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「…このシーン、やるんだな」
「……あぁ」
撮影スタジオの一角で、俺となつは並んで台本を確認していた。 開かれているページは、今回撮影する重要なシーン。 原作でも読んだことがある。 織姫 衣音璃が、敵との戦いの中で大きな負傷を負う場面。 ページをめくる手が止まる。
「…これ、本当にやるのかぁ」
なつが台本を見つめたまま、小さく呟いた。
「まぁ、やるんだろうな」
「だよなぁ…」
本当に腕を切り落とされるわけじゃない。
そこはもちろん撮影用に作られている。
腕が切られる瞬間は別カットで撮影して、実際に刃物が腕へ当たることはない。その後、特殊メイクや衣装、撮影アングルを組み合わせて、まるで腕を失ったかのように見せるらしい。
頭では分かっている。
それでも、完成した映像を想像すると、少し背筋が寒くなる。
「…切られる瞬間の、あの剣の振り方」
なつが原作のページを指でなぞる。
「役者さんが本気の顔すぎて、くそ怖い」
「分かる」
俺も苦笑しながら頷いた。
原作を読んだときですら迫力があったシーンだ。 それを実際の人間が演じて、目の前で撮影するとなれば、また印象が違うだろう。
「……なつ、大丈夫?」
「何が?」
「いや…衣音璃役」
そう聞くと、なつは少しだけ黙ってから、台本を閉じた。
「まぁ、役者だからな」
その言葉に、俺は一瞬だけなつを見る。
強がっているのか、それとも本当に腹を括っているのか。 まだ分からない。 ただ、少なくとも俺は 撮影が始まったら、こいつがどんな演技をするのか、ちゃんと見届けようと思った。
「なつさーん、準備お願いします。いるまさんはこっちで」
スタッフさんから声がかかる。
「あ、は、はいっ」
「はい」
なつは慌てて立ち上がると、台本を胸元に抱えたまま、少しガチガチになって歩いていった。
その背中を、俺は黙って見送る。
「……」
大丈夫かな。
さっきまで一緒に台本を見ていたときも、いつもより少し落ち着かなかった。 まぁ、あんなシーンを撮るんだから当然か… 俺は自分の台本へ視線を落とす。 そして、次のページを開いた。 衣音璃が、腕を失う 直後。 流李が駆け寄り、感情を爆発させる。
「……」
俺も、このあとそのシーンがある。 なつが演じる衣音璃が傷ついたあと、俺が流李として泣き叫ぶ場面。 正直に言うと、俺が一番苦手な演技だ。 普通に泣く演技ならできる。 悲しい表情を作ることも、涙を流すこともできる。
でも感情を爆発させる演技は、どうしても苦手だった。 ただ泣くだけじゃない。 声を張って、取り乱して、どうしようもないほどの感情を表に出す。
原作でも見た。 流李が衣音璃の名前を何度も呼んで、普段の冷静さなんて全部忘れたみたいに感情を剥き出しにするシーン。
あんなにも激しい感情を演技するなんて、今までやったことがない。
「…難しいな」
小さく呟いて、台本を閉じる。 だけど。 今回だけは、逃げたくなかった。 だって、このシーンで俺が演じるのは流李だから。
そして、傷つくのはなつが演じる衣音璃だ。
「……ちゃんと、やらないとな」
俺は一度だけ深く息を吸って、撮影スタッフの方へ向き直った。
その頃には、さっきまでの不安を隠すように、ゆっくりと表情を整えていた。
「3、2、1……」
カメラが回る。 さっきまでスタジオにいた俺は、もういない。 今ここにいるのは、流李だ。
「りゅーくん!……あれ、マムちゃんは?」
息を切らしながら駆け寄ってくる衣音璃。 その表情はいつも通り明るくて、まるでこのあと起こることなんて何も知らないようだった。
「桜子は金剛山と白光と西の方に行った」
「えぁ、3人行動ズルい」
ぷくー、と頬を膨らませる。
「ここら辺はだいたい閉めた。俺らも西の方に行くぞ」
「うん、行こ_
その瞬間
「!!!いおり!うしろ!」
衣音璃が振り返る。
「!」
一瞬 時間が止まったように感じた
背後から迫る敵
衣音璃の表情から、さっきまでの無邪気さが消える。 カメラの向こうにはスタッフがいる。 安全確認もされている。 本物の刃が身体に触れることもない。 それでも 今、俺たちが演じているのは、命懸けの戦いだ。 そして次の瞬間 敵の攻撃が振り下ろされた。
