「ねぇ想ちゃん、本当にいいの? 嫌じゃない?」
「あ? 何言ってんだよ。嫌なわけねぇだろ。逆にアパートよりすっげぇ広くなるし、利便性も上がる。ぶっちゃけめちゃ助かるんだけど」
幸せ一杯でみんなから祝福された海外挙式と、目一杯新婚気分を満喫できた新婚旅行から帰国してすぐ。
想は長年住んでいたアパートを引き払って結葉と二人、今日は慌ただしく〝新居〟への引っ越しを進めている真っ最中。
さすがに帰国直後で疲れているこのタイミングでの引っ越しには戸惑いを覚えた結葉だったけれど、折悪しく旅行から帰った頃が月末だったのと、アパートの二年に一度の更新のタイミングが重なったのとで、出るなら今月中だろ?と旅行前から想が言っていた。
『自分らで全部やんのはしんどいけどな。業者に頼めばあっちゅー間だから心配ねぇーよ』
先の結婚報告の際に、婚姻届の証人欄を埋めながら結葉の父・茂雄が想に言ったらしい。
『もし想くんさえ嫌じゃなかったら、結葉とうちに住んでくれないか?』と。
前夫の偉央には断られた案件だから、茂雄はダメ元で打診してきたみたいだけれど、言われた想は逆に『いいんですか?』と大喜びだった。
そもそも今現在空き家になっている結葉の生家は、想の家――山波家のすぐ隣だ。
立地的にも、未だに夕飯を食べに毎晩実家に出入りしている身としては申し分ないわけで、
「結葉だってその方が楽だし安心だろ?」
結葉の勤め先の宮田木材にだって、今まで住んでいたアパートから通うよりよっぽど近いし、何なら徒歩圏内なのだ。
今まで通り仕事後に山波の実家に寄って義母の純子と夕飯作りをして、みんなで一緒に食卓を囲んでから、隣の小林家――想と結葉が住めばこちらも山波家になるのだが――に戻る。
二人が住めば、山波建設での家のメンテナンスも不要になる。
「良い事づくめじゃねぇか」
何を反対する必要がある?とキョトンとする想に、結葉はかつて偉央にもそうしてもらいたかった事を思い出して淡く微笑んだ。
何から何まで前夫とは反応の違う想に、結葉は戸惑いながらも幸せを噛み締める。
「うん。想ちゃんが嫌じゃないなら……私はすっごくすっごく嬉しい」
子供の頃から過ごしてきた住み慣れた家だ。
そこにまた住めるのは、結葉にとってもこの上なく喜ばしい。
それに今更イヤだとゴネた所で、荷物の移動は完了してしまっている。
「想ちゃん、何から何まで本当に有難うね」
「だからっ。礼の必要なんてねぇっつーの」
どんなに想に苦笑されても、どうしてもそうせずには居られない結葉だ。
丁寧にしっかりと頭を下げて気持ちを伝えたら、不意に貧血が起きたみたいにクラリとしてよろめいて、びっくりする。
「おっと……」
想に支えられて、無意識に彼にもたれかかったら、「大丈夫か?」と思い切り心配されてしまった。
旅行疲れだろうか。
今日は朝から――というよりこの所ずっと――何だか少し身体がだるくてしんどい結葉だ。
「――うん、疲れが出ちゃったのかな。ここ最近ずっと……ちょっぴりだるくて」
――私もアラサーだし若くないね。
クスクス笑いながらそう付け加えたら、即座に想から「バカ。しんどいの、笑って誤魔化そうとすんな!」と思い切り睨まれてしまった。
「それに、年齢から言えば俺の方が上だぞ?」と鼻息荒く付け足されて、それもそうかと思い直す。
「お前、何か身体熱い気がすっけど……熱はねぇのか?」
弱ってて風邪ひいたんじゃあるまいな?と眉根を寄せる想に、「どうかなぁ。測ってないから分かんない」と答えたら、すぐさま隣――山波家の方へ連れて行かれてしまった。
「うちの体温計、いま段ボールん中だろ。それ探すよりこっちで借りた方が手っ取り早い」
言われて、それもそうかと納得した結葉だったけれど、それと同時。
そんなに急いで測らなくても、と思ってしまう。
*
「あら、二人ともどうしたの? もうお引越し終わった?」
体温計を取りにリビングに入ったら、たまたまそこでくつろいでいたらしい純子がキョトンとする。
今日は芹は彼氏とデート、公宣は接待ゴルフで不在らしい。
結葉たちより一週間ほど早く帰国していた山波家の面々だけど、それでもあちらも疲れているだろうし、と今回の引っ越しに関しては手伝い要請をしなかった想と結葉だ。
出掛けられるくらい元気なら、手伝ってもらうようにしておけば良かった、と思ってしまった想だ。
「終わるわけねぇだろ。結葉がしんどいっちゅーから熱測らせてもらいに来ただけだ。……うちのはまだ荷解きしてねぇから」
体温計を手にした想の答えに、純子がにわかに眉根を寄せる。
