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その土曜日の朝は彼女が突然訪れた時のように雪が降り、どんよりとした空模様で始まった。
土曜日だったがリオンが今日は出勤だと言うことで、いつものように朝食の用意をするために前夜に目覚ましをあわせていたが、目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めたウーヴェは、目覚ましを止めて寝返りを打った直後、リオンの身体に半ば乗り上げるようになってしまった事に気付いて慌てて身を引くが、幸か不幸かウーヴェの半身が乗ったぐらいではリオンは目を覚まさなかった。
この、恐るべき睡眠への意欲と言うべきか、寝汚さというべきか悩んでしまいそうなそれにさすがに今ばかりは感謝し、そっと離れようとしたが、眠っているはずのリオンの腕がいつの間にか腰に回されてがっちりとホールドされてしまっていた。
自分と比べなくても鍛えられている事が分かる腕を掴み、何とか腰から剥がそうと藻掻いてみるが、必要な事でのみ鍛えている腕はなかなか離れてくれず、そろそろ起きなければ朝食の支度に間に合わなくなるとウーヴェが危惧した時、ドアが控え目にノックされる。
「・・・フェル?お休みなのに朝早くにごめんなさい」
起きているかしらと、昨夜お友達の食事会に出掛けてすこぶる上機嫌で帰ってきた姉がもう一度ノックをして弟を呼ぶが、弟は今はそれどころではなかった。
「フェル?」
「・・・・・・エリー、悪いが今動けないんだ、こっちに来てくれないか?」
リオンとの関係を数日前に告白したが、昨日診察終了間際にリオンが飛び込んできた時の様子から、またまた自分が知らないところで姉と恋人が何やら話しをしていた事を察するが、どうも先日のように険悪なものではなかった事に気付き、一人胸の奥で安堵していたのだ。
その思いから姉に見られても構わないと腹を括ったウーヴェが躊躇うような声を発するアリーセ・エリザベスに良いから来てくれと告げると、ドアが控え目に開いて姉の真っ直ぐに伸びたブロンドがきらりと光る。
「おはよう、フェ・・・!?」
「・・・動けないんだ、エリー」
ドアから最も遠い場所になるベッドの上、リオンがウーヴェの腰を抱き枕よろしく抱え込むだけでは飽きたらないのか、長い足も使ってウーヴェの身体を拘束し始めていた。
「毎朝こうなの?」
「ここまで酷いのは久しぶりだな」
ベッドサイドに寄ってきた姉の顔に浮かぶ呆れに同じく弟も呆れを浮かべるが、そろそろ拘束される苦しさにウーヴェの顔が険しくなってくる。
自分はタコか何かに捕捉された生き物なのかと、己の境遇を振り返りたくなったウーヴェは、タコよりも質の悪い恋人の腕をどう剥がすべきか思案し、やれやれと溜息を吐く。
「男の人ってみんなこうなのかしら・・・?」
「え?」
姉のぽつりとした呟きにウーヴェが目を瞠ってその顔を見れば、時々だが私も真夜中に拷問にあっているような夢を見て飛び起きると、ミカの腕が絡み付いている事があると告げられて瞬きを繰り返す。
「ミカもそうなのか?」
「ええ・・・ラリードライバーも結局体力勝負でしょう?だから体を鍛えているのだけれど、元々が大きいのよ」
それなのにその頑強な体を維持するために鍛え、こうして夢の中で絡まれてしまうと命の危険すら感じてしまう。
姉の早朝の意外な告白にウーヴェがぽかんとしてしまうが、堪えきれずに小さく吹き出すと、姉の顔にサッと赤みが差すが、姉も次第に肩を揺らして笑い出す。
「お互い、パートナーの寝相の悪さには苦労している訳か」
「本当にね。でも、どうするの?」
ミカの場合は何とか隙間を作って抜け出す事が出来るが、あなたはどうするのと、同じような境遇の場合弟はどう対処するのかに興味が湧いたのか、唇に指先を宛いながらアリーセ・エリザベスが首を傾げる。
