テラーノベル
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「……本当に君って奴は、気を抜いて扱うと、稀に爆発しやがるね。 忘れていたよ、君がどういう奴だったのか」
野崎はハア、と溜め息をついて、
「煌とはまだ短い付き合いだが、君が主張しているものが虚勢であることは、私にはよォく分かる。 その虚言を無視してやっていいが、盗撮機が本物なのか偽物なのかは、実際のところわからない。 こんなタイミングでよくも博打を打ちやがって。 良いだろう、その勇気に免じて、今回は可能な限り君を尊重してやることにしよう」
だけどね、と彼女は続けて、
「ゾンビを殺さないよう立ち回るのは、可能な限りに限る。 君の言うことを徹底しすぎたばかりに、ゾンビ取りがゾンビになっては元も子もない。 誰かが襲われていたり、どう仕様もない場合には迷いなく権能を振るう。 そいつが条件だ」
「ああ……! それでいい。 それで充分だ」
「ちっ、非効率的な浪漫主義者め」
野崎は酷く疑っているみたいだが、ペン一本の即興劇の効果は覿面だったようだ。
これで教師たちが救えたとは思っていないが、悲しい事態に陥る可能性は、極力潰すことが出来たはずだ。
「それで煌、このゾンビどもはどうするつもりだい? 元凶を辿るために、私たちはこいつらの奥へ進むべきだ。 仁くんたちが向かった東階段まで大回りするんじゃあ、時間がかかりすぎる。 仮面持ちに逃げられてしまうな」
「つったって、その仮面持ちって奴がどこにいるかわかってんのかよ?」
「もっと観察眼を鍛えた方がいい。 あのゾンビどもの痕跡を見ろ」
断続した呻き声をあげながら、ゆっくりとこちらへ向かってくるゾンビ達の背後。
血溜まりを踏んだ後の靴底スタンプと、漏出した血液で出来た血のラインが、彼らがどこからやってきたのかを示していた。
「あの轍を追えばゾンビの発生地点が何処なのか、大体わかるはずさ。 奴はきっとその近くにいる。 そのためにはゾンビどもの集団を掻き分けて進む必要があるだろうね」
「……わかった、あんたの言う通り血痕を追おう。 ただし、勝人の安否確認が優先だからな」
オレは教室に戻り、近くの席から椅子を二つ拾ってきて、片方を野崎に渡した。
「椅子の脚をゾンビに向けて、そのまま壁に押さえつけよう。その内に奥に進むんだ」
「君の正気を疑うね。 ゾンビに怪我させないよう、危険を冒してまで配慮するなんて。 ぶっ叩いた方が早いだろうに」
「奥に進むためなら、それで充分だろうが!」
じりじりと寄りつくゾンビへ向けて、椅子を両手で構える。
本来はフロアの床に接地し、座る者の重量を分散して支える役目をもつ四つの脚を、ゾンビの肩上と脇下に潜り込めるよう、狙いを定める。
もしもこいつらが、オレの知っている架空上に生きるゾンビと同じ生態なら、ゾンビ化ウイルスの感染経路は噛みつきだけじゃない。爪で引っ掻かれるだけでもアウトかもしれない。とにかく、接触を少しでも避けなければならない。
椅子程度じゃ、壁に押さえつけてもこいつらの腕のリーチの方が長くって不利だ。持ち手まで簡単に手を伸ばされちまう。
だからこそ、この作戦にはスピードが求められる。拘束から逃走までを迅速にこなすことが、最も安全を確立する術となる。
「まずは言い出しっぺのオレからやる。 野崎は二体目だ」
「奥の三体目は?」
「そいつもオレだ。 手前の奴から離れたらすぐ対応する」
「策があるような言い方をしていたのにこれか。 力任せで、ほぼ無策に等しいじゃあないか」
ここからは、逡巡の判断が恐ろしく大切になる。
さっきまで混乱していた思考は、交渉を持ちかけたあたりから途端にすっきりしていた。手の震えもない。それどころか、野崎から感染した冷静さが頭の中を満たしていた。
こういうたまに湧き出る勇気――――。
無謀にも近い思い切りの良さには、オレ自身も驚いている。
だから折角なら、こいつを最大限に利用させてもらう!
