【空想】くうそう
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現実にはあり得ない事、現実とは何ら関係のない事を、頭の中だけであれこれと思いめぐらすこと。
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カーテンの隙間から差し込んでくる春の日差しに、私は起こされた。体を起こし、まだ眠い目をこする。窓の外では、早起きした小鳥が上機嫌に鳴いている。
しばらくぼーっとしていると、あたたかい陽気で、固まっていた頭が少しずつ柔らかくなっていく。ベッドから降りて、リビングに行き、テーブルの上に置いてあった水を飲むと、頭がさっぱりした。
今日は何か用事があった気がする。何だったろうか?休日だから、学校ではない。
水の脇に置いてあったパンをくわえながらそこまで考えて、私は絶句する。
壁にかけられたカレンダー、それの今日の予定に書いてあったのは、
「バ……バ……バイトの、面接。」
それだけ呟くと、私は電光石火で家中を駆け回った。顔を洗い、最低限の化粧をし、着替えて、残りのパンと水を口に入れると、そのままの勢いで家を出た。
自転車のダイヤル錠を取り外し、サドルにまたがり、全力でペダルを踏む。整えられなかった寝癖だらけの髪が、風を受けて後ろへと流れていく。
なんでこんな大事なこと忘れるの!?
「あぁ〜、朝起きた瞬間の自分を殴りたい〜……。」
そう愚痴を呟きながら、必死にペダルを踏み続けた。朝起きた瞬間の自分を踏みつけるように。
やっと駅に着いた私は、ホームに走る。掲示板には、あと少しで電車が出るマークが見えた。階段の最後の3段を飛び降りて、電車を見る。
「よし!間に合っ……。」
電車のドアがゆっくりと閉まりきった。車掌さんがしっかりと前後を確認して、乗り込んだ。頭の上に数匹のヒヨコが回る。
そして、ヒヨコが言った。
「いや、走れよ。」
その言葉を合図に、脳と離れていた私の体が繋がった。何をするかは、もう決まっていた。私は覚悟を決める。
ホームの端に向かって勢いよく走り始める。景色と髪が後ろに流れていく。
爪がメキメキと音を立てて、伸び始める。
全身で受けていた風が、少しずつ上半身だけに、顔と前足だけに集中する。
足音のリズムも少しずつ速くなっていく。
耳の辺りに毛が生えてきて、生えたしっぽが勢いにのって後ろになびく。
ホームの端まで、あとわずか。
電車の1番後ろは真隣。
いける!
私はホームの端に足をかけ、バネのように飛び出した。耳には風を切る音が大音量で流れていた。右手を突き出して、必死に体を伸ばす。
ガッと音を鳴らして、私の右手は電車を掴んだ。左手でも掴んで、電車の上によじ登る。
「なんとかなった〜。」
私は胸をなでおろしながらその場に座り込んで、服についた汚れと、自分の白っぽい毛を落とし始めた。
電車に向かって飛んだ時の景色は、走っている時よりも鮮明に見えた。
「おぉぉー!!」
目的地に到着した私は、その場で歓声を上げる。建物の外装への感動と、これから働く場所という興奮で、薄くなっていたしっぽがまた濃くなってぶんぶんと横に振れる。
縦100メートル、横70メートル、3階建ての建物。真っ白なレンガの壁に、城門のような入口、その上にあるビックベンサイズの機械じみた時計は、誰の好奇心も揺さぶれるだろう。案の定、私は目を輝かせてそれを見ていた。
しかし思い出す。今日はバイト面接のためにここに来たのだと。
時刻を確認する。午前8時45分。9時に案内されるから、あと5分待ってから中に入った方がいいだろう。何かの動画で、面接は10分前行動だと言っていた。
5分か、何してよ。
私は周りを見渡す。開館時刻が午前8時なので、すでにたくさんの人が中に入っていく。
サラリーマンらしき人や、女子高生集団、大学生っぽい女の人、赤いランドセルを背負った男の子たち。いろんな人が、建物に入っていく。
あの人たちは、何のために入ってるんだろう?少しそう思った。
仕事のためだろうか。お喋りするためだろうか。課題のためだろうか。興味本位でだろうか。多分、みんな違うんだろうな。
そう考え込んでいると、5分はいつの間にか過ぎて、私は建物の中に入った。
私のこれからの職場、となるかもしれない、
『図書館』へと。
***
【幻立空想図書館】げんりつくうそうとしょかん
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突如として、青木ケ原樹海に現れた3階建ての建築物。それの前に置かれた看板からそう名付けられた。ありとあらゆる書物があり、時折、読めない字のものや、開けると何かが起こるものが混じっている。
これの出没と同時に、世界各地で獣の特徴を持つ人間が発見された。
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入口に比べるとボロっとした(入口が綺麗すぎるだけで、十分清潔そうな)銀のノブの木の裏口に、3回ノックする。コンコンコンと、心地よい木の音がした。
「合言葉は?」
扉の奥から、女性の声がする。私は事前に伝えられた合言葉を言う。
「すみません、カイジュピザです。マヨじゃがの、マヨとじゃがとそもそもとしてピザ抜きでよろしかったでしょうか?」
「…………。」
返事はなかった。代わりに、入っていいぞと言わんばかりにノブが回り、ゆっくりとドアが開いた。中には電球で灯された、長く薄暗い廊下が延びていた。
(変な合言葉。)
私は初めて合言葉を聞いた時と同じことを思いながら、その廊下に足を踏み入れる。
数歩歩いたところだった。
バタンと、濃くなっていた耳をつんざく大きな音がした。
「うわぁ!」
あまりの大きさと空気の震えに、思わず腰が抜ける。音のなった方、つまり入ったところを見るため振り向くと、扉は閉まっていて、いつの間にか何枚もの板で固定されていた。
……引き返せないってことか。
私はその扉の意味を汲み取ると、終わりの見えない廊下の終着点に向かってまた歩き始めようとした。
廊下を歩いていた感覚がなくなった。
……ん?
思わず下を見る。床はなかった。
「えっ……」
私はその言葉が私の口から出るよりも早く、水色の炎で照らされた空間を落ちていた。
意識が朦朧とする。視界には暗闇しかない。
なぜか床に這いつくばっている私は、上半身を起こす。すると、頭の中に針でも埋め込まれたような痛みが走った。
「っ……」
思わず頭を抑え、また床に体を預けた。
今の痛みは感じたことのあるものだった。つまり、私はまだ生きていて、ここは現実だ。
正直、暗闇のなかで急に痛みを感じて泣きそうだったが、この状況について1つ分かって安心する。
「さてと!」
私は飛び起きる。頭痛はもう消え去って、体は逆に元気だった。
「いっちょやりますか!」
倒れている間に消えていた尻尾と耳が、暗闇の中濃度を増していった。