「・・・リーオ、手を緩めてくれ」
くすんだ金髪に見え隠れする耳に囁きかけても全く効果がないことは分かっているが、最後の手段は文字通り最後まで残しておきたかった。
さすがにそれをするには憚られると内心苦笑するが、あの手この手でリオンの身体を揺さぶっても全く反応はなく、仕方がないと溜息を吐いてちらりとアリーセ・エリザベスの顔を見る。
「フェル?」
「・・・・・・見なかったことにしてくれないか、エリー」
「え?え、ええ、何か不都合な事でも・・・!?」
彼女が目を丸くしたその瞬間、眠っているはずのリオンの口からくぐもった悲鳴のような声が流れ出したかと思うと、少しだけバツの悪そうな顔でウーヴェがするりとリオンの腕の中から抜け出したのだ。
「今何をしたの・・・!?」
「うん?まあ、な」
出来れば詳細は語りたくないと呟く弟に姉も深く追求は出来ず、それでも眠り続けるリオンを呆れたように見た後、踵を返したアリーセ・エリザベスと並んでベッドルームを出る。
「それよりも、どうしたんだ?」
今日は昼過ぎに帰るからゆっくり寝ていると言ってただろうと、廊下を通ってキッチンに向かうウーヴェが姉に問えば、そのつもりだったがミカからさっき連絡があったと苦笑されてしまう。
「こんな朝早くに?」
「そうなの・・・どうしたのって聞いたけれど、何だかさっぱり要領を得ないのよ」
何か気になって仕方がないから今日は朝食を食べたらすぐに屋敷に戻るわと、本当は昼食を一緒に食べた後に帰るつもりだったのにと、残念さを隠さないで目を伏せるアリーセ・エリザベスにウーヴェが首を傾て何か問題でも起きたのかと呟いてみるが、義兄の身に何が起きているのかなど当然分かるはずもなかった。
また何か分かれば教えてくれと告げ、壁に引っかけておいたエプロンを身につけ、キッチンから行けるパントリー-別名家事室-へと進むと、ストックしておいたコーヒー豆を取り出してくる。
本来は冷蔵庫もこのパントリー兼家事室に置くべきだと、アリーセ・エリザベスに苦笑されたことがあったが、男の一人暮らしでキッチンに冷蔵庫がないとますます面倒くさくなってこの部屋自体を使わなくなる可能性があると告げ、冷蔵庫をキッチンに置いているのだが、そのドアを開けてチーズを数種類を取り出しつつアリーセ・エリザベスに卵はいくつ食べると聞く。
「何を作るつもりなの?」
「リオンが食べたいと言っていたチーズオムレツ」
「私は卵は一つで良いわ。小さいのを作ってちょうだい、フェル」
「分かった」
ウーヴェが人数分のオムレツの調理に掛かった為、アリーセ・エリザベスがその横に並んでレタスなどを適当な大きさにちぎってゼンメルに挟んで食べられるように準備をしていく。
姉弟でキッチンに並んで食事を作るなど一体何年ぶりだろうかと、妙な感慨に囚われつつ手を動かすウーヴェの横ではアリーセ・エリザベスも似たような思いに囚われている様子だった。
ウーヴェの家にまさか2週間近くも宿泊し、こうして食事の用意をすることになるなど、少し前までは彼女でさえも考えられない事だったのだ。
良くも悪くも人はいつまでも昔のままではいられないとは聞くが、弟の心境の変化-この場合は明らかな生活環境の変化-が自分たち姉弟にとって良い方へと変化をしてくれたのだろうか。
ぼんやり考えつつコーヒー豆をクラシカルなミルにセットし、がりがりと挽いていく。
「リオンを起こしてくる」
「そうね。コーヒーのミルクは温めておくわねね」
キッチンを姉に任せてベッドルームに戻ったウーヴェは、ベッドサイドで腰に手を宛がって溜息を零す。
さっきこの腕から抜け出す為に使った最後の手段だが、その時に痛みを感じているはずなのに、何故まだ平然と眠りこけていられるのか。
