zm視点
三年程前から、視線を感じるようになった。
最初こそ怯えていたが、数年も経つと気にもしなくなる。
マンションの角部屋、家の中でさえ感じる視線には俺の精神の問題かと疑ったが、そんなことは無かった。
ある日、壁に小さな穴が空いていた。シールを貼って穴を塞げば、視線が減った気がした。
次の日、もう一つ穴を見つけた。前の穴より幾分か大きい。親指一本分の穴を同じ様に塞げば、視線が減った気がした。
次の日、また穴を見つけた。親指三本分の穴の向こうを覗いてみれば、殺風景な部屋が見えた。穴は同じくシールで塞いだ。
一週間後、朝早く仕事に行こうと扉を開ければ、見知らぬ人が立っていた。どうやら隣の人らしい。壁の穴は俺が空けたのかと聞かれた。そんなことは無い、俺は一週間前に気づいてシールで塞いだ。そう伝え話し合った結果、大家さんに報告することになった。
三日後、原因や修理費云々を話し合い、穴は元の壁へと戻った。でも結局、原因は分からなかった。視線はマシになった。
仕事の帰り道、何となく後ろを振り返った。意味もなく来た道を逆走すれば、焦った足音が聞こえた気がした。カーブミラーに映った俺は微笑していた。
家に帰り、風呂から出てくればチャイムが鳴った。インターホンを確認することも無く玄関を開ければ、一つのダンボールがある。
『ゾムさんへ』カクカクの字で書かれた手紙は俺への愛を綴った内容で、一万文字はあるだろう。
顔が好き。声が好き。身体が好き。髪が好き。性格が好き。目が好き。思考が好き。何もかもが好き。一目惚れだった。会いたい。話したい。付き合いたい。結婚したい。
これらを事細かく書かれた文。俺すらも知らない俺の情報があった。
会いたいなら会いにくればいいのに、手紙の送り主は随分恥ずかしがり屋なようだ。
ダンボールの中には手紙だけでなく、大量のぬいぐるみが入っている。その中でも特に気に入ったクマのぬいぐるみを、ベッドに置いた。普通に可愛い。その他のぬいぐるみも、飾れるだけ部屋に飾った。ミニマリスト気味だった部屋は、一気に見栄えする可愛らしい部屋になる。
「…フハッ」
クマが此方を見てくる。それ以外のぬいぐるみも、皆んな此方を見てくる。以前より増えた視線に包まれながら、眠りについた。
5日後、仕事から帰れば、家の前には見知らぬダンボールがあった。普通なら不気味がるであろうそれを部屋に持ち帰り、今度は何だろうかと心のどこかで期待している。丁寧に箱を開ければ、手紙と服とその他贈り物と札束が入っていた。『ゾムさんへ』以前と何ら変わりのない筆跡。
『この間、ぬいぐるみ受け取ってくれてありがとうございます。飾ってくれてありがとうございます。これからも可愛がって欲しい。何か欲しいものはありますか?何でも買ってあげます。お金はあります。ゾムさんが本当に欲しいものが分からないので、買ってください。未熟です。ごめんなさい。でも、新しい枕が欲しいって聞いたので。だから、入れておきます。多分サイズあってる。あと、ゾムさんが好きなジュースも入れときます。100缶、足りますか?足りなかったら、教えてください。ゾムさんのことをもっと知りたいけど、俺のことも少しだけ知って欲しいんです。我儘ですかね。名前も顔も年齢も趣味も思考も知って欲しいんです。でも、やっぱり今はゾムさんのことをもっと知りたい。好きなこと、嫌いなことも。持ってる服は何着か。1番目に好きな色から、500番目に好きな色まで。部屋に落ちてる髪の毛の数は。その日の夕食はどうやって決めたか。この手紙に付いてる指紋の数も。ゾムさんの胃液の味はどんな味なのか。全部教えてください。数え切れないほどの細胞で出来てる、ゾムさんの細胞、全部に挨拶をしたい。仕事、してるゾムさんは凄く辛そうで、見てて辛いので俺で良ければ養います。喋ったこともないけど養います。返答は必要ありません。そういえばあの上司の事嫌い?ですよね。殺しときます。あと同僚の人も、仲良くありませんよね、殺しときます。ゾムさんのこと狙ってる、女沢山居ます。貴方と釣り合う人は誰もいません。俺も、釣り合いません。だってゾムさんは素敵で、本当に素敵で、誰よりも凄いんです。だからこんな家畜共と同じ地に足をつけて、まるで人間界に視察に来た人間じゃない、もっと高貴なものです。だから俺が見守らないと。人間に穢されないように。』
