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第32話:一人で確かめに行く、悪い癖
穏やかな日々が続いていたある朝、いつになく硬い顔をした椿が、朝一番で研究棟の障子を開けた。
「薬師殿、少し妙な噂を耳にしたのですけれど」
その声の硬さだけで、良い話でないことは察せられた。
「何かありましたか」
「治療を終えたはずの患者の中に、また熱を出したり、発疹が戻ったりしている方がいる、という話が……。まだ確かなことは分かりませんが」
……再発? あり得ない。私の処方は完璧なはずだ。
「詳しい場所は」
「東の水路沿い、以前診ていたお梅さんのお宅だと」
その名を聞いた瞬間、私はすでに往診鞄を手に取っていた。
「陛下には……」
「議会中です。戻りを待っている時間が惜しい」
供も連れず、私は離宮を飛び出していた。城下へ向かう道すがら、頭の中で幾つもの可能性が渦を巻く。触媒の劣化か、服用量の誤りか、あるいはーーそこから先は、考えたくなかった。
駆けつけた先は、かつて彩と共に最初に治療した、お梅の家だった。むせ返るような病の匂いが、以前と同じように戸口から漂ってくる。だが、以前とは何かが違う。臭気の質が、以前より濃く、生々しい気がした。
「薬師様……! また、姉が……!」
お篠がすがるように駆け寄ってくる。お梅は、以前と同じように床に伏せっていた。額に触れると、焼けるような熱がある。発疹も、確かに戻っていた。
「……いつからですか」
「三日前からです。元気になったはずなのに、急に……」
脈を取り、瞳孔を確認しながら、私は眉をひそめた。進行が早すぎる。以前、初めてこの家を訪れた時の症状より、明らかに急激だ。同じ病が、同じ速度で戻るはずがない。
「以前処方した薬は、まだ残っていますか」
「はい、まだ少し……」
お篠が奥から取り出した薬包を、私は受け取った。指先で開き、まず匂いを確かめる。
……色が違う。
私が調合した薬は、もっと澄んだ紫だったはずだ。これは、明らかに濁っている。指先に薬を取り、舌先でそっと確かめる。ぴりり、と覚えのない刺激が舌を刺した。
これは、私の処方じゃない。
誰かが、意図的に――そこまで思考が至った、まさにその瞬間だった。
背後で、微かな衣擦れの音がした。振り返る間もなく、口元に湿った布が押し当てられる。甘く、鈍い匂いが鼻の奥まで満ちていく。抗おうとした指先から、みるみる力が抜けていった。
――ああ。
薄れゆく意識の中、私はようやく思い出していた。二度と一人で抜け出さない、と誓ったことを。
今更、遅い。
お篠の悲鳴のような声を、ひどく遠くに聞きながら、私の意識はそこで途切れた。
コメント
1件
「一人で確かめに行く、悪い癖」ってタイトルがもう胸に刺さる……。薬の色が違うって気付いた瞬間、はっとしたよね。誰かが意図的にすり替えたんだって確信に至る前に襲われる流れ、すごく不穏で引き込まれた。以前「一人で抜け出さない」って誓ったことを思い出す場面が、切なくて上手いなあ。