ハンクは手酌で酒を注いだ。夜明けに近づいてるが眠気が訪れる気配はない。
あれはそんなことで泣いたのか。奴のことなど放っておけばいいものを。面倒だな、スノーはどこかへやるか。王族の血が邪魔だな。国からは出せん。消すのが一番簡単なんだが。しかし奴があの女を愛していないならば…
「不能か」
ハンクはソーマを見る。
「断言はできません。私が精通を確認しています。ライアン様の観察眼は鋭いですが、まだ不能と決めつけるのは早いと思われます」
ハンクは手を振り、意を伝える。
「不能でもなんでもいい。もう変わらん。奴が子を残すことはない」
ハンクはカイランについて考えることを止めた。真実がどうであれもう変えられない。次期当主として覚悟がなかっただけのことだ。
「それよりもスノーが邪魔だ。王に進言する」
これでアンダルは社交界からは消えるなと主の言葉に予想する。大人しくしていればよかったものを。きっと陛下は主の話を聞くだろう。マルタンとディーターが繋がると貴族の結束力が強くなる。ただでさえアンダルがやらかしたのだ。そして今回のハインスの夜会。マルタンを軽んじている。ライアンの予想通りになるだろう。家族とは厄介。その通りだとソーマは思う。
「本日、ディーターよりキャスリン様の護衛騎士が参ります。旦那様がお話しに?」
「お前が話せ。終わり次第呼べ」
キャスリン様の近くに侍る若い男の存在など面白くはないだろうに、特に興味が無いということは主には嫉妬という感情はないのかもしれない。
「そろそろ夜明けです。少し眠ってはいかがですか?」
ハンクは立ち上がり寝室へ向かう。
大きな門を潜ると大きな城が見えてくる。ディーターも大きいがこちらの方が大きい。ディーゼル様が馬車を出してくれて助かった。庭も広いな。ここにお嬢がいるのか。
馬車から降りると白髪の優しそうな紳士が立っている。
「ダントルですね?私はゾルダークの執事をしておりますソーマと申します」
ダントルは背筋を伸ばし告げる。
「ディーターからきましたダントルです。よろしくお願いします」
執事が外で待ってくれていたとは思わなかったダントルは恐縮していた。ゾルダークの騎士団の所へでも連れていかれると思っていたのだ。
「こちらへ、ご説明が多々ありますので」
ダントルはソーマの後をついて歩く。仕事部屋の様なところに案内され、椅子を勧められるが断り直立不動の姿勢をとる。では、とソーマが言い一枚の書類を読み出す。
「ダントル、君は十年前からディーターにて騎士見習いを始め、騎士になりキャスリン様の護衛騎士に選ばれる」
合っていますか?とソーマが問う。ダントルは頷く。ソーマは続ける。
「君はダントル・ボイドで間違いないですね?」
ダントルは息を止める。なぜ知っている?お嬢が話したか。いや、それはない。ならディーゼル様か。知られているなら仕方がない。ダントルは頷く。それを見てソーマも頷いた。
「ボイド子爵家のメイドが母親であり、現当主が父親。この事実はボイド家でも知るのは当主夫妻のみ。君の母親はすでに亡くなっている」
ダントルは頷く。
「母親は君を身籠り子爵家を出されたが父親の子爵が援助していた。そして君が十五の時母親が病死。子爵が君を引き取ろうとしたが夫人が許さない。君を亡きものにしようと動いたため遠縁のディーターへ身を寄せる」
ソーマが答えを求める。ダントルは頷くしかない。
「君の背後を調べたら色々出てきたのでね、確認ですよ。心配はいりません。ここからは注意事項です。キャスリン様の身をなんとしても守る。どんな状況、場所であってもキャスリン様だけを守る。例えその場に王族や小さな子供がいても。君にいつか家族ができてもキャスリン様の命を優先する。誓えますか?」
「誓います」
悩むこともない。簡単な質問だ。お嬢だけを守ればいい、ただそれだけのことだ。