以前より、ずっとずっと読みにくい。まるで人が変わったかのような文章に、頭を使わされた。
「キッショ」
まるで目の前にその相手がいるかのような、軽蔑の瞳。それでもやっぱり唇は微笑している。
「彼奴ら殺されるんかー」
上司と同僚への殺害予告。本当に殺すなんて思ってはいないが、期待はしている。あわよくば俺の嫌いな奴が全員死ねばいいのにな。
なんて思ってた次の日、6人死んだ。それぞれ違う場所で、血まみれで倒れていたそうだ。1人は嫌いだった上司、3人は同僚、2人は俺に付き纏ってた女。流石に驚いた、本当にやるなんて。
その日は沢山警察と話した。それぞれ全員俺と関係があったためか、疑いの目がかかっている。不愉快極まりない。結局疑いは晴れた。何時もよりは好きになれた職場。でも、やっぱり仕事は嫌いのまま。
「養ってもらおうかなー」
冗談半分でそんなことを言った。仕事をやめてストーカーの元へ転がりこもうだなんて、普通なら思わないだろう。
家でゆっくりとしていると、チャイムがなった。またお届け物だろうか。
ドアを開けると人影があった。驚いた俺は反射的にドアを閉めようとすると、相手がドアに左足を挟んでくる。
『ゾ、ゾ、ムさんッッあ、本物、本物のゾムさ、』
明らかに動揺している男は、アメジストをそのまま埋め込んだような綺麗な瞳をしていた。それでも光は写していない。
『あの、あの!この間、手紙おくっ、た者です…ゾムさんを…迎えにき、きました!』
迎えとはどういう意味なのだろうか。もしかしなくとも養う話か。
「びっくりしたやんけ……一旦、家入る?」
このままでは近所迷惑になると思い、部屋へ招いた。たったそれだけで頬を紅潮させて、まるで発情期の猫のような撫で声で此方へ擦り寄ってくる。
『いいんですか?』
「まぁ、大した物はないけど」
『大した物しかありません!ゾムさんの部屋…』
文字に起こすとしたら、えへへへなんて気色の悪い笑い声を出すショッピくん。
「静かにな」
隣のおばちゃん口煩いねん。そう伝えようと振り返ると、姿は見えなかった。ため息をついて玄関付近の物置部屋の扉を開けると、俺の思い出の品を漁っているストーカーが居た。
「…….」
『ぁッ、ぁ、アルバム…これ小学生、時代の、ゾ、ゾムさん…かッ、かか、かわ、かわいいぃぃぃ』
『こ、こ、ここっちは、中学のぞつぎょ、の写真ッぁ、あ、』
涙を流し、膝から崩れ落ちている。目の前に本人が居るというのに、過去の写真の方がいいだなんて。俺には理解できない。
「なぁ、昔の俺の方が可愛いん?…..俺は向こう行くけど、お前はもう一生そこ居れば」
まるで彼氏に嫉妬する彼女のような発言に、我ながら驚いた。目の前には俺以上に驚いた顔のストーカー。
『し、しし、嫉妬!?もし、もしかし、て..嫉妬、ですか!?お、俺たちりょ思いです、ね♡付き合いましょ、結婚しましょ!!』
展開が早すぎる。聞きたいことも沢山あるし、今はまず落ち着いて話せる環境を作らなければ。
「はい、炭酸飲めるよな?」
ソファに座らせ、いつか彼に貰ったジュースを1缶彼に返す。どうやら反省?して先程よりは大人しくなっている。今なら話が出来そうだ。
「いっつも帰り道に後をつけてくるのはお前?」
『俺です。やっぱり…き、きづ、気づいてたん、ですね…流石ゾムさん♡』
「じゃあ彼奴ら殺したんも」
『お、俺です。ゾムさ、んの、じ人生に有害な奴ら、だったので…でも!あ、安心…し、してください、絶対に、バレないように、ししたので…け、け結婚しても、犯罪者のつ、妻なんて肩書き…にはなり、ません…』
どんな方法を使ったのかは聞かないことにしよう。あと結婚もしない。
『壁に穴を開けたのもスマホにウイルス入れたのもぬいぐるみに監視カメラ仕掛けたのも全部全部、俺です』
別に問いつめた訳でもないのに、余罪が溢れ出てきた。スマホにウイルス…..マ?
