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宮本はデコトラのハンドルを軽快に握りしめながら、助手席で楽しげに口を開く、江藤の話に耳を傾けた。
「俺様が直々に手助けしてやったというのに、肝心の告白したことについて、どうして言葉を濁すんだ。そこは協力者に対して、きちんと報告すべきところだろ」
「だって、何だか気恥ずかしくて……」
橋本の手に触れた瞬間からムラムラしてしまい、その勢いでキスしてしまったことは、絶対に内緒にせねばと、宮本は心の中で誓いまくった。
「これがおまえの弟なら、言い渋った時点で頬をつねり上げた後に腹パン一発をぶちかまして、詳細に報告させるけどな」
胸の前で腕を組み、どこかデレッとした面持ちになった江藤を横目で確認する。
「江藤ちん、それって思いっきりパワハラじゃないのか?」
「別にいいんだ、相手は宮本だし。俺様に制裁を加えられることによって、逆にアイツは喜んでるんだ。単純なヤツの扱いは楽で助かる」
(内容は物騒なことなのに、江藤ちんからそれを聞くと、すべてがノロケに変換されてしまうのが不思議だ)
順調にふたりが仲良くしている様子を聞くことができて、宮本の頬の筋肉が自然と緩んでいく。まるで、幸せのお裾分けをしてもらっている気分だった。
「雅輝、自分の気持ちを年上に、きちんと伝えることができたのか?」
和やかな雰囲気をそのまま言葉に乗せるように、江藤は訊ねた。
「江藤ちんのアドバイス通りに、シンプルにまとめて言ってみた」
「そうか、伝えることができて良かったな。さぞかし年上は喜んだろ」
「喜ぶ以前に唖然とされた。何を言ってるんだ、コイツはって感じ」
最初からそういう対象で、橋本に見られていないことはわかっていたものの、そこからどうやって彼をものにすればいいのか困り果て、頭に浮かんだことを口にするので、あのときは精いっぱいだった。
「俺様が雅輝に告白したときも、そんな感じだったけどな」
「あ……確かに同じかもしれない。おまえが好きだって江藤ちんに言われて、男同士なのに何を言ってるんだって、衝撃を受けたんだった」
自分と同じ衝撃を、昨日橋本が受けたことについて、彼の中にある今の心境を想像しながら、当時の自分のことを思い出してみる。
友達付き合いをしていた江藤から愛の告白をされ、どうしていいかわからなかった。しかも相手は同性、なぜ自分が恋愛対象に見られたのか、宮本は不思議に思った。
だがいろいろリスクがあるのを承知で、恋愛に興じることができたのは、相手が魅力的な存在だったから。
でも橋本はまったく違う。好きな相手がいる上に、タイプじゃない自分を好きになってくれる可能性が、残念なくらいに限りなく低かった。だからあんなことを、思わず口走ってしまったんだ。
「なぁ江藤ちん」
「なんだ?」
「最初って、やっぱり痛いものなの?」
気落ちした様子で、目の前の道路に視線を向けたまま訊ねた宮本のセリフに、江藤はしばらくしてから口を開く。
「……おまえ、何を言ってやがる」
妙な間を置いた後に、トゲを含んだ江藤の低い声が、宮本の胸に突き刺さるように車内に響いた。
「やっ、あの、その、深い意味はあまりないというか!」
「雅輝もしかしておまえ、自分の躰を使って、相手に迫ったんじゃねぇよな」
(たった一言でそれを導き出せる、江藤ちんの頭の良さはさすがだよ。さっさと白旗をあげるべきか――)
「あのね、勢いで『もし俺を見てくれるのなら抱かれてもいい』って言っちゃった」
「バカじゃねぇの! 全然シンプルに告ってないじゃないかよ」
江藤に怒鳴られることには慣れていたのに、狭い車内でそれが炸裂したので、いつもより二割増しで怖かった。
「他人から見るおまえは思っている以上に、すっごくいい男なんだぞ。それなのにどうして、そんな馬鹿げたことを言いやがった」
「だって……。うー、俺ってば相手のタイプから思いっきり外れてるし、自分の躰を提供して関係を持てば、何とかなるかなぁと思ったり」
たどたどしく気持ちを告げた宮本の言葉を聞き、江藤は盛大な溜息をついた。
「そういう関係を、巷では何て言うか知ってるか? 都合のいい関係って言うんだ。飽きられたら、そこら辺にポイされちまうけどな!」
「うっ……」
「飽きられないような何かを、不器用な雅輝が繰り出せる気がしねぇよ。長くて3ヵ月持てばいいほうなんじゃねぇの」
「江藤ちん――」
もうすぐ、弟が住んでいるマンション前に到着する。次の信号が青になって左折すれば、江藤はデコトラを降りてしまう。
「雅輝の謙虚さが、こんなところでアダになるとはな。弟にそれを少しわけてやった対価として、アイツからムダな自信をもらえば、ちょうど良くなるか」