仕方がないと溜息を零し、リオンの傍に膝をついたウーヴェは、そろそろ起きろと素肌の肩を軽く揺さぶってみる。
だが全く効き目はなく、リーオと、お前の好物のチーズオムレツを食べてしまうぞと囁きかけて10を数えるが、8と内心で呟いた時、コンフォーターの下から拳が突き上げられる。
「おはよう、リオン」
「ん・・・・・・グリュースゴット・・・オーヴェ」
ふわぁと大あくびをしながら伸びをし、苦笑するウーヴェにへらりと笑ったリオンは、伸びをした腕でウーヴェを抱き寄せると小さな音を立ててキスをする。
「・・・ん」
「早く服を着ろ、リオン。チーズが冷めてしまえば美味しくなくなるぞ」
「それは嫌だ!」
ウーヴェの一言に元気よく返事をしたリオンが飛び上がり、いつかのようにクローゼットからシャツを引っ張り出してきたかと思うと手早く着込んで朝一番で見るには最高の笑みを浮かべる。
「これで良いか?」
「ああ。早く行こう。エリーが待ってる」
「もう起きてるのかよ」
お休みなんだからゆっくりするんじゃなかったのかと、さすがに驚きを隠せないリオンが呟けば、何でも早朝に夫から電話があったそうだと返し、二人そろってキッチンへと向かう。
「おはよう、アリーセ」
「ええ、おおはよう、リオン」
おはようのキスを互いの頬にするまで仲良くなっていないが、笑顔で挨拶を交わす二人を細めた視界で見守っていたウーヴェは、コーヒーメーカーの湯気と匂いに満足そうな笑みを浮かべて定位置である背もたれの高い椅子に腰掛ける。
「どうぞ召し上がれ」
「ダンケ!」
ウーヴェが作った料理を頬張るリオンを嬉しそうに見つめるウーヴェの姿も、これもまたいつもの光景だったが、これから二人暮らしを始めればそれこそ毎朝の光景になるのだと、ゼンメルのサンドを食べながらぼんやりとウーヴェが思案すると、アリーセ・エリザベスが食べながらで良いから聞いてちょうだいと切り出してきたことに首を傾げる。
「エリー?」
「・・・・・・リオン、フェリクス、今回の事は本当にごめんなさい」
食べる手を止めたアリーセ・エリザベスが謝罪をし、さすがに食べ続けることが出来なかったリオンも手を止め、何事だと青い眼を瞬かせる。
「エリー」
「アリーセ?」
何を謝るのだと二人異口同音に問えば、やはり不愉快な思いをさせてしまったことは反省していると殊勝な態度で謝罪を繰り返す彼女に男二人が顔を見合わせる。
「俺さぁ、訳もなく謝られるのって嫌いなんだ」
「・・・だ、そうだ、エリー」
「リオン・・・フェリクス・・・」
今回の一連の騒ぎで確かに不愉快な思いをしたが、それはここにいる三人が三人とも経験した事だし、しかもその不愉快さも三人がもたらしたものだと苦笑し、先日の話し合いの後やリオンとアリーセ・エリザベスが和解した事でもって最早過去の出来事になっているのだ。
それを今更謝る必要など無いと穏やかに告げたウーヴェだったが、一つだけどうしても気になることがあるから教えてくれと問いかければ、アリーセ・エリザベスが小首を傾げて弟を見つめる。
「・・・今回、ここに来た本当の理由は何なんだ?」
いつかも問いかけた言葉を繰り返した弟に姉は自嘲気味に一つは食事会の為と返し、もう一つはと先を促されて自嘲を深める。
「この家で・・・あなたがリオンと一緒に暮らしているのかどうかを知る為よ」
「やっぱり」
アリーセ・エリザベスの言葉に頷いたのはウーヴェで、声に出したのはリオンだった。
「調査の内容を確認したかったのと・・・・・・もし、もしも出来るのなら・・・リオンの存在をあなたの口から直接聞きたかったの、フェリクス」
「・・・・・・それは・・・」
恋人がいるのならば、いや、いるからこそ、直接紹介して欲しかったのと、前髪を掻き上げながら呟く姉に弟は穏やかな表情のまま目を伏せ、悪かったと謝罪をする。
