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_りねっこ_
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商店街の明かりが消え始めた静かな夜、私と一帆さんは閉店後の『喫茶うさぎ』のカウンターで肩を寄せ合いながら焙煎したコーヒー豆を挽いていた。
コロコロ、コロコロと響く音が店内に優しく広がり、肩が触れ合う距離に少し緊張してしまうけれど、一帆さんは意外とおっちょこちょいで豆をこぼしてしまい、慌てて顔を赤くする姿を見ていると、近くにいても怖くなくて、ただ純粋に楽しい。
あの頃の私は、毎日モラちゃんの機嫌を窺って、夢の話をするたびに「そんなこと出来ねぇだろ」って否定されて、縮こまっていた。「もっと頑張れば愛されるかも」って、必死に自分を小さくしていた。でも本当は、怖かっただけなんだ。怒られるのが、捨てられるのが、一人になるのが……だから、耐えて、耐えて、耐えて、結局、壊れそうになった。
でも、あの私だって、必死に生きようとしていた。弱かっただけじゃない、守ろうとしていたんだ……小さな夢と心を。
「一帆さん……あの頃の私、すごく頑張ってたんだなって……今になって思う」
一帆さんは、コーヒーをドリップする手を止めて私の横顔を見つめた。
「嫌な言葉、浴びせられても、笑顔で耐えて……夢を諦めなかった」
「……そうだね」
彼の声は静かで、でもどこか優しくて、コーヒーの湯気が、私たちの間にゆっくり立ち上る。コロコロと挽き終わった豆の香りが、閉店後の店内に残ったまま、夜の静けさを優しく包み込んでいた。一帆さんはドリッパーから目を離さずに、
ゆっくりと続ける。
「うん……本当に、頑張ってたよ、弥生ちゃん」
彼はカップの下に置いたサーバーを、そっと持ち上げて、私の方へ傾ける。湯気が私の頰を撫でて、温かい。一帆さんは、目を細めて、穏やかに言葉を紡ぐ。
「毎日メイドカフェの制服を着て、『お帰りなさいませ♡』って笑顔を作って、心のどこかで『いつか自分の店を持つ』って火を消さないように守ってた。それは、弱さなんかじゃなくて、強さだったんだ。誰にも認められなくても、自分を信じて、
小さくても火を灯し続けた。それって、すごく勇気のいることだよ」
私はカップを両手で包んで、熱さを掌に感じながら、小さく頷く。喉が少し詰まって、言葉がすぐに出ない。一帆さんは、
私の頭にそっと手を置いて、
「だから、今の弥生ちゃんのコーヒーが、あんなに優しいんだと思う。あの頃の自分が、必死に守ったものが、今、味になってる」
湯気が、私の目に薄く滲んで、でも涙じゃない。ただ、胸の奥が、じんわりと温かくなるだけ。私はカップを口に運んで、ゆっくり飲む。苦みと、ほのかな甘みが、舌に広がって、あの頃の私……ごめんね。そして、ありがとう。
「一帆さん……ありがとう。あの頃の私を、今、ちゃんと褒めてくれてるみたいで……嬉しい」
一帆さんは小さく笑って、自分のカップを手に取る。
「僕も、あの頃の弥生に、『よく耐えたね』って言ってあげたい。そして今、ここで一緒に、コーヒーを淹れられてることが、すごく嬉しい」
コロコロ、コロコロ。
もう一度、新しい豆を挽き始める音が響く。肩が触れ合う距離で、少し緊張するけど、今は、ただ心地いい。怖くない。楽しい。私は心の中でハートを作って、そっと胸に当てる。
きゅんきゅん♡
今度は、誰のためでもなく、ただ、今の自分に、そしてあの頃の自分に、向けて。
商店街の明かりはもう消えていて、夜の静けさの中、私たちの淹れるコーヒーの香りだけが、優しく残る。これが、私の味。あの頃の私が、必死に守った夢が、今、ここで、ちゃんと花開いている味。
一帆さんが、私の横顔を見て、静かに微笑む。
「これからも、一緒に淹れよう。君の味を、僕の味を、混ぜて」
私は頷く。視界が揺れる。
「……はい」
コロコロ、コロコロ。
夜のカウンターで、私たちのリズムが、静かに重なる。それは、過去を癒し、未来を紡ぐ、優しい音。