「勉強してください。」
これもまた、何の変哲もない、でも重い一言だ。あなたが人生で耳にした数えきれないほどの言葉の中で、恐らく一番多く耳にしたフレーズかもしれない。親、先生、友達、街角の看板、テレビのCM、もはやこの言葉を避けることなんて不可能だ。みんなが言う、無意識に、そして時に少し厳しく。
でも、ねぇ、どうして「勉強してください」って、そんなにしつこいんだろう。何かに取り憑かれたかのように、世界中のすべての人が「勉強しろ」と言ってくる。そのくせ、勉強してる姿を見せれば「そんなに勉強してどうすんの?」とか言ってくるし。結局、何をしても「勉強してください」の呪縛から逃れることはできない。
だから一度、こう思ってみることにした。
「よし、今日は勉強しないぞ。」
で、やったことはというと、寝転がって天井を見つめる。携帯は見ない。勉強の資料も触らない。ただただ、静かな部屋の中で天井を見て、なんとなく考え事をする。これが、少なくとも一歩踏み出した「勉強しないこと」なのだ。
ところが、しばらくしてからなんとなく気づいた。なんだか、心がスッキリしてきた。目の前に積まれた教科書や参考書たちが、まるで「本当にやらなきゃいけないの?」って言ってるみたいに思えてきた。もちろん、そうは言っても「勉強しないとまずい」って思う自分もいる。でも、何だろう、この気分。まるで、今まで自分が背負っていた荷物を一時的に下ろしたような感じ。
その時、ふと「あれ?勉強って、ただやらなきゃいけないことなのかな?」と疑問が生まれた。もし、勉強がただ「やらなきゃいけない」ことなら、楽しいのだろうか?「勉強してる=偉い」っていう価値観に、私たちはどれだけ縛られているんだろう?
そこで、思い切ってちょっと視点を変えてみた。
「勉強って、もっと面白い方法があるんじゃないか?」
どうせやるなら、ちょっとだけ馬鹿になって、楽しく学べる方法を探してみよう! と決心したのだ。だって、勉強の目的は、知識を増やすことや理解を深めること。そのために自分を追い詰めてストレスだらけでやるのは、なんだか意味がない気がする。だったら、むしろ楽しくやった方が絶対に得だよね?
そう思って始めたのは、全く新しい勉強法。「楽しみながら学べる道を探してみよう作戦」。例えば、難しい歴史の出来事も、漫画で描いてみるとか、友達と一緒にディスカッションしながら問題を解いてみるとか。それに、知識が活かせる場面を考えてみたり。全てを真剣に、でもちょっとユーモアを交えながら進める。
その結果、なんだか頭を使わなくても、気がつけばいろいろなことが身についていた。従来の「勉強しなきゃ!」というプレッシャーから少しだけ解放されて、もっと「どうしてこんなことを学びたいのか?」という好奇心が湧いてきたのだ。
「勉強してください」と言われる度に、いつもプレッシャーを感じていたけれど、今ではその言葉に少しだけ反発してみるのも悪くないと思えてきた。「じゃあ、楽しみながら勉強してやるよ!」と心の中で思うだけで、どこか嬉しくなった。
さあ、次回からはもっと馬鹿になってみよう。勉強が楽しみに変わるかもしれないから。
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