「どんな理由であれ、人の過去を根掘り葉掘りするなんて良い趣味とは言えないわ」
リオンの顔を見つめつつ自らの行動について反省の念を示す彼女にリオンが頷き、俺はもう気にしていないと告げて肩を竦めたかと思うと、残りのゼンメルのサンドを頬張り、サラダも一気に掻き込んでコーヒー牛乳でそれを流し込む。
「でも、それをしてしまうほど、ハンナから聞いたお話を信じられなかったのよ」
あの教会からウーヴェが一人ではなく友人らしき人物に背負われて帰ってくるなど、ヘクター夫妻にとっても驚天動地の出来事だったのだろう。
実直で優しい二人の顔を脳裏に描きながら何度か瞬きをすると、ゆっくりと首を左右に振る。
「もう良い。もう良いんだ、エリー」
「フェル・・・」
「なぁ、リオン。もう良いだろう?」
お前はどうだとちらりと視線を流せば、全く気にしていませんと嘯かれて苦笑に肩を揺らす。
「だからエリーも気にしないでくれ」
そして、エリーさえ良ければ、あの日の自分の暴言を許して欲しいと頭を下げたウーヴェの前、彼女が口元を隠して頭を振る。
「あなたが謝る事はないのよ・・・!」
「エリー」
頼むからそんな顔をしないでくれと、さすがに姉の泣きそうな顔に困惑したウーヴェだったが、それを見かねたのかどうなのか、リオンが手を伸ばして彼女の頭をそっと抱き寄せてブロンドに口を寄せる。
「もう良いって言ってるんだ、アリーセも気にするなよ」
初めて顔を合わせた時の事やその後互いに抱えた蟠りを解消するまでの数日間、そして完全に和解したわけではないだろうが、どちらからも歩み寄りを見せるどころか、こんな風に姉を気遣ってくれるリオンの行動にウーヴェが胸の裡で感謝の言葉を告げる。
そして、自分が好きになり、また好きになってくれた人がリオンで良かったとの思いが胸中に溢れて僅かに呼吸を乱そうとするのを何とか堪え、恋人の腕の中でそっと頷く姉にただ安堵の吐息を零す。
「リオン、そろそろ時間だろう?」
「あ、ホントだ。なあ、アリーセ」
そろそろ出勤時間だろうとリオンを促すと同時にアリーセ・エリザベスを手放したリオンは、昨日のスクランブルエッグが本当に本当に美味かったから、また絶対に作って食わせてくれと笑顔で告げると、今日も美味いメシをありがとうと、昨日の言葉が嘘ではない事を証明するようにウーヴェの頬にキスを残し、キッチンを飛び出していく。
その賑やかな後ろ姿に呆気にとられた姉弟だったが、どちらからともなく小さく吹き出すと、本当に仕方がないんだからと溜息を吐き、弟はコーヒーを満たしたマグカップを姉に差し出す。
「あのスクランブルエッグのレシピを教えてくれないか、エリー」
「良いわよ」
あれだけ絶賛されたのならば是非自分でも作ってみたいと、コーヒーを飲みながら平然とした顔で告げるウーヴェだったが、それがただのフリである事をアリーセ・エリザベスはしっかりと見抜いていたようで、青に近い緑の目を細めるのだった。
冬の嵐のようにやってきた姉が荷物を持って家を出たのは、朝食を終えて程なくしてからだった。
彼女の荷物を車まで運んだ弟が腕を組んで乗り込む姉を笑顔で見送るが、地下駐車場から出る直前、ウィンドウを下げて警備員にお世話になったわねと挨拶を交わす姿を少し離れた場所で見送る。
「・・・・・・フェル」
「どうした?」
運転席の窓から身を乗り出す姉に駆け寄ったウーヴェが首を傾げると、白くて綺麗な手がそっと頬を撫でて白い髪へと差し入れられて頭の形を確認するように撫でられる。
あの暗くて長い夜だけが世界だった頃、ベッドの上で日がな一日目を開けているだけで何も見ていなかった時もこうして髪を撫でて頬を撫でていてくれた手の感触がありありと蘇り、ウーヴェが咄嗟にその手を掴んできつく目を閉じ、微かに震える声で姉を呼ぶ。
「エリーっ・・・・・・」
「────ウーヴェ・フェリクス。私はいつもあなたを見守っているわ」
