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海の紅月くらげさん
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第136話 豪雨と代用
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム・昼】
雨は、もう“降っている”では済まなかった。
ガラス屋根を叩く音が絶えず、駅そのものが大きな缶みたいに鳴っている。
外周の簡易結界は、すでに一度破られた。
アデルが重ねた光の壁が、どうにか駅の正面を塞いでいる。
だが、その膜の向こうで、黒い獣影たちは止まらない。
狼とも熊とも言い切れない巨大な四足。
猪に近い塊。
馬や牛のような輪郭をした、文字列まみれの黒い影。
雨に濡れた体表の端々を、青白いプログラムの文字が這っている。
「来る!」
駅員の悲鳴に近い声が飛ぶ。
次の瞬間、正面の光壁へ、巨大狼影が真正面から体当たりした。
ドン!! と重い音。
壁がしなり、ホームの床まで震える。
その横から、猪影が牙を突き立てる。
さらに別の四足が、ガラスの外壁沿いに回り込もうとする。
アデルが剣を抜いた。
白い外套が雨風を受けて揺れる。
「リオ、右を塞ぐ!」
「分かってる!」
リオは一歩踏み込み、腕輪へ魔力を通す。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
細い光が走る。
駅正面へ飛び込んできた狼影の前脚へ鎖が巻きつき、動きを一瞬だけ止めた。
だが、獣はそのまま体重で引きちぎろうとする。
ただの狼ではない。
影と獣と何か別のものが混ざって、力だけが異様に太い。
アデルが低く詠唱した。
「〈大結界・第一級〉――光よ、駅前に“壁”を重ねて」
剣先から、薄い膜が何枚も立ち上がる。
一枚じゃない。二枚、三枚。
透明な壁が重なり、巨大影の突進を押し返す。
だが、雨がひどい。
結界の輪郭がぼやける。
光の縁から、細かく削られていくのが見える。
「……くそっ」
アデルが歯を食いしばる。
ホームの中央では、駅員たちが人を光のある場所へ寄せていた。
「下がってください!」
「柱の陰に近づかないで!」
「車両には戻らないでください!」
人の叫びと雨音と獣の唸り声。
その全部が混ざり、駅の空気が割れそうに軋む。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム中央】
ヴェルニ=シュナイダーは、逆に口元を上げていた。
雨。
崩れかけた結界。
外から押し寄せる獣影。
ホームに取り残された現実の人々。
最悪の条件だ。
だからこそ、身体の奥の火が勝手に燃える。
「……いいじゃねえか」
紺色の髪が雨の反射で青く光る。
端正な顔立ちは崩れていない。
むしろ今の方が、生きている顔だった。
それを横目で見たアデルが、獣影を睨んだまま短く言う。
「頼んだぞ」
その一言だけ。
だが、ヴェルニには十分だった。
「任せろ」
軽く返して、ヴェルニはホーム中央から一歩前へ出る。
そこは、まだ人々を背にできる位置。
同時に、“何か”が来るなら正面から見える位置だ。
そして来た。
雨の幕の向こう。
正面の獣影たちのさらに後ろ。
森と駅舎の境目、薄く歪んだ空間の奥で、青白い文字列が縦に走る。
最初は一本。
次に二本。
それが格子みたいに空間へ重なり、そこだけ“現実じゃない穴”が開いたように見えた。
ヴェルニの笑みが少し深くなる。
「……来るなら来いよ」
青白い文字列の中央から、黒いものがずるりと出た。
最初に見えたのは、胸だ。
焼け跡の上を覆う、半導体みたいな板。
その上に刻まれた魔術紋。
次に肩。腕。
そして顔。
王国警備局副隊長だった男――カイトの肉体。
だが目は白目のない真っ黒。
そこへ、以前よりはっきりとプログラムの文字列が、皮膚の下と表面の両方を走っている。
雨を受けても、消えない。
むしろ濃くなる。
サロゲートが、にたりと笑った。
「やあ」
声は一つじゃない。
男、女、老いた声、子どもの声。
いくつもの声が重なって、それでも軽い。
「駅っていいよね。人の流れがあるし、定刻があるし、秩序が綺麗だ」
ヴェルニが目を細める。
「……人の体、趣味悪く使いやがって」
サロゲートは自分の胸の板を軽く叩いた。
「借りてるだけだよ」
「ボクたち、器は大事にする方なんだ」
その言い方の直後、別の声が重なる。
「たぶんね」
「きっとね」
「壊れたら新しいのでもいいけど」
ホームの人々が、その異様な姿に息を呑む。
駅員の一人が震える声で言った。