「一昨日旅行から帰ってきたばかりなのにすぐお引っ越しとか……。そりゃあ身体に負担が掛かるわよ」
今日は帰宅後すぐの週末――土曜日だ。
帰国したのは木曜日だったから、昨日――金曜だけ普通に仕事をした想と結葉だったけれど。
体力お化けの想ならいざ知らず、線の細いゆいちゃんには過酷過ぎたのよ、と言った口ぶりで息子を睨む純子に、確かにその通りだったと反省しきりな想だ。
「ごめんな、結葉。俺、お前に対する配慮が足りてなかった」
素直に謝られて、結葉は逆に恐縮してしまう。
「しっ、仕方ないよ。来週にしちゃったら月が変わっちゃうし」
今月中に退去しなければ、更新料もお家賃もまた発生するのだから、想が急ぎたかった気持ちも分かる結葉だ。
「ホント貴方達は。私たちのこと、気遣って自分達でやるって言ってくれたんだろうけど……お昼からはお母さん、二人が何と言おうとお引っ越しの手伝い行くからね?」
もうじき昼食時。
「もちろんこのままお昼も一緒に食べるでしょ?」
私も一人で食べるのは味気ないものっ!と付け加えた純子に、結葉が「あ、だったら私、作るのお手伝いします」と体温計をわきの下に挟みながら言ったら母子して「ダメ」だと声を重ねられて睨まれる。
「ゆいちゃんは今すぐお布団に入ってしっかり眠ること! それがお仕事よ!」
そこでピピピッ……と体温計が検温終了の音を響かせて……結葉が画面を見るよりも先に、結葉から体温計を取り上げた想が、「三七.二度か。やっぱ微熱があんじゃねぇか」とつぶやく。
「わ、私っ、元々平熱高いから」
結葉が慌てて言い募ったら「普段から三七度超えなのか?」と声を低められる。
「そ、そういうわけじゃ……ない、けど」
平熱は三六.五度前後。
嘘のつけない結葉は、グッと言葉に詰まって「そら見たことか」と、想と純子に二階に追いやられてしまう。
「ゆいちゃんが使ってた部屋、ベッドとかそのままだから。お布団はお客様用のがセットしてあるけどちょっと身体を休めるだけなら問題ないでしょう?」
純子に言われて、ここに厄介になっていた時使わせてもらっていた部屋に押し込められてしまった結葉だ。
「お昼は店屋物頼むし、夕飯は私が作るから。ゆいちゃんはとにかく身体を休めること。良いわね?」
矢継ぎ早にまくし立てて結葉をベッドに寝かしつけた純子の後ろで、想が何も言わずに頷いて……結葉は観念して今日は大人しくしておくことにする。
*
「ねぇ想。悪いんだけど台所から仕出し屋さんのメニュー表持ってきてくれない?」
二人に負けて、大人しく寝そべったのに、純子はまだ何か言いたいことでもあるみたいで、結葉のそばから離れようとしない。
ばかりか、想が「『味よし』の?」と問い掛けるのに「そうそう、それそれ」と頷いて、早々に息子を部屋から追い出してしまった。
「じゅ、……お義母……さん?」
今まで通り「純子さん」と呼びかけようとして、「そう言えば私、想ちゃんと結婚したんだ」と思い直した結葉は、「お義母さん」と言い直して眼前の純子を見上げた。
純子は想が階段を降りて行く足音に聞き耳を立てるような素振りをしたあと、ベッドに寝そべる結葉にグイッと近付いた。
「――ねぇゆいちゃん、もしかして生理、遅れたりしてない?」
小声で聞かれて、そういえば、と思った結葉である。
「海外旅行をしたりしたからでしょうか。――予定より二週間以上遅れてます」
(もしかしてお義母さんも?)とか、(あ、ひょっとしたら芹ちゃんが、かも?)とか思った結葉だったけれど。
「ねぇゆいちゃん。それって……ひょっとして妊娠、とかないかな?」
そう言う行為が全くないと言うなら話は別だけど、想と結葉は入籍だって済ませている若夫婦。
さすがに純子はそこまでハッキリとは言わなかったけれど、身に覚えがありまくりの結葉だ。
結葉は元々、ほんの些細なきっかけですぐに生理が遅れてしまう体質で、風邪をひいても遅れるし、心配事があったり疲れすぎたりしても周期が乱れて簡単に飛んでしまう。
現に偉央との離婚騒ぎの辺りはかなり酷い生理不順になって、一か月以上遅れて、次に来た時は生理痛が重くてしんどかったのを覚えている。
だから、今回もそうだろうと勝手に思っていたのだけれど。
純子からの指摘に、少しぐらい期待しても良いのかも?と今更のように思ってしまった。
「とりあえず後で妊娠検査薬買ってきてみるから……検査だけしてみたらどうかな? ――違ったら違ったで、安心してお薬も飲めるでしょう?」
純子の言葉に思わずお腹に手を当ててしまった結葉だ。
熱っぽいし、生理だって確かに遅れている。