あなたはこの世に生まれたときから幸せになる権利を持ち、そしてその権利は生涯を掛けて行使していかなければならないものなのよと、優しさと強さが混ざり合ったアリーセ・エリザベスの声に無言で頷いたウーヴェは、リオンと二人仲良くしなさいと頬を撫でられてもう一度頷くと、そろそろミカの所に行くわねと笑顔で手を振られ、照れ隠しの様に顔を伏せるウーヴェの頭を撫でてウィンドウが静かに上がっていく。
駐車場を静かに出て行くクーペが見えなくなるまで見送ったウーヴェは、姉がやってきた時の驚きを思い出し、本当にこの二週間は大騒ぎだったと苦笑する。
自宅に戻り妙に静かな廊下を進みリビングに入ると、つい今まで姉と恋人がいた気配を感じ、ぞくりと身体を震わせる。
今日はリオンが仕事の為に夜にならないと戻らないが、それまでの間一人で何をしようかとソファに座りながら思案するが、一人の寂しさにも通じる寒さを忘れる為にベッドルームに向かうと、ソファで大人しく座っているレオナルドを抱き上げ、デスクに積んでおいた本を片手にリビングに戻ってくると暖炉に火をつけてキッチンに行き、リビングでの読書に必要不可欠な諸々のものを抱えて戻ってくる。
暖炉で炎が爆ぜる音が心地よく響く頃にはウーヴェはすっかり本の中の住人と化していて、巨体を誇るテディベアに半ばより掛かりながらページを繰り、思い出した様に水分補給をカフェオレで行うが、頭の片隅には今回の騒動が順を追って浮かび上がっては消えていくが、いきなりやってきた時の姉の顔が帰る前には笑顔になった事が本当に嬉しかった。
姉にだけは余計な心配や不安を掛けたくないと改めて気付き、あの夜の己の暴言も許してくれた事も嬉しくて、リオンが戻ってくれば相談しようと不意に思い浮かんだアイデアを忘れないように脳裏に書き留めた後、完全に意識を本へと向けるのだった。
ベッドルームから持ってきた本の山にあっという間に付箋が貼られ、メモがはみ出すようになったが、それらすべてを読み終えた時、ウーヴェがソファの上で凝り固まった身体を解すように伸びをする。
ウーヴェの動きに合わせてレオナルドも左右に揺れたかと思うと、ぽてんと、いつかの夜のリオンの様にソファに転がってしまい、苦笑しつつ巨体を引き起こして手触りの良い毛並みに額を押し当て、詰め込みすぎた知識が早く納まるべき場所に納まって欲しいと苦笑を深める。
そろそろリオンから連絡があるかも知れない事に気付き、レオナルドを定位置にちゃんと座らせたウーヴェは、昼食も食べずにまた読書に没頭してしまった事を反省しつつ立ち上がるが、その時タイミング良く携帯が映画音楽を流し始める。
「Ja」
『ハロ、オーヴェ!やっと出たか!』
「え?」
聞こえてきた不満と安堵の入り交じった声に首を傾げたウーヴェは、一体何度電話を鳴らしたと思うと盛大に頬を膨らませている事を簡単に想像させる声で責められて瞬きをし、何度鳴らしたんだと問い返して更に不満を増大させたリオンに3回と怒鳴られる。
「・・・悪かった」
『また本でも読んでたのかよ?』
「ああ、調べ物をしていたんだ・・・」
素直に謝罪をしたウーヴェにリオンはいつまでもぶつぶつと文句を垂れていたが、せっかく繋がったのにこんな風に機嫌を損ねていてはもったいない事に気付いたのか、気分を変えるようにまた雪が降ってきたと呟いた後、何処かでメシにしないかと誘いかける。
「もう仕事は終わったのか?」
『うん。今日も頑張ったぜー!』
だから俺を誉めろと言い放たれて口が塞がらなくなるが、小さく吹き出した後、有りっ丈の思いを込めて眼を細める。
仕事に対する姿勢、己を傷付けるものに対しても、許すことの出来るその大きな心、例え傷を負っても笑っていられるその強い心にまた惚れ直してしまうと、自分は一体どこまでリオンの事を好きになるんだと内心呆れつつも、それでもやはりこうして笑うリオンが誇りでもあった。
