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「も、森にグリズリーが……」
グリズリーは凶悪な熊の一種だ。
鋭い爪と牙を持ち、時に人間をも襲うと言う。
猟師のバートさんの言葉を聞いて、村人達は騒然としていた。
「ついに、グリズリーが……」
「くそ、なんてことだ」
「バートがやられるなんて……」
店のメニューにはジビエ料理を思わせる獣肉が並んでいた。
害獣が多い地で、猟師さんが肉を狩って生計を立てていたのだろう。
だが、その猟師さんが真っ先に襲われてしまった。村人達が不安がるのも当然だ。
「あの、グリズリーが出るとどうなるんですか?」
不安になって、グラディスさんに聞いてみた。
彼は顔色一つ変えずに、私の前の皿に切り分けたイノシシ肉を運んでいる。
「村の猟師が手に負えないような獣や魔物が現れた場合は、冒険者ギルドに依頼をすることがほとんどだな」
「冒険者ギルド……」
「領主のところに頼むって手もあるが、軍を動かすには時間がかかる。その間に被害が発生する可能性もあるから、緊急性の高い依頼はだいたい冒険者ギルドに持ち込まれる」
なるほどと納得してしまった。
この世界には領主もいれば、領主が指揮する軍隊、騎士団も居る。
だが、役所を動かすにはどこも時間がかかるのだろう。
それよりはフットワークに優れた冒険者に依頼した方が、手早く片が付く。
怪我人が突然やってきたことに加えて、グリズリーという恐ろしい獣が現れたという話を聞いて驚きはしたものの、この世界は人を襲う獣や魔物に対するシステムがしっかりと構築されているのだ。
それを知って、少しだけ身体から力が抜けた。
しかし、この小さな村に冒険者ギルドがあるとは思えない。
きっと近くの街まで行って冒険者を探すことになるのだろう。ここから近くだと、カトラルの街か。
それまで、村人達はいつ現れるか分からないグリズリーに怯えながら過ごすことになるのだ。
「……あんた、確か冒険者と言ったな」
宿の主人が、グラディスさんに声をかけてくる。
宿に入った時に、手続きをしてくれた人だ。
「頼む、グリズリーを討伐してはくれないか」
「冒険者ギルドに依頼を出せば良いだろう」
「ギルドに依頼を出しに行っても、引き受けてくれる冒険者が見付かってここに来るまでにどうしても時間はかかる。それに、依頼に向かった者が途中で襲われる可能性だって有る」
宿の主人は不安げに訴えた。
ああ、そうか。前世のように、交通網が発達している訳では無い。
この世界で移動と言えば徒歩か馬か、せいぜい馬車。移動中に襲われるということは、十分に有り得るのだ。
「俺は旅をしている身なんだが……」
「お父さん」
面倒そうに首を振ったグラディスさんの裾を、思わず掴む。
グラディスさんはきっと私がデインズ家に見付かる危険性を恐れて、早くこの国を離れたいのだろう。
その気持ちはよく分かるし、有難くも思う。
だからといって、私の為に困っている人を見捨てるというのは、後味が悪い。
「私は大丈夫だから……私のことは気にせずに、依頼を受けるかどうかを考えてあげて」
「カレン……」
私から、引き受けて欲しいとはとても言えない。
グラディスさんの腕前をこの目で見た訳でも無いし、報酬の相場とか、依頼に関する諸々とか……そういった知識は一切無いから。
でも、もし私の為に先を急いで断ると言うのなら、村人達に申し訳ない。
だから、私のことは気にせずに受けるかどうかの判断をして欲しい。そうお願いしたつもりだった。
「そんな目で見られたら、断るもんも断れないだろう」
グラディスさんは大きな掌でガシガシと頭を掻いた。
私はそんなに何か言いたげな目をしていたのだろうか。
その言葉に、宿の主を始めとした村人達が目を輝かせる。
「それなら……!」
「ああ。ただし、俺は高いぞ」
諦めたように、グラディスさんが告げた。
そっか。そうだよね、なんたってSランク冒険者だもん。
本来ならグリズリーの討伐に駆り出されるランクでは無い気がする。
今更だけれど、いいのかな。
翌日グリズリーの討伐に向かうグラディスさんは、カトラルの街を出た時のような鎧姿では無く、軽装姿だった。
腰から剣を提げてはいるが、鎧は着ずに動きやすい服装のまま。
「野生動物が相手の時は、こっちの方が楽なんだ。鎧の音に反応したりするからな」
理由を聞いて、なるほどと思った。
そして牧場主に頼んで、年老いた羊を一匹連れてきてもらった。
これを囮に、熊をおびき寄せるらしい。
馬は怯えるので、羊だけを引き連れて徒歩で森へと向かう。
テキパキと準備を調える姿は、流石は歴戦の冒険者だ。
「子供は本当に預からなくていいのか?」
「ああ。俺の傍が一番安全だ」
出立する私達に、宿の主人が心配そうに声をかけてきた。
確かにグリズリーの討伐が幼い子供連れとなれば、不安にもなるのだろう。