「っ、…」
ぴたっ
振り下ろされた剣が、なつの右腕ぎりぎりで止まった。
一瞬、スタジオ全体の空気が張り詰める。
そして_
「カット!」
監督の声が響いた。
「…はぁぁぁ、やっぱこわいっすね〜笑」
なつが大きく息を吐きながら、肩の力を抜く。
さっきまでの衣音璃とは打って変わって、いつものなつに戻っていた。
今回使った剣は、もちろんプラスチック製。
それでも間近で見ると迫力があった。振り下ろされる瞬間の勢いも、演じている役者さんの表情も、本気そのものだったから余計に怖く見える。
「なつさーん、右腕消すのでこちらへ」
スタッフさんが手招きする。
「言い方怖〜、笑」
なつが笑いながら立ち上がった。
「はーい、今行きマース」
そのままスタッフさんについて、特殊メイク用のスペースへ向かっていく。
「……右腕、消すって」
思わず小さく呟く。
もちろん、本当に消えるわけじゃない。
これから特殊メイクと衣装、それに撮影用の仕掛けを使って、画面の中だけで「右腕がなくなった」ように見せる。
分かっている。 分かっているけど
「……すげぇな、実写って」
俺はそう呟きながら、これから撮る次のシーンの台本へ視線を落とした。
そこには、流李が衣音璃の姿を見て、感情を爆発させる場面が書かれている。
「……」
さっきまでの余裕が、少しだけ消えた。
俺の出番は、もうすぐだ。
約1時間後。
俺は自分一人の場面を撮影しながら、なつが戻ってくるのを待っていた。
撮影は順調に進んでいるものの、例のシーンが近づくにつれて、どうしても台本に目がいってしまう。何度読み返しても、流李の感情をどう表現すればいいのか、まだ掴みきれていなかった。
そんなことを考えていたときだった。
「見てー!」
ぱたぱたと、葉っぱを踏む足音が聞こえてきた。ずいぶん楽しそうな声だったので、俺は台本から顔を上げて振り返る。
すると、そこには満面の笑みを浮かべたなつがいた。
「じゃん! 右腕なくなっちゃいましたー!」
そう言いながら、なつは左腕をこちらに向けて、得意げにポーズを取った。
衣装の袖は不自然にならないよう綺麗に処理されていて、右腕があるはずの場所には、特殊メイクで作られたリアルな断面が見える。もちろん撮影用の仕掛けなのだが、何も知らずに見たら思わず目を逸らしてしまいそうなほど精巧だった。
「おぉ…断面までリアル」
「んでしょー」
なつは褒められたのが嬉しいのか、さらに腕を見せびらかしてくる。 いや、そんな得意げに見せるものなのか、それ。
「すごいな、これ…さっきまで普通に腕あったのに」
「ね!メイクさん、めっちゃ器用だった! あとね、袖のところもすごいんだよ。どうなってるか説明してもらったんだけど、俺、途中から分かんなくなっちゃってさぁ」
「お前、説明聞くの諦めるの早くない?」
「いやいや、ちゃんと聞いたって!…たぶん 」
「たぶんってなんだよ、笑」
思わず笑うと、なつもつられて笑った。 さっきまで台本の中で腕を失う役を演じていたとは思えないほど、本人はけろっとしている。むしろ、特殊メイクがよほど気に入ったらしい。
「いるまもやってみる?片腕なくなった人」
「いや、俺は遠慮しとく」
「えー、絶対似合うのに」
「片腕なくなった姿に似合うも何もあるかよ、笑」
いつもの調子で言い返しながら、俺はもう一度、なつの右腕へ視線を向けた。 本当に、よくできている。 そして、この姿を見た流李がどうなるのか。原作で何度も読んだはずなのに、いざ自分が演じるとなると、想像だけでは足りない気がした。
「……なつ」
「んー?」
「このあと、俺のシーンだよな」
そう尋ねると、なつは少しだけ表情を変えた。
「うん。…俺が腕なくなったあと、琉李が泣き叫ぶとこ」
「…… そう」
分かっている。台本にも書いてあるし、何度も確認した。 それでも、口に出すと余計に緊張した。 そんな俺を見て、なつは一瞬考えるように首を傾げてから、いつもの笑顔に戻った。
「いるまなら大丈夫でひょ」
あまりにもあっさり言うものだから、俺は思わず目を瞬かせた。
「……根拠は?」
「んー…ない」
