もしかして、アリアは⋯⋯
心の声に悩まされる時也を気遣って
まるで人形と見紛う程に
心を閉ざしているのかもしれない。
ふと、そんな思いが過ぎった。
不器用な愛の形。
それが何故か
胸に染み渡るように痛く
視界がじんわりと霞んでいく。
「──痛⋯っ!」
滲んだ涙が視界を歪ませ
気が緩んだ刹那
レイチェルの指先が包丁の刃先に触れ
赤い筋が走った。
「大変!
すぐに消毒薬をお持ちしますね!」
慌てた時也が
厨房の扉を開けた──
その瞬間だった。
──スッ⋯⋯
「⋯ひ⋯⋯っ!?」
レイチェルの喉から
渇いた声が短く漏れた。
視界の端を
ソーレンの能力で浮かされた
アリアの首が横切っていったのだ。
深紅の瞳が見開かれたまま
ぼんやりと此方を見つめている。
彼女の肌は
白磁のように滑らかで美しい筈なのに
今は鮮血がこびりつき赤黒く変色していた。
レイチェルの指先が冷え
血の気がすっと引いていく。
だが、目を逸らせない。
見開かれた深紅の瞳と視線が絡んだ瞬間
まるで身体が
硬直してしまったかのように
動けなくなっていた。
「⋯ぐ、う⋯⋯おぇっ⋯⋯!」
突然
時也が膝から崩れ落ちる音がした。
「⋯⋯っ!?時也さんっ!」
慌てて駆け寄るが
時也は地面に手を付き
堪え切れずに
胃の内容物を吐き出していた。
嗚咽とえずきが混じる音が
耳に焼き付く。
「タイミング悪ぃ奴だな!
なんで今出てくんだよクソがっ!
てめぇまで、店を汚すんじゃねぇよ!」
怒鳴り声が響く。
視線を上げると
ソーレンが眉を顰め
険しい顔で時也を怒鳴りつけていた。
彼の背後には
まだアリアの肉塊が
能力で持ち上げられたまま
無惨な姿を晒していた。
ー浮かぶ、バラバラの肉片たちー
腕が、皮膚が、内臓が
それらが塊になって漂っている。
「おい!青龍!
身体洗ったんなら
おめぇのダメ主なんとかしろよ!」
ピシャリと閉められた扉の奥で
苛立ったソーレンの怒声が飛ぶ。
程なくして扉の向こうから
トタトタと
慌ただしい足音が近付いてきた。
「時也様っ!ご無事でしょうか!?」
扉が勢い良く開け放たれると
青龍が飛び込んできた。
彼の髪はまだ濡れており
乾きかけた水滴が肩や頬を伝っていた。
包帯もまだ巻かれておらず
所々に見える皮膚は爛れ
醜く腫れ上がっている。
それでも青龍は
迷う事無く時也に駆け寄った。
だが──
「わっ⋯⋯!」
青龍の小さな足が
床に広がった吐瀉物に滑り
そのまま派手に転んだ。
「──青龍っ!?」
レイチェルは思わず声を上げた。
どろりとした吐瀉物に塗れ
青龍の小さな身体は
さらに汚れきってしまった。
派手な音を聞き付けてか
ドスドスと荒々しい足音が近づく。
「なぁにやってんだよ!?クソチビ!!」
状況を目にしたソーレンが
呆れたような声を上げた。
「お前らは⋯⋯
ほんっとに、俺の仕事を増やしやがる!」
手をヒラリと振ると
青龍の身体がふわりと宙に浮かび
ぷるぷると水滴が周りに漂う。
「お前、洗い直しな!」
「申し訳ありません、レイチェル様!
時也様をよろしくお願いいたします!!」
青龍は
空中でバタバタと藻掻きながら
レイチェルに向かって必死に叫んだ。
「⋯⋯わ、わかった」
レイチェルが返事をすると
ソーレンは青龍を
そのまま浴槽へと放り込みに行った。
「⋯⋯さぁ、時也さん」
レイチェルは居住スペースの
二階の寝室へと彼を連れて行く為
ふらつく時也の手を引いた。
「大丈夫ですか?」
「⋯⋯はい」
弱々しく応える時也の声は
掠れていた。
「⋯⋯お見苦しい所を⋯⋯
お見せしてしまい⋯申し訳ありません」
か細い声で
彼はそう呟いた。
「⋯⋯一番辛いのは⋯アリアさんなのに
情けない⋯⋯」
「そんな事無いですっ!」
レイチェルは
力を込めるように答えた。
(誰だって⋯⋯あんなのを見ちゃったら)
愛する人が
あんなにも無惨に──
「⋯⋯無理しないでください、時也さん」
レイチェルはそう言い
彼が立てるまで背を優しく摩った。
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心が擦り切れる夜を越えて。 ぶっきらぼうな優しさと、不器用な絆が 静かにレイチェルの孤独を溶かしていく。 ようやく見つけた〝家族〟の温もりが、彼女を強くする。