「行くぞ」
宣言通り、手前のゾンビに飛びかかる。小さな嗚咽を続ける男教師の上半身に椅子の底をぶつけ、その勢いで壁際へと押し詰める。
壁に強く叩きつけられたゾンビは喉から黒血をじょろりと噴出しながら、両腕を椅子の脚に預けて尻もちをつこうとしたので、それに合わせて椅子を突き立てる高さを低める。
椅子の脚はゾンビの体を斜めに捕らえ、左腕が上げられず、近寄ることもできない形を実現させた。
「今だ、野崎!」
その一言で野崎が最寄りのゾンビに駆け寄る。
構えた椅子でゾンビを低くから突き上げ、そのままの勢いで壁際に押し付けた。
両手を伸ばす教師の腕に触れないよう、まるで花火の導火線に着火をする時のような引き腰の体勢で、椅子を押し保っている。
次はオレの番だ。
ぐったりと座り込むゾンビから椅子を軽く引き抜き、すぐに奥の三体目に走り寄る。
自身の腕力と瞬発力を信じ、一体目と同様に、肩上と脇下にパイプ脚を入り込ませる狙いだった。
しかし、そのアクションは教師の肥満した体型に邪魔をされた。
脇下に潜り込むはずだったパイプ脚が、ゾンビの腐って柔らかくなった横腹に突き刺さってしまったのだ。
軽い助走で勢いのついた刺突は、そのまま滑るように横腹を裂いた。ボロボロに朽ちたシャツは引きちぎれ、破壊された内蔵と共にパイプ脚が吐出する。
その有様は到底、常人が正視できる状態でないことは明らかだ。
しかし、それでもオレは見なければならない。臓物を吹き出すグロテスクな怪物は、椅子の座面一枚越しからこちらへ攻撃意志を向けてきているのだから。
「うッ……!」
腹の中をぶちまけて重心が不安定になったゾンビが、その血みどろの胸部を椅子にぐりぐりと寄せつける。
パイプ脚からすり抜けてしまいそうな満身創痍に、椅子の背を握るオレの手に緊張が走る。
一学生として学園生活を送っている以上、掃除時間における生徒机の運搬や、授業中の二人一組イベントなど、椅子を持ち上げる機会は少なからずある。
しかし、今回のように背の板だけを掴み、力任せに押し付けるような真似をした経験はない。特に、触れればウイルス感染の恐れがある血濡れの腕が向こうから伸びてくるなんてシチュエーションでは。
だから少し想像すれば分かるはずだったこの姿勢の辛さに、作戦を実行に移した今更、分からされることになった。
手首を掴まれぬよう腕をできる限り伸ばし、それでいて不安定な椅子に込める力も維持し、ゾンビとの距離を保つ。
そんな状態をいつまでも続けていられるほど、男子高校生の膂力は強くはない。
「頭を下げろッ」
背後から投げられた中性的な声の忠告に従い、姿勢を低くしたその直後。真隣に細い影が寄り立ち、それは高く構えた椅子を、ゾンビの頭部を目掛けて勢いよく振り降ろした。
ゾンビはオレが押し付けていた椅子ごと床に叩きつけられ、首から上を廊下に撒き散らした。
手に残るのはパイプ脚を通じて届いた、椅子同士のぶつかった衝撃。それが骨伝導し、甚深とした黄色い痛みが両腕の中で乱反射する。
目の前で、人の頭が、潰れた。
例えそれがゾンビであろうと、衝撃的と呼ぶに他ならない、異常な光景だった。
「茫とするな、血痕を追うよ」
肉片の張り付いた椅子を持ったまま、野崎は奥へと進む。その先には、ゾンビ化したばかりの這った女生徒が待っている。
野崎はその女生徒の頭上に椅子を設置し、踏み台に奥へと跳んだ。
「早く来なよ、後ろの奴に捕まえられちまう前にね」
さっき見たグロ映像が頭の中をジャックする前に、逃げるように野崎の後を追う。
座面下から伸びる手に足首を握られぬよう用心しながら、踏み台で跳躍する。
女生徒ゾンビを飛び越え、着地ついでに血痕の上で二、三歩ほどブレーキステップを踏んだ。
「フン、お見事」
「すまねえ、助かった……。 け、けどよ、あそこまでしなくたって良かっただろ!」
「約束は破っていない。 ゾンビを殺さないよう立ち回るのは、可能な限りに限ると言ったはずだ」
「……ああ、そうだな。 とにかく、助かったよ」
振り返ると、既に教師ゾンビたちが立ち上がり、のろのろと踏み寄ってきていた。
頭の潰れた者だけは、びくびくと胴体を震わせて床に折れていた。
「頭を潰せば行動不能。 まさにゾンビだね」
「……まるで、現実じゃないみたいだ」
「現実には起こり得ないはずの現象を起こす。 それこそが権能だからね」
さあ行くよ、と野崎が血痕を追う。
ゾンビの轍は階下へと続いていた。
踊り場まで進んだ所で、一階のフロアに漂う瘴気を肌に感じた。
恐る恐る下の様子を伺うと、廊下一面に広がる血痕。うつ伏せに眠る真っ赤な女性教師。むわりと香る熱。
「パッと見、ゾンビはいなさそうだが……、酷い状況だ」
「でもこの様子なら、ゾンビ共の発生源はここを降りてすぐの所で間違いないみたいだね」
「……勝人が心配だ」
「職員室は、降りてすぐの放送室の隣だったね。 行ってみるしかないな」
そう話しながら階段を降りていき、廊下の直線を覗くと、
「なんだよ、これ……!」
扉に群がる、十数人にも及ぶ教師。