「……なに、あれ」
ヴェルニは一歩前へ出た。
「お前は俺がやる」
アデルは振り向かずに答える。
「やれ、ヴェルニ」
その声と同時に、巨大猪影が結界の裂け目から突っ込んできた。
アデルはすぐそちらへ向かう。
リオも、右側の破れ目へ走る。
つまり――サロゲートの前には、ヴェルニだけが残った。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/正面外壁側】
アデルの剣が雨を切る。
猪影の牙が光壁を押し割りかけた瞬間、アデルは一気に踏み込んだ。
「〈光刃・第三級〉――『裂け』!」
白い刃が走り、猪影の前脚を横から斬り払う。
黒い煤と青白い文字列が飛び散る。
だが倒れない。
影が肉を持っているようで、持っていない。
手応えが気持ち悪い。
リオは右側へ回り込んだ狼影へ、再び捕縛を飛ばす。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
今度は首元と胴へ二重に鎖を巻きつける。
狼影が低く唸り、床を爪で削る。
その隙に、同行の術師が治療光を重ねた。
「〈光癒・第二級〉――『灯れ、祓いの光』!」
煤の輪郭がじゅっと縮む。
獣影が、初めて苦しそうに身をよじる。
「効いてる、続けろ!」
リオが叫ぶ。
だが外は雨だ。
雨が光を散らし、弱め、時間を削る。
押し返しても、次が来る。
外の森にはまだ巨大影がいる。
駅を守る線は、細い。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した駅周辺/ホーム中央】
ヴェルニは、サロゲートと向かい合っていた。
周囲では避難する人々の足音、雨音、獣の咆哮が響く。
だがその中心だけ、妙に静かだ。
サロゲートは、カイトの顔で、子どもみたいに首を傾げる。
「キミ、面白そうだね」
「自信がある顔してる。いいなあ、そういうの」
「壊しがいがある」
ヴェルニは鼻で笑った。
「褒め言葉として受け取っとく」
両手を開く。
炎と風。
得意の二系統を、一度に立ち上げる。
「〈烈風・第三級〉――『吹き上がれ』」
「〈炎槍・第三級〉――『貫け』!」
風が巻き、そこへ炎が槍の形で走る。
ただ燃やすだけじゃない。
回転する爆裂の槍。
ヴェルニが最も得意とする“混ぜた魔術”だ。
サロゲートは片手を上げた。
胸の板の文字列が、青白く走る。
「いいね、それ」
「でも、ボクたち、そういう“派手な処理”も結構好きなんだよ」
炎槍がぶつかる直前、サロゲートの周囲に円形の文字列が一瞬だけ浮いた。
完全な結界じゃない。
プログラムの断片みたいな、歪な防壁。
ドゴォン!!
爆裂がホーム中央を揺らす。
熱風と煙が広がり、人々が悲鳴を上げて後ずさる。
駅員が「下がって!」と叫ぶ。
煙が晴れる。
サロゲートは、まだ立っていた。
白衣は焼け、胸の板に亀裂が入り、肩から黒い煤が漏れている。
だが笑っている。
「痛い」
「でも、前より面白い」
「プログラム層ってすごいよね。
一回飲み込まれて、ボクたち、前よりずっと“混ざりやすく”なった」
ヴェルニの目が細くなる。
「つまり壊れやすくもなったってことだろ」
サロゲートの笑みが一瞬止まる。
その一瞬で十分だった。
ヴェルニはもう詠唱に入っている。
「〈爆裂・第四級〉――『巻いて、砕け』!」
風と炎が今度は球状に圧縮される。
ただの直線じゃない。
逃げ場ごと飲み込む爆裂圏。
サロゲートが跳ぶ。
人間離れした軽さで。
だがその先へ、ヴェルニはさらに一歩踏み込む。
「逃がすかよ!」
爆裂圏がサロゲートの横腹を捉える。
板が砕け、青白い文字列が空中へ散る。
カイトの体がホームの床を滑り、支柱へ叩きつけられた。
鈍い音。
サロゲートの口から、今度は別の声が漏れた。
重なった多重音声ではない。
一瞬だけ、若い男の、低い苦鳴。
「……が、はっ……」
ヴェルニの顔から笑みが消える。
今のは、カイトの残滓か。
それとも気のせいか。
サロゲートは支柱にもたれたまま、真っ黒な目でこちらを見る。
そこへまた多重音声が戻る。
「……だから、器は壊すと駄目なんだって」
「雑だなあ」
「でも嫌いじゃないよ」
胸の板の亀裂から、今度は黒い液体みたいなものが溢れた。
それが床へ落ち、青白い文字列と混ざる。
ヴェルニはそれを見て、逆に口角を上げた。
「いいな」
「壊れてる方が、やりやすい」
雨の音が、さらに強くなる。
後ろではアデルとリオが獣影を押し返している。
駅の人々は、まだ逃げきれていない。
ホーム中央で、ヴェルニはサロゲートへ魔力を練り直した。
サロゲートは、壊れた笑みのまま首を鳴らす。
「じゃあ、続きしようか」