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橋本は考えがまとまらないまま、肩を落としてハイヤーに戻り、シートベルトを締めた。そしていつもの帰路を、ぼんやりしながら運転する。
やがて昨日告白された、せせらぎ公園の駐車場前を通過しようとしたそのとき、引き寄せられるようにそれが目に留まった。派手な装飾が光り輝くお蔭で、荷台に映し出された美しい天女が浮び上がり、自分に向かって微笑みかける――。
(あれは見覚えのある、四菱ふそうのデコトラ。もしかして雅輝がいるのか!?)
駐車場の位置は、橋本のタクシーが走行している道路の対向車線側だった。すれ違いざまに、ハザードを点灯させて急停車した。停らずにはいられなかった。デコトラの影に隠れるようにいた、ふたつの人影が視界に飛び込んできたせいで。
いつもの冴えない服装で佇む宮本と、仕立ての良さそうなキャメルのコートを羽織った背の高い男。
その人物は橋本に背を向けているので、どんな表情をしているのかはわからなかったが、男に見下ろされている宮本は、落ち着きなく両手を動かしながら、何かを喋っていた。
橋本はポケットからスマホを取り出してカメラを起動させ、ふたりに照準を合わせて、その様子を窺う。さらにピントを合わせると、宮本の赤ら顔がばっちり画面に映し出された。
(これってば、どこぞの週刊誌の記者と、同じことをしているだけじゃないかよ)
そう思いつつも、構えたスマホを下げることができなかった。画面の中にいる宮本の姿は、告られた昨日を再現しているみたいに、橋本の目に映った。
太い眉を逆への字にしながら、熱心に何かを語りかけた宮本に、背の高い男は首を横に振り、腰に手を当てて、宮本に背中を向ける。男の様相が橋本に見える形になったのを機に、スマホの画面に入るように合わせた。
橋本とは反対の位置で七三分けにしている髪形に、少しだけ長い前髪の下にある顔立ちは、榊と互角か、それ以上の男前だった。
そんなイケメン相手に、宮本は熱心に話しかけて、機嫌を取ろうとしている感じに見えた。必死になっている宮本の心情を知っているのか、イケメンは意味深な笑みを浮かべたまま、背中を向け続ける。
時折冷たい風がイケメンの前髪を乱すように吹き荒んでいるのに、そこだけ春の暖かな風が吹いているような錯覚に陥った。ただ美形なだけじゃなく、微笑みひとつでその場の雰囲気までも変えてしまう、何かを持っている彼を羨ましく思う気持ちが、橋本の中で芽生える。
そのせいで、あり得そうなことを思いついてしまった。
「もしかしてだけど、雅輝は俺をキープするために告ったんじゃねぇよな。だから返事はいらないって。本命はあのイケメンなんじゃ……」
そんな可能性を呟いたら、ふっと力が抜け落ち、構えていたスマホが自動的に下ろされる。カメラ越しじゃない直で見るふたりの姿に、嫌な予感が橋本の背筋を冷たく流れた。
背を向けていたイケメンは勢いよく振り返ると、何かを告げるなり、デコトラの助手席に乗り込む。宮本はきちんと乗れたことを確認してから運転席に移動し、そのまま車を発進させてどこかに去って行った。
(行先は多分、雅輝の家だろうな。この公園の近くにあるって言ってたし)
持っていたスマホを助手席に放って、ギアをドライブに入れる。何とも言えない気持ちを抱えたまま、会社のガレージにハイヤーを戻して、住んでいるマンションの地下駐車場にそのまま向かった。
インプを運転すれば、多少なりとも気が晴れると考えて、愛車のもとに足を運んだというのに――。
「何だよ、これは……」
橋本のあげた声が、駐車場内に虚しく響き渡った。さっき目撃した宮本とイケメンの姿よりもショックな出来事が、目の前に展開されていた。
ロイヤルブルーという濃い色をしたインプだから、その存在にすぐに気づくことができた。運転席のドアの中央の部分に付着している、見覚えのある粘着系の白い液体。
どうやって付いているかを息を止めつつ、気持ちが悪くなるぎりぎりのラインまで顔を寄せて観察してみる。
(円形状に付けられたということは、この場でシコってドアに目がけて放出したのか。すげぇ大胆だな)
そんなことができる人物が、橋本の頭の中でパッとよぎった。インプをこよなく愛する宮本の顔が浮かんだけど、すぐにその姿は掻き消えた。こんなバカなことをするヤツじゃないという信じたい気持ちと、裏の顔があるんじゃないかという猜疑心が、橋本の中でせめぎ合った。
そんな中、イケメン相手にでれでれした表情の宮本の顔が、ちらっと脳裏に浮かんだ刹那、スマホの着信音が橋本の思考をストップさせるように鳴る。
反射的に仕事着のスーツのポケットに手を突っ込んだのに、あるはずのスマホが見つからなかった。
「あ、そうだった」
ハイヤーの助手席に放ったスマホを、帰り際にスラックスのポケットの中へ、無造作に入れたのを思い出し、慌てて取り出してから、画面を確認してみた。
(登録していない携帯の番号だ。こんな時間に間違い電話か?)
「もしもし……」
思いきってタップし、耳に当てたスマホから聞こえてきたのは、聞き覚えのある人物の声だった。流暢に告げられる内容を聞きながら、橋本の記憶の中にある、ら最近出逢った人間と照合していく作業が続く。
『もうひとつ、お兄さんにプレゼントを用意したんだ。ワイパーに挟まれてる物を、ぜひ手に取って見てくれない?』
お兄さんというワードで、電話の相手とどこで出逢ったかを橋本は瞬時に思い出したものの、プレゼントという言葉に導かれるように、インプのワイパーに挟まれている紙切れに手を伸ばして確認する。
「おまえ、これは――」
紙切れだと思ったものは、写真だった。橋本はそれを目の当たりにした瞬間、何とも言えない気分になる。
電話の相手が何をしようとしているのかを察知したので、橋本なりに交渉をはじめた。自分を犠牲にしてでも、大事な人を守らなければと強く思ったのだった。