顔面から流血し目玉が飛び出た者や、四肢が欠損した者。あらゆる種類のゾンビが呻き声を上げながら放送室を外から叩き、血の手形を引き伸ばして、壁紙に赤い模様を増やしていた。
「どいつも教師ばかり、ということは、ゾンビパンデミックが起きたのは、教師の詰所である職員室である可能性が高いみたいだ」
「職員室……、ってなると勝人は……」
まさか、と思いゾンビの集団の中を探すが、その中に勝人の顔は見当たらない。
「落ち着けよ、煌。 ゾンビが一箇所に群がっているってのは、生存者が追い立てられているお決まりのシチュエーションだよ。 まだ相原君は生きているかもしれない」
「まさか、あの放送室に勝人が……!?」
「落ち着けって。 私がわざわざ危険を冒してまで階を降りてきたのは、仮面持ちを探すためだったってことを忘れないでくれ給え。 つまり、あそこに閉じこもっているのは相原君かもしれないし、他の生存者かもしれないし、この騒ぎの元凶たる仮面持ち、その張本人かもしれないのだからね」
野崎との会話に、ゾンビの群れの一部がこちらに気付く。
更に、背後の階段からゴトゴトゴトッと転がり落ちる音が聞こえ、目を向けると、そこには身体を折り畳まれたゾンビが、肉球となって踊り場に転がっていた。
「くそ、一旦校庭に出るぞ。 外の窓からでも放送室の様子は見れるはずだ」
「放送室には窓はなかった。 きっと、防音のためだろうよ。 君に学校案内を頼んだ時に校庭側の壁から確認済みだ。 それに、もし窓があるなら中の奴は脱出済みだと思わないか?」
「確かに、それも……、そうだ。 つーことは、中を確認するためには、あのゾンビ共を退かさなきゃなんねえってことかよ……!」
「でもね、退かすだとか考えている場合じゃあなさそうだよ。 君の提案した校庭へのルートだが、もう通れなくなってしまった」
野崎の語る言葉の意味は、それ以上は語るに及ばず。一年生専用の下足場からやってきた彼女らを見れば、一目瞭然だった。
その先頭は、血濡れの女生徒。制服が破れて開け、本来は発達途上の乳房があるはずのその胸部に、他のゾンビに噛みちぎられたと思われる赤黒い大穴をあけた女子が立っていた。
その後続には左腕が欠損した男子生徒に、大袈裟に脳味噌を露出した清掃員。これまた一段と個性的なグロさを誇るゾンビグループが現れる。
「逃げ道なし、みたいだ。 これでもまだゾンビを殺すなとか言い出すんじゃあないんだろうね」
「まッ、待て! まだ廊下の窓から外に逃げれる!」
「それは窓の外を確認してから言うべきだね」
最寄りの窓。硝子は既にヒビ割れ、その外には首の折れたゾンビが闊歩していた。
「煌、聞かせてくれよ。 私の権能でゾンビ共を蹴散らしてしまうよりも、確実で、安全で、効率の良い、そんな素晴らしい打開策があるって言うんだったらなッ!」
野崎は首に巻かれた包帯の隙間に指を滑り込ませてそう語る。
その仕草がどういう意味を持つのか。包帯から垣間見える傷だらけの肌が、爪を立てて首を掻くビジョンを容易に想像つかせた。
彼女は以前、こう言っていた。
“私の権能『爆弾作り』が持つ効果は、
この筆で絵掻いた想像物の創造。
条件となる代償は、苦悶の出血だ。
そう、とどのつまり、私の権能は、
自分の血液で描かれたものしか創造することができない”
野崎にとっての自傷、苦悶の出血。
それは、権能の使用を意味していた。
彼女がここで権能を使えば、ゾンビを一蹴することが出来るだろう。いいや、一蹴してしまうだろう。
博物館で野崎が『爆弾作り』を使い長い斧を振るった時、壁に展示されていた絵画の額縁が炸裂する程度には破壊力があった。
あの炸裂が、ゾンビとはいえ、人間の頭で起きるなんてことはあってはならないし、先程のような光景は、もう見たくもない。
一筋の汗がツウと頬を伝う。
それはこの絶体絶命の状況に焦燥しているせいか、それとも大暑の気温のせいか。
「鈍いぞッ、そこのゾンビがあと三歩でも此方に近づいてきてみろ。 君が悩んでいようと何だろうと関係なく、すぐにこの指を振るう!」
待て早まるな、と口に出すことすら惜しみ、脳をフル回転させて策を練る。
思いきり突進でもして突破口を拓くか?
危険だ、もしもゾンビをふっ飛ばすのに失敗したら、噛みつかれてもおかしくない。
辺りから武器を見繕ってきて抵抗するか?
駄目だ、そんな余裕はない。軽く見渡す限りでは、四方にいるゾンビとの距離を保ち、退路を見出すことが出来るような物品は見当たらない。
どうすれば、どうすれば。
どうすれば、オレも野崎も死なず、ゾンビも殺さず、勝人も、仁も、はるかも傷つかず、他の生徒への被害も食い止め、全て全て、全て丸く収めることが出来る?
どうすれば、オレの望む超解決の打開策に辿り着く?
頬を伝った汗粒が顎からこぼれ、ウレタンにこびりつく赤い足跡に落下した、その直後。
廊下の窓を蹴り破って、勢いよく彼は登場した。
見たことのない灰の学生服に、
烈火のマフラーを長く靡かせ、
片手には玩具のような緑色の拳銃を握り、
黄金の角を生やした仮面で顔を隠す、謎の学生。
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