「何で壁に穴開けたん?意味ないやろ」
『お、俺、ゾムさんの、生活を肉眼で見たい…けど、部屋には、入る勇気は…無かったので、隣に、こ、こっそり住んで、覗いてました…』
俺よりも隣人が可哀想な案件だ。部屋に不法侵入しても気づかれないものなのだろうか。興奮気味に話す彼。善悪の判断がつかないのか、無意識に自首をしている。
『あ、あの!前もい言ったけど、俺の事も、…知って欲しいん、です』
名前はショッピ。住所は俺の家から徒歩10分のマンション308号室。年齢は俺と同い年。身長171cm体重57kg。趣味は喫煙とストーカー。好きな動物は猫。好きな色は緑。
俺が覚えているのはここまでだ。実際は5倍話されたが、話すのが早すぎて俺の脳が理解するよりも先に次の情報が来るせいで何も聞き取れなかった。確か薬指の太さや、虫歯がないなど、頭がおかしなことを言っていた気がする。
『じゃ、あ次は…ゾムさんの、 ばん…』
今の情報量を天秤にかけ、それに似合うものをよこせと言われた。俺はそこまで俺自身に詳しくない。何を話せというのだろうか。
「…名前はゾム。家はここで…好きな色は」
『緑。趣味はゲームで小さいものや可愛いもの好き極度の潔癖症で今俺が座っているソファも昨日洗ったばかりで少し気分を害している主に人間関係の問題で定期的に病む服に執着はなく気軽に着れるものが好き平日の起床時間は7時就寝時間は0時30分あたりで休日は10時起床の1時就寝食べることが大好きだし人が何かを食べる姿も大好きだが食に関する好き嫌いが多くて健康面が少し心配』
何を急いでいるのか、自己紹介を横取りされた。
20分後、ようやく止まったかと思えば、それから…と自己紹介を続ける気だったため、焦って止めに入った。俺の知らない俺が沢山居て、その全ては俺以外の目線でしか得られないものだ。
『じゃ、あ次は…なにします?』
吃音が落ち着いており、それは緊張の解れを意味する。
「いや帰れよ」
引き止められる。
『あ、あ、の映画見ましょうよ、映画。せや、ゾムさんが、好きそうなやつ前送ってますよね…?』
確かに以前謎のDVDが贈られていた。怖くて中身を見ていないのだが、映画だったのか。早く早く、とまるで子供のような無邪気な笑顔を向けられる。仕方なしにDVDプレーヤーにセットする。俺の隣に座るショッピ。喜楽驚の感情が見えまくりだ。
30分くらい経っただろうか。単刀直入に言う。現段階て映画はめちゃくちゃ面白い。海賊の冒険映画、どストライクだ。だが、隣の気持ち悪い視線が気になり、1時間30分は後日に残すことにした。
「視線が煩い」
このままでは穴が空いてしまうかもしれない。映画に対して俺が反応を示す度に、身体を震わせ感動している。俺じゃなくて映画に感動しろ。
『この世の最高傑作だ…』
息を荒くし濡れた瞳で見つめられる。此奴は俺の何処に価値を見いだしているのだろうか。
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あれから先に、ストーカーと同棲する分岐があっただなんて誰が想像できただろうか。
「行ってきます」
『行ってらっしゃいゾムさん!』
在宅ワークのショッピを置いて、会社へ向かう。家を出る際に行ってきますを言えるのは、凄く幸せな気分だと知った。
趣味嗜好他人とは思えないほどに似ていたそれは、きっと前世は家族だったのだろう。それか、本人か。運命と必然は紙一重で、俺はいくつか前からこの未来を予測していた。
最近は煙草を吸うようになった。昔は大嫌いだった煙草を。同棲を始めたストレスからだろうか。そういうことにしておいた。
そんな生活が2ヶ月も続き、ショッピが転職をした。しかも、俺の働く会社でだ。会社で俺が他の奴と何を話すのかが、気になるのだと。それだけの為に入社してきた。阿呆すぎてついていけない。
毎日同じ時間に、2人で帰った。どちらかが遅くなろうとも、互いに待っていた。好きな訳では無い。寧ろ嫌いだ。俺の後をつけて俺の全てを記録して、俺の事が大好きなストーカーなんて、気持ちが悪いにも程がある。
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確か五年前、俺は夕飯を買いにコンビニに向かった。レジ打ちをしている店員がとてつもなく俺の好みで、それから毎日通うようになった。最初のうちは顔が好きな程度だった。それでも通ううちに、一つ一つの仕草や立ち姿、体格声表情色合い香り全て好きになっていった。