「おい、笑」
「でも、いるまって本番になるとすごいじゃん。だから大丈夫」
何気ない言葉だった。
けれど、なつは本当にそう思っているらしい。疑う様子もなく、まっすぐ俺を見ている。
そういうところ、ずるいんだよな。
「……ありがと」
「ん?なに?」
「なんでもない」
俺は小さく笑って、再び台本を手に取った。 大丈夫かどうかなんて、まだ分からない。 それでも、少なくとも今は。 目の前で楽しそうに笑っているこいつの信頼を、裏切りたくないと思った。
「3、2、1……」
「……」
地面に、作り物の右腕が落ちている。
目の前に広がる光景を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
「いおり”ッ!!!」
声が掠れる。考えるより先に足が動いていた。俺は地面を蹴り、倒れ込んでいる衣音璃のもとへ駆け寄った。
膝を地面につけ、左手で衣音璃の右腕を支える。
「っ”……」
何が起きたのか、理解が追いつかない。ついさっきまで、隣でいつも通り笑っていたはずなのに。どうして、こんなことになっているんだ。
「!あいつは!」
はっと顔を上げる。
けれど、もうその場に衣音璃を襲った相手の姿はなかった。
「くそッ…もっと俺が警戒しとけばッ!」
自分への怒りが込み上げる。どうして気づけなかった。どうして守れなかった。後悔ばかりが頭の中を駆け巡る。
せめて、せめて今だけでも。
俺は衣音璃の取れた腕に手を伸ばしかけた。
「触っちゃだめッ!」
「は……?」
突然の制止に、動きが止まる。
衣音璃は苦しそうに息をしながら、それでも必死に声を張り上げた。
「あの刀、毒が仕込まれてるッ…!しかもかなり強いッ!今、僕の右腕を触ったら、りゅーくんまで毒が回るッ!」
「っ、でも! そしたらお前がッ……!」
触れられない。 助けたいのに、手を伸ばすことさえ許されない。 目の前にいるのに。こんなにも近くにいるのに
「大丈夫、、僕は毒耐性があるッ…」
衣音璃はそう言って、かすかに笑おうとした。
織姫財閥の御令孫である衣音璃は、これまで何度も刺客に襲われ、毒を盛られてきた。その経験から、さまざまな毒への耐性を身につけている。
それでも、今の状態が安全なはずなんてない。
「またアイツが来る前にッ…みんなに……しらせて?…おね…がい」
「……いおり?」
返事がない。
次の瞬間、衣音璃の身体が、ばたっと地面に倒れた。 その音が、やけに大きく聞こえた。
「っ、、ぁ”…」
俺は目の前の衣音璃を見つめた。
「いおり?い”おりッ!」
慌てて顔を覗き込む。
「どんどん、からだが冷たくなってッ…いおり!」
声が震える。何度名前を呼んでも、さっきまでのような返事は返ってこない。
どうすればいい? 誰を呼べばいい? 何をすれば、こいつを助けられる? 考えようとしても、頭がうまく働かない。ただ、目の前で大切な仲間がいなくなってしまう。その恐怖だけが、身体の内側から膨れ上がっていく。
失いたくない。 まだ、一緒にいたい。
こんなところで終わるなんて、認めたくない。
「っ、ぁ”ぁぁあ”ぁあッ!!!!」
喉が張り裂けそうなほどの叫びが、スタジオに響いた。
「カット!」
その声に、はっと顔を上げた。
「は……ぃ?」
自分の声が、ひどく頼りなく聞こえた。 さっきまで目の前にいた衣音璃も、地面に倒れていた身体も、撮影用のセットも、すべて現実へと戻ってくる。
はしばらく、その場に膝をついたまま動けなかった。
「……もう一回やろうか」
監督の声が聞こえた。
「……」
もう一回。 今のを、もう一回。 俺はゆっくりと息を吸った。
(駄目だったのか…)
さっきの演技を頭の中で振り返ろうとする。でも、感情が一気に押し寄せてきたせいで、どこが悪かったのかさえ、すぐには整理できなかった。
普段の泣く演技とは違う。 悲しいから泣く。それだけじゃない。 大切な仲間を失う恐怖。自分の無力さへの怒り。どうしようもない絶望。 それらが一度に押し寄せてきて、流李自身も何をすればいいのか分からなくなる ……あの感情を、もう一度
俺は唇を引き結び、膝の上で拳を握った。
「……はい、お願いしますッ、」
