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第5話:「あの日のこと」
「奈子、涼くんの家にお菓子持ってってくんない?」
夕方、母の声に私は驚いた。涼の家にお菓子を?いつもなら、母が用意してくれるものを受け取って、直接渡すだけだったのに、今日は私に頼んでくる。
「えっ、なんで私が?」
「だって、涼くんがいつもお世話になってるでしょ。あなたも少しはお礼したら〜と思って〜」
母はそう言って、家の中のクッキー缶を私に渡した。この空気読めない馬鹿親め!!特に理由もなく、ただ涼の家に行くのが気まずいだけなのに、どうしてこんなタイミングでそんなことを言われたのか。
それでも、私は仕方なく涼の家に向かうことにした。家から歩いて10分ほどの距離を、クッキー缶を抱えて歩きながら、心の中で色々と考えていた。涼のことが気になる。でも、何だか冷静でいられない。だって、私はまだあの日のことが頭から離れないから。
涼の家に到着すると、玄関先で涼のお母さんが出迎えてくれた。
「おお、奈子ちゃん、ありがとうね。涼も嬉しいわよ。」
涼のお母さんはいつも温かく迎えてくれる。そんな笑顔を見て、私はちょっとだけ安心する。
「涼、いる?」
「今、部屋にいると思うわ。呼んでくるね。」
涼のお母さんが部屋の中に声をかけると、少ししてから涼が出てきた。
「あ、奈子か。」
涼はちょっと驚いた顔をして、でもすぐにいつもの調子で話しかけてきた。
「おお、クッキー!ありがとな。」
「うん、お母さんが持ってこいって…」
私は少し照れくさくて、足元を見つめた。涼はそれに気づかず、クッキー缶を受け取ると笑った。
「うん、助かるよ。ありがと!」
その笑顔に、私は胸がギュッと締め付けられる。あの日の「おめでとう」の言葉が頭の中に響く。
「じゃあ、ちょっと待っててくれ。」
涼はクッキーを持って、部屋に戻ろうとしたけれど、何かを思い出したように振り返る。
「あ、奈子。」
「うん?」
涼が、わざとらしく照れくさく言った。
「実はさ、また渚がさ…」
「あ、もういい!」
突然、胸が痛くなって、私は涼の言葉を遮ってしまった。涼は一瞬びっくりして、「え?」と顔を曇らせる。
「なんでもないよ。じゃあ、帰るね。」
「待ってくれよ、なんかおかしいぞ?」
涼は急いで私の前に立ちはだかる。
「何、急に?」
「いや、なんか…元気ないなって。」
涼はいつもの優しさを見せてきた。その優しさに、私はどうしても答えられなかった。無理。渚に見せてよ、そーいうのは。
「私は元気。じゃあね」
そう言って、私はその場を離れようとした。涼の顔を見ないように、早足で家に向かって歩き始める。でも、胸の奥で何かが引っかかって、もう振り返ることができなくなっていた。
帰り道、夕焼けが空を染めている。涼との距離が、少しずつ離れていくような気がして、また涙がこぼれそうになる。あの日のことが、まだどこかに刺さっているから。
涼が私のことをどう思っているのか、わからない。でも、私の中では、もう一歩踏み出す勇気が持てない。
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