名札を見ればショッピという名前らしい。基本的に月曜、水曜、木曜、土曜の夜10時から4時まで彼は居り、レジが並んでいようとも、もう1人の店員に呼ばれようとも、必ず彼のレジに並んだ。勿論彼の指紋の着いた釣り銭は全て保管したし、彼が品出しや前だしをした商品を沢山買った。彼が背伸びをする後ろ姿を見たくて、わざと高い位置にある煙草を買ったりもした。まぁ煙草は嫌いだから捨てたが。彼から微かに香る香りが、ピースだと気づき、それから毎回ピースを買うようにした。ショートかロングかは分からないため、半分半分買っていつか彼にあげようと思っていた。いつの日か、『いつもありがとうございます』とお礼を言われた。覚えててくれたんだ。喜びと興奮から、焦って釣り銭を募金をしたのを覚えている。今思い出しても本当に意味がわからない。仕事終わりの彼の後をつけた日もあった。彼の家は意外と俺の家と近く、徒歩10分圏内だ。住所を特定した俺は調子に乗り、ダンボールに入れた100箱のピースを直接届けた。遠くに隠れ、彼がきちんとダンボールを受け取る姿を見てから満足気に家に帰った。正直最初はバレるかもと思ったが、彼は鈍感なのか、気づかれている様子は無い。俺はその後も彼のいる日に通った。3ヶ月も通う頃には、立ち話をする仲になっていた。緊張して吃音気味になっていたのを覚えている。その時に聞けた話は全てメモをした。なんならスマホでこっそり録音したこともある。偶に家を覗いて電気の有無を確認したり、起床時間就寝時間を把握したり、また煙草を送ったり、手紙を送ってみたり。毎日が楽しかった。
ある日を境に、コンビニに通うことをやめた。ストーカーじみた行為もきっぱり辞めた。何となくだ。特別な理由は何も無い。ただ、申し訳なさとか、自分に対する気色悪さとか、人間的な感情が湧いてきただけ。
そのコンビニ自体を避け、普通の生活を始めてから暫く経った頃、何だか視線を感じるようになった。最初は気味が悪かったが、過去の誤ちが自らに返ってきたのだと考えた。そう思う他なかった。帰り道、後をつけられていると気づき、耳を澄ませる。鮮明に聞こえた足音は、音、歩幅、速度、癖、全てが彼のものだった。
なんで。
嬉しさが混じる感情に蓋をする。最初こそ怯えていた。もしかしたら復讐をしに来たのかもしれないと、怯えていた。酷いことをした自覚は無い。ただ、あとをつけただけ。そんな何気ない行為が、今は怖くて仕方がない。でも、あんなに美しい彼になら殺されてもいいと思った。
こんな急に接近してくるなんて。
人を殺した時は驚いた。俺でもやっていない行動を、彼が考えて、彼が自ら行動したから。俺の知っている彼はそんなのじゃなかった。その行動が非人道的な事だとしても、俺は赦した。嬉しかったから。例え彼が誰かに問い詰められようとも、俺は助け舟すら出しやしない。それが負の感情から来るものでは無いとは知っている。だって何度道を踏み外しても、悪いのは俺だから。全部俺が悪い。俺が彼に付きまとったから俺が愛し方を知らなかったから俺が中途半端だから俺が全部間違えたから。こんなつもりじゃなかったなんて嘘は言えない。でも後悔だらけだ。
「ごめん、ごめん。ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい」
本当にごめんなさい。何度言っても呪いのように脳裏に残るそれは、全身に巡って体温に溶けた。
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突然だが神様になりたいと思う人は、一定数いると思う。実際俺がそうだ。人間じゃない、何かもっと凄いものになりたい。
美しい存在を、神様を見つけた。或いは天使。何処からどう見ても人間なのに、何となく人間じゃない気がした。それは疑惑から確信へ。美しい存在は俺に愛を教えてくれた。愛し方を教えてくれた。
ごめんなさい。そう叫ばれた言葉を胸に片付け、人を愛したことの無い俺は、人じゃない者を愛した。最初のうちは遠い距離から見守り、勇気を出して近づいてみれば、神様と暮らせることになった。嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ。
浮かれて馬鹿みたいにはしゃいで、夢を見てる。永遠の愛なんて存在しないけど、永遠じゃなくてもいい。どちらか片方が死んだ時点で成立しなくなる、曖昧な愛でいい。それでいい。それがいい。でも、出来れば来世も、さ来世もその次の来世も、出逢えます様に。
行ってきます
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前回の題名変えるの忘れてて、25個下書きがあるのがバレてしまった。
コメントにてこだわり解説あり
またね
コメント
10件
え 、最高 過ぎ て ハゲ ました 。どう して くれる ん です か 。
天才すぎる!とても面白かったですー!!!
穴が少しづつ大きくなったのは、ショッピ自身にに気づいて欲しいという気持ちがあったから。実際気づかなければ、この物語は進まない。 過去の写真を漁ったショッピにまず初めに、過去の写真の方がいいなんて俺には分からないと言ったのは、もしも自分が逆の立場に立ったら。と考えることが安易だから。