江藤が長い前髪を苛立ちげに掻きあげると、柑橘系のシトラスの香りが、ふわりと宮本の鼻に香った。昔と同じその香りを宮本は懐かしく思いながら、ハンドルを左に切って弟の住むマンション前にデコトラを横付けする。
変わらない香りと一緒に、自分のことを心配してくれる江藤に向かって、宮本は満面の笑みでほほ笑みかけた。
「俺様が怒っているというのに、どうして笑ってるんだ?」
「こうして江藤ちんに、すっごく心配されてるせいかな。デートの前日にも悩みを打ち明けたら、もう大丈夫だって言ってるのに、世話を焼いてくれたろ。それが嬉しくて、笑わずにはいられないんだってば」
「まったく……。兄弟そろって同じことして、俺様の手を煩わせるなんてな」
シートベルトを外して、膝に置いていたカバンを胸の前に抱きしめた江藤が、窺うように運転席を見た。
「雅輝、本当に抱かれる覚悟はあるのか?」
先ほどとは一転した、消え入りそうな声で訊ねられたせいで、返答に一瞬だけ詰まった宮本だったが、軽く咳払いをしてから改めて口を開く。
「覚悟はしてる。だけど相手が俺に手を出さない限り、どうにもならない話だけどね」
宮本は視線を受けつつ肩を竦めたら、江藤はふいっと視線を逸らすなり、何もない膝頭をじっと見つめる。胸に抱きしめているカバンが、なぜだか小刻みに揺れていた。
「はじめてが好きな相手なら、どんなにつらくても大丈夫だろ……」
「江藤ちん?」
いつもはハキハキした感じで喋る江藤が、らしくない様子で喋ることに眉をひそめた。
「悪いな。俺様のはじめてが特殊すぎるせいで、おまえに質問されたときに、すぐに答えられなかった」
腕の震えを抑えようとしているのか、カバンを掴んでいる指先の色が変わっていることに、宮本はやっと気がついた。
「特殊って、いったい何が――」
「よくある話だ。おまえと付き合う前に、ネットで知り合った男の言葉にまんまと騙されて、挙句の果てに流された勢いでヤっちまった」
告げられた言葉と、江藤の態度を目の当たりにして、宮本はしまったと思った。
「俺こそ気が利かなくてごめんっ。つらい過去を思い出させてしまったよな」
弟の祐輝から、気安く江藤に触れるなと言われている手前、言葉でしか慰められないことに苛立ちを覚える。そんな不甲斐ない自分の言動を思い返しながら、運転席で意味なく両手をわたわた動かす宮本を見て、江藤はぷっと吹き出した。
「大丈夫、今の俺様はすっげぇ幸せだから。宮本が真っ直ぐに想ってくれるお蔭で、つらいことも笑って許せるようになった。それよりもごめんな。おまえと付き合ってるときに、このことを隠していて」
「えっ、やっ、何て言うかどれも終わったことだし、全然気にならないよ」
「当時の俺様は、雅輝にこのことを知られたら、嫌われると思って言えなかった。だが宮本には隠していたくなくて、本当のことを言ったんだ」
そのときのことを思い出したのか、江藤の強張っていた表情が、徐々に柔らかいものに変わっていく。
「そうなんだ。でもアイツなら、平然と聞いてる気がする。そういうところに、デリカシーがなさそうだし」
「ほんとそれ! 俺様の考えを打ち砕くような、斜め上の返事をしやがったんだ。こちとらバンジージャンプをする気持ちで告白したっていうのに、アイツのメンタルはどうなっているのやら」
江藤が瞳を細めて笑うと、それまで力んでいたものが抜け落ち、リラックスした雰囲気になったのを宮本は肌で感じた。
「なぁ雅輝」
「なに?」
きょとんとした宮本の左頬を、江藤はいきなりつねり上げた。
「俺様の自信をわけてやる。だから頑張れよ」
「痛たたたっ! これのどこがそれなんだよ!?」
痛みを伴う江藤の行動を阻止したら、間違いなく倍になって返ってくることがわかったので、宮本は顔を歪ませながら抗議した。
「おまえの頬をつまんでいる、親指と人差し指から、俺様の濃縮された自信の成分が痛みと一緒に、じわじわっと染みこんでいるんだ。ありがたく受け取れよな!」
あり得ないことを言いきった江藤を、頬をつままれた状態で宮本は見つめた。ありがとうと告げたいのに、思いやってくれる気持ちが嬉しすぎて、言葉にならない。
「困ったときは迷わずに相談しろよ、いいな。絶対だぞ」
微妙な表情で無言を貫き通す宮本に、江藤は指を差して盛大に笑い倒し、デコトラから降りていった。小さくなっていく後ろ姿を、宮本は胸を熱くさせながら見送る。
「江藤ちん、ありがと……」
頬をつねられた痛みが消えかけた瞬間、ダッシュボードに置いてあったスマホが着信を知らせた。こんな夜遅くに誰だろうと、画面に表示されたものを確認するなり、宮本の胸の中に表現できない愛しさが満ちていく。
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