苦手だからって、ここで諦めるわけにはいかなかった。
「カット!」
「もう1回お願いしますッ!」
「カット!」
「もう1回ッ、お願いします!」
「カット!」
「も、もう1回お願いします!」
何度目かも分からなくなりそうなほど、同じシーンを繰り返していた。
流李が衣音璃を見つけ、駆け寄り、触れることもできずに取り乱す。何度も台本を読み込んだ。何度も頭の中で場面を想像した。それでも、いざ演じてみると、どこか違う。
叫び方なのか。表情なのか。それとも、感情の持っていき方なのか。
自分でも分からなかった。
「ぜぇ、はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながら、俺は膝に手をついた。喉が熱い。何度も声を張り上げたせいで、身体にも疲労が溜まっている。それでも、頭の中ではずっとあの場面が繰り返されていた。
(リテイク、15回目ッ…)
十五回… 十五回も、同じところでやり直している
情けない、悔しい。もっとできるはずなのに、思うようにいかない…
「いるま、休憩……挟んだら?」
そばにいたなつが、心配そうに声をかけてきた。 その声を聞いて、俺は一瞬だけ顔を上げる
なつの右腕は、まだ特殊メイクの状態だった
撮影の合間だというのに、俺の様子をずっと気にしてくれていたらしい
そんな顔、させたくないんだけどな
「いや”…やらなきゃ……」
息を整えながら、どうにか声を出す
「今、感覚が琉李に似てきてる気がして…」
言いながら、俺自身も不思議だった
最初は、ただ台本に書かれた感情をどう表現するか、そればかり考えていた
どうすれば悲しそうに見えるのか
どこで声を震わせればいいのか
どんな表情をすれば、流李らしくなるのか
でも、繰り返しているうちに、少しずつ何かが変わってきた。 衣音璃が倒れる瞬間を想像すると、胸の奥がざわつく
名前を呼んでも返事がない。助けたいのに、どうすればいいのか分からない。自分の手の届く場所にいるのに、失ってしまうかもしれない
その恐怖が、少しずつ分かってきた気がする だからこそ、今やめたくなかった
もう少しで、何かに届きそうな気がしたから
「っ、……」
なつが言葉を詰まらせた。
俺はその表情を見て、無理に笑おうとした。
「大丈夫、あと少しだから」
本当に大丈夫なのか、自分でも分からない
それでも、もう一度だけ台本に目を落とす
流李は、ここで大切な仲間を失うかもしれない恐怖に直面する
なら、俺もその感情から逃げたくなかった
「…監督、もう一回お願いします!」
そう告げると、撮影現場の空気が静かに張り詰めた
すちの家にお邪魔したとき、俺たちは色々なことを教わった
キャラクターのこと、 物語のこと
そして、漫画の中で生きている彼らが、どんな人間なのか
なのに
(…こんなザマとか)
悔しかった
せっかく教わったのに
作者本人から、直接話を聞かせてもらったのに
俺はまだ、琉李の感情をちゃんと掴めていない
何が足りないんだろう。 どうすれば、あのシーンを演じられるんだろう。 そう考えていたとき、不意になつの言葉が脳裏をよぎった
『俺は、この子達の感情をみんなに伝える。実写でできる感情を、俺はみんなに伝えたい』
あのときのなつは、真剣だった
ただ役を演じるだけじゃない
衣音璃という人間が何を考えて、何を感じて、どんな世界を生きているのか
それを自分の演技で伝えたいのだと、まっすぐに話していた
そして、すちの言葉
『どれだけ特殊な世界にいても、友達とくだらないことで笑ったり、授業をサボったり、先生に怒られたり…そういう普通の高校生っぽさは残したくて』
……そっか
俺は、ようやく気づいた気がした
この二人は、友達なんだ
特別な力があっても、危険な世界に生きていても、彼らにとってはそれが日常だった。くだらないことで笑い合って、文句を言い合って、隣を歩いて。明日も、その先も、当たり前みたいに一緒にいるつもりだった
そんな日常の中で、突然、大切な友達が目の前で倒れたら
さっきまで笑っていた友達が、返事をしてくれなくなったら
これからもずっと一緒にいられると思っていた相手が、もう二度と目を開けないかもしれないとしたら
それが、なつだったら?
