丈夫だ、気にするな。奴等《やつら》を見失ってしまう」
予想通りの返答を他所に、更にザイードが続けた。
「すまねぇ班長殿。それが、足の裏の皮がどうやら剥ちまって、少し時間をくれないか? 奴等の行き先はもう分かっている。見失っても問題は無い」
「分かった――― そうか、すまない…… 」
小さな川辺を見つけ、ザイードは男がハキムを背から降ろすところを見届けると、腰を落とし、狩人用の長履物を解いて行く。態《わざ》とらしく当然剥けてなどいない足裏を確認する仕草を見せ、軽く気にする素振りを取った。狩人や斥候は、常に遠い距離を移動する。そんな柔な足裏をしていては、一々商売にはならない。
(逆に気を遣われちまったかな…… )
「奴等はもう前しか見てねぇ。火を起こしても感付かれる心配はないだろう」
辺りで口枯れた枝葉を拾い集め、松の粉末をかけ火打ちする。焚きつけた火が燻ると、息を吹きかけ乍ら大きめな枝を焼《く》べた。
不器用な男二人が、此処に来て初めて火を起こす。
「手慣れているな」
「当然だ。俺は傭兵より、狩人だった時の方が長い。だが人は変わるもんだな、今は人殺しを、人殺しと思わない自分が居る…… 家族を奪われたあの日から…… アンタはどうなんだ? 班長殿」
小さな榾火《ほたび》が、時の流れを刻み、二人の男の顔を揺らす頃、漸く班長と呼ばれた男は重い口を開いた。
「俺も…… いや、俺は人を…… もう、戻れない程に」
「そっ、そうか、すまなかった、余計な事を聞いちまったみてぇで」
「いや、構わない」
榾火《ほたび》を見つめる瞳から、悲しい過去の存在を汲み取ったザイードは、それ以上詮索してはならない事を知り、慌てて話題を変えた。
「そっ、それよりも何でソイツは目を覚まさないんだ? 何か飲ませたのか班長殿? 」
「大分、洞《うろ》の中で興奮していたからな、疲れが出たんだろう」
「興奮って、おいっ、まさかアンタ達――― 」
ザイードは慌てふためき後ろに仰け反った。
「止めてくれ、俺にそんな趣向は無い」
「何だよオイ、脅かさないでくれよ、貴族連中にはその手の輩《やから》が多いって聞くからよ、ビックリすんじゃねぇか、冗談じゃ無いぜ全く」
「ははは、すまない」
「然し、もう二日。日が昇れば三日飲まず食わずで走り抜けて来たんだ、流石に腹が減ったな。何か探して来る。その間、班長殿はソイツを叩き起こしておいてくれ、凍死されても困るからな」
「あぁ分った」
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夜襲から三日目が経ち、街の中心地に位置するイーサン診療所。眼光鋭く不愛想な外科医師《ジラーフ》の朝の診療を受けたヴェインは、どうしても気が合わない老医者からこう告げられた。
「もう出てってくれ」
その赤黒く薄汚れた白衣は、多くの患者の命を看取り、そして取り留めた証であった。
「はぁあああああ? 何だテメェ、医者だと思って黙って言う事を聞いてりゃあ今度は出て行けだぁ? 」
「貴重な寝台を二つも使われてたら他の患者が迷惑する。生憎、巨人用の寝台は無いのでな。毒は抜けた。応急処置をした者に感謝するんだな」
「巨人だとぉ、コラッ待てヤブ医者め、ぐぬぬぅ」
椅子から立ち上がり背を向けると、ヴェインの返答を受けずに医者は部屋を後にした。慌てて部屋に残された助手が蒼褪め詫びをする。
「もっ申し訳御座いません、先生もここ三日、ろくに睡眠もとらずに働きづめでして、何卒ご容赦を」
「如何なされました? ミルドルド様」
部屋の入口で警護をする兵士が異変に気付き慌てて顔を覗かせる。
「ちくしょう何でもねぇぜ。それよりも俺様の仲間…… カシューの様子はどうなんだ? カシューも酷《ひで》ぇ有様で此処に運び込まれたって聞いたぞ? どうなってる? 」
半身を起こし、新たな傷が増えた丸太の様な太い腕を肌着の袖に通すと、寝台の縁に腰掛け、部屋に残された助手に問いかけた。
「えっと、カシューさんですか? 何分、患者の数が多過ぎでして、只今所在は分かり兼ねるのですが…… 」