その思いが伝わればいいと願いつつ、彼だけが呼べる名をそっと口にする。
「リーオ」
『うん・・・・・・へへ・・・な、オーヴェ、メシ食いに行こうぜ』
「そうだな・・・何を食べたいんだ?」
『んー、まだ分かんねぇけどさ、とにかく出てこいよ、オーヴェ!』
その言葉に暖炉の上の時計を見たウーヴェが苦笑し、暖炉の火の始末を手早く済ませるとリビングを出てベッドルームに向かう。
「後20分ほど待っていてくれないか?」
『ん、平気。20分だぜ?』
いつかのように一分遅れる度にキス一つとにやりと電話口で笑われて微かに目元を赤くしたウーヴェは、それならば19分59秒で着いてやると目を細める。
『なんかお前が言ったら本当にそうなりそうだから、あんまり嬉しくねぇ』
「はは。少しだけ待っていてくれ、リオン」
『分かった』
雪が降っているのだから、身体が冷えないような場所で出来れば待っていてくれとも告げ、コートと昨年のクリスマスプレゼントで貰ったマフラーを手に取ってベッドルームを後にする。
『アリーセはもう帰ったのか?』
「ああ。お前が仕事に出て少ししてから、な」
どんな急用なのかは分からないが、随分と慌てて帰ったと苦笑し、キーを片手にドアを開けたウーヴェは、外気の寒さに身体を震わせて何か暖まるものが食べたいなと無意識の呟きを発してしまう。
『オーヴェ、今まだ家か?』
「ああ、ちょうど出たところだ」
どうしたと苦笑したウーヴェの耳が捉えたのは、今日の外食はやっぱり中止だ、今から帰ると言う一言だった。
「リオン?」
『うん。────な、オーヴェ・・・・・・』
躊躇うような、だがある確信を込めたリオンの呟きにウーヴェが再度ドアを開けて中へと身体を滑り込ませると、その背後でパタンとドアが閉じる。
その閉じたドアの音に負けるほどの小さな声が続いて携帯越しに聞こえ、眼鏡の下で目を閉じた後、ゆっくりと目を開いて口元に笑みを湛える。
「────ああ。そう言っただろう?」
だからお前は仕事で疲れた身体を休める為に、ここに、俺の傍に帰ってこい。
問われた言葉と同じ静けさで答えたウーヴェは、携帯の向こうから伝わる歓喜に自然と笑みを深めるが、帰ってきたところで満足できるほどの料理は作れない事を伝えると、きっぱりと問題ないと返される。
「分かった。・・・じゃあ、気をつけて帰ってこい、リオン」
『うん』
リオンが今までその一言に込めた思いを今回の騒動で感じ取ったウーヴェだったが、自分にとっては何気ない一言でもリオンにとっては掛け替えのないものである事も教えられ、ごくありふれた当然の言葉だからこそ様々な思いが込められているのだとも気付き、それを気付かせてくれる恋人の存在がまた一つ己の中で大きさを増したと自嘲する。
すぐに帰ると告げた後、ぷつりと切れた通話に苦笑し、携帯をポケットに戻して廊下を進んだウーヴェは、出かける必要がなくなった為にコートとマフラーをクローゼットに戻すと、キッチンとパントリーを行き来して二人の胃袋を宥める為の料理の支度に取りかかるのだった。
約20分後、玄関のドアベルが鳴り響き、サボサンダルの音を響かせたウーヴェがドアを開けると、くすんだ金髪に微かに雪を積もらせたリオンが寒さに身体を震わせながらそれでも笑顔で手を挙げる。
「ハロ、オーヴェ」
そして、ただいまと、あまり遠くない未来でも同じ言葉を告げている、そんな姿を簡単に想像させる顔で笑った為、ウーヴェも目を細めて頭上の雪を手で払って笑みを浮かべる。
「お帰り、リオン」
今日も一日仕事をよく頑張ったと褒め称えながら笑顔の恋人の背中に腕を回して疲れをねぎらった後、同じように背中を抱かれた事に気付き、目を細めればそっと唇が重ねられた為、背中から首筋へと腕を上げて頭を抱き寄せるのだった。