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笹川に太刀打ちできないことくらい、嫌というほどわかっていたが、手を出さずにはいられなかった。
顔面に向かって、ジャブの連続を浴びせる。しかし打ち込んだすべての拳を易々と受け止められた挙句に、疎かになっていた足元を掬われ、前のめりの状態で派手にすっ転んだ。
「陽さんっ!」
しかも土下座に似た形で転んだため、目の前の無様な姿をどんな気持ちで宮本が見ているだろうか。そのことを考えただけで、悔しくてならなかった。
(ちくしょう、俺は好きな男すら守れないのか――)
下唇を噛みしめながら起き上がろうとした瞬間に、笹川の足が横っ面を踏みつけて、橋本を動けないように固定する。
「やめてください。貴方の言うことを聞きますから、これ以上陽さんに手を出さないでくださいっ」
「やれやれ。相手が追い込まれた状況ゆえに、そろって冷静な判断ができなくなっているなぁ」
笹川は踏みつける足の力を緩めることなく、見下すような冷笑を唇に湛えながら、胸の前で両腕を組む。下から見上げた偉ぶるその態度を目の当たりにして、怒りが沸々と湧き上がってきた。
「クソっ、足を退けやがれ」
「狂犬の龍己の血を受け継ぐだけあって、威勢よく吠えまくるのなぁ。そういう男は嫌いじゃないぜ、潰し応えがあるから」
「狂犬の龍己?」
笹川が告げたセリフに反応した宮本が、疑問に思った言葉を口にした。それにより自分の身の上を、この場で明かさなければならないことを悟り、目の前が真っ暗になる。
「あれ? もしかして恋人に言ってないのか? 橋本さんチのこと」
「…………」
笹川は踏みつける橋本の顔をわざわざ腰を曲げて覗き込み、いたずら好きの子供がするような、意地悪な笑みを浮かべる。
「その顔は言ってないというよりも、言えなかったというべきか。なるほどな」
サッカーボールを軽く蹴飛ばす感じで橋本の頭を解放し、音をたてずに後方に下がる。橋本はそんな笹川をやっという感じで、うつ伏せのまま見上げた。
これまでのやり取りで、怒った橋本を牽制するために、笹川は距離を取ったのかもしれない。しかしながらいろんなことがショックすぎて反論はおろか、すぐに立ち上がることができなかった。
「この場で恋人が俺とヤるくらいに、自分チが嫌なことのひとつらしいなぁ。俺の口から言ってもいいけど、橋本さんからゲロするか?」
「自分の口から言えたら、とっくの昔に言ってるさ……」
消え入りそうな力ない声がフロアーに反響する間もなく、重苦しい雰囲気の中に飲み込まれた。橋本の言葉を聞いた宮本は、迷うことなく駆け寄り、うつ伏せになっている躰を抱き起す。
「陽さん、大丈夫ですか?」
笹川に踏まれた頬を、温かいてのひらを使って撫でさすってくれた。かけられるその優しさが、橋本の心に迷いを生じさせる。
本来なら自分で告げたいのに、真実を知った宮本が去って行く未来予想図が、頭の中で自然と形成されてしまった。
「……これくらい、たいしたことねぇよ」
視線を合わせることなく、吐き捨てるように返事をした橋本を見ながら、笹川は宮本に訊ねた。
「おい、おまえは橋本さんのことが知りたいか?」
「陽さんのこと?」
「普通なら知りたいって思うだろ。恋人のすべてをさ」
「それは――」
言いかけて言葉を飲み込む宮本の躰を、橋本はぎゅっと抱きしめた。強く抱きしめたいのに、不安からくる震えがそれをさせてくれない。
「狂犬の龍己は、橋本さんの親父さんの二つ名だ。背中に大きな龍の彫り物をした、喧嘩がめっぽう強い極道だった」
「……陽さんのお父さんが極道!?」
「そうだ、橋本さんは組長だった龍己の4男坊として生まれた。年の離れた長男と次男が組を引き継ぎ、3男坊が父親代わりになって橋本さんを育てたらしい。間違ってないよな?」
抱きしめている宮本の熱はそのままだったが、緊張感を表すように躰が固まっていた。
「橋本さん、答えろよ。誤魔化したまま、付き合えるわけがないだろ。相手のことを想うなら尚更だ」
笹川が鋭い語気で指摘したことが、橋本の胸に深く突き刺さった。
「雅輝、俺の親はヤクザ者だ。笹川さんが言ったとおりに、兄弟が組を経営しているんだが、今は兄弟の子どもたちが跡を継いでる。だから俺は関係ない」
説得に近い笹川の言葉に押されるように、今まで言えなかった身の上を小さな声でやっと語った。視線を伏せたまま告げたため、宮本がどんな顔をしているのかはわからない。
「そうですか……」
やけにあっけらかんとした口調が謎すぎて、恐るおそる顔を上げてみた。自分を見つめる眼差しは、いつも通りの見慣れたものだった。
(良かった、飄々とした雅輝の態度に助けられそうだ。お蔭で大事なことも、一緒に告げることができる)
「しかしながら親戚にヤクザがいるのは、紛れもない事実になる。俺と付き合うことで、トラブルに巻き込んじまう何かが、もしかしたらあるかもしれない」
「はあ?」
「だからその……おまえに何かあったら全力で守る。守ってやると約束するから――っ!」
相変わらず震え続ける両腕が、橋本の心のうちの弱さを示していた。恋人を守ると言いきった言葉とは裏腹の躰のリアクションに、大事なセリフが告げられなくなる。
「陽さん?」
「あ~あ、すげぇいいこと言わなきゃなんねぇトコだろ。そんなんだと、守ることができないんじゃないのか?」
「笹川さんでしたっけ。俺は守られるつもりはありません」
笹川のセリフに反応した宮本が、橋本から視線を移して、目の前を見据えながら、思いもよらぬ言葉を発した。しかも震える橋本の躰をさらに強く抱きしめて、挑戦的な笑みを浮かべる。その感じはまるで、峠を攻めるときの姿によく似ていた。
「喧嘩をしたことがないのに、守られるつもりはないっておまえ……。もしかして、橋本さんと別れるつもりなのか?」
「えっと別れる理由がないのに、どうしてそうなるんでしょう?」
きょとんとしながら首を傾げた宮本を、笹川と一緒にまじまじと見つめてしまった。