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第二部
第九章 初めて知った気持ち
朝。
会社はいつものように忙しく動き始めていた。
「社長、おはようございます。」
「おはよう。」
千景は社員へ挨拶を返しながら社長室へ向かう。
その隣には、いつものように遥がいた。
「今日も会議多いね。」
「午前中だけで三件。」
「終わったらコーヒー淹れるよ。」
「ありがとう。」
そんな何気ない会話を交わしながら歩いていると、営業部の若い女性社員が遥へ駆け寄った。
「遥さん!」
「おはよう。」
「この前のお礼なんです。」
小さな紙袋を差し出す。
「手作りのクッキーなんですけど、よかったら食べてください!」
「え?」
遥は少し驚いたように紙袋を見る。
「わざわざありがとう。」
「いえ! いつも助けてもらっているので!」
女性社員は嬉しそうに頭を下げて去っていった。
遥は紙袋を見ながら苦笑する。
「お礼だって。」
「そうなんだ。」
千景は笑って答えた。
……答えたはずなのに。
胸の奥が、少しだけもやっとした。
(……なんだろう。)
別に悪いことではない。
遥は社員から慕われている。
それは昔から知っている。
なのに。
さっき遥へ向けられた笑顔が、妙に気になってしまった。
昼休み。
社長室。
「ちか。」
「ん?」
遥は紙袋を机へ置いた。
「さっきのクッキー。」
「食べよう。」
「僕一人じゃ多いから。」
そう言って袋を開ける。
「はい。」
「ありがとう。」
二人で食べ始める。
「美味しい。」
「うん。」
それでも。
千景の胸の違和感は消えなかった。
(……さっきのこと、まだ気にしてる。)
自分でも理由が分からない。
仕事中なのに、何度も思い出してしまう。
一方、午後。
遥は総務部で打ち合わせをしていた。
そこへ取引先の女性担当者が現れる。
「佐伯さん。」
「はい。」
「今日も素敵ですね。」
「ありがとうございます。」
「今度、お食事でもどうですか?」
遥は困ったように笑った。
「お気持ちは嬉しいですが、仕事がありますので。」
丁寧に断る。
その場は穏やかに終わった。
だが。
廊下の向こうから、その様子を偶然見ていた人物がいた。
千景だった。
(……。)
女性担当者が名残惜しそうに帰っていく。
遥は何事もなかったように書類を抱えて歩いてくる。
「ちか?」
「……。」
「どうしたの?」
「いや。」
何でもない。
そう言おうとした。
けれど、胸の中が落ち着かなかった。
(食事に誘われた……。)
(遥は人気があるから当たり前なのに。)
なぜこんなに気になるのだろう。
夕方。
いつものように千弥が会社へやって来た。
「にぃに!」
「ちーちゃん。」
「はるにぃ!」
「おかえり。」
三人で社長室へ戻る。
おやつを食べながら話をしていても、千景も遥もどこか様子が違う。
会話はする。
笑顔にもなる。
でも、お互いを少しだけ意識してしまい、いつもの自然さがない。
千弥はクッキーを食べながら、じーっと二人を見比べていた。
「……?」
何か変だ。
でも、その時は理由が分からなかった。
夜。
結城家。
夕食を終え、三人でリビングにいた。
遥も今日は少しだけ遊びに来ている。
千弥はソファでくぅちゃんを抱きながら絵本を読んでいた。
ふと顔を上げる。
「ねぇ。」
「ん?」
千景と遥が同時に返事をする。
千弥は首を傾げた。
「きょう。」
「うん。」
「ふたりとも、なんかへん。」
「え?」
「へん?」
二人は顔を見合わせる。
「なんでそう思うの?」
千景が尋ねた。
千弥は少し考えてから答える。
「だって。」
「いつもならね。」
「うん。」
「にぃに、はるにぃみて、いっぱいわらう。」
「はるにぃも、にぃにみてわらう。」
「でも。」
「きょうは。」
「ちらっ……ちらっ……ってみて。」
「すぐめ、そらしてた。」
「……。」
「……。」
二人とも言葉を失う。
千弥はまだ続ける。
「それに。」
「はるにぃがおはなししてると。」
「にぃに、ずっとみてた。」
「にぃにがおはなししてると。」
「はるにぃも、ずっとみてた。」
「だから。」
「けんかしたの?」
「違うよ!」
思わず二人の声が重なった。
その勢いに、千弥はびっくりして目を丸くする。
「ご、ごめんなさい。」
「違うんだ、ちーちゃん。」
千景が慌てて頭を撫でる。
「怒ってないよ。」
「ほんと?」
「うん。」
千弥は安心したように頷いた。
そして、小さく笑う。
「じゃあね。」
「うん?」
「やきもち?」
「……!」
「……!」
今度こそ二人は固まった。
「大学のおともだちがね。」
「だいすきなひとが、ほかのひととはなしてると、やきもちやくっていってた。」
「だから。」
「にぃにも。」
「はるにぃも。」
「おんなじなのかなぁって。」
部屋はしんと静まり返る。
千弥はきょとんとしている。
けれど千景と遥の胸には、その言葉が真っ直ぐ届いていた。
(嫉妬……。)
昼間のもやもや。
遥が贈り物を受け取った時。
女性に食事へ誘われていた時。
あれは――。
「……そういうこと、だったのか。」
千景が小さく呟く。
遥も静かに息をついた。
「僕も……同じことを考えてた。」
二人はゆっくりと顔を見合わせる。
照れくさい。
恥ずかしい。
それでも、もう誤魔化せなかった。
千弥はそんな二人を見て、にこっと笑う。
「よかった。」
「どうして?」
遥が尋ねる。
「だって。」
千弥はくぅちゃんを抱きしめながら、当たり前のように言った。
「にぃにも。」
「はるにぃも。」
「おたがいのこと、だいじなんだもん。」
その言葉に、二人は穏やかに微笑んだ。
まだ想いを伝える勇気はない。
まだ答えも出ていない。
けれど、自分の気持ちだけは、もうはっきりしていた。
その夜、三人を包むリビングの灯りは、いつもより少しだけ温かく感じられた。
ーーー
第二部 第九章終わり。
第二部 第十章へ続く。
コメント
1件
わ〜、第九章、すごく良かったです……!千景さんが遥さんに向ける “もやっとした気持ち”、それが嫉妬だと気づくまでの描写がじわじわ来ました。特に子ども目線の千弥ちゃんが「ちらっ…ちらっ…ってみてた」って指摘するところ、絶妙すぎて思わず声が出ました。あのシーンで一気に二人の気持ちが可視化された感じがして、読んでいて胸が温かくなりました😊
𝐀𝐘𝐀_

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