でもよく話に聞くような、ご飯の炊けるにおいがイヤだとか、何だかムカムカして気持ち悪いとか、そういうのは全くなくて、あまり期待をしすぎたら違ったときに悲しくなる。
結葉は、純子が言うように大事をとって、健康チェックします!ぐらいのつもりで検査してみようかな?と思って、コクッと頷きながら、「あの……想ちゃんにはまだ」とソワソワしたら、純子が「もちろん分かってるわ」と頭を撫でてくれた。
「まずはセルフチェックしてみて……その後のことはまたおいおい考えましょう? 私で良ければいつでも相談にのるし。――ね? だからそんな不安そうな顔しないの」
よしよし、と再度頭を撫でられながら、結葉は純子の勘が当たっていたら良いな、と思った。
*
純子が買ってきてくれた検査薬にクッキリと陽性を示すラインが出たのを確認した結葉は、嬉しくて手が震えて……思わずスマホで陽性マークの出た検査薬を写真に収めた。
でも、初期には色々あると聞いたことがあるのを思い出した結葉なのだ。
病院に行って赤ちゃんの姿が確認出来るまでは、想には内緒にしておこうと思ったのだけれど。
*
「なぁ結葉。ひょっとして子供が出来てる……とかねぇかな?」
想が日中、純子とともに荷解きの殆どを済ませてくれて、普通に生活するには困らない状態になった新居――結葉の実家――の寝室で、ベッドの上。
想が、結葉を大きく開いた自身の足の間に座らせて、背後から労わるようにふんわりと抱きしめながらポツンとつぶやいた。
「想ちゃ……?」
純子には陽性だったことは告げたけれど、結葉が言うまでは周りには内緒にしてくれると言っていたから、彼女が話したと言うことはないだろう。
「ほら、その……俺たち、身に覚えがないわけじゃねぇだろ? ――妊娠すると熱っぽくなるって言うし……もしかしたらって思っちまったんだけど」
まさか男性である想がそんなことを言い出すとは思ってもいなかった結葉だ。
想は想なりに、結葉との子供が出来るのを楽しみにしてくれているのかな?と思って驚きの余り思わず言葉に詰まったら、想が慌てた様に「あー、マジでめちゃくちゃ期待してるみたいだよな、これ。配慮足りなくてスマン。こんなん言われたらプレッシャーだよな」と吐息を落とす。
結葉は病院に行って、医師から「おめでとうございます。ご懐妊です」と言われるまで、想に妊娠のことを告げる気はなかったのだけれど。
こんな想を見て、内緒になんてしておけない、と思ってしまった。
「――想ちゃん、実はね、今日昼間にお義母さんからも同じこと言われて」
そこでスマホに収めた検査薬の画像を想に見せる。
「想ちゃんには病院に行って色々ハッキリしてから報告しよう……って思ってたんだけど」
恐る恐る言ったら、今度は想が黙り込む番だった。
「……想、ちゃん?」
不安に思った結葉が想の名を呼んだのと、想が結葉のそばから離れて立ち上がったのとがほぼ同時で……急に突き放されたみたいになって、泣きそうになった結葉に、想が間髪入れずに申し開きをする。
「結葉っ、マジでやべぇ。――俺、今すっげぇ嬉しくて……お前のこと、危うく力任せに抱きしめて潰しちまいそうだった!」
だから慌てて離れたのだと言われて、結葉はホッとするのと同様、そんな想のことが愛しくて堪らなくなった。
それで立ち上がって、すぐそばに立つ想にギュウッと力の限りしがみついたのだ。
「想ちゃんになら私、思いっきり潰されて痛くされても平気だよ?」
想になら、思うさま抱きしめられて痛い思いをさせられても本望だなぁと思ってから、偉央に「痛いのはイヤだ、やめて欲しい」と散々お願いしていたのを思い出した結葉は、〝今〟想に向かって真逆なことを思った自分に、心底驚いた。
でも、それはきっと――。
「馬鹿だなぁ、結葉。俺はお前を目一杯甘やかしたくて堪んねぇのに……痛くするとか有り得ねぇだろ」
想は、結葉がどんなにワガママを言っても、優しく包み込んでくれると知っているから。
一度目はうまく噛み合わなくて間違いだらけに思えた結婚生活だったけれど……今度こそ私――。
結婚相手を正せました!
そう思って、結葉は自分に決してイヤなことをしてこない、大好きな想にもう一度ギューッ!としがみついた。
END(2021/03/19〜2022/06/30)
※ご愛読ありがとうございました♪(鷹槻れん)
コメント
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想ちゃん、結葉ちゃん、おめでとう御座います😊 良かった〜。