でも、グラディスさんはしっかりと私を抱き上げたままで離す気配は無い。
「行くぞ、カレン」
「はい!」
グラディスさんにとっては、復帰後初の依頼。
私にとっては、初めての冒険だ。
怖さは勿論有るけれど、それ以上にドキドキが止まらない。
とにかくグラディスさんの邪魔をしないように、大人しく彼にしがみついている。
でも、こうして腕に抱かれているだけで重荷になっている気がする。文字通りのお荷物だ。
「あの、重くないですか?」
不安になって、聞いてみた。
森までどれくらいの距離があるかは分からないけれど、私にだってちゃんと立派な足がある。
一日くらいは歩き詰めでも大丈夫なはずだ。
「鎧の方が重いくらいだ」
グラディスさんの返事は、素っ気ないものだった。
確かに、今日は鎧を着込んでいないから身体は軽いのだろう。
だからといって、子供一人抱えているのは大変な気もするが……彼には私を下ろす気は無さそうだった。
馬に乗っている時とはまた違う景色。
後ろから抱えられている時よりも、もっと近くにグラディスさんの温もりを感じる。
ただシルワ村で偶然会っただけの私を、こんなにも大事に守ってくれるなんて。
嬉しさと同時に、少しだけ申し訳なくも感じてしまった。
「この辺りでいいか」
猟師さんから、グリズリーが現れただいたいの場所は聞いてきてある。
そのポイントに辿り着けば、グラディスさんは羊を切りつけ、血が滴る死体をわざと目立つ場所に放置した。
血の臭いで熊をおびき寄せる為だ。
羊を殺すのは少し可哀想にも感じたけれど、グラディスさんの剣の腕は凄かった。
気付いた時には、もうドサリという音が聞こえた。
羊は悲鳴を上げる間も無く死んでいたのだ。
茂みに身を潜めて、グリズリーが現れるのを待つ。
グラディスさんは落ち着いた様子だが、私の方が落ち着かない。
「えっと、グリズリーが来たら私はここに隠れていればいいですか?」
小声でグラディスさんに尋ねる。
自分が討伐で役に立てるとは思わない。
それならば邪魔にならないように、身を隠しているのが一番だ。
だが、グラディスさんはゆるりと首を振って、私を膝の上に抱きかかえた。
ひょっとして、抱っこしたままで戦うということだろうか。いや、それは邪魔過ぎるのでは。
一人で息を潜めているくらい出来るからと、説得しようとしたその時だった。
パキリと、小枝を踏む音が聞こえた。
次いで、ガサガサと茂みを掻き分ける音。
グラディスさんが身を屈めて様子を窺う。
のそりと、茂みの向こうから大きな熊――グリズリーが現れた。
日本では灰色熊とも呼ばれるグリズリーは、灰色というより少し茶色がかった体毛をしていた。
今は背を屈めて羊の臭いを嗅いでいるが、立ち上がったなら長身のグラディスさんよりも背丈があるだろう。縦にも横にも大きい。
初めて見る獣の恐ろしさに、思わずグラディスさんの胸に縋り付く。
恐怖で喉がひりついていなければ、声を上げてしまっていたかもしれない。
グラディスさんがぎゅっと抱きしめてくれて、ようやく呼吸することが出来た。
気配を殺したまま、静かに深呼吸。
茂みのすぐ向こうで、気配がする。
鋭い爪で肉を切り裂き、羊を食む音。
グリズリーが喉を鳴らし、今度は勢いよく羊に齧り付いた時――グラディスさんが静かに動いた。
片手には私を抱いたまま。
こんな状況で戦うなんて、グラディスさんの邪魔になるのでは……なんて、最初は考えていた。
だが、気を使うほどの時間も無く、あっという間に全ては終わっていた。
左手で私を抱いて、右手で剣を振るう。
幅広の剣を横薙ぎに一閃。
次の瞬間、ゴトリと音がした。グリズリーの頭部が地面に転がっていて、遅れて首の断面から血が噴き出す。
最後に、熊の巨体がゆっくりと倒れて地響きを立てた。
討伐の証拠として頭部だけ布で包んで持ち帰った。
後日、村人達がグリズリーの死体を処理しに来るらしい。
毛皮だけではなく、肉も食堂で料理されて振る舞われるそうだ。
私達は熊肉が届くよりも先に村を出立することにした。
先を急ぎたかったのは勿論だが、しきりに感謝されるのが煩わしかったのかなとも思う。
熊肉は食べられなかったけれど、出立日の朝、宿の女将さんがお弁当にと鹿肉のソテーを挟んだサンドイッチを作ってくれた。
「あんた達のおかげで、助かったよ」
あんた達と言われると、なんとも肩身が狭い。
私自身は何もしていないどころか、邪魔にしかなっていないのだ。
「いつでも、またこの近くに来た時には立ち寄っておくれ」
宿の夫婦だけでなく、村人達に見送られて、村を出る。
振り返れば、皆がまだこちらに手を振っていた。
「冒険者って、皆に感謝されるお仕事なんですね」
「そんなこと、依頼の内容による」
「それでも、凄いです」
目を輝かせて見上げれば、くすぐったそうな笑顔が返ってきた。
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#ハッピーエンド