「…………」
頭の中に、嫌でも想像が浮かんだ.
衣音璃の衣装を着たなつが、目の前で倒れている。 いつもみたいに笑ってくれない。俺が名前を呼んでも、返事をしてくれない
「……っ」
息が詰まった
違う
これは、ただの撮影だ。なつは役を演じているだけで、本当に傷ついたわけじゃない
分かっている。 でも、もしも… もしも、なつが本当にそんな目に遭ったら
「大丈夫、、僕は毒耐性があるッ…」
頭の中で、なつの声が響いた。 苦しそうなのに、俺を安心させるように笑おうとする声
ばたっ
なつが倒れた
その姿が脳裏に浮かんだ瞬間、胸の奥がぐちゃぐちゃになった。 右腕を失って、毒に侵されて、身体がどんどん冷たくなっていく
俺が何度名前を呼んでも、返事がない
触れたいのに、触れられない
助けたいのに、助けられない
(嫌だ…)
そんなの、嫌に決まっている
「……っ、ぁ……」
喉の奥が震えた
今まで、どうすれば泣けるのかばかり考えていた。どうすれば感情を爆発させられるのか。どんな声を出せば、どんな顔をすれば、観ている人に伝わるのか
でも、違った
琉李は、ただ泣こうとしているわけじゃない。 大切な友達を失いたくない
ただ、それだけなんだ
失いたくないのに、失ってしまうかもしれない。 その恐怖に、心が耐えられなくなったんだ
「ぁ”、ぁ”ぁあぁあぁぁぁッ!!!!!」
喉が裂けるほどの叫びが、スタジオに響き渡った
もう、演技のことなんて考えていなかった。 どう見えるかも、どう聞こえるかも、頭から消えていた。 ただ、目の前で大切な存在が消えてしまう恐怖。それだけが、俺の中を埋め尽くしていた
……ああ
これが、琉李の感情なんだ
大切な友達と過ごす、何でもない日常
その日常が、永遠に続くと思っていた
だからこそ、それを失うかもしれない瞬間が、何よりも怖い 俺は、ようやくその感情に触れられた気がした
今日の撮影がすべて終わり、俺はスタッフさんたちに挨拶をしながらスタジオを出ようとしていた。何度も繰り返した撮影の疲れはまだ身体に残っているけれど、それ以上に、ようやく最後までやり切れたという達成感が胸の中に広がっていた
そんなときだった
「いるま、、」
聞き慣れた声に呼び止められ、俺は思わず足を止めた。
「!、なつ…」
振り返ると、そこには右腕が戻ったなつが立っていた。さっきまで撮影で失っていたはずの右腕は、今では何事もなかったかのようにちゃんと繋がっている。衣装も少し整えられていて、撮影中の痛々しい姿が嘘みたいだった
そんななつが、俺の顔を見るなり、少し照れたように笑った
「すごかった…すごく、よかった…」
その言葉に、一瞬、胸が詰まった
何度も何度も撮り直して、上手くいかなくて、悔しくて。自分の中にあるはずの琉李の感情を掴みきれなくて、何度も逃げ出したくなった。それでも最後まで諦めずにやり切れたのは、琉李の気持ちを理解したかったから
そして、目の前にいるなつに、ちゃんと伝えたかった… だからこそ、俺は少しだけ意地悪な質問をした
「…何点?」
「えっ、ぁ、、えと… 90点⸝⸝」
なつは予想していなかったらしく、ぴたりと固まった。視線が泳いで、頬がじわじわと赤くなっていく。その反応があまりにも可愛くて、俺は思わず笑ってしまった
「あともう少しじゃん、笑
約束忘れてないよな?」
「っ、!わ、忘れるわけないだろ!
