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キスを交わしてから、二人の間の空気は、明らかに変わっていた。以前のような、一方的に誘惑される側とする側という関係ではなくなり、代わりに、もっと対等な、緊張感を孕んだやり取りが増えている。主導権を奪い合うように。
それがかえって、この関係を手放せない理由になりつつある。
「今日はやけに機嫌よさそうだね」
カウンターの中から、柔太朗が探るように言った。舜太はグラスを傾けながら、高いスツールからでも十分床に届く長い脚を組み替え、余裕たっぷりに笑ってみせる。
「機嫌ええですよ、そら。柔太朗さん、この前のキス、まだ覚えてるみたいで」
「さあ、どうだったかな。すぐ忘れちゃった」
「嘘つくの下手ですね、相変わらず。――また、思い出させましょうか?」
柔太朗の余裕そうな表情の下に、ほんの一瞬だけ揺らぎが見えたことを、舜太は見逃さなかった。
軽口とも言えない、駆け引きのようなやり取りがリアルで、上手にいつまでもスルスルと逃げ回るこの人を見ていたかった。――いつか追い詰めてやると思うとなおのこと。
「それより、舜太くんこそ。」
不意打ちのような一言に、舜太の笑みが、わずかに固まった。柔太朗はそれを見逃さず、静かに続ける。
「最初に会った夜、随分と荒れてたけど、吹っ切れたの?」
「それ、今言う必要あります?」
「あるよ。舜太くんが、俺の余裕を崩そうとするなら、俺だって、舜太くんの弱いとこ、突き返す権利くらいあると思うけど」
その反撃に、舜太は思わず苦笑した。痛いところを突かれた自覚はある。だが、それを認めるのは、舜太のプライドが許さなかった。
「もう、それはどうでもいいですよ。今は、柔太朗さんのことしか、頭にないんで」
「それ、口説き文句のつもりで言ってる?」
「事実ですけど」
まっすぐな物言いに、今度は柔太朗の方が、わずかに言葉を失う番だった。
舜太はその隙を逃さず、続けて踏み込む。
「柔太朗さんこそ、誰かとこんな風に、本気で駆け引きしたこと、あるんですか」
「──さあ、どうだろうね」
「はぐらかしましたね、今」
「はぐらかしてないよ。ただ、答える義理を感じないだけ」
「──そういうとこですよね、柔太朗さんの、ずるいとこ」
舜太は身を乗り出し、カウンター越しに、柔太朗の顔を覗き込んだ。まるで逃さないと言わんばかりに視線をあわせて。
「誰にも本気で近づかせへんくせに、こっちの弱いとこだけは、ちゃっかり見抜いてくる。ずるすぎません?」
図星だったのか、柔太朗は珍しく、視線を逸らした。その仕草に、舜太は小さな満足感を覚える。誘惑されるだけだった立場から、こうして相手の均衡を崩す瞬間を作れることに、ある種の高揚を感じていた。
「柔太朗さんも、寂しいんですか。誰にも本気で踏み込まれへんの」
「踏み込まれたくないだけだよ。寂しいとは、違う」
「それ、自分に言い聞かせてる感じしますけど」
「よく喋る客だね、今日は」
柔太朗は、はぐらかすように話を打ち切ろうとした。
グラスの縁を長い指でなぞりながら、バーカウンターにゆっくりと肘をつき、口元には微かな笑みを浮かべて、追い打ちをかけるように続ける。
「俺、柔太朗さんの、その崩れかけた余裕、見るの好きなんですよね。もっと崩したなるわ」
「──物騒なこと言うね」
「物騒くらいがちょうどええでしょ、こういう関係」
軽口の応酬の中に、確かな緊張感と、それ以上に甘やかな熱が滲んでいた。互いの弱点を握り合いながら、それでも離れがたい。そんな危うい均衡の上で、二人の駆け引きは、次第に深みを増していく。
「今日は、このへんにしとこうか」
「逃げるんですか」
「──戦略的撤退、って言ってほしいな」
苦笑しながらそう言う柔太朗に、舜太は満足げに笑った。完全に主導権を握れたわけではない。だが、少なくとも、互角に渡り合えているという実感が、舜太の中に、確かな自信として根付き始めていた。
時計の針は午前一時を回っていた。窓の外は、世界からすべての音が消え去ったかのように、奇妙なほど静まり返っている。攻防はまだ、終わらない。むしろ、これからが本番なのだと、二人ともどこかで予感していた。
みら

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