「わかりました。ではここに名前を書いてください。君はゾルダークの騎士になりますが主はハンク・ゾルダークではなくキャスリン・ゾルダークです。キャスリン様が何を言ってもキャスリン様だけを守るのです。よろしいかな?それと、君は普段は平民となっていますが場合によってはボイドを名乗ること。キャスリン様を守るための武器になります。ボイドを使う時がきたら躊躇せず使ってください。旦那様の指示です。手配はしてありますから」
ボイドが武器になる。確かにお嬢の敵が貴族だと平民では手が出せない状況になる。貴族同士なら裁判ができる。お嬢はゾルダークでよくしてもらってるんだな。こんなに大切にしてもらってるなんて、心配してたのになぁとゾルダークに感動していたダントルに衝撃な話が語られる。
「君はメイドのジュノと同等にキャスリン様の近くに侍ります。他言無用。これはキャスリン様の願いなのです」
何を言い出す、と警戒するダントル。
「キャスリン様はハンク・ゾルダークと閨を共にしており、カイラン・ゾルダークとは共にしない。これを知るのは極一部。私とジュノ、医師のライアン・アルノ、旦那様の従者のハロルド、メイド長のアンナリアとライナそして君です。カイラン様は知りません。もちろんディーターも知りません。なぜこうなったのか疑問に思うでしょうが、聞かないでください。キャスリン様に聞くことも許しません。できますか?」
もう一度聞き返すことはできないだろうか、カイラン様と閨を共にしないでその父親と閨を共にしている。これは極秘だと。聞くことも許さないとは、聞きにくいけれども。お嬢の願いならば従うまでだな。
「はい」
よろしいとソーマは頷いて隣の部屋へ続く扉を叩く。
扉を開けると俺よりもでかくて怖い顔の人が現れた。たぶんゾルダーク当主だろう、貴族の体格じゃないぞ、カイラン様に似ている…しかし怒ってるのか?顔が怖い。
ハンクは執務机の椅子に座り、ダントルを見る。
「死ぬまで守れ」
それだけ言って黙る。誰が死ぬまで?なんて聞けない説明が欲しい。するとソーマが察し後ろから小声で、君が死ぬまでですよと教えてくれた。
「はい」
ダントルはハンクの目を見て誓う。俺が死ぬまで守ればいいんだ。簡単だ。
面会を終えダントルはソーマに連れられゾルダークの騎士団へと向かった。
ダントルは頭の中を整理していた。お嬢が婚姻したのはカイラン様だが閨をしてない。その代わりに公爵がしている。ディーターは知らないお嬢の願い。
キャスリンには聞けないのだから答えをくれるのはソーマかと目の前を歩く老執事に尋ねる。
「キャスリン様は幸せなんですか?」
ソーマは振り向きダントルと向き合う。
「これから幸せになるのですよ」
理解していなそうなダントルを見てソーマは思う。ダントルの思考は平民、話しても理解ができないだろう。
ボイド家の赤毛だな、頭は悪そうだが貴族の血を持ち忠誠心が強いとなれば文句はないとハンクは満足する。しかしあれは色んな者を拾ってくるな。後がない者に情けをかけ、信頼を寄せればああなるのか。無意識ならばたちが悪い。これからも増えるかも知れん。余計な駒はいらん。
ソーマはダントルを騎士団に預けハンクの元に戻る。ハンクは執務机で書類仕事をしていた。
「どうでしたか?」
「会わせていい」
やはり主は興味無しという感じだ。ダントルは頭は良くないがキャスリン様を守る覚悟がある。迷いを感じなかった。護衛騎士ならばそれで十分だろう、面倒な出自だが子爵ならば問題ない。
「いい騎士でしたね。必ずキャスリン様をお守りするでしょう。ボイド家には話を通してあるので?」
ハンクは書類を読みながら、ああと答える。
ソーマはハンクを見て胸の辺りに血が滲んでいることに気づいた。それを指摘する。
「そうだな」
「ライアン様からいただいた軟膏は塗られたのですよね?」
ハンクは答えない。残す気なのか、とソーマは思う。これで嫉妬心がないなど主を理解するにはまだ時が必要かとソーマはため息をつく。
「膿んでは困りますよ。キャスリン様も心配されます」
ハンクはしばし考えて血を拭き軟膏を塗る。
ソーマはそれを見ながら果たしてどちらが気になったのかとハンクを観察する。
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