急に言うんだから、⸝⸝⸝⸝」
そう言いながら、なつは俺から目を逸らした。
忘れるわけがない
だって、あの日からずっと頭の片隅にあった約束だから
俺が100点を取れたら、なつと付き合える
言葉にするだけなら簡単なのに、いざ本人を前にすると、どうしようもなく緊張する。好きだと伝えることも、付き合いたいと願うことも、今まで何度だって考えてきた。それでも、こうして本当に手が届くかもしれないと思うと、心臓がうるさいくらいに鳴る
俺はなつのそばに一歩近づき、そっとその頭に手を置いた
「あと10点…100点目指すから」
優しく撫でると、なつの肩がぴくりと跳ねた。
顔を真っ赤にして、俯いてしまう。その耳まで赤くなっているのが見えて、俺はますます頬が緩むのを止められなかった。
……ああ、もう
(本当に、可愛い…)
普段はあんなに堂々としていて、演技になると誰よりも真っ直ぐに役と向き合うくせに、こういうときだけ、どうしてこんなに分かりやすいんだろう。 もっと撫でていたい。もう少しだけ、こうしていたい
けれど、いつまでもからかっていたら怒られそうなので、俺は名残惜しく手を離した
すると、なつが俯いたまま、小さな声で呟いた
「俺ら次の撮影で最後だから…次の撮影で100点取らなかったらつ、つつつ、付き合わないからな!⸝⸝ っ、だ、だから!次で最後なんだから、ちゃんと100点取って、、ね ?、⸝⸝」
なつは勢いよく顔を上げたものの、俺と目が合った途端、また慌てて視線を逸らした。言ってしまったことを取り消すつもりはないらしい。でも、恥ずかしさには勝てないようだった。
そんな姿を見ていたら、胸の奥がじんわりと温かくなった
俺はずっと、なつと付き合いたかった
ただの共演者じゃなくて、ただの友達でもなくて、もっと特別な存在になりたかった。なつが疲れたときには隣にいて、嬉しいことがあったら一緒に喜んで、誰にも言えないことだって話してもらえるような、そんな相手になりたかった。
その願いが、今、本当に叶うかもしれない。
「……わかった」
俺は笑いを堪えながら、なつの顔を覗き込んだ
「絶対100点取る」
「……っ、当たり前だろ」
「うん。当たり前に取る。なつと付き合いたいから」
「~~っ!!!⸝⸝だから、そういうことを急に言うなって!!」
とうとう耐えきれなくなったなつが、俺の肩を軽く叩いた
それでも俺は笑っていた。
だって、仕方がないだろう
あと10点
たった10点なのに、俺にとっては今までで一番大切な10点だ
次の撮影が終わったら、俺たちの関係も変わるのかもしれない。 そう考えるだけで緊張する
けれど、それ以上に楽しみだった
「なつ」
「……なに ⸝⸝」
「次の撮影、ちゃんと見ててな」
そう告げると、なつは少しだけ顔を上げた。
赤くなった頬はまだそのまま。それでも今度は、逃げずに俺の目を見てくれた。
「……見るに決まってんだろ」
その声があまりにも優しかったから、俺はもう一度だけ、なつの頭を撫でた
次こそ、100点を取る
そして今度は、役としてじゃなく、俺自身の言葉で、 大好きなこの人にもう一度ちゃんと伝えるんだ
俺と、付き合ってくださいって