「ユウジー、入るよ」
ユウジの返事を聞くより先に部屋のドアを開けた。
ユウジはガラス素材のお洒落なローテーブルに肘を付いてテレビを見ていた。
「勝手に入ってくんなや」
「勉強教えて」
「無視すんなや。ちゅーかお前いつこの家に来たんや」
「さっき」
「もし俺が全裸で部屋におったらどないするつもりやったん。お婿に行けへんやろ」
「やば」
「やばって何や」
ユウジの言葉を無視してわたしはローテーブルの上に教科書とノートを広げる。
ユウジはやいやい言いながらもどこが分からないのかを聞いてくれた。
わたしより若干、ほんとにわずかだけど頭が良いユウジは難問をすらすらと解いて教えてくれた。
すらすらとノートを走るシャーペンを持つユウジの手は昔よりごつごつしていて、やっぱり男なんだと実感した。
「おい聞いとんのか」
「聞いてるよ」
「なら自分で解いてみろや」
「すみませんでした」
「しゃーないな、もっぺん教えたるからそのちっこい脳みそに叩き込みや」
「ユウジよか脳みそでかいんだけどな」
「何やと!」
自分から暴言を吐いたくせにユウジは怒りだした。
めんどくさいからユウジを宥めてシャーペンを握らせてさっきの問題をもう一回説明してとお願いしてみる。
ユウジはぶつくさ言いながらもまた説明を続けてくれる。
ユウジに勉強を教えてもらい始めてからあっという間に30分が経っていることに気付いた。
久しぶりにこんなに長くユウジの部屋に滞在したかもしれない。
一氏家に来るときは決まって親の用事の付き添いで、ユウジは毎日遅くまで部活でいなかったから、細かく言えばユウジの家でユウジに会うこと自体が久々だった。
ユウジに言いはしなかったけど、ユウジの部屋はわたしが記憶していた過去のものよりかなり変わっていた。
今わたしたちが勉強しているローテーブルだって無かったし、ちょっとこの部屋にはお洒落すぎる間接照明も本棚も、それにこんなに大きなベッドも無かった。
知らない間にユウジはどんどんわたしの記憶を古いものにしていた。
「……ユウジの部屋変わったね」
「そうか?最近来てへんだけとちゃうん」
「そっか、そうだよね」
「いきなりどうしたんお前」
「別に。そろそろもう帰るね、勉強教えてくれてありがとう」
「はあ?ほんまお前おかしいで」
「だから帰るって、」
言葉の続きが言えなかった。立ち上がろうとするわたしの腕をユウジが掴んで引き戻したからだった。
振り払おうとしてもユウジに掴まれた腕はびくともしなくて、あたしはどうしようもなくなった。
「ユウジ何なん?」
「お前こそどうしたん」
「だから何でもないってば!」
「ならなんで泣きそうなん」
そんな顔で帰せんやろ、ユウジにそう言われたと同時に涙が頬をつたうのが分かった。どうして涙が出るのか全然わからなくて胸がぎゅうっと痛くなった。
「も……、意味わかんない」
「こっちのセリフや」
服の袖で涙をごしごしと拭いたユウジにわたしはいきなりふわりと抱きしめられて、胸は痛いし、頭はパニックになって真っ白になった。
「俺何かお前を傷つけたんか?」
「違う、ちがう」
「なら何やねん」
ユウジの顔が近い。
抱きしめられているせいでユウジの体温と心臓の音がわかる。
「ユウジが悪いとかじゃない」
「俺には言えんのか」
「自分でもよくわかんない」
「なんやそれ」
ほんとは分かってた、けど言えなかった。
どんどん変わっていくユウジとその周りの環境がわたしを置いていってるみたいで寂しい、なんて言えるわけがなかった。
「ユウジ」
「ん?」
「ありがとう」
「おん」
ユウジはあたしをあやすように頭をゆっくり撫でてくれた。
さっきより抱きしめられる力は弱くなっていたけど、あたしはその腕から抜け出すことも抵抗をすることもしなかった。
しばらくしてからユウジはあたしから少し離れてじっと顔を合わせた。
嫌な予感がした。
「…なあ、」
「ん?」
「俺がお前のこと好きや言うたらどうする?」
「……え、何どういうこと?」
「ずっと前から好きや、いつからなんてわからんくらい前から」
「冗談、」
「本気や」
ユウジの目は揺れることなんてなくてさっきよりずっと真剣にわたしを見る。
ユウジの視線に耐えきれなくてわたしがすっと視線を逸らすと、ユウジがあたしの腕をまた掴んだ。
「……んで、」
「何や」
「何で好きとか、言うの」
「お前も同じ気持ちや思うたからや」
ユウジがわたしの腕を強く握る。
ユウジの顔がわたしの顔と近付いてお互いの鼻先がくっつきそうになる。
ユウジがわたしに何をしようとしてるのかなんて容易に理解できて、ユウジを掴まれていないほうの腕で突き飛ばしてしまった。
突き飛ばした瞬間に緩んだユウジの手を振り払って、わたしは勉強道具をそのままにしてユウジの部屋を飛び出した。
ユウジのお母さんにちゃんと挨拶を交わしてから家を後にした。
ユウジが追い掛けてくる様子はなくて少しほっとした。
もう今までみたいに話せない、と実感してしまう。さっきとは違う涙がとまらない。
ぽたりぽたりとわたしの制服を濡らしていった。
ユウジがわたしのことをどう思ってるか、全くわからないわけじゃなかった、だけど信じられなかった。
さっきのことを忘れたくて、頭の中で財前くんを考えたけどユウジが消えることなんてなかった。
いくら頭で好きな人を財前くんだと思い込もうとしても、心はユウジのことでいっぱいだった。
抱きしめられたのも、腕を掴まれたのもキスされそうになったのも全部嫌じゃなかった。
ほんとは自分の気持ちもずっと前から分かっていた。
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