「火薬庫の倒壊に巻き込まれたとか、ナンタラかんたらの負傷者の中に居た筈だ」
ヴェインの言葉に何かをハタと思い出した様な表情を浮かべた助手は、思い当たる節を語った。
「でしたら、先生の私兵達がかつぎ込んで来た負傷者の中に、その方もいらっしゃったかもしれませんね。その方達は火薬庫で負傷し、火傷が酷い状態だったので、別館の二階で治療を受けている筈です」
「そうか、あんがとよ。世話んなったな」
ヴェインは新たに配給された真新しい軍靴の紐を締め、豪華な徽章《きしょう》の入った高官の着る軍服を羽織る。ゆっくりと立ち上がる姿を前に、その圧倒的な存在感と威圧感に助手は自ら知らぬ間に頭を垂れて居た。
「こんな派手な軍服着ちまったら、俺がナンチャラの戦士だってバレちまうじゃねぇかょ」
支度の世話をする部下がそんなヴェインに苦言を呈する。
「どうかもう、ご覚悟下さい。聖戦士《ムジャーヒド》様。街は今、その身一つで巨大な化け物を退けたと貴方様の武伝で大騒ぎです。もう逃げられません。いえ、我らがもう逃がしません」
「その化け物だって、誰も姿を見た訳じゃねぇだろうが、ちっせい兎だったらどぉすんだよ? 」
「化け物の巨大な脚が残っておりました」
「ちっ――― 」
膝を着く騎士に呆れた面持《おもも》ちで溜息を吐くと、ヴェインはシュンと肩を落とし、グランドの策に興じた自分を恨んだ。すると一人の騎士が、たったの一言でご機嫌を取る事に成功する。
「聖戦士《ムジャーヒド》となれば、女は選び放題、酒は飲み放題となり、将軍閣下とも軍務上、触れ合う機会が増える可能性も御座います」
「将軍閣下とだと――― 閣下ってアレか? サハリヤさんだよな? 」
「はい、勿論、お二人だけでお食事なんて事も…… 」
「そっ、それは作戦会議的なヤツってヤツだよな? そっそうか…… 作戦会議は必要な事だよな? 」
「はい、それはもう必要な事です」
人が変わったようにだらしのない笑みを浮かべ、頬を染めるヴェインに対し違和感を覚えた騎士が、不思議そうに隣の騎士にコソリと尋ねる。
「酒は理解出来るが、何で閣下の事なんて?…… 真逆《まさか》――― 」
「感が当たって良かった。どうやら我らが聖戦士様は、強く逞しい人外の女性がお好みの様だぞ? 」
悪知恵を持った騎士は、クククと含んだ笑みを浮かべ、同僚の騎士は逆に恐怖で蒼褪めた表情を浮かべた。
「如何物食《いかものぐ》いかよ――― 」
「ん!? なんか言ったか? 」
冷たい眼光が二人の騎士を突き刺す―――
「いっ、いっいえ、私共は何も、ハハハ」
ヴェインは部屋の出口を潜ると、二人の護衛に別館の二階に案内するよう促し、廊下を進む。歩を進めながら保護を命じた娘達の安否についても報告するように求めた。
一人の護衛が、その重い口を開いた。
「一人は毒の巡りが速く、保護した時には既に…… 」
ヴェインの進む脚が廊下で止まり、握った拳に悔しさが溢れた。窓辺に視線を流すと、薄汚れた空を睨む―――
「そうか、すまねぇジル…… 」
「もう一人も重症でしたが何とか事無きを得ております。現在は順調に回復に向かっているようです。勿論、我等の監視も付けております」
「話は出来るのか? 」
「はい、喉の傷は浅く、意識もあり会話は可能です。呪隷紋《じゅれいもん》は首の薄皮を焼コテで焼灼《しょうしゃく》し、全て剥ぎ取ったとの事です。ですが未だ精神が不安定でして、尋問は見合わせております。今は、回復させるのが賢明ではないかと」
「わかった。また報告を頼む――― 」
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灯り一つない薄暗い部屋の中。窓辺の鳥籠から小さな小鳥を指に乗せ、自らの肩に乗せる謎の人物。
「そうか、では引き続き上手く誘き出せ。上には報告しておこう、お前はもう帰った方がいい、またの報告を待って居るぞ」
幽かに兆す闇影、憂う間もなく静かに世を浸す。流転は時の緒を喰らひ、万象の心を迷わす。各々が宿命に刻まれし戒の縛りは、やがて未来の光脈を密やかに蝕み、誰知らぬうちに朽滅の淵へと誘ふ。